2011-11-15



「金メダルで恩返し」 (宮古島・沖縄)

「金メダルで恩返し」/世界ろう者フットサル女子代表 
今西さんが開催地へ出発


大会に向け出発した今西さん=14日、宮古空港

 第3回世界ろう者フットサル選手権に出場する女子日本代表の今西利恵さん=市平良=が14日、開催地に向けて出発した。
今西さんは「今はドキドキしている。目標は優勝のみ。支援を受けた多くの皆さんに金メダルで恩返ししたい」と抱負を述べた。

 聴覚障害者による同大会は、18~26日にスウェーデンで開催される。女子は14カ国が出場し、予選リーグと決勝トーナメントで優勝を争う。

 今西さんのポジションはゴールキーパー。身長167㌢の体格を生かしたセービングと、積極的に前に出る勇気あふれるプレーが特長だ。

 大会は自費参加という。経済的な負担を支援しようと、職場やサッカー関係者、宮古島聴覚障害者の会などが寄付金を集めた。

 今西さんは「たくさん寄付金を頂いた。宮古の皆さんの温かい心に感謝している。メダルを取って子どもたちに夢を与えたい」と支援者に礼を述べた。

.   宮古毎日新聞

島の人口より多い 北大東中、(沖縄)

島の人口より多い 北大東中、仲西中で交流
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全校生徒の前で太鼓を演奏する北大東小中学校の生徒たち=浦添市立仲西中学校

 【北大東・浦添】
北大東村立北大東小中学校(瀧岡博子校長)の中学1年生7人は、大規模校での学習体験を通して意見発表の仕方を学び、考え方の視野を広げようと9、10の両日、浦添市立仲西中学校(山城淳二校長)で交流学習を行った。

 昨年、島開拓110周年記念事業として初企画。同年は島の開拓者のルーツである東京都の八丈島を訪問した。

 現在の北大東小中学校の在籍数は74人で、中学生は28人。ほとんどの子どもたちが生まれたときからずっと一緒に過ごしている。島には高校がないため中学卒業と同時に沖縄本島へ出なければならず、大人数の中で学ぶ前の準備としても位置付けている。

 仲西中の在籍数は島の人口よりも多い979人で、県内最大のマンモス校。7人の生徒は、1年生の学級に分かれて授業を受け、放課後はサッカーや吹奏楽などの部活を体験した。

 10日の朝会では、一人ずつが全校生徒の前に立ち堂々とあいさつ。写真を使って島を紹介したほか、日ごろから練習に励む太鼓の演奏も披露、島での生活の様子を伝えた。

 太鼓を演奏した宮城大樹君は「島よりも多い人の数に驚き、あいさつは緊張した。友達をたくさんつくりたい」と笑顔。マイクで島を紹介した屋嘉比涼平君は「優しく迎えてもらいうれしい。卒業後のことも考えながら行動したい」と意欲的に話した。

 担任の新川由美教諭は「自己紹介も堂々とできている」と子どもたちに目を細め、「大人数の中のルールも学んでほしい」と期待を込めた。

 沖縄タイムス

【写真特集】ツール・ド・おきなわ2011(沖縄)

【写真特集】ツール・ド・おきなわ2011
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秋空の下、早朝のさわやかな風を切ってスタートした50キロ部門の選手たち=名護市宮里

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号砲を合図に一斉にスタートする市民210キロの選手たち=名護十字路付近

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ゴールは目の前。ゴールスプリントで最後の力を振り絞る
=名護十字路付近

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飲み物の受け取りはタイミングが勝負。受け取りに失敗する選手も=国頭村・普久川ダム

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選手を励ましながら飲み物を渡すボランティアスタッフら
=国頭村・普久川ダム

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沿道からエールを送りレースを盛り上げる
=名護十字路付近

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職域対抗ママチャリレース。ペダルを力強くこぐ参加者
=名護十字路付近

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「ガンバレー」「ファイト!」。沿道の応援も選手を
後押しした=国頭村奥

   沖縄タイムス

被災から前へ 100% (OKINAWA)

被災から前へ 仙台の三浦さん100%走
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完走後に自転車仲間と談笑する三浦郁夫さん
=名護漁港

