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2011-10-07
金色ショウキズイセン見ごろ 久米島 (沖縄)
金色ショウキズイセン見ごろ 久米島

秋の風物詩ショウキズイセンの花が咲き誇っているナガタケマツ並木
=久米島町北原
【久米島】
島の秋を彩る風物詩ショウキズイセンが、見ごろを迎えている。空港近くのナガタケマツ並木や、だるま山公園は黄金色に染まり、町民や観光客を楽しませている。
23日開催の第23回久米島マラソン(主催・同実行委員会、共催・沖縄タイムス社など)のコースも、ランナーを歓迎するかのようにショウキズイセンが今、静かに待っている。
(比嘉正明通信員) 沖縄タイムス

秋の風物詩ショウキズイセンの花が咲き誇っているナガタケマツ並木
=久米島町北原
【久米島】
島の秋を彩る風物詩ショウキズイセンが、見ごろを迎えている。空港近くのナガタケマツ並木や、だるま山公園は黄金色に染まり、町民や観光客を楽しませている。
23日開催の第23回久米島マラソン(主催・同実行委員会、共催・沖縄タイムス社など)のコースも、ランナーを歓迎するかのようにショウキズイセンが今、静かに待っている。
(比嘉正明通信員) 沖縄タイムス
歴史と伝統鮮やかに120年 名護市仲尾次で豊年踊(沖縄)
歴史と伝統鮮やかに120年
名護市仲尾次で豊年踊

1890年に始まった伝統の豊年踊
=5日、名護市の仲尾次公民館
【名護】
名護市仲尾次区(松田憲和区長)で5日、伝統の「豊年踊」が催された。豊年踊は1890年に始まったとされ「120年祭記念式典」も執り行われた。
区民や市内外の関係者らが多数集まり、今も色あせない伝統の豊年踊に見入った。
同区の、五穀豊穣、無病息災、航海安全、世界平和などを祈願するもの。踊りの中でも男性がたいまつを持って踊る「谷茶前」、県外から伝わったとされる「高砂」、サルにふんして踊る「猩猩」、平和をたたえる「平和踊り」の四つは区独特のものだという。
松田区長は「伝統行事を支え、発展させてきた諸先輩方に感謝したい。伝統を継承、発展させるため小中学生、高校生にも豊年踊に出演してもらっている。今後も伝統を絶やさずつないでいきたい」と話した。
式典では豊年踊の継承に功績を残した関係者らに表彰状や感謝状が贈られた。また、記念事業として豊年踊の記念誌を作製中であることなどが報告された。
琉球新報
名護市仲尾次で豊年踊

1890年に始まった伝統の豊年踊
=5日、名護市の仲尾次公民館
【名護】
名護市仲尾次区(松田憲和区長)で5日、伝統の「豊年踊」が催された。豊年踊は1890年に始まったとされ「120年祭記念式典」も執り行われた。
区民や市内外の関係者らが多数集まり、今も色あせない伝統の豊年踊に見入った。
同区の、五穀豊穣、無病息災、航海安全、世界平和などを祈願するもの。踊りの中でも男性がたいまつを持って踊る「谷茶前」、県外から伝わったとされる「高砂」、サルにふんして踊る「猩猩」、平和をたたえる「平和踊り」の四つは区独特のものだという。
松田区長は「伝統行事を支え、発展させてきた諸先輩方に感謝したい。伝統を継承、発展させるため小中学生、高校生にも豊年踊に出演してもらっている。今後も伝統を絶やさずつないでいきたい」と話した。
式典では豊年踊の継承に功績を残した関係者らに表彰状や感謝状が贈られた。また、記念事業として豊年踊の記念誌を作製中であることなどが報告された。
琉球新報
上京県人の葛藤 演劇作品で表現 (沖縄)
上京県人の葛藤 演劇作品で表現
上里さんの追悼文集発刊

復帰前後に上京した県人青年たちの葛藤を描く
演劇を残した上里忠之さんの追悼文集
【東京】
復帰前後に上京した県人青年たちの葛藤を描く演劇作品を残し、昨年3月に53歳で死去した那覇市安謝出身の上里忠之さんの追悼文集を友人や知人、家族らが発刊した。在京県人の文化活動などにも大きな功績があった故人への思いをつづっている。
上里さんは県立小禄高校を卒業後、復帰2年後の1974年に上京。専門学校を経てさまざまな経験を重ね、消防設備士として就職するまでの過程で沖縄の歴史や文化をはじめ、独学で演劇や文学の造詣を深め、沖縄出身者であることを隠して生きる若者を描く演劇「マリーとヘンリーのマスカレード」を書き上げた。
演出と主役を手掛け、81年に友人らと都内の小劇場で上演した作品は大きな反響を呼んだ。高校の同級生で追悼集の刊行委員会代表を務めた親友當眞嗣光さんは「一夜限りの素人劇だったが、観客の県人たちが大興奮し、いつまでも帰らなかった」と振り返る。
郷土愛と劣等感に揺れる青年をコミカルに描きつつ基地や差別・偏見などの問題を突く内容。「30年前の時点で原子力問題にも言及するなどの普遍性」(當眞さん)も専門家から高く評価され、82年には大ホールで公演、復帰30周年の2002年には県人学生らの出演で再演された。
上里さんは県人会青年部でも活躍し「アシバ祭」など多くのイベントを企画。30年来の親交があった広島出身の唐澤雅幸さんは「シャイで目立つのを嫌ったが、沖縄以外にも交流を広げ、諦めずに物事を成し遂げていた」と述懐する。
B5判の約100ページ。作品の脚本と上里さんの語録ほか、交流があった学者や文化人、一坪反戦地主らを含む64人の寄稿、家族の闘病記なども記している。
琉球新報
上里さんの追悼文集発刊

