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2011-10-18
一文字堤で尾長グレ(沖縄)
一文字堤で尾長グレ

11日、那覇一文字で50・8センチ、2・33キロの尾長グレ
を釣った知念友樹さん
11日、沖磯連「魚遊会」の知念友樹さんは、午前5時に通称「那覇一文字北の新堤」に渡った。沖磯連のメンバーから尾長グレの目撃情報があったからだ。知念さんによると、一般に尾長グレのトップシーズンは12月から2月とされているが、この時期の尾長グレは比較的警戒心が薄く、ヒットする確率が高いという。
この日も尾長グレを期待してコマセをまくが、姿が見えない。しかし本命は見えなかったが、この日の知念さんは朝一番にジグでオニヒラアジの2キロを釣ったり、スズメダイを生き餌にロウニンアジの4キロを釣ったり、フカセ釣りでもヒレーカーなどを釣り上げ絶好調。午後2時すぎになって、ようやく本命の尾長グレ2匹が姿を見せるようになった。2匹とも50センチくらいの良型でコマセに反応して浮いたり沈んだりして、見え隠れしている。本命の姿を確認した知念さんは、早速ハリス2号の全遊動仕掛けで狙ってみるが、ヒットするのはヒレーカーばかり。午後2時50分になって、浮いてきた尾長グレの前に仕掛けを落とすが素通り、さらに仕掛けを4メートルくらい沈めたところでもう1匹がヒット。慎重にやり取りをして釣り上げたのは50・8センチ2・33キロの良型だった。

2日、読谷海岸で70.5センチ、4.2キロのタマン
を釣った山入端強さん

12日、三重城でイラブチャー41センチとトカジャー38センチ
を釣った高良恭祐さん

15日、石垣島で17キロのロウニンアジ
を釣った下里肇さん(フィードマン)

9日、真栄田岬で102センチ、5.8キロのマンビカー
を釣った仲間高乃さん

6日、残波岬で6・34キロのマンビカーを釣った玉城俊さん(左)と
8・5キロを釣った黒島健雄さん

16日、宜野湾仮設避難港には県内最多188人の
ボランティアが参加した

16日、夢咲公園前の清掃には、写真のボランティア以外にも
現場にいた多くの釣り人が参加した
水辺感謝の日
財団法人日本釣振興会沖縄県支部では水辺感謝の日の16日、多くのボランティアが参加して、県内6カ所を一斉清掃した。宜野湾仮設避難港には県内最多の188人のボランティアが参加して周辺の清掃を行った。また、釣り人でにぎわう夢咲公園前の海岸では、ボランティア以外にも現場にいた多くの釣り人が、いったん釣りをやめて清掃に参加した。
朝夕はだいぶ涼しくなりましたが、マナーを守って安全に釣りを楽しみましょう。(おきなわ釣王国社・仲栄真修)
琉球新報

11日、那覇一文字で50・8センチ、2・33キロの尾長グレ
を釣った知念友樹さん
11日、沖磯連「魚遊会」の知念友樹さんは、午前5時に通称「那覇一文字北の新堤」に渡った。沖磯連のメンバーから尾長グレの目撃情報があったからだ。知念さんによると、一般に尾長グレのトップシーズンは12月から2月とされているが、この時期の尾長グレは比較的警戒心が薄く、ヒットする確率が高いという。
この日も尾長グレを期待してコマセをまくが、姿が見えない。しかし本命は見えなかったが、この日の知念さんは朝一番にジグでオニヒラアジの2キロを釣ったり、スズメダイを生き餌にロウニンアジの4キロを釣ったり、フカセ釣りでもヒレーカーなどを釣り上げ絶好調。午後2時すぎになって、ようやく本命の尾長グレ2匹が姿を見せるようになった。2匹とも50センチくらいの良型でコマセに反応して浮いたり沈んだりして、見え隠れしている。本命の姿を確認した知念さんは、早速ハリス2号の全遊動仕掛けで狙ってみるが、ヒットするのはヒレーカーばかり。午後2時50分になって、浮いてきた尾長グレの前に仕掛けを落とすが素通り、さらに仕掛けを4メートルくらい沈めたところでもう1匹がヒット。慎重にやり取りをして釣り上げたのは50・8センチ2・33キロの良型だった。

