2011-03-02



大型客船「びいなす」寄港/下崎埠頭乗客300人、観光協が歓迎(宮古島、沖縄)

大型客船「びいなす」寄港/
下崎埠頭乗客300人、観光協が歓迎

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埠頭に接岸する「ぱしふぃっく びいなす」=1日、下崎埠頭

平良下崎埠頭に1日午前11時ごろ入港した、大型クルーズ客船
「ぱしふぃっく びいなす」(2万6564㌧)の歓迎式典が
同埠頭で行われ、恒川郁雄船長らに歓迎の花束が贈呈された。
式典には宮古島クルーズ客船誘致連絡協議会の豊見山健児副会長
や観光協会の職員らが出席した。

同船は2月26日に横浜港を出港。神戸経由で乗客約300人を
乗せてこの日入港した。宮古島は「美ら海 琉球島巡りクルーズ」
の最初の寄港地。


式典では、恒川船長、山本仁志機関長、阪根和則ホテルマネジャー
に歓迎の花束と記念品が贈られた。恒川船長から「びいなす」の
記念プレートが同協議会に返礼品として贈呈された。

豊見山副会長は「来島された乗客の皆さんが島の自然を満喫し、
宮古島の人々との交流を深め、実り多い旅になることを願って
いる」と歓迎した。

恒川船長は「今回は島のすばらしさを堪能するにはいささか
足早の旅。次の機会にはゆっくり滞在したい」とあいさつした。
下船した乗客らはタクシーなどに分乗し、宮古島観光を楽しんだ。

同船はこの日午後5時すぎ、平良中吹奏楽部の演奏や男塾武-
DOOの演舞に送られ次の寄港地石垣島に向け出港した。

「ぱしふぃっく びいなす」(日本クルーズ客船)は全長
183・4㍍、幅25㍍。客室数238室。日本船籍の客船と
しては総トン数で飛鳥Ⅱ(郵船クルーズ)に次いで2番目。




(宮古毎日新聞)

3000人が歓声 牛肉早食い競争など楽しむ

3000人が歓声 牛肉早食い競争など楽しむ
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【黒島】「小さな島から見いだす大きな可能性」をテーマに
第19回黒島牛まつり2011(主催・同実行委員会)が2月27日、
黒島多目的広場で開かれた。会場には島内外から約3000人
(主催者発表)の観客が詰めかけ、恒例の牛との綱引きや夢の
牛が1頭当たる抽選会に加え、初開催となった早食い競争
「牛フードファイター」などのイベントを満喫。味のコーナー
では牛汁や牛そばなど牛づくしの料理を堪能した。

この日は晴天に恵まれ、石垣島地方の最高気温も25.1度
(午後2時39分)と4月中旬並の暑さとなり、人口約220人、牛の
頭数約2990頭の黒島には大勢の観客が次々と詰めかけ、祭りを
楽しんだ。

舞台は八重山高校カラーガード部の演技で幕を開け、石垣第二
中学校郷土芸能部の舞踊や黒島保育園児・子ども会も棒術を披露
宮良正章実行委員長、島仲秀憲公民館長、自民党政調会長の石破
茂衆議らもあいさつした。

今回初のイベントとして牛汁、牛丼、ハンバーグを完食する
早さを競う「牛フードファイター」が行われ、6人が挑戦。
唯一の女性挑戦者となった寺東知恵さん(30)=石垣市新川
=が初代チャンピオンとなった。

恒例の男女ペアで3つの牧草ロールを飛び超えてタイムを競う
「ジャンプdeラブロール」、牧草ロール転がし、牛との綱引き
も立て続けに行われ、会場を沸かせた。

このほか、島出身の「島仲久&エンジョイクラブ」のライブや
牛の体重当てクイズ、子牛や子ヤギとの触れ合いコーナーなど
多彩なイベントも繰り広げられ、参加者らは思い思いに牛づくし
のイベントを満喫した。

夢の牛抽選会では島尻説仁君(平真小2年)が当選し、牛1頭を
獲得。牛まつり図画コンクールでは宮良当吉郎君(黒島小6年)、
徳嶺凪さん(同3年)、島仲みよしさん(同1年)の3人が最優秀賞
に輝いた。


(八重山毎日新聞)

県立4高校、569人が卒業 (宮古島、沖縄)

県立4高校、569人が卒業
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県立高校の卒業式が1日、 県内一斉に挙行された。 宮古では
宮古、 宮古総合実業、 宮古工業、 伊良部の4高校で計569
人が新天地へと旅立った。

卒業生が高校に入学した2008年は中国製冷凍ギョーザ事件
米国リーマン・ブラザーズの経営破たんなど暗いニュースが
相次ぎ、 日本人4人ノーベル賞同時受賞、 北海道洞爺湖
サミット開催、 北京五輪の開催など明るいニュースも飛び交う
など激動の1年に。

09年は裁判員制度スタート、 民主党政権発足、 普天間基地移
設先を巡る政府迷走。 昨年は尖閣沖・中国漁船衝突事件、参院
選民主大敗で 「ねじれ国会」 再び、 日本航空・会社更生法適
用申請など政治・経済とも大荒れの1年となった。

式典では各校の校長が卒業生を前に式辞を読み上げ、 卒業生を
激励。 宮古高校の川満健校長は 「激動する社会に柔軟に対応
できる豊かな発想と心を持って主体的に生きてほしい。
1人ひとりの前途に幸多いことを祈っている」 と
エールを送っていた。


( 宮 古 新 報 )