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2011-10-25
「家族で話し合おう」いっこく堂さん(宮古島・沖縄)
「家族で話し合おう」いっこく堂さん人権啓発講演

腹話術で会場を沸かせるとともに、 人権の大切さを訴えるいっこく堂さん
=23日、 マティダ市民劇場
腹話術師のいっこく堂さんを講師に招いた人権啓発講演会(主催・宮古島市、 宮古地区人権啓発活動地域ネットワーク協議会) が23日、 マティダ市民劇場で行われた。 大勢の市民が詰めかけ、 多彩な人形を操るいっこく堂さんの腹話術を楽しみながら、 人権への理解を深めた。
同講演会は、 地域人権啓発活動活性化事業として行われ、 人権尊重の理念に関する正しい理解と人権尊重の普及高揚を図ることを目的に開催。
いっこく堂さんは1963年生まれ。 北谷高校を卒業後、 上京。 92年に独学で腹話術を始め、 03年には全米ツアーなどを開始するなど世界的に有名な腹話術師。 文化庁芸術祭新人賞などを受賞している。
講演会では、 中学時代いじめを受け、 心を閉ざしていたことなど体験談を交えながら、 人権について 「人権とは簡単に言えば優しさをもって人と接すること。 相手の立場になることはなかなか難しいが、 いじめや差別、 障害者との関わり合いなど、 家族で小さいころから話し合うことが大切」 とアドバイスした。
そのほか、 多彩な声を操り、 人形との軽快なトークで会場を沸かせたほか、 「世界に一つだけの花」 など歌を披露し、 人権尊重を訴えた。
講演会前には下地敏彦市長 (代読) が 「家庭、 学校などで人権問題にどう向き合うか考え、 基本的人権の尊重の大切さを感じてほしい」 とあいさつした。 また、 宮古地区人権啓発活動地域
ネットワーク協議会の福永敏和座長も講演会開催への協力に感謝を示した。
宮古新報

腹話術で会場を沸かせるとともに、 人権の大切さを訴えるいっこく堂さん
=23日、 マティダ市民劇場
腹話術師のいっこく堂さんを講師に招いた人権啓発講演会(主催・宮古島市、 宮古地区人権啓発活動地域ネットワーク協議会) が23日、 マティダ市民劇場で行われた。 大勢の市民が詰めかけ、 多彩な人形を操るいっこく堂さんの腹話術を楽しみながら、 人権への理解を深めた。
同講演会は、 地域人権啓発活動活性化事業として行われ、 人権尊重の理念に関する正しい理解と人権尊重の普及高揚を図ることを目的に開催。
いっこく堂さんは1963年生まれ。 北谷高校を卒業後、 上京。 92年に独学で腹話術を始め、 03年には全米ツアーなどを開始するなど世界的に有名な腹話術師。 文化庁芸術祭新人賞などを受賞している。
講演会では、 中学時代いじめを受け、 心を閉ざしていたことなど体験談を交えながら、 人権について 「人権とは簡単に言えば優しさをもって人と接すること。 相手の立場になることはなかなか難しいが、 いじめや差別、 障害者との関わり合いなど、 家族で小さいころから話し合うことが大切」 とアドバイスした。
そのほか、 多彩な声を操り、 人形との軽快なトークで会場を沸かせたほか、 「世界に一つだけの花」 など歌を披露し、 人権尊重を訴えた。
講演会前には下地敏彦市長 (代読) が 「家庭、 学校などで人権問題にどう向き合うか考え、 基本的人権の尊重の大切さを感じてほしい」 とあいさつした。 また、 宮古地区人権啓発活動地域
ネットワーク協議会の福永敏和座長も講演会開催への協力に感謝を示した。
宮古新報
第1回下地フェスティバル (宮古島・沖縄)
【写真特集】第1回下地フェスティバル