2日、読谷海岸で70.5センチ、4.2キロのタマン
を釣った山入端強さん

12日、三重城でイラブチャー41センチとトカジャー38センチ
を釣った高良恭祐さん

15日、石垣島で17キロのロウニンアジ
を釣った下里肇さん(フィードマン)

9日、真栄田岬で102センチ、5.8キロのマンビカー
を釣った仲間高乃さん

6日、残波岬で6・34キロのマンビカーを釣った玉城俊さん(左)と
8・5キロを釣った黒島健雄さん

16日、宜野湾仮設避難港には県内最多188人の
ボランティアが参加した

16日、夢咲公園前の清掃には、写真のボランティア以外にも
現場にいた多くの釣り人が参加した
水辺感謝の日
財団法人日本釣振興会沖縄県支部では水辺感謝の日の16日、多くのボランティアが参加して、県内6カ所を一斉清掃した。宜野湾仮設避難港には県内最多の188人のボランティアが参加して周辺の清掃を行った。また、釣り人でにぎわう夢咲公園前の海岸では、ボランティア以外にも現場にいた多くの釣り人が、いったん釣りをやめて清掃に参加した。
朝夕はだいぶ涼しくなりましたが、マナーを守って安全に釣りを楽しみましょう。(おきなわ釣王国社・仲栄真修)
琉球新報
沖縄そばスタンプラリー始まる(沖縄)
沖縄そばスタンプラリー始まる

沖縄そば名店17店で展開するスタンプラリーへの参加を
呼び掛ける野崎真志事務局理事=17日、沖縄タイムス社
「沖縄そばの日」の17日、沖縄そば発展継承の会(会長・知念博御殿山店主)は県内17店を食べ歩く「スタンプラリー」イベントを始めた。
全店を利用すると、抽選で参加加盟店で使える2000円~1万円分の沖縄そば無料券が当たるほか、全店を巡った順に沖縄そば好きを表す「沖縄そばじょーぐー」の称号を授与する。12月30日まで。
同会は沖縄そばの普及、消費拡大を目指し8月に発足。同会の野崎真志事務局理事は「会員の絆を強めると同時に、沖縄そばファンの裾野を広げていきたい」と意気込んだ。今後は沖縄そば同好会を新たに立ち上げ、店主と顧客との交流会や新商品の試食会を開催する計画。
スタンプラリー加盟店は次の通り。
【沖縄市】アワセそば食堂▽米八そば▽びん玉▽すば処うゎちち【那覇市】本家亀そば港町本店▽そば家やまぐすく▽すば処月桃▽元祖大東そば▽ゆんたくすば御殿山▽がちまい処すばやぁ那覇店▽けんぱーのすばやー【嘉手納町】みよ家【宜野湾市】家器の木【浦添市】東江そば【南城市】そば処玉家【豊見城市】そば処玉家豊崎店【糸満市】うまんちゅ亭
沖縄タイムス

沖縄そば名店17店で展開するスタンプラリーへの参加を
呼び掛ける野崎真志事務局理事=17日、沖縄タイムス社
「沖縄そばの日」の17日、沖縄そば発展継承の会(会長・知念博御殿山店主)は県内17店を食べ歩く「スタンプラリー」イベントを始めた。
全店を利用すると、抽選で参加加盟店で使える2000円~1万円分の沖縄そば無料券が当たるほか、全店を巡った順に沖縄そば好きを表す「沖縄そばじょーぐー」の称号を授与する。12月30日まで。
同会は沖縄そばの普及、消費拡大を目指し8月に発足。同会の野崎真志事務局理事は「会員の絆を強めると同時に、沖縄そばファンの裾野を広げていきたい」と意気込んだ。今後は沖縄そば同好会を新たに立ち上げ、店主と顧客との交流会や新商品の試食会を開催する計画。
スタンプラリー加盟店は次の通り。
【沖縄市】アワセそば食堂▽米八そば▽びん玉▽すば処うゎちち【那覇市】本家亀そば港町本店▽そば家やまぐすく▽すば処月桃▽元祖大東そば▽ゆんたくすば御殿山▽がちまい処すばやぁ那覇店▽けんぱーのすばやー【嘉手納町】みよ家【宜野湾市】家器の木【浦添市】東江そば【南城市】そば処玉家【豊見城市】そば処玉家豊崎店【糸満市】うまんちゅ亭
沖縄タイムス
WSC2日目 チーム沖縄10位 (OKINAWA)
WSC2日目 チーム沖縄10位