復帰前後に上京した県人青年たちの葛藤を描く
演劇を残した上里忠之さんの追悼文集
【東京】
復帰前後に上京した県人青年たちの葛藤を描く演劇作品を残し、昨年3月に53歳で死去した那覇市安謝出身の上里忠之さんの追悼文集を友人や知人、家族らが発刊した。在京県人の文化活動などにも大きな功績があった故人への思いをつづっている。
上里さんは県立小禄高校を卒業後、復帰2年後の1974年に上京。専門学校を経てさまざまな経験を重ね、消防設備士として就職するまでの過程で沖縄の歴史や文化をはじめ、独学で演劇や文学の造詣を深め、沖縄出身者であることを隠して生きる若者を描く演劇「マリーとヘンリーのマスカレード」を書き上げた。
演出と主役を手掛け、81年に友人らと都内の小劇場で上演した作品は大きな反響を呼んだ。高校の同級生で追悼集の刊行委員会代表を務めた親友當眞嗣光さんは「一夜限りの素人劇だったが、観客の県人たちが大興奮し、いつまでも帰らなかった」と振り返る。
郷土愛と劣等感に揺れる青年をコミカルに描きつつ基地や差別・偏見などの問題を突く内容。「30年前の時点で原子力問題にも言及するなどの普遍性」(當眞さん)も専門家から高く評価され、82年には大ホールで公演、復帰30周年の2002年には県人学生らの出演で再演された。
上里さんは県人会青年部でも活躍し「アシバ祭」など多くのイベントを企画。30年来の親交があった広島出身の唐澤雅幸さんは「シャイで目立つのを嫌ったが、沖縄以外にも交流を広げ、諦めずに物事を成し遂げていた」と述懐する。
B5判の約100ページ。作品の脚本と上里さんの語録ほか、交流があった学者や文化人、一坪反戦地主らを含む64人の寄稿、家族の闘病記なども記している。
琉球新報
歓迎沖縄 準備も着々 「参加者と交流楽しみ」(OKINAWA)
歓迎沖縄 準備も着々 「参加者と交流楽しみ」

大会参加者を歓迎するフラッグが掲げられ、
機運が高まっている=6日、那覇市の国際通り
沖縄の玄関口となる那覇空港ターミナルをはじめ、那覇市の国際通りでも世界のウチナーンチュ大会への参加者を歓迎する機運が高まっている。
同大会実行委員会事務局は4日、国際通りの街灯などにフラッグ84枚を掲げた。
国際通りの土産品店「守礼堂」では、海外の旅行者に人気があるシーサーなどの人形やのれんなど新たに10種類の商品をそろえた。照屋政子店長は「大会が近づき、興奮している。海外からの参加者とお茶を飲みながら、ゆんたくしたい」と期待した。
那覇市中心商店街連合会は、大会最終日の16日に、サンライズ通りで「応援するぞ東日本!応援してるぞ世界のウチナーンチュ大会!第2回マチグヮー祭」を開催する。沖縄のサンバチームなど5、6組が特設ステージを盛り上げる。同連合会マチグヮー振興チーム長の新里俊一さん(44)は「海外からの参加者の多くがマチグヮーに来てくれる。イチャリバチョーデーの交流となることを楽しみにしている」と話している。
那覇空港ビルディングは、国内・国際線ターミナル内を横断幕やフラッグなどで装飾。過去の大会のパネルも展示している。
琉球新報

大会参加者を歓迎するフラッグが掲げられ、
機運が高まっている=6日、那覇市の国際通り
沖縄の玄関口となる那覇空港ターミナルをはじめ、那覇市の国際通りでも世界のウチナーンチュ大会への参加者を歓迎する機運が高まっている。
同大会実行委員会事務局は4日、国際通りの街灯などにフラッグ84枚を掲げた。
国際通りの土産品店「守礼堂」では、海外の旅行者に人気があるシーサーなどの人形やのれんなど新たに10種類の商品をそろえた。照屋政子店長は「大会が近づき、興奮している。海外からの参加者とお茶を飲みながら、ゆんたくしたい」と期待した。
那覇市中心商店街連合会は、大会最終日の16日に、サンライズ通りで「応援するぞ東日本!応援してるぞ世界のウチナーンチュ大会!第2回マチグヮー祭」を開催する。沖縄のサンバチームなど5、6組が特設ステージを盛り上げる。同連合会マチグヮー振興チーム長の新里俊一さん(44)は「海外からの参加者の多くがマチグヮーに来てくれる。イチャリバチョーデーの交流となることを楽しみにしている」と話している。
那覇空港ビルディングは、国内・国際線ターミナル内を横断幕やフラッグなどで装飾。過去の大会のパネルも展示している。
琉球新報
母校の新築祝い寄付(宮古・池間島・沖縄)
母校の新築祝い寄付/池間小中卒業生が金一封

