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2011-03-11
鬼の芸能など学ぶ 星砂の島文化講演会 (八重山・沖縄)
鬼の芸能など学ぶ 星砂の島文化講演会

【竹富】全国竹富島文化協会(高嶺方裕理事長)はこのほど、
竹富島まちなみ館で「第15回星砂の島文化講演会」を開催した
今回は國學院大学の長野隆之准教授が「鬼の芸能」、沖縄国際
大学の狩俣恵一教授が「鬼狂言と組踊り」と題して講演した。
「鬼」というテーマに関心の高さを示してか、会員以外の参加
もあり例年以上に多くの参加者があった。
長野准教授は「学生だった15年前に初来島し文化協会の設立
総会にも参加したが、何よりも種子取祭を見て神が感じられた」
と述べ芸能がそれぞれの時代、演者により創意工夫が加えられ
魅力的になっていると指摘。
その中で「鬼狂言」に出てくる女鬼は、日本の民俗芸能全体を
見渡しても見ることはできないと話し、全国各地の鬼が出る祭
を分類しながら映像で紹介した。
狩俣教授は「佐敷ミントングスクの角の生えたアマミキヨ神と、
赤マタ黒マタの来訪神は鬼と神の要素を併せ持っている。
種子取祭の鬼はスーパースターはいないが、以前は鬼にもせりふ
があったがなくしたり、子役は若衆姿からかすりの着物になったり
鬼退治の武士は足袋からわらじ履きになったりと、組踊りの様式
から写実的に改革されていった」と説明。
また「本来は1匹だったのが雌鬼を登場させ、迫力を出すために
子鬼まで出したが、さすがにそれは先輩からしかられた」と裏話
まで紹介し、無邪気でユーモラスな伊江島の「ペンシマ」の鬼の
映像と比較した。
懇親会では鬼捕り狂言の元鬼の演者と現役の鬼、元武士役が解説
と感想を述べ、裏話も多々出るなど和やかに交流した。
(竹富通信員)
(八重山毎日新聞)

【竹富】全国竹富島文化協会(高嶺方裕理事長)はこのほど、
竹富島まちなみ館で「第15回星砂の島文化講演会」を開催した
今回は國學院大学の長野隆之准教授が「鬼の芸能」、沖縄国際
大学の狩俣恵一教授が「鬼狂言と組踊り」と題して講演した。
「鬼」というテーマに関心の高さを示してか、会員以外の参加
もあり例年以上に多くの参加者があった。
長野准教授は「学生だった15年前に初来島し文化協会の設立
総会にも参加したが、何よりも種子取祭を見て神が感じられた」
と述べ芸能がそれぞれの時代、演者により創意工夫が加えられ
魅力的になっていると指摘。
その中で「鬼狂言」に出てくる女鬼は、日本の民俗芸能全体を
見渡しても見ることはできないと話し、全国各地の鬼が出る祭
を分類しながら映像で紹介した。
狩俣教授は「佐敷ミントングスクの角の生えたアマミキヨ神と、
赤マタ黒マタの来訪神は鬼と神の要素を併せ持っている。
種子取祭の鬼はスーパースターはいないが、以前は鬼にもせりふ
があったがなくしたり、子役は若衆姿からかすりの着物になったり
鬼退治の武士は足袋からわらじ履きになったりと、組踊りの様式
から写実的に改革されていった」と説明。
また「本来は1匹だったのが雌鬼を登場させ、迫力を出すために
子鬼まで出したが、さすがにそれは先輩からしかられた」と裏話
まで紹介し、無邪気でユーモラスな伊江島の「ペンシマ」の鬼の
映像と比較した。
懇親会では鬼捕り狂言の元鬼の演者と現役の鬼、元武士役が解説
と感想を述べ、裏話も多々出るなど和やかに交流した。
(竹富通信員)
(八重山毎日新聞)
2010-10-19
沖縄の祭り・宮古島パーントゥ
パーントゥ3匹現る/国指定文化財泥を塗り厄払い

新生児に泥を付けるパーントゥ=18日、島尻
国指定重要無形民俗文化財の奇祭「パーントゥ」が18日、島尻地区で行われた。
体中に泥を塗り仮面をかぶったパーントゥ3匹が、住民らに泥を塗りたくって
厄除け、招福した。集落内は、泥を塗られた人の「キャーッ」「ウワーッ」の
悲鳴が響き渡っていた。きょう19日も行われる。
この日の夕暮れ、親子連れや観光客らが3匹が現れるのを待った。
3匹は仮面を付け、泥だらけのつる性の植物を身にまとい、
つえを持ち、裸足のいでたちで出現した。
見物人らは「パーントゥが、来たぞ」と騒ぎ立てた
中には恐怖心から逃げ回る子どももいた。
パーントゥは追い掛け、捕まえた人に容赦なく泥を塗った。
新生児と新築家は泥を塗ってもらうのが習わし。パーントゥは
新生児の顔には優しく泥を付けた。新築家に上がり込むと
壁などに泥を塗り、家主から祝い酒のもてなしを受けた。
仲里長造自治会長は「今後ともパーントゥを大事に守り
次世代に引き継いでいきたい」と語った。
パーントゥ 数百年前に島尻でクバマと呼ばれる西海岸に
黒と赤の仮面が漂着した。
村人はこの仮面は海のかなたから訪れた来訪神と崇敬した。
男が仮面をかぶって集落内を駆け回ったのが由来と伝えられている。
(宮古毎日新聞の紙面より)