【テナントクリーク17日島袋貞治】
オーストラリア大陸を縦断する世界最大規模のソーラーカーレース、ワールドソーラーチャレンジ2011の2日目となる17日、チーム沖縄の「レキオン」は10位に順位を上げた。
初日の16日、レキオンは37チーム中、29番目のスタートだったがケンブリッジ大学や、マサチューセッツ工科大学などを抜いて順位を上げた。初日は11位で終えていた。2日目はノーザンテリトリー州のテナントクリークでレースを終えた。
琉球新報

【テナントクリーク17日島袋貞治】
オーストラリア大陸を縦断する世界最大規模のソーラーカーレース、ワールドソーラーチャレンジ2011の2日目となる17日、チーム沖縄の「レキオン」は10位に順位を上げた。
初日の16日、レキオンは37チーム中、29番目のスタートだったがケンブリッジ大学や、マサチューセッツ工科大学などを抜いて順位を上げた。初日は11位で終えていた。2日目はノーザンテリトリー州のテナントクリークでレースを終えた。
琉球新報
「5年後会いましょう」 (OKINAWA)
「5年後会いましょう」
ウチナーンチュ大会参加者、帰国の途に

世界のウチナーンチュ大会を終え、帰国する県系人。家族らと抱き合いながら再会を誓い合った=17日、那覇空港
第5回世界のウチナーンチュ大会の閉会から1日明けた17日、那覇空港の出発ロビーでは大会に参加した県系人が親族や友人らに見送られながら、続々と帰国の途についた。
県系人らは「ありがとう」と感謝の言葉を口にしながら家族や友人たちと抱擁や握手し、搭乗時間ぎりぎりまで別れを惜しんでいた。
見送りに来た親族らは「いってらっしゃい」「また帰っておいで」と涙を流しながら県系人に語りかけ、姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
親族らと別れの抱擁をしていたペルーの県系2世、平田みどりさん(36)は「大会に参加し、わたしもウチナーンチュだと実感できた。沖縄を離れるのは寂しい」と涙をぬぐった。
参加人数が多かったブラジルの県系人は早朝から複数のグループに分けて団体で帰国した。同日正午前には約10人のブラジル県系人が親族ら約50人から見送られた。見送る側はブラジルの大きな国旗を振りながら帰国の旅の無事を祈った。県系人は保安検査場に入る前に何度も引き返して抱き合うなど名残惜しんでいた。
大会に初めて参加したというブラジルの県系1世、津嘉山敏夫さん(60)は「沖縄の人たちが沖縄のチムグクルで温かく迎えてくれて歓迎した。短い時間で帰るのは、とても寂しいけど、一生忘れることができない思い出になった。5年後にある次回にもぜひ参加したい」と涙ぐんでいた。
【琉球新報電子版】
ウチナーンチュ大会参加者、帰国の途に

