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2011-07-01
[有釣天]万座毛で2・9キロカツオ 泡瀬では大型タマン (沖縄)
[有釣天]万座毛で2・9キロカツオ 泡瀬では大型タマン
名嘉山博
沖縄市に住む永山潤さんは6月20日、西海岸の磯場にカツオが
回遊しているとの情報を聞き、さっそく恩納村の万座毛でフカセで
狙った。数日前には計10匹のカツオが釣れたというから期待も高まる。
午前6時にスタートフィッシング。仕掛けは比重の軽いまき餌を
断続的にまき続け、沈め釣りで狙う。お昼前に20メートル先に
流した仕掛けに2・9キロのカツオがヒット。その後、無数の
ヒレーカーが浮いてきて、続けて1匹をゲットした。

20日、万座毛の荒磯で60センチ、2・9キロのカツオを釣った
永山潤さん。ハリス3号、針グレ9号
■宜名真でも2キロ強

20日、国頭村宜名真駐車場下で、2.02キロのカツオなどを
釣った中村勝太郎さん。ハリス2.5号、針グレ6号
うるま市の中村勝太郎さんは20日、国頭村宜名真駐車場下のポイントでフカセ釣り。ヒレーカーの群れが浮いていたので、1号竿に道糸とハリス2・5号の細仕掛けで狙った。足元に中型カツオの魚影が通り過ぎるのを確認し、集中的に狙っていると、左から右に潮が流れた午前11時にヒット。細い仕掛けなので慎重にやりとりして2キロ強のカツオをゲットした。
■泡瀬一文字のタマン
株式会社松樹の當眞盛剛さんは17日、チーム「AFC58」主体のメンバーで泡瀬一文字に渡りタマン狙い。2本出した竿のうち、1本に海ウナギが釣れたので、さばいて針にかけて投げると、午後11時半にタマンがヒット。竿にかかる負荷は強烈で「これは大きい」と確信した。何とか手前まで寄せると72センチ、4・4キロの大型タマンであった。(釣りPower)

17日、泡瀬一文字1番ポイントで72センチ、4.4キロのタマンを
釣った當眞盛剛さん。ハリス24号、針タマン20号

19日、自家船の「海猿」に乗り、慶良間沖のナークゾネで
120キロのカジキを釣った照屋幸安さん

27日、今帰仁海岸で59.4センチ、3.03キロのタマンを
釣った内間清尊さん

26日、北中城村熱田漁港で71センチ、4.54キロのタマンを
釣った知念和彦さん
沖縄タイムス
名嘉山博
沖縄市に住む永山潤さんは6月20日、西海岸の磯場にカツオが
回遊しているとの情報を聞き、さっそく恩納村の万座毛でフカセで
狙った。数日前には計10匹のカツオが釣れたというから期待も高まる。
午前6時にスタートフィッシング。仕掛けは比重の軽いまき餌を
断続的にまき続け、沈め釣りで狙う。お昼前に20メートル先に
流した仕掛けに2・9キロのカツオがヒット。その後、無数の
ヒレーカーが浮いてきて、続けて1匹をゲットした。

20日、万座毛の荒磯で60センチ、2・9キロのカツオを釣った
永山潤さん。ハリス3号、針グレ9号
■宜名真でも2キロ強

20日、国頭村宜名真駐車場下で、2.02キロのカツオなどを
釣った中村勝太郎さん。ハリス2.5号、針グレ6号
うるま市の中村勝太郎さんは20日、国頭村宜名真駐車場下のポイントでフカセ釣り。ヒレーカーの群れが浮いていたので、1号竿に道糸とハリス2・5号の細仕掛けで狙った。足元に中型カツオの魚影が通り過ぎるのを確認し、集中的に狙っていると、左から右に潮が流れた午前11時にヒット。細い仕掛けなので慎重にやりとりして2キロ強のカツオをゲットした。
■泡瀬一文字のタマン
株式会社松樹の當眞盛剛さんは17日、チーム「AFC58」主体のメンバーで泡瀬一文字に渡りタマン狙い。2本出した竿のうち、1本に海ウナギが釣れたので、さばいて針にかけて投げると、午後11時半にタマンがヒット。竿にかかる負荷は強烈で「これは大きい」と確信した。何とか手前まで寄せると72センチ、4・4キロの大型タマンであった。(釣りPower)