ヤーマス御願の 「棒踊り」 を披露する来間部落会の
子供たち=23日、 池原公園

「なますぬぐう」 を踊りながら練り歩く嘉手苅部落会

愉快な口調で笑いを誘い、 方言ホラ吹き大会で優勝した川平洋さん

木を切る動作で踊る 「洲鎌のヨーンシー」

伐った木材を運搬する役目の 「上地のヨーンシー」

元気いっぱい勇ましいエイサーを披露した下地小5・6年生たち

井戸を掘った祝いの余興として始まったという高千穂部落の 「佐渡おけさ」

各部落が自慢の味を競い合った豚汁大会で味見をする審査員
宮古新報

ヤーマス御願の 「棒踊り」 を披露する来間部落会の
子供たち=23日、 池原公園

「なますぬぐう」 を踊りながら練り歩く嘉手苅部落会

愉快な口調で笑いを誘い、 方言ホラ吹き大会で優勝した川平洋さん

木を切る動作で踊る 「洲鎌のヨーンシー」

伐った木材を運搬する役目の 「上地のヨーンシー」

元気いっぱい勇ましいエイサーを披露した下地小5・6年生たち

井戸を掘った祝いの余興として始まったという高千穂部落の 「佐渡おけさ」

各部落が自慢の味を競い合った豚汁大会で味見をする審査員
宮古新報
伝統と絆受け継ぐ、初の下地フェスティバル (宮古島・沖縄)
伝統と絆受け継ぐ、初の下地フェスティバル

伝統芸能発表会で 「ヨーンシー」 を踊る与那覇部落=23日、 池原公園
第1回下地フェスティバル (主催・同地域づくり協議会) が23日午前9時半から、 池原公園で開催された。
旧下地町時代の町民祭で行われていた各部落による芸能発表が復活。 ヨーンシーや棒踊りなど各地で受け継がれてきた伝統の踊りが繰り広げられた。
子供たちや婦人会による演技、 方言ホラ吹き大会、 崎田川アーグ大会、 部落対抗リレー、 のど自慢大会などが行われ、 会場は終日初めてのフェスティバルを楽しむ大勢の人々で賑わっていた。
旧下地町では4年に1度の町民祭で各部落が伝統芸能などでパレードする 「引き踊り」 が行われていたが、 市町村合併後は部落でも踊る機会が減って消失が危惧される芸能もあった。
午後2時半から行われた芸能発表会では、 川満部落が村に疫病をもたらした魔物を退治した伝承を起源に持つ 「棒踊り」 と 「笠踊り」 を披露。 来間部落も伝統行事ヤーマス御願の 「棒踊り」 を踊った。
洲鎌が木を切り、 上地が運び、 与那覇が激励するという3部落にそれぞれ伝わる 「ヨーンシー」 が繰り広げられた。 久々に一堂に会した伝統芸能に会場の各部落のテントからは拍手が送られていた。
近年は 「ヨーンシー」 を踊ることが無かったという洲鎌部落会の盛島健之会長は 「お年寄りたちと一緒に踊りながら教わった。 みんなが協力できて良かった。
心がひとつになった。 来年も機会があればもっと上手に踊りたい」 と感想を述べ、 「なぜヨーンシーを踊るのか、 そうした由来を子供にも分かるように残しておきたい。 次に踊る人のため伝統が消えないよう伝えたい」 と話した。
また午前中から下地保育所や下地幼稚園のお遊戯、 下地小5・6年生によるエイサー、 中学生のダンス、 空手演舞、 太鼓の会による演技、 などが池原公園の広い芝生の会場で次々と披露され、 夕方からはのど自慢大会、 早食い競争、 バンド演奏などが行われた。
豚汁大会では各部落が自慢の味を競い合った。 浜辺に生えるインミズナを何日もアク抜きしたものやアーサなどの具材、 盛り付けを工夫を凝らした一品を審査した結果、 嘉手苅部落が優勝。
貢献布を納めるときに歌ったとされる崎田川アーグ大会では下地浩之さん、 方言ホラ吹き大会では川平洋さんが優勝した。
同地域づくり協議会の川満省三会長は初のフェスティバル開催について 「合併から6年が過ぎたが、 地域の伝統芸能を継承する必要があり、 町民祭に変わる行事として開催した。 会場の池原公園も住民が管理しており、 住民の手でやることが大切。 地域の絆を深めることになる」 と話した。
宮古新報