世界のウチナーンチュ大会を終え、帰国する県系人。家族らと抱き合いながら再会を誓い合った=17日、那覇空港
第5回世界のウチナーンチュ大会の閉会から1日明けた17日、那覇空港の出発ロビーでは大会に参加した県系人が親族や友人らに見送られながら、続々と帰国の途についた。
県系人らは「ありがとう」と感謝の言葉を口にしながら家族や友人たちと抱擁や握手し、搭乗時間ぎりぎりまで別れを惜しんでいた。
見送りに来た親族らは「いってらっしゃい」「また帰っておいで」と涙を流しながら県系人に語りかけ、姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
親族らと別れの抱擁をしていたペルーの県系2世、平田みどりさん(36)は「大会に参加し、わたしもウチナーンチュだと実感できた。沖縄を離れるのは寂しい」と涙をぬぐった。
参加人数が多かったブラジルの県系人は早朝から複数のグループに分けて団体で帰国した。同日正午前には約10人のブラジル県系人が親族ら約50人から見送られた。見送る側はブラジルの大きな国旗を振りながら帰国の旅の無事を祈った。県系人は保安検査場に入る前に何度も引き返して抱き合うなど名残惜しんでいた。
大会に初めて参加したというブラジルの県系1世、津嘉山敏夫さん(60)は「沖縄の人たちが沖縄のチムグクルで温かく迎えてくれて歓迎した。短い時間で帰るのは、とても寂しいけど、一生忘れることができない思い出になった。5年後にある次回にもぜひ参加したい」と涙ぐんでいた。
【琉球新報電子版】
宮古高校で、ウチナーンチュ大会出前講座 (OINAWA)
宮古高校で、ウチナーンチュ大会出前講座

県立宮古高校 (川満健校長) で17日、 第5回世界のウチナーンチュ大会の一環である 「レッツスタディー・ワールドウチナーンチュ」 事業の出前授業が行われた。
講師は名護市出身でアメリカのロングアイランド大学名誉教授、 写真家の比嘉良治さん。
アメリカに渡ったきっかけや現地での生活、 沖縄への思いなどを生徒たちに語った。
同事業は世界に広がるウチナーンチュとの交流を通して、 郷土の歴史・文化への理解と誇りを深め、 国際協調の精神を育てる目的で開催。 2年7組の生徒を対象に授業が行われた。
比嘉さんは1938年生まれ。 61年に多摩美術大学絵画科を卒業後、 25歳で渡米し、 アート・スチューデンツ・リーグ、 コロンビア大学大学院を経て、 77年にロングアイランドサウスハンプトン校美術学教授に就任。 ニューヨークを拠点に写真家として活動し、 多くの写真集を出版するとともに、 沖縄の記念展などにも出品している。 また、 自転車によるアメリカ横断なども行った。
出前授業では生徒たちから 「渡米の理由」 「アメリカの生活で苦労したことは」 など質問が上がった。
比嘉さんは 「大学では絵を描いていたが、 日本の組織が合わなかった。 アメリカの自由文化に触れ、 外国に行ってみたいと思った」 と振り返り、 「渡米してから写真を勉強した。 また、 英語にすごく苦労した。 それでも欠点は長所と思い、 諦めないで前進すれば必ず道ができると信じやってきた」 と語った。
また、 「何か一つ秀でたことを探せと小学時代の先生に言われ、 俺は絵で行こうと思った。 母親のあせらず一歩一歩行けばいいという教えが大切だということに影響を受けた」 と生徒たちにアドバイスを送った。
宮古新報

県立宮古高校 (川満健校長) で17日、 第5回世界のウチナーンチュ大会の一環である 「レッツスタディー・ワールドウチナーンチュ」 事業の出前授業が行われた。
講師は名護市出身でアメリカのロングアイランド大学名誉教授、 写真家の比嘉良治さん。
アメリカに渡ったきっかけや現地での生活、 沖縄への思いなどを生徒たちに語った。
同事業は世界に広がるウチナーンチュとの交流を通して、 郷土の歴史・文化への理解と誇りを深め、 国際協調の精神を育てる目的で開催。 2年7組の生徒を対象に授業が行われた。
比嘉さんは1938年生まれ。 61年に多摩美術大学絵画科を卒業後、 25歳で渡米し、 アート・スチューデンツ・リーグ、 コロンビア大学大学院を経て、 77年にロングアイランドサウスハンプトン校美術学教授に就任。 ニューヨークを拠点に写真家として活動し、 多くの写真集を出版するとともに、 沖縄の記念展などにも出品している。 また、 自転車によるアメリカ横断なども行った。
出前授業では生徒たちから 「渡米の理由」 「アメリカの生活で苦労したことは」 など質問が上がった。
比嘉さんは 「大学では絵を描いていたが、 日本の組織が合わなかった。 アメリカの自由文化に触れ、 外国に行ってみたいと思った」 と振り返り、 「渡米してから写真を勉強した。 また、 英語にすごく苦労した。 それでも欠点は長所と思い、 諦めないで前進すれば必ず道ができると信じやってきた」 と語った。
また、 「何か一つ秀でたことを探せと小学時代の先生に言われ、 俺は絵で行こうと思った。 母親のあせらず一歩一歩行けばいいという教えが大切だということに影響を受けた」 と生徒たちにアドバイスを送った。
宮古新報
宮古牛まつり4000人分を完食 (宮古島・沖縄)
試食コーナーに長蛇の列
/第2回宮古牛まつり4000人分を完食