17日、泡瀬一文字1番ポイントで72センチ、4.4キロのタマンを
釣った當眞盛剛さん。ハリス24号、針タマン20号

19日、自家船の「海猿」に乗り、慶良間沖のナークゾネで
120キロのカジキを釣った照屋幸安さん

27日、今帰仁海岸で59.4センチ、3.03キロのタマンを
釣った内間清尊さん

26日、北中城村熱田漁港で71センチ、4.54キロのタマンを
釣った知念和彦さん
沖縄タイムス
石川・宮森630会が初の慰霊祭(沖縄)
石川・宮森630会が初の慰霊祭

慰霊祭で「なかよし地蔵」に手を合わせる久高律子さん(中央)
=30日、うるま市石川・宮森小学校
【うるま】
52年前に起きた墜落事故の惨事を語り継ぐ「石川・宮森630会」
(豊濱光輝会長)は30日、うるま市立宮森小学校で慰霊祭を開いた。
同会としての開催は初めて。
これまでは児童会主催の追悼集会後に個々人で花をささげる
などしていたが、今回から遺族や関係者を中心に慰霊祭を開く
ことになったという。
豊濱会長は「私たちは涙を流しながらも前に進む以外はない。
130万県民が一つになるよう未来に向かって叫んでいきたい」
と事故を風化させない決意を新たにした。
遺族らは犠牲者18人の名前が刻銘された「仲よし地蔵」に献花。
手を合わせてみ霊を慰めた。
「かあちゃん、来たよ」と泣きながら犠牲者の名前をなぞる
遺族の姿もあった。
当時6年生だった伊波正行さんの母春代さん(85)と妹の
手登根恵子さん(58)は「親思いの優しい子だった。
何年たっても悲しさは変わらない」と涙ぐんだ。
封じ込めた記憶 語る決意
小2妹亡くした久高さん
がん発症 「命続く限り活動したい」
【うるま】「いつまで生きられるか分からないが、妹のため、
宮森のことを伝えるために私は生かされている」―。
石川ジェット機墜落事故で、自身も足をやけどした
久高律子さん(62)=うるま市=は、妹の徳子さんを亡くした。
長年「事故を忘れたかった」と記憶を封印してきたが、
7年前に発症したがんがきっかけとなり、昨年から体験を
語り始めた。「石川・宮森630会」にも背を押され「命が
続く限り活動したい」と意欲を燃やしている。
(石底辰野)
52年前、宮森小4年生だった律子さんはジェット機が
墜落した瞬間のことは覚えていない。辺りは火の海。
一瞬、徳子さん(同2年)のことが頭をよぎったが、
燃えさかる火の粉や熱風を避け走って逃げた。
妹は先に逃げたものと思っていた。
外では、頭から血を流し、服が燃えた子どもたちが
目に入った。目の前の惨事を理解できず、律子さんも
足が焼けただれていたが、痛みは感じなかった。
徳子さんは全焼した教室の灰の中から見つかった。
全身焼けこげ、性別も分からないほどだった。
母は娘と認めることができず、遺体の受け取りを拒否した。
解剖して胃の残留物から徳子さんと判明したことを昨年、
初めて知った。「体を焼かれた上に、切られてしまったのか」と、
助けられなかった罪悪感や後悔の念が湧き起こった。
7年前にがんを発症した律子さん。生きているうちに惨劇を
語り継ぐ「石川・宮森630会」に参加したいと思ったが、
一歩を踏み出すことができなかった。そんなとき、
豊濱光輝会長が講演会で号泣し、話ができない姿を見た。
遺族として、事故を風化させないと決意し、
証言集「沖縄の空の下で」2巻に思いをつづった。
最近、戦闘機が頭上を飛ぶ回数が増えたと感じている。
30日の追悼集会でも爆音がとどろいたことに
「沖縄の人間の命の重さを何と考えているのか」と憤る。
律子さんは「仲よし地蔵」に手を合わせながら徳子さんへ
声を掛けた。「徳子のために頑張っているよ。私がそっちに
逝ったらゆっくり話をしようね」
沖縄タイムス