後輩たちのために役立てててと卒業生が
金一封を寄付した=6日、池間小中学校
池間小中学校卒業生の1963(昭和38)年生(松川真代表)は6日、同校を訪れ、新校舎落成記念事業実行委員会に金一封を贈呈した。
贈呈を受けた同校の下地政昭校長は「新しい校舎で後輩の児童、生徒たちは一生懸命頑張っている。来月には新校舎の式典と祝賀会があるのでぜひ、参加してほしい。皆さんの気持ちは後輩たちのために有効に活用したい」と感謝した。
松川代表は「同窓会で新校舎落成記念に何かをやろうということとなり今回の寄附となった。40人の気持ちがこもっているのでぜひ、後輩たちのために有効に使ってほしい」と述べた。
同校では先月末から新校舎での授業を行っている。
.宮古毎日新聞

後輩たちのために役立てててと卒業生が
金一封を寄付した=6日、池間小中学校
池間小中学校卒業生の1963(昭和38)年生(松川真代表)は6日、同校を訪れ、新校舎落成記念事業実行委員会に金一封を贈呈した。
贈呈を受けた同校の下地政昭校長は「新しい校舎で後輩の児童、生徒たちは一生懸命頑張っている。来月には新校舎の式典と祝賀会があるのでぜひ、参加してほしい。皆さんの気持ちは後輩たちのために有効に活用したい」と感謝した。
松川代表は「同窓会で新校舎落成記念に何かをやろうということとなり今回の寄附となった。40人の気持ちがこもっているのでぜひ、後輩たちのために有効に使ってほしい」と述べた。
同校では先月末から新校舎での授業を行っている。
.宮古毎日新聞
交流・友好の輪さらに 中華民国建国100年(OKINAWA)
交流・友好の輪さらに 中華民国建国100年で祝賀会
祝賀レセプションで披露された台湾の民族舞踊=6日、
那覇市の沖縄ハーバービューホテルクラウンプラザ
10日に中華民国(台湾)が建国100年を迎えることを祝う「中華民国100年国慶節祝賀レセプション」(台北駐日経済文化代表処那覇分処主催)が6日、那覇市の沖縄ハーバービューホテルクラウンプラザで開かれた。友好団体など関係者約700人が出席し、建国100年を祝った。
主催者を代表し、分処長の粘信士さんは「2010年度の経済成長率は10・9%で国民所得は2万ドルに上る」と台湾の経済発展を強調。また東日本大震災の発生後に台湾が180億円を超える義援金と大量の物資を寄付したことついても触れ「今後の両国の繁栄と友好関係の促進を期待する」とあいさつした。
来賓祝辞で仲井真弘多県知事(上原良幸副知事代読)は「文化、スポーツ、観光など台湾と沖縄の交流、友好の輪が広がることを祈る」と述べた。
余興では台湾民族舞踊が披露された。
琉球新報

祝賀レセプションで披露された台湾の民族舞踊=6日、
那覇市の沖縄ハーバービューホテルクラウンプラザ
10日に中華民国(台湾)が建国100年を迎えることを祝う「中華民国100年国慶節祝賀レセプション」(台北駐日経済文化代表処那覇分処主催)が6日、那覇市の沖縄ハーバービューホテルクラウンプラザで開かれた。友好団体など関係者約700人が出席し、建国100年を祝った。
主催者を代表し、分処長の粘信士さんは「2010年度の経済成長率は10・9%で国民所得は2万ドルに上る」と台湾の経済発展を強調。また東日本大震災の発生後に台湾が180億円を超える義援金と大量の物資を寄付したことついても触れ「今後の両国の繁栄と友好関係の促進を期待する」とあいさつした。
来賓祝辞で仲井真弘多県知事(上原良幸副知事代読)は「文化、スポーツ、観光など台湾と沖縄の交流、友好の輪が広がることを祈る」と述べた。
余興では台湾民族舞踊が披露された。
琉球新報
ブラジルから第1陣来沖「お帰り」 (沖縄)
ブラジルから第1陣来沖「お帰り」

盛大な拍手の出迎えに、腕を振り、笑顔で応える
ブラジルからの参加者=6日午後9時30分、
那覇空港(下地広也撮影)
第5回世界のウチナーンチュ大会に参加するブラジル
沖縄県人会のメンバーら53人が6日夜、沖縄入りした。
「お帰り」「やっと会えたね」。那覇空港では、出迎えた家族や親戚らが抱き合い、握手を交わして再会を喜んだ。
数十人規模での来沖としては初めて。ブラジルからは、大会史上最多となる1100人余が参加を予定している。
歓迎式には上原良幸副知事らも出席。ブラジル県人会初の3世会長という与那嶺真次さん(61)は盛大な出迎えに「感謝する。ニフェーデービル」と喜んだ。
2世の與那城久子さん(71)は初来沖。戦前に沖縄の親戚に預けられ、離ればなれになった兄義光さん(76)=浦添市=と再会、花束を受け取り「心いっぱい」と感激。めいの東江美佐子さん(52)=那覇市=は「顔がおじいちゃんそっくり。初めて会った気がしない」と涙を浮かべた。
沖縄タイムス