新生児に泥を付けるパーントゥ=18日、島尻
国指定重要無形民俗文化財の奇祭「パーントゥ」が18日、島尻地区で行われた。
体中に泥を塗り仮面をかぶったパーントゥ3匹が、住民らに泥を塗りたくって
厄除け、招福した。集落内は、泥を塗られた人の「キャーッ」「ウワーッ」の
悲鳴が響き渡っていた。きょう19日も行われる。
この日の夕暮れ、親子連れや観光客らが3匹が現れるのを待った。
3匹は仮面を付け、泥だらけのつる性の植物を身にまとい、
つえを持ち、裸足のいでたちで出現した。
見物人らは「パーントゥが、来たぞ」と騒ぎ立てた
中には恐怖心から逃げ回る子どももいた。
パーントゥは追い掛け、捕まえた人に容赦なく泥を塗った。
新生児と新築家は泥を塗ってもらうのが習わし。パーントゥは
新生児の顔には優しく泥を付けた。新築家に上がり込むと
壁などに泥を塗り、家主から祝い酒のもてなしを受けた。
仲里長造自治会長は「今後ともパーントゥを大事に守り
次世代に引き継いでいきたい」と語った。
パーントゥ 数百年前に島尻でクバマと呼ばれる西海岸に
黒と赤の仮面が漂着した。
村人はこの仮面は海のかなたから訪れた来訪神と崇敬した。
男が仮面をかぶって集落内を駆け回ったのが由来と伝えられている。
(宮古毎日新聞の紙面より)
2010-10-08
幸せ祈りミルクと歩く
石垣・登野城12年ぶり結願祭

ミルクを中心に、にぎやかに市内を練り歩く「道すない」
(7日、石垣市登野城)
【石垣】御嶽(うたき)の神々に対する過去1年間の祈願の締めくくりとして
12年に1度、寅(とら)年に行われる登野城字(あざ)会(比屋根重雄会長)の
結願祭が7日、石垣市の登野城地区で行われた。
総勢600人余りの住民が地区に受け継がれてきたすべての
伝統芸能を奉納して神へ感謝し、来年の豊作や無病息災を願った。
祭りは、このほど面を新調した「ミルク(弥勒)神」を中心に
集落を練り歩く「道すない」で幕開け(又吉嘉例撮影)。
青年会や婦人会、小中高生らがさまざまな装束を身にまとい
にぎやかに天川御嶽を目指した。
御嶽では「胡蝶(こちょう)の舞」「木遣り」、「大胴(ウードゥ)
・小胴(クードゥ)」などこの日だけの伝統芸能が次々と披露され
大勢の市民や観光客らの拍手や歓声を浴びていた。
木遣りを指導した上地節さん(84)は「健康を守ってくれる
神様への感謝の気持ちを持って踊ることができた。
12年後も元気なら参加したい」と意欲的だった。
(沖縄タイムス記事より)

ミルクを中心に、にぎやかに市内を練り歩く「道すない」
(7日、石垣市登野城)
【石垣】御嶽(うたき)の神々に対する過去1年間の祈願の締めくくりとして
12年に1度、寅(とら)年に行われる登野城字(あざ)会(比屋根重雄会長)の
結願祭が7日、石垣市の登野城地区で行われた。
総勢600人余りの住民が地区に受け継がれてきたすべての
伝統芸能を奉納して神へ感謝し、来年の豊作や無病息災を願った。
祭りは、このほど面を新調した「ミルク(弥勒)神」を中心に
集落を練り歩く「道すない」で幕開け(又吉嘉例撮影)。
青年会や婦人会、小中高生らがさまざまな装束を身にまとい
にぎやかに天川御嶽を目指した。
御嶽では「胡蝶(こちょう)の舞」「木遣り」、「大胴(ウードゥ)
・小胴(クードゥ)」などこの日だけの伝統芸能が次々と披露され
大勢の市民や観光客らの拍手や歓声を浴びていた。
木遣りを指導した上地節さん(84)は「健康を守ってくれる
神様への感謝の気持ちを持って踊ることができた。
12年後も元気なら参加したい」と意欲的だった。
(沖縄タイムス記事より)
島包む伝統芸能 竹富島 種子取祭