試食コーナーには開会前から長蛇の列ができた
=16日、カママ嶺公園多目的広場
第2回宮古牛まつり(同実行委員会主催)が16日、カママ嶺公園で開催され、約3000人(主催者発表)が牛汁やハンバーグの試食品を味わったり、ステージのショーを楽しんだりした。
試食品は宮古牛の牛汁、ハンバーグ、焼肉4050食が用意された。午前10時30分の試食開始にもかかわらず、同9時ごろから試食コーナーには長蛇の列ができた。
午後1時30分すぎには試食品全てが終了した。
まつり最大の呼び物「宮古の牛1頭が当たる大抽選会」も行われ、石垣島出身の長間雅也さん(33)会社員=平良=が獲得した。
まつりは午前10時に大会長の下地敏彦市長をはじめ関係者のテープカットで開幕した。テープの替わりに荒縄が使われるなど、まつりにふさわしい演出も見られた。
下地市長は「まつりは牛の鳴き声コンテストやロールラップ回しなど多彩な催しも用意されている。来場の皆さんも参加して、楽しんでほしい」とあいさつした。
牧草を束ねた約250㌔のロールラップを2人一組でころがし往復約40㍍のゴールまでのスピードを競うゲームには、この日成田(千葉県)から宮古島に到着したばかりの観光客も飛び入りで参加し、額に汗しながら挑戦する姿に会場から大きな声援が送られた。
試食の牛汁などを手にした参加者は家族単位や友人たちと思い思いの場所に陣取り、宮古牛料理に舌鼓を打っていた。
特設の舞台では高校生のダンスや「シャーカ」による宮古民謡ショーなど多彩なプログラムが演じられ、会場では音楽や歌に合わせて手拍子を打ったり、踊ったりしながらまつりを楽しむ姿が多く見られた。
最後はJA宮古地区女性部のリードで全員がカチャーシーを踊り、まつりを締めくくった。
. 宮古毎日新聞
/第2回宮古牛まつり4000人分を完食

試食コーナーには開会前から長蛇の列ができた
=16日、カママ嶺公園多目的広場
第2回宮古牛まつり(同実行委員会主催)が16日、カママ嶺公園で開催され、約3000人(主催者発表)が牛汁やハンバーグの試食品を味わったり、ステージのショーを楽しんだりした。
試食品は宮古牛の牛汁、ハンバーグ、焼肉4050食が用意された。午前10時30分の試食開始にもかかわらず、同9時ごろから試食コーナーには長蛇の列ができた。
午後1時30分すぎには試食品全てが終了した。
まつり最大の呼び物「宮古の牛1頭が当たる大抽選会」も行われ、石垣島出身の長間雅也さん(33)会社員=平良=が獲得した。
まつりは午前10時に大会長の下地敏彦市長をはじめ関係者のテープカットで開幕した。テープの替わりに荒縄が使われるなど、まつりにふさわしい演出も見られた。
下地市長は「まつりは牛の鳴き声コンテストやロールラップ回しなど多彩な催しも用意されている。来場の皆さんも参加して、楽しんでほしい」とあいさつした。
牧草を束ねた約250㌔のロールラップを2人一組でころがし往復約40㍍のゴールまでのスピードを競うゲームには、この日成田(千葉県)から宮古島に到着したばかりの観光客も飛び入りで参加し、額に汗しながら挑戦する姿に会場から大きな声援が送られた。
試食の牛汁などを手にした参加者は家族単位や友人たちと思い思いの場所に陣取り、宮古牛料理に舌鼓を打っていた。
特設の舞台では高校生のダンスや「シャーカ」による宮古民謡ショーなど多彩なプログラムが演じられ、会場では音楽や歌に合わせて手拍子を打ったり、踊ったりしながらまつりを楽しむ姿が多く見られた。
最後はJA宮古地区女性部のリードで全員がカチャーシーを踊り、まつりを締めくくった。
. 宮古毎日新聞
[おきなわんディアスポラ]絆(1)(OKINAWA)
[おきなわんディアスポラ]絆(1)ネヴァダ州 豊子・シャドさん