盛大な拍手の出迎えに、腕を振り、笑顔で応える
ブラジルからの参加者=6日午後9時30分、
那覇空港(下地広也撮影)
第5回世界のウチナーンチュ大会に参加するブラジル
沖縄県人会のメンバーら53人が6日夜、沖縄入りした。
「お帰り」「やっと会えたね」。那覇空港では、出迎えた家族や親戚らが抱き合い、握手を交わして再会を喜んだ。
数十人規模での来沖としては初めて。ブラジルからは、大会史上最多となる1100人余が参加を予定している。
歓迎式には上原良幸副知事らも出席。ブラジル県人会初の3世会長という与那嶺真次さん(61)は盛大な出迎えに「感謝する。ニフェーデービル」と喜んだ。
2世の與那城久子さん(71)は初来沖。戦前に沖縄の親戚に預けられ、離ればなれになった兄義光さん(76)=浦添市=と再会、花束を受け取り「心いっぱい」と感激。めいの東江美佐子さん(52)=那覇市=は「顔がおじいちゃんそっくり。初めて会った気がしない」と涙を浮かべた。
沖縄タイムス
「ヤーマスプナカ」始まる/下地来間島 (宮古島・沖縄)
「ヤーマスプナカ」始まる/下地来間島

神酒を回し子孫繁栄を祈る島民ら6日、下地来間島の
スムリャーブナカ(長間さん宅)
下地来間島の伝統行事ヤーマスプナカが6日、2日間の日程で始まった。初日は3兄弟の家元で子孫の繁栄を祈願する「サラピャース」と「マスムイ」儀礼が行われ、島民が生後1年未満の子どもの誕生を祝って神酒を回し飲んだ。きょう7日は島民が棒踊りや奉納踊りを披露しながら集落内を練り歩き、向こう1年の五穀豊穣を祈願する。
ヤーマスプナカは旧暦9月の甲午の日に行われる島最大の行事。その昔に来間島を救い、繁栄させたと伝えられる3兄弟の家元(長男スムリャーブナカ、次男ウプヤーブナカ、三男ヤーマスシャーブナカ)を中心に祭事が行われる。
祭り期間中は沖縄本島や本土、八重山諸島から多くの出身者が集まって島が活気付く。15~16世紀から続く行事とされている。
祭り初日の6日、長男のスムリャーブナカでは午前8時40分からサラピャースが始まった。家主の長間盛史さんらが家元で作った神酒を「ピサギ」に入れ、角が二つ、足が四つ付いた祝い皿(ツヌザラ)に注いで住民に振る舞った。
住民は祝い皿を頭上に上げて神に感謝。その後静かに口元に運んでゆっくりと飲み干した。回し飲んでいる間は老若男女を問わず全員で神詩を歌い、子宝に恵まれた1年を祝いながら健やかな成長を祈願した。
この後、マスムイが行われ、ここ1年で生まれた子ども5人が紹介された。父親らがあいさつに立ち、日ごろから温かく見守ってくれる島の住民に感謝しながら酒を回した。
奥平正行さん(25)はこの1年の間に次男優斗君の誕生に恵まれた。「みんなにお祝いしてもらえることが本当にうれしい。優斗にはすくすくと大きく成長してほしい。島の関係者が集まるこの祭りを守り続けていきたい」と話した。
家主の長間さんは「みんなが集まって祭りを盛り上げてくれる。家主としては大変うれしいし、みんなに感謝している。この祭りは来間島にとってとても大切な行事。いつまでも続けていきたい」と話した。
.宮古毎日新聞