 【ツール・ド・おきなわ取材班】
「チバリヨー東日本」を合言葉に開かれたツール・ド・おきなわ2011は13日、東日本大震災の被災地からも多くの選手が参加した。

 仙台市若林区の三浦郁夫さん(54)は、あの日の津波に母まさ子さん=当時(81)=を流された。40日後に遺体と対面。グループホームに入り、笑顔いっぱいだった母の死を「夢だろう」と、今でも受け入れられない。

 競技歴35年。「ぼくにできること」として、被災地で自転車の修理を引き受けた。ガソリンが手に入りにくく、車を使えない状況。自転車の需要は多く、夜遅くまで作業が続いた。

 気分転換に自転車をこぐものの、茶色に染まった海岸沿いの街並みが目に入り、足が止まる。それでも汗をかくと、つらいことを一瞬でも忘れることができた。「その日の100%を出し切ろう」。前を向くようになった。

 1991年の市民140キロの王者。今回は市民50キロ(50代)に出場、最後のスプリントでトップに離された。「優勝できなかったのは残念だけど、今の100%は出せたかな」。まさ子さんに報告するつもりだ。

   沖縄タイムス

ゴール祝う誕生ケーキ 「来年も」 (OKINAWA)

ゴール祝う誕生ケーキ 菱沼さん「来年も」
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誕生日レースを完走し、チームメートから祝福を受けた
菱沼美典さん(右から2人目)=名護市・名護漁港

 【名護】
ツール・ド・おきなわ2011の市民50キロレディースに出場した菱沼美典さん=石垣市=は13日、39歳の誕生日を迎え、ゴール後にチームメートからサプライズ誕生日ケーキで祝福を受けた。

 石垣市内のサイクリングチーム「ウインドフレンド」に所属。週1回、石垣島一周の約70キロを走り、しのぎを削っている。チームメート45人のうち、女性3人を含む16人で大会に参加。

 菱沼さんは、昨年のレースで自転車がパンク、不本意な成績に終わった。「今年こそ」と意気込んだが、コースを間違い、タイムを大きくロス。落ち込んでいる時に、鳥谷部彩子さん(36)から「誕生日おめでとう」とメッセージの入ったチョコレートケーキを手渡された。菱沼さんは「40歳前に納得のいく成績を残して引退しようと思っていたが、来年またリベンジしようという気持ちになった」と喜んだ。

  沖縄タイムス

車いす自転車沖縄を駆ける(OKINAWA)

車いす自転車47キロを駆ける
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沿道の声援を受けながら走るバリアフリーサイクリング
の参加者=13日、名護市・名護十字路

 障がい者が参加する「バリアフリーサイクリング」では、子どもたちと保護者ら29組が、総距離47キロのやんばる路をリレー方式で走り抜けた。
県内外の競技大会で活躍する宜野座高校1年生の城間圭亮君(15)らがボランティアで先導役を果たし、大会を後押しした。

 バリアフリーサイクリングでは、前方に車いす、後方に自転車が付いた自転車型車いす「デュエット」を使用。子どもたちは後ろでこぐ親やスタッフらを応援しながら、一緒にサイクリングを楽しんだ。

 初めて先導役を担当した城間君は「みんなに障がい者スポーツの楽しさを知ってもらって、また一緒に参加したい」と期待を込めた。

 名護市の桜野特別支援学校4年生の工藤航介君(10)は、父親の裕之さん(41)と参加。裕之さんは「家族みんなで走れたので良かった。外へ出るいい機会になる大会」と参加を喜んだ。

 前半はハンドサイクルで出場し、後半は先導として活躍した国頭村立国頭中学校2年生の大城勇太君(14)は「みんなと走ることができて楽しかった」と笑顔だった。

  沖縄タイムス

言葉が映す『琉球方言とウチ・ソト意識』 (沖縄)

『琉球方言とウチ・ソト意識』 言葉が映す境界のイメージ null
『琉球方言とウチ・ソト意識』内間直仁著 研究社・3675円
 沖縄文化を支える意識は、琉球方言にどのようにみられるのか。
著者が30年以上にわたって追求してきたテーマである。結果として背景にみえてきたのは、流動的なウチ・ソト意識(話し手が他者に対して持つ意識上での境界)であるという。表紙に描かれた琉球家屋の縁側は、まさに「家(ウチ)」・「庭(ソト)」の境界がイメージさせられている。