ウチナーンチュ大会出発を前に勢ぞろいした豊子さん(中央)一家=アメリカ、ラスベガス
移民県として沖縄は昔から多くの県人を海外に送り出してきた。南米などが経済移民を中心とした県人組織であり、1世の数が次第に減少していることに比較して、北米の県人会は、カリフォルニアやハワイなどを除けば、戦後米兵らと結婚しアメリカに渡った女性たちが多く、常に1世が多くを占める県人組織である。
米軍占領・統治という戦後の沖縄の歴史を反映した戦後移民のこれら県人たちが今、アメリカでどのように暮らし、どんな悩みを抱え、故郷にどのような思いを抱いているのか。
県系人たちの今を紹介する。
ネヴァダ州に住む豊子・シャドさん(72)=那覇市出身=は今回のウチナーンチュ大会に子どもや孫の総勢8人で参加した。
「この旅行は私からの一生に1度の子や孫への大きなプレゼント。世界中のウチナーンチュと触れ合い、家族やお年寄り、人とのつながりを大事にする沖縄の良いところを肌で感じてもらいたい」と動機を語る。
この旅行のために豊子さんは航空運賃滞在費を含めて200万円あまりを蓄えてきた。「お金を遺産として残すより、“沖縄”を彼らの心に残したい」との強い思いがある。
米海軍に勤務して沖縄に駐留していた夫のデイブさんと豊子さんが結婚したのは1964年。豊子さんが23歳の時である。
家が貧しかったので中学を卒業するまもなく、働きに出た。夫のデイブさんはそんな豊子さんの実家の事情を理解し、経済的な支援をおしまなかった。沖縄駐留中に長女のクリスティーンさんが生まれ、67年にハワイ、そして米本国に渡った。その後長男のウェインさん、次男のスコットさんが誕生した。
今回のウチナーンチュ大会にはこれら3人の子どもたち、ウェインさんの子どもたち2人、そしてスコットさんの妻と息子1人が参加した。アメリカ人として育った子どもたちにとって沖縄は第二の故郷。「彼らは“I,m Japanese”とは言わずに“I,m Okinawan”という」ほど沖縄へのアイデンティティーを強く持つ。
90年に1回目が開催されて以来、ウチナーンチュ大会は海外に住む県人が集い、母県や、他国、他州に住む県系人との交流の場として関心を集めている。海外の県系人にとっては、故郷沖縄が自分たちのために開き、県を挙げて自分たちを歓迎してくれる晴れがましいイベントでもある。
豊子さん一家はきょうだいの家に宿泊し、親族縁者と再会し、17年前に亡くなった豊子さんの母親、苗さんの墓参りもする。米国に渡った後も苗さんへの仕送りを欠かさなかった夫のデイブさんもがんで15年前に亡くなった。優しい夫や子ども、孫たちにも恵まれ幸せな生活ではあったが、心の底にはいつも「沖縄」があった。豊子さんは今回、子や孫と一緒に参加したこの大会で、沖縄との絆を家族と共に再確認した。(クリッシー・澤岻悦子)
◇ ◇
くりっしー・たくし・えつこ フリーランスライターで元沖縄タイムス記者
[ことば]
「ディアスポラ」 離散を意味するギリシャ語。故郷を離れて他の場所で築かれたコミュニティーを指すこともある。
沖縄タイムス