神酒を回し子孫繁栄を祈る島民ら6日、下地来間島の
スムリャーブナカ(長間さん宅)
下地来間島の伝統行事ヤーマスプナカが6日、2日間の日程で始まった。初日は3兄弟の家元で子孫の繁栄を祈願する「サラピャース」と「マスムイ」儀礼が行われ、島民が生後1年未満の子どもの誕生を祝って神酒を回し飲んだ。きょう7日は島民が棒踊りや奉納踊りを披露しながら集落内を練り歩き、向こう1年の五穀豊穣を祈願する。
ヤーマスプナカは旧暦9月の甲午の日に行われる島最大の行事。その昔に来間島を救い、繁栄させたと伝えられる3兄弟の家元(長男スムリャーブナカ、次男ウプヤーブナカ、三男ヤーマスシャーブナカ)を中心に祭事が行われる。
祭り期間中は沖縄本島や本土、八重山諸島から多くの出身者が集まって島が活気付く。15~16世紀から続く行事とされている。
祭り初日の6日、長男のスムリャーブナカでは午前8時40分からサラピャースが始まった。家主の長間盛史さんらが家元で作った神酒を「ピサギ」に入れ、角が二つ、足が四つ付いた祝い皿(ツヌザラ)に注いで住民に振る舞った。
住民は祝い皿を頭上に上げて神に感謝。その後静かに口元に運んでゆっくりと飲み干した。回し飲んでいる間は老若男女を問わず全員で神詩を歌い、子宝に恵まれた1年を祝いながら健やかな成長を祈願した。
この後、マスムイが行われ、ここ1年で生まれた子ども5人が紹介された。父親らがあいさつに立ち、日ごろから温かく見守ってくれる島の住民に感謝しながら酒を回した。
奥平正行さん(25)はこの1年の間に次男優斗君の誕生に恵まれた。「みんなにお祝いしてもらえることが本当にうれしい。優斗にはすくすくと大きく成長してほしい。島の関係者が集まるこの祭りを守り続けていきたい」と話した。
家主の長間さんは「みんなが集まって祭りを盛り上げてくれる。家主としては大変うれしいし、みんなに感謝している。この祭りは来間島にとってとても大切な行事。いつまでも続けていきたい」と話した。
.宮古毎日新聞
大地踏みしめ「ヒヤサッサ」 (宮古島・沖縄)
大地踏みしめ「ヒヤサッサ」/伝統のミャークヅツ
始まる豪快にクイチャー奉納/池間、佐良浜、西原
旧暦8月か9月の最初の甲午の日に行われる平良池間、伊良部佐良浜、平良西原の伝統祭祀「ミャークヅツ」が6日、始まった。
初日は池間島、佐良浜の住民がクイチャーを奉納し、五穀豊穣と子孫繁栄を祈願した。きょう7日は西原の住民が集落内でパレードとクイチャーを行う。
池間島

男たちが豪快なクイチャーを踊り五穀豊穣を祈願した
=6日、池間島
池間民族の元島池間島のミャークヅツは初日から大盛況。島内外から集まった真謝、上げ桝、前ぬ屋、前里の各「ムトゥヌウヤ」が水浜広場に集まり、男性も女性も一緒にクイチャーを踊り続けた。
男性は頭にはちまきをまいて青い法被姿で集結。大地を踏みしめ、大きな掛け声とともに豪快な踊りを披露した。元ツカサンマら女性たちは二重の円の内側で優雅に踊った。
今年、数え55歳を迎えた新入生は35人。この日は夜が明ける前に集合し、先輩たちに振る舞う酒や料理を準備した。
水浜広場でクイチャーが始まると、先輩たちの円に加わって大きな声を出しながら踊った。時折笑顔を見せながら伝統のミャークヅツを満喫した。
真謝ムトゥの新入生・親泊繁美さんは「方言だけでする自己紹介はとても緊張したが何とか自分を紹介することができた。みんなとクイチャーを踊ったときは本当に感動した。祭りを大切にしたい」と話した。
池間島のミャークヅツはきょう7日も行われ、さらに多くの人出でにぎわう。
佐良浜池間添・前里添

笑顔いっぱいにクイチャーを踊り、今後の健康を祈願した
=6日、伊良部佐良浜池間添
「ヒヤサッサ」の威勢の良い掛け声と共に伊良部佐良浜のミャークヅツが4日間の日程で始まった。
佐良浜のミャークヅツは、旧池間村(現池間添)と旧前里村(現前里添)のそれぞれの拝所前広場で行われ、向こう1年の豊作豊漁を祈願した。
池間添では数え年47歳が28人、前里添では50歳のミーウヤ(新入生)36人が参加した。

ミーウヤたちはツカサと共に躍動感あふれる踊りを披露した=6日、伊良部佐良浜前里添の水浜広場
ツカサンマが祈りをささげた後、ミーウヤたちはそれぞれの広場でクイチャーを踊り、無事に過ごしてきたこれまでの日々に感謝すると共にこれからの健康を祈願した。
ミーウヤたちの躍動感あふれる踊りの輪ができると、周りで見ていた人たちも加わり、踊りの輪は次第に大きな円となった。
池間添は「生まり島かなしゃ」と背中に記された緑色のシャツを着用。前里添は背中に「絆」の文字が記された黄色の法被を着てまつりを盛り上げた。
うるま市在住で池間添のミーウヤの1人上地尚さんは「やはりこの島に生まれてミヤークヅツは参加したいという気持ちが強かった。実際に参加してみて神聖な気持ちになった。これからもできるだけ参加していきたい」と述べた。
前里添のミーウヤの1人、仲間早人さんは大阪府在住。「ミャークヅツに参加したことは一生の宝。島の人間はどこにいても必ずミャークヅツには島に戻ってくる。この島に生まれて本当に良かったと感じている」と笑顔で感想を述べた。
.宮古毎日新聞
始まる豪快にクイチャー奉納/池間、佐良浜、西原
旧暦8月か9月の最初の甲午の日に行われる平良池間、伊良部佐良浜、平良西原の伝統祭祀「ミャークヅツ」が6日、始まった。
初日は池間島、佐良浜の住民がクイチャーを奉納し、五穀豊穣と子孫繁栄を祈願した。きょう7日は西原の住民が集落内でパレードとクイチャーを行う。
池間島