伝統芸能発表会で 「ヨーンシー」 を踊る与那覇部落=23日、 池原公園
第1回下地フェスティバル (主催・同地域づくり協議会) が23日午前9時半から、 池原公園で開催された。
旧下地町時代の町民祭で行われていた各部落による芸能発表が復活。 ヨーンシーや棒踊りなど各地で受け継がれてきた伝統の踊りが繰り広げられた。
子供たちや婦人会による演技、 方言ホラ吹き大会、 崎田川アーグ大会、 部落対抗リレー、 のど自慢大会などが行われ、 会場は終日初めてのフェスティバルを楽しむ大勢の人々で賑わっていた。
旧下地町では4年に1度の町民祭で各部落が伝統芸能などでパレードする 「引き踊り」 が行われていたが、 市町村合併後は部落でも踊る機会が減って消失が危惧される芸能もあった。
午後2時半から行われた芸能発表会では、 川満部落が村に疫病をもたらした魔物を退治した伝承を起源に持つ 「棒踊り」 と 「笠踊り」 を披露。 来間部落も伝統行事ヤーマス御願の 「棒踊り」 を踊った。
洲鎌が木を切り、 上地が運び、 与那覇が激励するという3部落にそれぞれ伝わる 「ヨーンシー」 が繰り広げられた。 久々に一堂に会した伝統芸能に会場の各部落のテントからは拍手が送られていた。
近年は 「ヨーンシー」 を踊ることが無かったという洲鎌部落会の盛島健之会長は 「お年寄りたちと一緒に踊りながら教わった。 みんなが協力できて良かった。
心がひとつになった。 来年も機会があればもっと上手に踊りたい」 と感想を述べ、 「なぜヨーンシーを踊るのか、 そうした由来を子供にも分かるように残しておきたい。 次に踊る人のため伝統が消えないよう伝えたい」 と話した。
また午前中から下地保育所や下地幼稚園のお遊戯、 下地小5・6年生によるエイサー、 中学生のダンス、 空手演舞、 太鼓の会による演技、 などが池原公園の広い芝生の会場で次々と披露され、 夕方からはのど自慢大会、 早食い競争、 バンド演奏などが行われた。
豚汁大会では各部落が自慢の味を競い合った。 浜辺に生えるインミズナを何日もアク抜きしたものやアーサなどの具材、 盛り付けを工夫を凝らした一品を審査した結果、 嘉手苅部落が優勝。
貢献布を納めるときに歌ったとされる崎田川アーグ大会では下地浩之さん、 方言ホラ吹き大会では川平洋さんが優勝した。
同地域づくり協議会の川満省三会長は初のフェスティバル開催について 「合併から6年が過ぎたが、 地域の伝統芸能を継承する必要があり、 町民祭に変わる行事として開催した。 会場の池原公園も住民が管理しており、 住民の手でやることが大切。 地域の絆を深めることになる」 と話した。
宮古新報
祖父へ贈る金メダル(沖縄)
仙台の佐藤さん 祖父へ贈る金メダル