ウチナーンチュ大会出発を前に勢ぞろいした豊子さん(中央)一家=アメリカ、ラスベガス
移民県として沖縄は昔から多くの県人を海外に送り出してきた。南米などが経済移民を中心とした県人組織であり、1世の数が次第に減少していることに比較して、北米の県人会は、カリフォルニアやハワイなどを除けば、戦後米兵らと結婚しアメリカに渡った女性たちが多く、常に1世が多くを占める県人組織である。
米軍占領・統治という戦後の沖縄の歴史を反映した戦後移民のこれら県人たちが今、アメリカでどのように暮らし、どんな悩みを抱え、故郷にどのような思いを抱いているのか。
県系人たちの今を紹介する。
ネヴァダ州に住む豊子・シャドさん(72)=那覇市出身=は今回のウチナーンチュ大会に子どもや孫の総勢8人で参加した。
「この旅行は私からの一生に1度の子や孫への大きなプレゼント。世界中のウチナーンチュと触れ合い、家族やお年寄り、人とのつながりを大事にする沖縄の良いところを肌で感じてもらいたい」と動機を語る。
この旅行のために豊子さんは航空運賃滞在費を含めて200万円あまりを蓄えてきた。「お金を遺産として残すより、“沖縄”を彼らの心に残したい」との強い思いがある。
米海軍に勤務して沖縄に駐留していた夫のデイブさんと豊子さんが結婚したのは1964年。豊子さんが23歳の時である。
家が貧しかったので中学を卒業するまもなく、働きに出た。夫のデイブさんはそんな豊子さんの実家の事情を理解し、経済的な支援をおしまなかった。沖縄駐留中に長女のクリスティーンさんが生まれ、67年にハワイ、そして米本国に渡った。その後長男のウェインさん、次男のスコットさんが誕生した。
今回のウチナーンチュ大会にはこれら3人の子どもたち、ウェインさんの子どもたち2人、そしてスコットさんの妻と息子1人が参加した。アメリカ人として育った子どもたちにとって沖縄は第二の故郷。「彼らは“I,m Japanese”とは言わずに“I,m Okinawan”という」ほど沖縄へのアイデンティティーを強く持つ。
90年に1回目が開催されて以来、ウチナーンチュ大会は海外に住む県人が集い、母県や、他国、他州に住む県系人との交流の場として関心を集めている。海外の県系人にとっては、故郷沖縄が自分たちのために開き、県を挙げて自分たちを歓迎してくれる晴れがましいイベントでもある。
豊子さん一家はきょうだいの家に宿泊し、親族縁者と再会し、17年前に亡くなった豊子さんの母親、苗さんの墓参りもする。米国に渡った後も苗さんへの仕送りを欠かさなかった夫のデイブさんもがんで15年前に亡くなった。優しい夫や子ども、孫たちにも恵まれ幸せな生活ではあったが、心の底にはいつも「沖縄」があった。豊子さんは今回、子や孫と一緒に参加したこの大会で、沖縄との絆を家族と共に再確認した。(クリッシー・澤岻悦子)
◇ ◇
くりっしー・たくし・えつこ フリーランスライターで元沖縄タイムス記者
[ことば]
「ディアスポラ」 離散を意味するギリシャ語。故郷を離れて他の場所で築かれたコミュニティーを指すこともある。
沖縄タイムス
チーム沖縄スタート ソーラーカー豪縦断(OKINAWA)
チーム沖縄スタート ソーラーカー豪縦断

スタートを前に、気勢を上げるチーム沖縄のメンバー
(琉球朝日放送提供)
オーストラリア大陸を縦断する世界最大規模のソーラーカーレース「2011ワールド・ソーラー・チャレンジ」が16日に開幕し、南部工業高校の生徒を中心とした「チーム沖縄」が3000キロ走破を目指しスタートを切った。
初日はオーストラリア北端のダーウィンを午前8時に出発し、午後5時までに518キロ地点まで到達した。チーム沖縄が使用する車「Lequion(レキオン)」は南部工業高の生徒らが設計段階から製作。生徒たちは「ぜひ完走を」と思いも熱い。
レースは太陽光エネルギーだけで1日9時間、6日間かけてスタート地点から約3000キロ先の大陸南端アデレードを目指す。
同チームは各日距離540キロのペースで走行する予定だ。
同大会には日本の3チームを含む21カ国42チームが出場。全チームが、レース途中で宿営しながらゴールまでの時間を競う。
沖縄タイムス