男たちが豪快なクイチャーを踊り五穀豊穣を祈願した
=6日、池間島
池間民族の元島池間島のミャークヅツは初日から大盛況。島内外から集まった真謝、上げ桝、前ぬ屋、前里の各「ムトゥヌウヤ」が水浜広場に集まり、男性も女性も一緒にクイチャーを踊り続けた。
男性は頭にはちまきをまいて青い法被姿で集結。大地を踏みしめ、大きな掛け声とともに豪快な踊りを披露した。元ツカサンマら女性たちは二重の円の内側で優雅に踊った。
今年、数え55歳を迎えた新入生は35人。この日は夜が明ける前に集合し、先輩たちに振る舞う酒や料理を準備した。
水浜広場でクイチャーが始まると、先輩たちの円に加わって大きな声を出しながら踊った。時折笑顔を見せながら伝統のミャークヅツを満喫した。
真謝ムトゥの新入生・親泊繁美さんは「方言だけでする自己紹介はとても緊張したが何とか自分を紹介することができた。みんなとクイチャーを踊ったときは本当に感動した。祭りを大切にしたい」と話した。
池間島のミャークヅツはきょう7日も行われ、さらに多くの人出でにぎわう。
佐良浜池間添・前里添

笑顔いっぱいにクイチャーを踊り、今後の健康を祈願した
=6日、伊良部佐良浜池間添
「ヒヤサッサ」の威勢の良い掛け声と共に伊良部佐良浜のミャークヅツが4日間の日程で始まった。
佐良浜のミャークヅツは、旧池間村(現池間添)と旧前里村(現前里添)のそれぞれの拝所前広場で行われ、向こう1年の豊作豊漁を祈願した。
池間添では数え年47歳が28人、前里添では50歳のミーウヤ(新入生)36人が参加した。

ミーウヤたちはツカサと共に躍動感あふれる踊りを披露した=6日、伊良部佐良浜前里添の水浜広場
ツカサンマが祈りをささげた後、ミーウヤたちはそれぞれの広場でクイチャーを踊り、無事に過ごしてきたこれまでの日々に感謝すると共にこれからの健康を祈願した。
ミーウヤたちの躍動感あふれる踊りの輪ができると、周りで見ていた人たちも加わり、踊りの輪は次第に大きな円となった。
池間添は「生まり島かなしゃ」と背中に記された緑色のシャツを着用。前里添は背中に「絆」の文字が記された黄色の法被を着てまつりを盛り上げた。
うるま市在住で池間添のミーウヤの1人上地尚さんは「やはりこの島に生まれてミヤークヅツは参加したいという気持ちが強かった。実際に参加してみて神聖な気持ちになった。これからもできるだけ参加していきたい」と述べた。
前里添のミーウヤの1人、仲間早人さんは大阪府在住。「ミャークヅツに参加したことは一生の宝。島の人間はどこにいても必ずミャークヅツには島に戻ってくる。この島に生まれて本当に良かったと感じている」と笑顔で感想を述べた。
.宮古毎日新聞
池間島などミャークヅツ始まる (宮古・沖縄)
池間島などミャークヅツ始まる

五穀豊穣や集落繁栄など願いを込めて 「ヒヤサッサ」
とクイチャーを奉納するウヤたち=池間の水浜広場
旧暦9月の甲午 (きのえうま) にあたる6日、 池間、 佐良浜
、 平良西原伝統の豊年祈願祭 「ミャークヅツ」 が始まった。
参加者たちは各地の聖地で、 夕方ごろから司女 (ツカサンマ) を先頭にして円を作り、 「ヒヤサッサ」 のかけ声を上げながら伝統のクイチャーを踊り、 泡盛に練乳を混ぜたミルク酒を酌み交わしながら、 五穀豊穣と集落繁栄を祈願した。 祈願祭の起源は約200年前とされていて、 元島の池間から分村した西原、 佐良浜で受け継がれている。 池間と西原では3日間、 佐良浜では4日間にわたって行われる。