勢いよくスタートを切る佐藤栄寿さん=23日午前、
久米島町営仲里野球場
【久米島マラソン取材班】
強い日差しが照りつける中、1382人が完走した23日の久米島マラソン。東日本大震災で自宅が津波に流され、祖父を亡くした仙台市の男性や、全盲の選手らも力走。島民らは力強い声援で選手たちの背中を押し、ゴールでは温かい拍手で迎えた。
畑や商店街などを駆け抜ける選手たちを支えたのが、島挙げての応援だ。
折り返し地点の島の名所「ミーフガー」では、仲村渠区民が早朝から準備したサルビアなど約200鉢が出迎えた。祖根浩さん(58)は「地元に折り返し地点があるのは光栄。皆がまとまって盛り上がる」と笑顔。
謝名堂公民館前で毎年応援する山城次郎さん(88)、キヨさん(88)夫妻は「頑張る姿を見ると元気が出る。若い時は走ったし、うずうずするね」と顔を見合わせた。
野球仲間と元気いっぱい応援した中澤孝基君(10)、紀貴君(7)兄弟は「すごいなー。いつか走れるようになりたい」と目を輝かせた。
津波 絶望 仲間支援で再起
仙台の佐藤さん 祖父へ贈る金
自宅を津波で流された佐藤栄寿(えいじ)さん(32)=仙台市=はハーフに出場した。「もう走れない」と思った時期もあったが、仲間の励ましで再起。亡き祖父への思いを胸に、久米島路をひたすら駆けた。
宮城県七ケ浜町の職員。同市若林区の自宅は、愛用の競技用シューズやウエアとともに跡形もなく流された。
祖父(享年79)は家から約1キロ離れたところで遺体で見つかった。勤務先の町も大きな被害を受け、町施設で寝泊まりしながら災害復旧にあたった。
「陸上は続けられないよな。それどころじゃない…」。日常が奪われた。ふさぎ込んだ佐藤さんに、大学の同窓生や陸上チームの仲間らが競技用具を提供。周囲の支援がやる気を起こさせ、約2カ月後に練習を再開した。
久米島が仙台に本拠を置くプロ野球・楽天のキャンプ地であることから招待選手として声が掛かった。佐藤さんにとって初めての沖縄でのレース。胸には期する思いがあった。「金メダルを取りたい」
亡くなった祖父は金色の小物などを集めるのが趣味だった。これまでの大会で金メダルを獲得し、祖父に見せると「頑張っているね」と喜んでくれた。だからこそ、の思いがあった。
勢いよくスタートした5キロ地点までは先頭。だが、首位を奪われ結果は1時間15分51秒で惜しくも総合2位に。「少し悔しい」と唇をかんだ。
レース途中であきらめた「金メダル」だが、予想外の出来事があった。年齢別で1位となり、黄金色の琉球ガラスでできたメダルを手にした。「二つもメダルを持って帰ることができ、うれしい」と喜んだ。
佐藤さんはこれからも仲間とともに走るつもりだ。「走ることで応援してくれた人に、感謝の気持ちを伝えたいんです」
(新垣亮)
沖縄タイムス

勢いよくスタートを切る佐藤栄寿さん=23日午前、
久米島町営仲里野球場
【久米島マラソン取材班】
強い日差しが照りつける中、1382人が完走した23日の久米島マラソン。東日本大震災で自宅が津波に流され、祖父を亡くした仙台市の男性や、全盲の選手らも力走。島民らは力強い声援で選手たちの背中を押し、ゴールでは温かい拍手で迎えた。
畑や商店街などを駆け抜ける選手たちを支えたのが、島挙げての応援だ。
折り返し地点の島の名所「ミーフガー」では、仲村渠区民が早朝から準備したサルビアなど約200鉢が出迎えた。祖根浩さん(58)は「地元に折り返し地点があるのは光栄。皆がまとまって盛り上がる」と笑顔。
謝名堂公民館前で毎年応援する山城次郎さん(88)、キヨさん(88)夫妻は「頑張る姿を見ると元気が出る。若い時は走ったし、うずうずするね」と顔を見合わせた。
野球仲間と元気いっぱい応援した中澤孝基君(10)、紀貴君(7)兄弟は「すごいなー。いつか走れるようになりたい」と目を輝かせた。
津波 絶望 仲間支援で再起
仙台の佐藤さん 祖父へ贈る金
自宅を津波で流された佐藤栄寿(えいじ)さん(32)=仙台市=はハーフに出場した。「もう走れない」と思った時期もあったが、仲間の励ましで再起。亡き祖父への思いを胸に、久米島路をひたすら駆けた。
宮城県七ケ浜町の職員。同市若林区の自宅は、愛用の競技用シューズやウエアとともに跡形もなく流された。
祖父(享年79)は家から約1キロ離れたところで遺体で見つかった。勤務先の町も大きな被害を受け、町施設で寝泊まりしながら災害復旧にあたった。
「陸上は続けられないよな。それどころじゃない…」。日常が奪われた。ふさぎ込んだ佐藤さんに、大学の同窓生や陸上チームの仲間らが競技用具を提供。周囲の支援がやる気を起こさせ、約2カ月後に練習を再開した。
久米島が仙台に本拠を置くプロ野球・楽天のキャンプ地であることから招待選手として声が掛かった。佐藤さんにとって初めての沖縄でのレース。胸には期する思いがあった。「金メダルを取りたい」
亡くなった祖父は金色の小物などを集めるのが趣味だった。これまでの大会で金メダルを獲得し、祖父に見せると「頑張っているね」と喜んでくれた。だからこそ、の思いがあった。
勢いよくスタートした5キロ地点までは先頭。だが、首位を奪われ結果は1時間15分51秒で惜しくも総合2位に。「少し悔しい」と唇をかんだ。
レース途中であきらめた「金メダル」だが、予想外の出来事があった。年齢別で1位となり、黄金色の琉球ガラスでできたメダルを手にした。「二つもメダルを持って帰ることができ、うれしい」と喜んだ。
佐藤さんはこれからも仲間とともに走るつもりだ。「走ることで応援してくれた人に、感謝の気持ちを伝えたいんです」
(新垣亮)
沖縄タイムス
全盲の久銘次さん 故郷久米島駆ける(沖縄)
全盲の久銘次さん 故郷久米島駆ける