 普段、我々は無意識に、時には意識的に、意識の向けた先にウチ(親)とソト(疎)の境界を引いている。著者がいうように、「わが家」に意識を置けば「よその家」はソト扱いとなり、「ウチナー(沖縄)」に意識を置けば「ヤマトゥ(大和)」はソト扱いとなる。

 本書では、このようなウチ・ソトの区別が助詞「ガ(が)」「ヌ(の)」の用法、代名詞の用法、あいさつことば等に映し出されていることを論証する。

 助詞の用法の一例(瀬底島方言)を示せば、「ワーガハクン(私が行く)」のように人称代名詞や親族呼称等ウチ扱いの語は「ガ」で受け、「キーヌハリユン(木が枯れる)」のように一般名詞等ソト扱いの語は「ヌ」で受けるということを体系的に明らかにしている。

 また、この「が」と「の」のウチ・ソト意識による区別は、日本語史の中でも奈良時代から鎌倉時代あたりまでみられることを示し、琉球方言との比較考察によって、日本語の史的研究を深化させている。取り上げられている方言資料は、奄美、沖縄、宮古、八重山、与那国からそれぞれ選定されており、琉球方言区画全域を網羅した比較研究となっている。さらに古代歌謡である「おもろさうし」を用いた通時的な観点からの考察もなされており、脈々と受け継がれてきた琉球方言の基底を支える意識もうかがうことができる。

 このように緻密で体系的な言語研究に裏付けられた学術書ではあるが、琉球方言の成立過程、沖縄特有の表現や地名の語源についてもわかりやすく解説されている。現在、琉球方言は失われていく傾向にあるため、それを用いる人々の根にある意識を解明し、後世に伝えるという意味でも極めて意義深い。

(中本謙・琉球大学准教授)
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 うちま ちょくじん 1939年本部町生まれ。名桜大学名誉教授。専門分野は日本語学、琉球を主とする方言学。著書に「琉球方言文法の研究」など。


  琉球新報

美里復興の軌跡 (OKINAWA)

美里復興の軌跡描く 有志が戦後誌発刊
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記録誌を発刊した編集委員会の(前列左から)石川幸夫さん、知念正喜さん、川上恒雄さん、(後列左から)川上のりこ美里自治会長、井上清仁さん、諸見里安勝さん=9日、沖縄市の美里公民館

 【沖縄】
沖縄戦終結とともに、米軍の兵舎建設に伴ってふるさとを追われた沖縄市美里の人々が地元へと戻り、産業の復興や住民自治を自らの手で復活させるまでの取り組みを記録した「美里復興の軌跡」(同編集委員会)が9日までに発刊された。
戦後65年を機に、美里の有志6人が編集委員を務め、500冊を製作した。市役所などに寄贈するほか、希望者にも1冊千円で販売する。

 発刊した「美里復興の―」(391ページ)は、終戦直後の1946年1月、ふるさとを追われ前原地区収容所に住んでいた旧美里住民のうち有志9人が「字の荒廃を防ごう」と話し合ったことが発端となり、監視員や部落設営先遣隊をはじめとする多くの住民たちが美里の復興運動を始め、住民自治復活の象徴となった旧公民館(美里区事務所)が54年10月に完成するまでの道のりを描いた。

 収容所から美里に戻った住民たちが当初約1年間、共同生活・共同作業を行い、計画的な農業をして食糧確保に力を注いだ様子など、地域一体で復興に挑んだ様子を描いている。

 当時の住民が会議の際に記録していた「建設日誌」と「委員会日誌」を資料に用いた。それらの記録を「会議」「建設」「農業」「教育」に4分類し、体系的な記録誌にまとめた。

 編集委員長を務めた知念正喜さん(82)は「美里は今では人口1万人を超える大きな字になった。その支えとなった先輩たちの功績をたたえ、地域の人たちに知ってほしい」と話した。

 問い合わせは美里自治会(電話)098(937)3697。


   琉球新報