ミャークヅツで地域の繁栄を願い力強く踊る男性たち
=伊良部前里添
【池間】
このうち池間では、 数え年55歳以上の男性を中心に盛大に行われた。 島内にあるアギマス、 (上げ桝)、 マジャ (真謝)、 マイヌヤー (前の家)、 マエザトゥ (前里) の4つのムトゥ (元) では、 県内外からもこの日のためにムトゥヌウヤと呼ばれる数え55歳以上の男性たちが帰郷。 ことしの新入生31人を含むウヤたちは午前中から酒を酌み交わし旧交を温めていた。 また、 ツカサンマ (司女) たちは昼過ぎから御嶽で祈願を行った。
午後4時ごろから、 池間と前里の境界にある水浜の広場でツカサンマ (司女) たちによる祈願とクイチャー奉納に続き、 そろいの法被 (はっぴ) を着たムトゥヌウヤたちが輪になり、 賑やかにクイチャーを奉納した。
このうちマジャではムトゥ新入生の吉浜駿次さんが茨城県から5年ぶりの帰島。 「那覇で育ち、 県外で過してきたのでウヤの実感はなかったが、 来るとやっぱり違う。 池間の血が流れていると実感できた。 来て良かった。 休みを3日伸ばしてしまった」 と感想を話していた。
祭りの2日目には、 朝から各ムトゥで昨年のミャークヅツ以降に誕生した乳児を家族が集団の一員として登録するマスムイなどが行われる。
【佐良浜】
豊年祈願祭 「ミャークヅツ」 の初日、 佐良浜では池間添、 前里添の各字に分かれて実施した。 池間添は数え年47歳、 前里添は50歳を迎える人たちが参加。
新たに加わったミーウヤ (新入生) たちが各ムトゥで祈りを捧げ、 地域の繁栄を祈願した。 また、 地域住民なども一緒になりクイチャーを踊り、 向こう1年間の五穀豊穣と子孫繁栄を願った。 佐良浜では9日まで行われる。
祈願祭は午後3時ごろからツカサンマたちが祈りを捧げた後
池間添からクイチャーが始まった。 参加者たちはミルク酒を回し飲みながら各ムトゥの前で円を描きクイチャーを踊った。
ことしは池間添には28人、 前里添には36人が参加。 池間添は 「生まり島かなしゃ」、 前里添は 「絆」 と書かれたおそろいのシャツに身を包んで、 「ヒヤサッサ」 と威勢のいい掛け声を上げながら力強く踊った。 日が暮れるにつれ地域住民や子どもたちも詰めかけ、 地域を上げて伝統行事を盛り上げていた。
池間添の長崎淳さんは 「こういう伝統の祭りに参加でき厳粛な気持ちになる。 参加するのは当たり前。 同窓生と3日間粛々と行っていきたい」 と話していた。
宮古新報

五穀豊穣や集落繁栄など願いを込めて 「ヒヤサッサ」
とクイチャーを奉納するウヤたち=池間の水浜広場
旧暦9月の甲午 (きのえうま) にあたる6日、 池間、 佐良浜
、 平良西原伝統の豊年祈願祭 「ミャークヅツ」 が始まった。
参加者たちは各地の聖地で、 夕方ごろから司女 (ツカサンマ) を先頭にして円を作り、 「ヒヤサッサ」 のかけ声を上げながら伝統のクイチャーを踊り、 泡盛に練乳を混ぜたミルク酒を酌み交わしながら、 五穀豊穣と集落繁栄を祈願した。 祈願祭の起源は約200年前とされていて、 元島の池間から分村した西原、 佐良浜で受け継がれている。 池間と西原では3日間、 佐良浜では4日間にわたって行われる。

ミャークヅツで地域の繁栄を願い力強く踊る男性たち
=伊良部前里添
【池間】
このうち池間では、 数え年55歳以上の男性を中心に盛大に行われた。 島内にあるアギマス、 (上げ桝)、 マジャ (真謝)、 マイヌヤー (前の家)、 マエザトゥ (前里) の4つのムトゥ (元) では、 県内外からもこの日のためにムトゥヌウヤと呼ばれる数え55歳以上の男性たちが帰郷。 ことしの新入生31人を含むウヤたちは午前中から酒を酌み交わし旧交を温めていた。 また、 ツカサンマ (司女) たちは昼過ぎから御嶽で祈願を行った。
午後4時ごろから、 池間と前里の境界にある水浜の広場でツカサンマ (司女) たちによる祈願とクイチャー奉納に続き、 そろいの法被 (はっぴ) を着たムトゥヌウヤたちが輪になり、 賑やかにクイチャーを奉納した。
このうちマジャではムトゥ新入生の吉浜駿次さんが茨城県から5年ぶりの帰島。 「那覇で育ち、 県外で過してきたのでウヤの実感はなかったが、 来るとやっぱり違う。 池間の血が流れていると実感できた。 来て良かった。 休みを3日伸ばしてしまった」 と感想を話していた。
祭りの2日目には、 朝から各ムトゥで昨年のミャークヅツ以降に誕生した乳児を家族が集団の一員として登録するマスムイなどが行われる。
【佐良浜】
豊年祈願祭 「ミャークヅツ」 の初日、 佐良浜では池間添、 前里添の各字に分かれて実施した。 池間添は数え年47歳、 前里添は50歳を迎える人たちが参加。
新たに加わったミーウヤ (新入生) たちが各ムトゥで祈りを捧げ、 地域の繁栄を祈願した。 また、 地域住民なども一緒になりクイチャーを踊り、 向こう1年間の五穀豊穣と子孫繁栄を願った。 佐良浜では9日まで行われる。
祈願祭は午後3時ごろからツカサンマたちが祈りを捧げた後
池間添からクイチャーが始まった。 参加者たちはミルク酒を回し飲みながら各ムトゥの前で円を描きクイチャーを踊った。
ことしは池間添には28人、 前里添には36人が参加。 池間添は 「生まり島かなしゃ」、 前里添は 「絆」 と書かれたおそろいのシャツに身を包んで、 「ヒヤサッサ」 と威勢のいい掛け声を上げながら力強く踊った。 日が暮れるにつれ地域住民や子どもたちも詰めかけ、 地域を上げて伝統行事を盛り上げていた。
池間添の長崎淳さんは 「こういう伝統の祭りに参加でき厳粛な気持ちになる。 参加するのは当たり前。 同窓生と3日間粛々と行っていきたい」 と話していた。
宮古新報
御酒回し繁栄願う、来間島でヤーマス御願 (宮古・沖縄)
御酒回し繁栄願う、来間島でヤーマス御願