津波めぐみさん(右)の伴走で初マラソンに挑んだ久銘次位得さん
=23日、久米島町営仲里野球場近く
視覚障がいのあるあん摩・指圧師の久銘次位得さん(69)=久米島町=は5キロで、人生初マラソンに挑んだ。伴走者は常連客の同町立大岳小学校教諭の津波めぐみさん(40)。
久銘次さんの夢をかなえようと初めて伴走に挑戦。信じ合う“初心者”同士がロープでつながり、走る喜びを実感した。
久銘次さんは、病気で50歳ごろに完全に光を失った。建設会社を辞め、盲学校へ。15年前に同町内で治療院を開設し、久米島マラソンではマッサージのボランティアをしていた。
「一度は走ってみたい」。治療院で発した一言を聞いた津波さんが「日ごろの恩返しを」と伴走を引き受け、今大会に誘った。沖縄伴走ランナーネットワークの大見謝辰男会長から実技講習を受け本番に備えた。
人々の温かさに触れながら「昔見た風景」がよみがえったと振り返る久銘次さん。「くせになりそうです。沿道からの声援もすごかったし、本当に感謝。楽しかった。来年も参加したいですね」と笑顔で話した。
津波さんは「学ぶことが多かった。出たくても出られない人はまだまだ居るはず。地元でもっとサポートできないのか」と、障がい者が気軽に参加できる態勢づくりの必要性を語った。(新垣玲央)
沖縄タイムス

津波めぐみさん(右)の伴走で初マラソンに挑んだ久銘次位得さん
=23日、久米島町営仲里野球場近く
視覚障がいのあるあん摩・指圧師の久銘次位得さん(69)=久米島町=は5キロで、人生初マラソンに挑んだ。伴走者は常連客の同町立大岳小学校教諭の津波めぐみさん(40)。
久銘次さんの夢をかなえようと初めて伴走に挑戦。信じ合う“初心者”同士がロープでつながり、走る喜びを実感した。
久銘次さんは、病気で50歳ごろに完全に光を失った。建設会社を辞め、盲学校へ。15年前に同町内で治療院を開設し、久米島マラソンではマッサージのボランティアをしていた。
「一度は走ってみたい」。治療院で発した一言を聞いた津波さんが「日ごろの恩返しを」と伴走を引き受け、今大会に誘った。沖縄伴走ランナーネットワークの大見謝辰男会長から実技講習を受け本番に備えた。
人々の温かさに触れながら「昔見た風景」がよみがえったと振り返る久銘次さん。「くせになりそうです。沿道からの声援もすごかったし、本当に感謝。楽しかった。来年も参加したいですね」と笑顔で話した。
津波さんは「学ぶことが多かった。出たくても出られない人はまだまだ居るはず。地元でもっとサポートできないのか」と、障がい者が気軽に参加できる態勢づくりの必要性を語った。(新垣玲央)
沖縄タイムス
大阪・清風高に県観光功労表彰(沖縄)
大阪・清風高に県観光功労表彰

平岡校長(中央)に上原副知事から感謝状が手渡された
=24日、ホテル日航那覇グランドキャッスル
沖縄への修学旅行を1982年から継続し、通算30回目の来訪となった大阪府の清風高校(平岡宏一校長)に24日、上原良幸副知事から県観光功労者表彰の感謝状と記念品が贈られた。
同校が宿泊するホテル日航那覇グランドキャッスルで開かれた授与式で、上原副知事は「連続で来てくれるのは沖縄にとって貴重な財産。沖縄の人と交流を深め、2度、3度と来てくれることを願っている」とあいさつ。平岡校長は「ホスピタリティーにあふれ、他人の痛みを想像する力がある県民性と聞いている。わたしたちが忘れていたものを思い出すような場所になっていったらと思う」と期待した。
同校は、沖縄への修学旅行のキャンセルが相次いだ米同時多発テロ直後も、沖縄を応援するため行き先を変更せずに来県した。
沖縄タイムス