慰霊祭で「なかよし地蔵」に手を合わせる久高律子さん(中央)
=30日、うるま市石川・宮森小学校
【うるま】
52年前に起きた墜落事故の惨事を語り継ぐ「石川・宮森630会」
(豊濱光輝会長)は30日、うるま市立宮森小学校で慰霊祭を開いた。
同会としての開催は初めて。
これまでは児童会主催の追悼集会後に個々人で花をささげる
などしていたが、今回から遺族や関係者を中心に慰霊祭を開く
ことになったという。
豊濱会長は「私たちは涙を流しながらも前に進む以外はない。
130万県民が一つになるよう未来に向かって叫んでいきたい」
と事故を風化させない決意を新たにした。
遺族らは犠牲者18人の名前が刻銘された「仲よし地蔵」に献花。
手を合わせてみ霊を慰めた。
「かあちゃん、来たよ」と泣きながら犠牲者の名前をなぞる
遺族の姿もあった。
当時6年生だった伊波正行さんの母春代さん(85)と妹の
手登根恵子さん(58)は「親思いの優しい子だった。
何年たっても悲しさは変わらない」と涙ぐんだ。
封じ込めた記憶 語る決意
小2妹亡くした久高さん
がん発症 「命続く限り活動したい」
【うるま】「いつまで生きられるか分からないが、妹のため、
宮森のことを伝えるために私は生かされている」―。
石川ジェット機墜落事故で、自身も足をやけどした
久高律子さん(62)=うるま市=は、妹の徳子さんを亡くした。
長年「事故を忘れたかった」と記憶を封印してきたが、
7年前に発症したがんがきっかけとなり、昨年から体験を
語り始めた。「石川・宮森630会」にも背を押され「命が
続く限り活動したい」と意欲を燃やしている。
(石底辰野)
52年前、宮森小4年生だった律子さんはジェット機が
墜落した瞬間のことは覚えていない。辺りは火の海。
一瞬、徳子さん(同2年)のことが頭をよぎったが、
燃えさかる火の粉や熱風を避け走って逃げた。
妹は先に逃げたものと思っていた。
外では、頭から血を流し、服が燃えた子どもたちが
目に入った。目の前の惨事を理解できず、律子さんも
足が焼けただれていたが、痛みは感じなかった。
徳子さんは全焼した教室の灰の中から見つかった。
全身焼けこげ、性別も分からないほどだった。
母は娘と認めることができず、遺体の受け取りを拒否した。
解剖して胃の残留物から徳子さんと判明したことを昨年、
初めて知った。「体を焼かれた上に、切られてしまったのか」と、
助けられなかった罪悪感や後悔の念が湧き起こった。
7年前にがんを発症した律子さん。生きているうちに惨劇を
語り継ぐ「石川・宮森630会」に参加したいと思ったが、
一歩を踏み出すことができなかった。そんなとき、
豊濱光輝会長が講演会で号泣し、話ができない姿を見た。
遺族として、事故を風化させないと決意し、
証言集「沖縄の空の下で」2巻に思いをつづった。
最近、戦闘機が頭上を飛ぶ回数が増えたと感じている。
30日の追悼集会でも爆音がとどろいたことに
「沖縄の人間の命の重さを何と考えているのか」と憤る。
律子さんは「仲よし地蔵」に手を合わせながら徳子さんへ
声を掛けた。「徳子のために頑張っているよ。私がそっちに
逝ったらゆっくり話をしようね」
沖縄タイムス
民謡「艦砲の喰ぇぬくさー」 作詞推敲ノート見つかる
民謡「艦砲の喰ぇぬくさー」 作詞推敲ノート見つかる

学習用ノートに書きつづられた「艦砲の喰ぇぬくさー」の歌詞。
後方の写真は比嘉恒敏さん
戦後を代表する沖縄民謡のヒット曲「艦砲の喰ぇぬくさー」を
作詞作曲した故比嘉恒敏さんが、作詞に用いた1970年前後
のものとみられる推敲(すいこう)ノートが見つかった。戦争に
翻弄(ほんろう)された沖縄の人間としての怒りをストレートに
歌い共感を広げた歌詞だが、何度も書き直しを重ねた経緯が
分かる。子どもたちが学校で使ったノートに歌詞や舞台演目を
書きつづっており、戦後を生きた大家族の生活感も伝わる。
長女の島袋艶子さんが保管していた遺品の中から、NHK番組
「沖縄の歌と踊り」担当ディレクターの仲松昌次さんが発見した。
仲松さんは「歌詞が出来上がるまでの心の軌跡が興味深い。
封印した過去と向き合って個人的な体験を書いた歌詞だが、
ウチナーンチュに共通の思いとして普遍的に広まった」と語る。
読谷村楚辺出身で戦中は大阪にいた比嘉さん。学童疎開船
「対馬丸」に乗船した父と長男を失い、大阪の空襲で妻と次男
を失った。戦後に再婚して子宝に恵まれ、4人娘を芸能グループ
「でいご娘」としてデビューさせた。
今回見つかったノートには、6ページにわたり主に鉛筆書きで
つづられ、消しゴムの消し跡なども確認できる。最後のページ
はボールペンで書かれているため清書したと考えられるが、
そこでもさらに書き直しが加えられる。当初は世界中が友達
にという内容での歌の締めくくりだったが、二重線でボツにされ、
現在の「恨でぃん悔やでぃん飽きざらん 子孫末代遺言さな」と
いう歌詞に変更している。
「艦砲の喰ぇぬくさー」にまつわる逸話は、1日午後7時半から
NHK総合「沖縄の歌と踊り」で放映される。
琉球新報

