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2014-06-10



オオゴマダラ

浦添美術館の近くにある『てだこチョウハウス』に行ってきました。



ふわりふわりと優雅に舞いながら、花に舞い降りる。優雅なその姿から”南の島の貴婦人”と呼ばれるオオゴマダラは開長13cmに及ぶ日本最大級のチョウです。
黄色っぽい羽のチョウは生まれたてらしいです。



国内では沖縄諸島以南の南西諸島に分布しています。
チョウは整髪料やおしりふきに含まれる成分に引き寄せられるそうですかなり群がってくるようです。



金色の蛹は綺麗でした。




2014-06-09

こんにちは

お試し投稿です。


2013-09-02

笑いで防犯「ウムヤス・ウムッシ芸能祭」(宮古島・沖縄)

笑いで防犯活動の輪拡大へ
「ウムヤス・ウムッシ芸能祭」大盛況


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寸劇で会場を沸かせた「ポリス楽笑劇団」
=31日、マティダ市民劇場

 宮古島地区防犯協会主催の「ウムヤス・ウムッシ芸能祭」が31日、マティダ市民劇場で行われた。協会の各支部や舞踊研究所、婦人会、警察など17団体が出演して舞踊、生バンド、寸劇、ダンスなどを披露。ユニークかつ多彩なプログラムに会場は大盛況だった。

 同芸能祭は、防犯思想の普及高揚と防犯組織の拡充を図り、地域安全活動の充実に役立てることが狙い。

 久田流家元久田多嘉子舞踊研究所による「とうがにあやぐ」で幕開け。協会の狩俣支部、西原支部の踊りが続いた。

 この後、防犯協会の前川尚誼会長があいさつ。「地域の防犯思想の普及高揚はもちろんのこと、宮古の将来を担う青少年の健全育成活動はますます活発に行うことが求められている。
防犯協会は、今後も自主防犯活動の輪を広げ、犯罪のない、安全で安心な宮古圏域づくりにまい進していきたい」と述べるとともに、防犯活動の充実に向けて市民の協力を求めた。

 宮古島市の下地敏彦市長(代読・平良哲則生活環境部長)と宮古島署の宮城英眞署長は激励のあいさつを行い、芸能祭開催の意義を強調しながら多くの出演者を励ました。

 この後、「ポリス楽笑劇団」が寸劇を披露。ある公園がごみで汚れ、治安が悪くなっていく様子をおもしろおかしく演じ、観客の笑いを誘った。

 この後も協会各支部の踊りが続き、祭りは最後まで盛況を博した。

.宮古毎日新聞

2013-05-08

びっくり ど根性ヒマワリ (沖縄)

びっくり 門の下からど根性ヒマワリ
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自宅前のブロックの隙間から花を咲かせたヒマワリ
を見守る玉城幸子さん=名護市屋我

 【名護】「門は動かさず、開けたままにしています」-。市屋我の玉城幸子さん(63)は3月下旬、自宅前の歩道とブロック塀の隙間から、小さな芽を出した一株のヒマワリに気付いた。

 発芽した場所は、自宅前にある鉄の門扉のレール下。危なっかしい場所から顔を出した芽はその後すくすく成長、1カ月後の4月下旬にはつぼみを付け、1輪の花を咲かせた。黄色いヒマワリの花はブロック塀をキャンバスによく目立っている。

 玉城さんは「家の前はすぐ海で、台風のときはよく床下浸水する。そのときに庭に植えていたヒマワリが流され、落実したのかもしれない」と予想する。

 花までの高さは約120センチ。130センチの門を越す日も近いと話す玉城さんは、「ど根性ヒマワリ」から種が取れるまでは門の開閉はしない-と話し、「それにしてもなぜ、こんな狭いところに。しかも硬いのに」と笑顔で首をかしげた。

 (玉城学通信員)

   沖縄タイムス

2013-04-16

戦の真実伝えたい 元日本兵 (OKINAWA)

戦の真実伝えたい 元日本兵の日比野さん妻、
夫の手記編集
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アブチラガマを訪れた日比野宣子さん(左)と夫の勝廣さん
=1981年8月、旧玉城村糸数のアブチラガマ
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手記「我が夫の沖縄戦・『生』と『死』の闘い」の表紙

 沖縄戦当時、南城市玉城糸数の糸数壕(アブチラガマ)で九死に一生を得た元日本兵の故・日比野勝廣さん=享年85、愛知県=の妻の故・宣子(のぶこ)さん=享年78=が夫の戦争体験を編集した手記「我が夫の沖縄戦・『生』と『死』の闘い」がこのほど、日比野夫妻の娘4人によって自費出版された。
終戦後の1948年に結婚した宣子さんは勝廣さんが戦争で負った心の傷に触れ、「真実を伝えたい」との思いで編集し、60年ごろに婦人向け雑誌に投稿した。
原稿は掲載されることはなかったが、娘たちが50年以上経て一冊の本として世に問うことになった。

 勝廣さんは43年に召集を受け、第62師団独立歩兵第23大隊に配属された。中国各地を転戦後、44年に対馬丸で那覇港に着いた。
激戦地の宜野湾市嘉数高台の戦闘に参加し、その後浦添市安波茶で負傷。破傷風にかかったが、アブチラガマで約3カ月過ごし、住民から食料をもらうなどして命を取り留めた。

 勝廣さんは手記に「路傍に横たわる数知れぬ兵の頭は飛び散り、足は切れ、両眼は飛び出し、全身焼けただれている」などと記し、当時の凄惨な状況を伝えている。

 戦後は人形職人として働く傍ら、慰霊のために百回以上も沖縄に足を運び、住民と交流を重ねた。

 宣子さんは勝廣さんの戦地での体験を知らずに結婚したが、その壮絶な体験や生き残った夫が抱える自責の念を知り、夫の手記で戦争の真実を伝え、同じく「生の苦しみ」に耐えている人を励まそうとした。
宣子さんは本で「夫の歩んできた道を振り返り『生きる』尊さを今一度考えてみたい」と記し「戦争の悲惨さ」と「生命の尊さ」を伝える意味をつづった。

 四女の柳川たづ江さん(58)は「父と母は助けていただいた沖縄の方々にお礼の気持ちを伝えたかったと思う。二人の間にあった平和への強い思いを次の世代に託したくて、本にまとめた」と述べた。

 本はアブチラガマに隣接する南部観光総合案内センターで
1冊500円で販売している。

   問い合わせは、ゆうなの会
 (電話)090(9786)7296。


  (与那覇裕子)


  流球新報
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