平岡校長(中央)に上原副知事から感謝状が手渡された
=24日、ホテル日航那覇グランドキャッスル
沖縄への修学旅行を1982年から継続し、通算30回目の来訪となった大阪府の清風高校(平岡宏一校長)に24日、上原良幸副知事から県観光功労者表彰の感謝状と記念品が贈られた。
同校が宿泊するホテル日航那覇グランドキャッスルで開かれた授与式で、上原副知事は「連続で来てくれるのは沖縄にとって貴重な財産。沖縄の人と交流を深め、2度、3度と来てくれることを願っている」とあいさつ。平岡校長は「ホスピタリティーにあふれ、他人の痛みを想像する力がある県民性と聞いている。わたしたちが忘れていたものを思い出すような場所になっていったらと思う」と期待した。
同校は、沖縄への修学旅行のキャンセルが相次いだ米同時多発テロ直後も、沖縄を応援するため行き先を変更せずに来県した。
沖縄タイムス
Aランチ選手権グランプリは「ハワイ」(OKINAWA)
Aランチ選手権グランプリは「ハワイ」

グランプリに輝いたドライブインレストランハワイのメンバーら
【沖縄】
県内の食堂やレストランの定番メニューで街おこしを図ろうと「第1回コザAランチ選手権」(主催・沖縄市料理飲食業組合、共催・市、FC琉球)が23日、コザ運動公園で開かれ、初代グランプリに「ドライブインレストランハワイ」(本部町)が輝いた。
代表の岸本恵樹さん(37)は「優勝できるとは思わなかったので非常にうれしい。Aランチを全国、世界に発信したい」と喜んだ。
「Aランチ」は1956年、沖縄市内にあった「ニューヨークレストラン」のシェフが、当時の花形職業のタクシー運転手向けに考案。各地に広がったという。
選手権には、老舗レストランや食堂8店舗が出店。各店が工夫を凝らし、一つの皿にハンバーグやチキン、カツレツ、卵焼きなど幾つもの「おかず」とご飯を盛ったミニサイズのAランチを提供、2500食を完売した。
審査は、来場者による1食券(500円)につき1ポイントに加えて、審査員による評価を加味して決めた。
山城淳組合長は「来年は20店舗に拡大し、コザ発祥のAランチをPRしていきたい」と喜んだ。2位は「メキシカン&ステーキハウス リマレストラン」(沖縄市)、
3位は「オリーブ畑」(同)。
沖縄タイムス

グランプリに輝いたドライブインレストランハワイのメンバーら
【沖縄】
県内の食堂やレストランの定番メニューで街おこしを図ろうと「第1回コザAランチ選手権」(主催・沖縄市料理飲食業組合、共催・市、FC琉球)が23日、コザ運動公園で開かれ、初代グランプリに「ドライブインレストランハワイ」(本部町)が輝いた。
代表の岸本恵樹さん(37)は「優勝できるとは思わなかったので非常にうれしい。Aランチを全国、世界に発信したい」と喜んだ。
「Aランチ」は1956年、沖縄市内にあった「ニューヨークレストラン」のシェフが、当時の花形職業のタクシー運転手向けに考案。各地に広がったという。
選手権には、老舗レストランや食堂8店舗が出店。各店が工夫を凝らし、一つの皿にハンバーグやチキン、カツレツ、卵焼きなど幾つもの「おかず」とご飯を盛ったミニサイズのAランチを提供、2500食を完売した。
審査は、来場者による1食券(500円)につき1ポイントに加えて、審査員による評価を加味して決めた。
山城淳組合長は「来年は20店舗に拡大し、コザ発祥のAランチをPRしていきたい」と喜んだ。2位は「メキシカン&ステーキハウス リマレストラン」(沖縄市)、
3位は「オリーブ畑」(同)。
沖縄タイムス