学習用ノートに書きつづられた「艦砲の喰ぇぬくさー」の歌詞。
後方の写真は比嘉恒敏さん
戦後を代表する沖縄民謡のヒット曲「艦砲の喰ぇぬくさー」を
作詞作曲した故比嘉恒敏さんが、作詞に用いた1970年前後
のものとみられる推敲(すいこう)ノートが見つかった。戦争に
翻弄(ほんろう)された沖縄の人間としての怒りをストレートに
歌い共感を広げた歌詞だが、何度も書き直しを重ねた経緯が
分かる。子どもたちが学校で使ったノートに歌詞や舞台演目を
書きつづっており、戦後を生きた大家族の生活感も伝わる。
長女の島袋艶子さんが保管していた遺品の中から、NHK番組
「沖縄の歌と踊り」担当ディレクターの仲松昌次さんが発見した。
仲松さんは「歌詞が出来上がるまでの心の軌跡が興味深い。
封印した過去と向き合って個人的な体験を書いた歌詞だが、
ウチナーンチュに共通の思いとして普遍的に広まった」と語る。
読谷村楚辺出身で戦中は大阪にいた比嘉さん。学童疎開船
「対馬丸」に乗船した父と長男を失い、大阪の空襲で妻と次男
を失った。戦後に再婚して子宝に恵まれ、4人娘を芸能グループ
「でいご娘」としてデビューさせた。
今回見つかったノートには、6ページにわたり主に鉛筆書きで
つづられ、消しゴムの消し跡なども確認できる。最後のページ
はボールペンで書かれているため清書したと考えられるが、
そこでもさらに書き直しが加えられる。当初は世界中が友達
にという内容での歌の締めくくりだったが、二重線でボツにされ、
現在の「恨でぃん悔やでぃん飽きざらん 子孫末代遺言さな」と
いう歌詞に変更している。
「艦砲の喰ぇぬくさー」にまつわる逸話は、1日午後7時半から
NHK総合「沖縄の歌と踊り」で放映される。
琉球新報
台湾食品市に県産品 黒糖、泡盛など人気 (沖縄)
台湾食品市に県産品 黒糖、泡盛など人気

地元メディアの取材を受けるなど県産品をPRした見本市
=6月22日、台湾
台湾で開かれた海外食品見本市「FOOD TAIPEI 2011」
(6月22~25日)で、出展を支援したジェトロ沖縄や県産業
振興公社は28日、県内企業の出展や商談状況について、
「黒糖をはじめ泡盛や健康食品が人気を集めていた」と
報告した。見本市には県内企業や団体が参加し、台湾の
流通大手バイヤーらと商談した。
日本貿易振興機構(ジェトロ)が台湾市場での販路拡大を
図るため、日本の農水産物や食品を集めた「日本パビリオン」
を出展した。県内から加工食品会社や泡盛製造会社など15社
と県酒造組合連合会など3団体が参加し、県産品をPRした。
県産業振興公社の担当者は「地元メディアの取材も受け盛況
だった。参加企業へのアンケートでは百数件の商談成約の
見込みがあると回答があった」と今後の展開に期待した。
琉球新報

地元メディアの取材を受けるなど県産品をPRした見本市
=6月22日、台湾
台湾で開かれた海外食品見本市「FOOD TAIPEI 2011」
(6月22~25日)で、出展を支援したジェトロ沖縄や県産業
振興公社は28日、県内企業の出展や商談状況について、
「黒糖をはじめ泡盛や健康食品が人気を集めていた」と
報告した。見本市には県内企業や団体が参加し、台湾の
流通大手バイヤーらと商談した。
日本貿易振興機構(ジェトロ)が台湾市場での販路拡大を
図るため、日本の農水産物や食品を集めた「日本パビリオン」
を出展した。県内から加工食品会社や泡盛製造会社など15社
と県酒造組合連合会など3団体が参加し、県産品をPRした。
県産業振興公社の担当者は「地元メディアの取材も受け盛況
だった。参加企業へのアンケートでは百数件の商談成約の
見込みがあると回答があった」と今後の展開に期待した。
琉球新報
きょうから7月、パイン出荷始まる (宮古島・沖縄)
きょうから7月、パイン出荷始まる