ヤーマス御願初日、 角盃に御酒を注ぐサスの主
=来間島、 砂川輝夫さん宅
旧暦9月甲午 (きのえうま) の6日、 来間島で子孫繁栄と豊年を願う伝統行事 「ヤーマス御願」 が始まった。
島建ての伝承にまつわる3兄弟のブナカ (祭祀集団) に島内外から縁者が集い、 この1年間で誕生した赤ん坊を祝い、 健やかな成長を願う 「マスムリ」、 成人としてブナカに仲間入りした青年を祝う 「マスピャア」 が行われた。
祭りは長男スムリャー、 次男ウプヤー、 三男ヤーマスヤーの各ブナカの本家で行われる。 住民は必ずどこかのブナカに所属し、 子々孫々まで続いていく。 早朝、 東・西御嶽で御願をしていた司女たちがブナカに戻ると祭りが始まる。
ウプヤーの本家砂川輝夫さん宅では午前8時半から、 祭りを取り仕切るサスの主も務める砂川さんが 「ことしも座いっぱいの人が来て盛大に祭りが行えることに感謝したい。 島を挙げて真心を込めて繁栄を願いたい」 とあいさつ。 祈願詩 「サラピャース」 を唱和した。 家屋敷をはじめ島々や干瀬などあらゆるものに宿る神々にブナカの繁栄を祈った。 引き続きサスの主が角盃に注いだ御酒を全員に振る舞った。 「ゆなうりゃか、 ゆまさりゃか、 エーヤカ、 エーヤカ」 のハヤシ歌とともに飲み干していた。
ことしウプヤーでは3人の子宝に恵まれた。 「マスムリ」 では親が子供をブナカにお披露目し、 酒や料理などを贈った。 4人目の琉空ちゃんを祝福された下地与那覇の津嘉山優子さんは 「ガンズウなお年寄りから 『ガンズウに育てよ』 と祝われると嬉しい。 健康でスクスクと育ち、 名前の通り空のような広い心を持ってほしい」 と話した。 またスムリャーで長男の邦仁ちゃんを祝ってもらった石垣市の玉城美保子さんは 「とても不思議な感じで嬉しい。 緊張したけどすごくありがたい。 たくましく元気で健康な子供に育ってほしい」 と喜んでいた。
きょう2日目は3ブナカが集落内を踊りながらパレードし、 「雨乞い座」 で祝宴が行われる。
宮古新報

ヤーマス御願初日、 角盃に御酒を注ぐサスの主
=来間島、 砂川輝夫さん宅
旧暦9月甲午 (きのえうま) の6日、 来間島で子孫繁栄と豊年を願う伝統行事 「ヤーマス御願」 が始まった。
島建ての伝承にまつわる3兄弟のブナカ (祭祀集団) に島内外から縁者が集い、 この1年間で誕生した赤ん坊を祝い、 健やかな成長を願う 「マスムリ」、 成人としてブナカに仲間入りした青年を祝う 「マスピャア」 が行われた。
祭りは長男スムリャー、 次男ウプヤー、 三男ヤーマスヤーの各ブナカの本家で行われる。 住民は必ずどこかのブナカに所属し、 子々孫々まで続いていく。 早朝、 東・西御嶽で御願をしていた司女たちがブナカに戻ると祭りが始まる。
ウプヤーの本家砂川輝夫さん宅では午前8時半から、 祭りを取り仕切るサスの主も務める砂川さんが 「ことしも座いっぱいの人が来て盛大に祭りが行えることに感謝したい。 島を挙げて真心を込めて繁栄を願いたい」 とあいさつ。 祈願詩 「サラピャース」 を唱和した。 家屋敷をはじめ島々や干瀬などあらゆるものに宿る神々にブナカの繁栄を祈った。 引き続きサスの主が角盃に注いだ御酒を全員に振る舞った。 「ゆなうりゃか、 ゆまさりゃか、 エーヤカ、 エーヤカ」 のハヤシ歌とともに飲み干していた。
ことしウプヤーでは3人の子宝に恵まれた。 「マスムリ」 では親が子供をブナカにお披露目し、 酒や料理などを贈った。 4人目の琉空ちゃんを祝福された下地与那覇の津嘉山優子さんは 「ガンズウなお年寄りから 『ガンズウに育てよ』 と祝われると嬉しい。 健康でスクスクと育ち、 名前の通り空のような広い心を持ってほしい」 と話した。 またスムリャーで長男の邦仁ちゃんを祝ってもらった石垣市の玉城美保子さんは 「とても不思議な感じで嬉しい。 緊張したけどすごくありがたい。 たくましく元気で健康な子供に育ってほしい」 と喜んでいた。
きょう2日目は3ブナカが集落内を踊りながらパレードし、 「雨乞い座」 で祝宴が行われる。
宮古新報