スタートを前に、気勢を上げるチーム沖縄のメンバー
(琉球朝日放送提供)
オーストラリア大陸を縦断する世界最大規模のソーラーカーレース「2011ワールド・ソーラー・チャレンジ」が16日に開幕し、南部工業高校の生徒を中心とした「チーム沖縄」が3000キロ走破を目指しスタートを切った。
初日はオーストラリア北端のダーウィンを午前8時に出発し、午後5時までに518キロ地点まで到達した。チーム沖縄が使用する車「Lequion(レキオン)」は南部工業高の生徒らが設計段階から製作。生徒たちは「ぜひ完走を」と思いも熱い。
レースは太陽光エネルギーだけで1日9時間、6日間かけてスタート地点から約3000キロ先の大陸南端アデレードを目指す。
同チームは各日距離540キロのペースで走行する予定だ。
同大会には日本の3チームを含む21カ国42チームが出場。全チームが、レース途中で宿営しながらゴールまでの時間を競う。
沖縄タイムス
世界エイサー2011 風之舞が優勝(OKINAWA)
世界エイサー2011 風之舞が優勝

世界エイサー大会で独創的な演舞を披露する東京の琉球舞団・昇龍祭太鼓=16日、県立武道館(仲間勇哉撮影)
世界のウチナーンチュ大会関連イベントの世界エイサー大会2011(主催・県、同実行委員会)は16日、那覇市の県立武道館と奥武山陸上競技場で行われた。
創作エイサーコンテストで最多18団体が出場したグランプリ部門では、古武道太鼓集団「風之舞」(糸満市)が優勝。
3位に当たる審査員特別賞には、ブラジルから参加したレキオス芸能同好会が選ばれた。両会場で計6万3900人(主催者発表)が来場した。
大会には創作、伝統など4部門に計47団体1000人以上が出場。雨天により、15日のプログラムが一部順延となったが、参加者たちはステージで跳びはね、華麗に舞い、勇壮なエイサーを披露した。そのほかの結果は次の通り。
【グランプリ部門】▽準優勝=中城・護佐丸太鼓(中城村)【ジュニア部門】▽優勝=鼓衆若太陽ジュニア(浦添市)▽準優勝=古武道太鼓集団風之舞(糸満市)▽審査員特別賞=男塾武―Doo(宮古島市)【キッズ部門】▽ちむどん賞=開邦幼稚園(南風原町)▽しんかぬちゃー賞=ときわ東保育園(八重瀬町)
沖縄タイムス

世界エイサー大会で独創的な演舞を披露する東京の琉球舞団・昇龍祭太鼓=16日、県立武道館(仲間勇哉撮影)
世界のウチナーンチュ大会関連イベントの世界エイサー大会2011(主催・県、同実行委員会)は16日、那覇市の県立武道館と奥武山陸上競技場で行われた。
創作エイサーコンテストで最多18団体が出場したグランプリ部門では、古武道太鼓集団「風之舞」(糸満市)が優勝。
3位に当たる審査員特別賞には、ブラジルから参加したレキオス芸能同好会が選ばれた。両会場で計6万3900人(主催者発表)が来場した。
大会には創作、伝統など4部門に計47団体1000人以上が出場。雨天により、15日のプログラムが一部順延となったが、参加者たちはステージで跳びはね、華麗に舞い、勇壮なエイサーを披露した。そのほかの結果は次の通り。
【グランプリ部門】▽準優勝=中城・護佐丸太鼓(中城村)【ジュニア部門】▽優勝=鼓衆若太陽ジュニア(浦添市)▽準優勝=古武道太鼓集団風之舞(糸満市)▽審査員特別賞=男塾武―Doo(宮古島市)【キッズ部門】▽ちむどん賞=開邦幼稚園(南風原町)▽しんかぬちゃー賞=ときわ東保育園(八重瀬町)
沖縄タイムス