パイナップルの出荷作業を行う農園職員
=平良東仲宗根添の大野果樹園
きょうから7月。 近年、 宮古ではマンゴーだけでなくパイナップル
を栽培する農家も増えつつある。 先月末から収穫が始まり、
出荷はこれからが本番。 宮古のパイナップルの特徴は何と
言ってもその甘さ。 ぜひ1度は味わってほしい。
○…平良東仲宗根添の大野果樹園では30日から出荷を開始。
2つの台風で多少の被害は出たものの、 大きく黄色に熟した
果実が収穫された。 同農園の職員は 「小さな子供でもパインを
食べられるようになったという。 口の中もヒリヒリしない」 と甘くて
食べやすいことをピーアール。 「これから収量も増えていくが、
マンゴーも一緒なので忙しくなる」 と出荷作業に取り組んでいた。
○…以前、 宮古島はパイナップルに適さないと言われてきたが、
同農園では 「作れないことはない」 と敢えて栽培に挑戦した。
現在は地元の農産物直売所を中心に販売しており、 最も甘い
8月中旬頃まで出荷。 「地元の人においしいパイナップルを食
べてほしい」 と話している。
宮古新報

パイナップルの出荷作業を行う農園職員
=平良東仲宗根添の大野果樹園
きょうから7月。 近年、 宮古ではマンゴーだけでなくパイナップル
を栽培する農家も増えつつある。 先月末から収穫が始まり、
出荷はこれからが本番。 宮古のパイナップルの特徴は何と
言ってもその甘さ。 ぜひ1度は味わってほしい。
○…平良東仲宗根添の大野果樹園では30日から出荷を開始。
2つの台風で多少の被害は出たものの、 大きく黄色に熟した
果実が収穫された。 同農園の職員は 「小さな子供でもパインを
食べられるようになったという。 口の中もヒリヒリしない」 と甘くて
食べやすいことをピーアール。 「これから収量も増えていくが、
マンゴーも一緒なので忙しくなる」 と出荷作業に取り組んでいた。
○…以前、 宮古島はパイナップルに適さないと言われてきたが、
同農園では 「作れないことはない」 と敢えて栽培に挑戦した。
現在は地元の農産物直売所を中心に販売しており、 最も甘い
8月中旬頃まで出荷。 「地元の人においしいパイナップルを食
べてほしい」 と話している。
宮古新報
スク350㌔水揚げ/佐良浜漁港(宮古島・沖縄)
スク350㌔水揚げ/佐良浜漁港

水揚げされたスクは袋詰めにされた=30日、佐良浜漁港
宮古島の夏の風物詩の一つ、スク漁が30日、サンゴ礁海域で行われ、
佐良浜漁港では、銀色に輝いた約350㌔水揚げされた。
漁師らは3年連続の臨時ボーナスに笑みをこぼしていた。
親アイゴは約一カ月前に水深の深い所で産卵。ふ化した幼魚スク
は大群をつくり、浅瀬へ移動する。スクは全長3・5㌢ほど。
この日水揚げされたスクは、平良の大型スーパーなど引き取られ、
パック詰めで販売された。
消費者の一人は「取れ立てのスクは油揚げしてもおいしい。
1㌔買ったので、一年ぶりに家族で食べる」と笑顔で話していた。
宮古毎日新聞
.

水揚げされたスクは袋詰めにされた=30日、佐良浜漁港
宮古島の夏の風物詩の一つ、スク漁が30日、サンゴ礁海域で行われ、
佐良浜漁港では、銀色に輝いた約350㌔水揚げされた。
漁師らは3年連続の臨時ボーナスに笑みをこぼしていた。
親アイゴは約一カ月前に水深の深い所で産卵。ふ化した幼魚スク
は大群をつくり、浅瀬へ移動する。スクは全長3・5㌢ほど。
この日水揚げされたスクは、平良の大型スーパーなど引き取られ、
パック詰めで販売された。
消費者の一人は「取れ立てのスクは油揚げしてもおいしい。
1㌔買ったので、一年ぶりに家族で食べる」と笑顔で話していた。
宮古毎日新聞
.