生き生きとした踊りで喜びを表現するジッチュ=7日
竹富町竹富島の世持御嶽
【竹富島=竹富】600年余り続いている国の重要無形民俗文化財で
竹富島最大の祭り、種子取祭(タナドゥイ)の奉納芸能が7日、
同島の世持御嶽(ユームチオン)で始まった。
2日間にわたって庭の芸能と舞台芸能約80演目が奉納される。
午前10時前から御嶽前の広場で棒術や太鼓、
農耕作業を表したマミドー、人頭税に苦しみながら
毎年の年貢を完納し琉球国王に拝謁(はいえつ)する
機会を得た喜びを表現するジッチュなどが披露された。
御嶽前では夕方まで舞台芸能が奉納された。
(琉球新報記事より)
2007-05-22
波上祭り・・・
先日の5月20日の日曜日に波上祭りが開かれた。
そもそも波上祭りとは毎年5月の20日前後の日曜日に行われる「波上祭り」(ナミノウエ)は那覇の辻町一帯で行われる。ごく小さな地域での伝統のある、そして独特の特色を持った祭りである。

神輿
沖縄で神輿に御目にかかることは極めて珍しいことだ。
神道である神社が沖縄に根をおろしたのははるかな琉球王朝時代で波の上宮、普天間神宮など琉球八社と呼ばれ8ヶ所存在したという。沖縄は今も残る原始宗教といわれる自然崇拝であった。例えば島で最も高の頂上(最も天に近い所)に近くの自然石を置き目に見えない神に祈りを続けた。いつの頃からか本土から神道が伝わり目に見えない(一神教に近い?)神を対象としていたのが島井とか祠が作られ、その中にかみの存在を認め祈りの対象となったと言われている。
しかし、現在の沖縄でも祈りの対象に海の彼方の「ニライカナイ」であり、森の奥深くの大きな木の根元であり、「ヒヌカン」(火の神様)、先祖崇拝が圧倒的に多い。

大太鼓
波の上宮を中心としたこの祭りにはやはり、神社の流れを強く感じさせる。
この大太鼓もそうであり、道行く人の目を引いた。
琉球王朝の紋と宮司
八夕に染め抜かれた巴の御紋(ヒジャグムン)は明らかに琉球王朝の紋だが宮司さんと一緒だ、こうして沖縄のチャンプルー文化が育っていくのかな。

子供達のエイサー
沖縄でどこの祭りでも小学校の運動会でも、はては結婚式の余興でも、エイサーは欠かせない。

沖縄のオバチャン
沖縄のオバチャン達は、元気者ぞろいだ。派手派手の揃いのハッピを着て道などを踊りまくる。
ジュリ馬
琉球王朝の時から花町でもあった、ここ辻町、波の上一帯は、未だに綺麗なお姉さんの多いところ。古い歴史を持つ「ジュリ馬」行列はこの地域の名物であり,多くのファンが居る。
ジュリ馬動画です
そもそも波上祭りとは毎年5月の20日前後の日曜日に行われる「波上祭り」(ナミノウエ)は那覇の辻町一帯で行われる。ごく小さな地域での伝統のある、そして独特の特色を持った祭りである。
神輿
沖縄で神輿に御目にかかることは極めて珍しいことだ。
神道である神社が沖縄に根をおろしたのははるかな琉球王朝時代で波の上宮、普天間神宮など琉球八社と呼ばれ8ヶ所存在したという。沖縄は今も残る原始宗教といわれる自然崇拝であった。例えば島で最も高の頂上(最も天に近い所)に近くの自然石を置き目に見えない神に祈りを続けた。いつの頃からか本土から神道が伝わり目に見えない(一神教に近い?)神を対象としていたのが島井とか祠が作られ、その中にかみの存在を認め祈りの対象となったと言われている。
しかし、現在の沖縄でも祈りの対象に海の彼方の「ニライカナイ」であり、森の奥深くの大きな木の根元であり、「ヒヌカン」(火の神様)、先祖崇拝が圧倒的に多い。
大太鼓
波の上宮を中心としたこの祭りにはやはり、神社の流れを強く感じさせる。
この大太鼓もそうであり、道行く人の目を引いた。
琉球王朝の紋と宮司
八夕に染め抜かれた巴の御紋(ヒジャグムン)は明らかに琉球王朝の紋だが宮司さんと一緒だ、こうして沖縄のチャンプルー文化が育っていくのかな。
子供達のエイサー
沖縄でどこの祭りでも小学校の運動会でも、はては結婚式の余興でも、エイサーは欠かせない。
沖縄のオバチャン
沖縄のオバチャン達は、元気者ぞろいだ。派手派手の揃いのハッピを着て道などを踊りまくる。
ジュリ馬
琉球王朝の時から花町でもあった、ここ辻町、波の上一帯は、未だに綺麗なお姉さんの多いところ。古い歴史を持つ「ジュリ馬」行列はこの地域の名物であり,多くのファンが居る。
ジュリ馬動画です
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