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2011-10-14
世界の味に行列、あふれる活気 (OKINAWA)
ワールドバザール 世界の味に行列、あふれる活気

世界の料理や物産が販売され、小雨が降る中でもにぎわうワールドバザール=13日午後1時ごろ、
那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇
沖縄セルラースタジアム那覇の敷地内で13日、ワールドバザールが始まった。
世界各地の味が楽しめる出店や、文化体験ワークショップなど62ブースが出店。小雨の中、行列ができる人気店も。
世界各国の味に舌鼓を打ちながら物産店で土産物を買い求め、満足そうだった。バザールは16日まで。午前10時~午後9時まで開催している。
お土産を探していたブラジル出身の男性は「沖縄に来ることができなかった親戚のために、風呂敷やシーサーを買った」と話した。
沖縄そば屋にいたハワイ在住の県系1世、山崎鶴子さん(64)は「沖縄そばはハワイではあまり食べられない。食べるのは久しぶりで、本当においしい」と感激していた。那覇市内から家族5人で訪れた安里亜希子さん(44)は「中南米の食べ物が大好きだが、沖縄ではあまり食べられない。ほかの国の料理も挑戦したい」と笑顔で話した。
琉球新報

世界の料理や物産が販売され、小雨が降る中でもにぎわうワールドバザール=13日午後1時ごろ、
那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇
沖縄セルラースタジアム那覇の敷地内で13日、ワールドバザールが始まった。
世界各地の味が楽しめる出店や、文化体験ワークショップなど62ブースが出店。小雨の中、行列ができる人気店も。
世界各国の味に舌鼓を打ちながら物産店で土産物を買い求め、満足そうだった。バザールは16日まで。午前10時~午後9時まで開催している。
お土産を探していたブラジル出身の男性は「沖縄に来ることができなかった親戚のために、風呂敷やシーサーを買った」と話した。
沖縄そば屋にいたハワイ在住の県系1世、山崎鶴子さん(64)は「沖縄そばはハワイではあまり食べられない。食べるのは久しぶりで、本当においしい」と感激していた。那覇市内から家族5人で訪れた安里亜希子さん(44)は「中南米の食べ物が大好きだが、沖縄ではあまり食べられない。ほかの国の料理も挑戦したい」と笑顔で話した。
琉球新報
2万人、歓喜の再会 (OKNAWA)
世界のウチナーンチュ大会 2万人、
歓喜の再会 世界のウチナーンチュ大会開幕

開会式で各国を紹介するアナウンスに笑顔で応えるアルゼンチンの県系人たち=13日午後5時すぎ、
那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇(花城太撮影)
海外23カ国2地域の県系人が集う第5回世界のウチナーンチュ大会(同実行委員会主催)は13日夕、沖縄セルラースタジアム那覇で開会式が開かれ、約2万人(主催者発表)が参加、県民と県系人が絆を深める4日間の日程の幕を開けた。
世界を翔(か)けた先人たちの壮大な気概を継承、発展させようと、16日まで多彩なイベントを繰り広げる。沖縄の伝統芸能や音楽、武道などを通し触れ合う。世代交代が進む中、ウチナーンチュのアイデンティティーやネットワークをどう受け継ぎ、促進するか活発に意見を交わす。
海外からの参加者は過去最多の5200人。国内を含めると6千人を超える。イベントは沖縄セルラースタジアム那覇を主会場にチャンプルー交流祭を連日開催。宜野湾市の沖縄コンベンションセンターではワールドウチナーシンポジウムなどが開かれる。
開会式には米ハワイ州知事やボリビアの駐日特命全権大使ら海外から多くの来賓も出席した。海外の県人会長や功労者、若者世代のネットワークを担う次世代の代表、ウチナー民間大使の新メンバーが紹介された。
仲井真弘多知事は「皆さんは沖縄県民の宝、そして誇りだ。困難な移民の時代、戦前戦中戦後を通し、苦難の道を歩んできた。それぞれの国から薫り高い風を持ってきていただき、感謝する。4日間のイベントを十分楽しんでほしい」と述べた。大会は1990年に始まり今回で5回目。今回のキャッチフレーズは「ちゅら島の魂響け未来まで」。
琉球新報
歓喜の再会 世界のウチナーンチュ大会開幕

開会式で各国を紹介するアナウンスに笑顔で応えるアルゼンチンの県系人たち=13日午後5時すぎ、
那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇(花城太撮影)
海外23カ国2地域の県系人が集う第5回世界のウチナーンチュ大会(同実行委員会主催)は13日夕、沖縄セルラースタジアム那覇で開会式が開かれ、約2万人(主催者発表)が参加、県民と県系人が絆を深める4日間の日程の幕を開けた。
世界を翔(か)けた先人たちの壮大な気概を継承、発展させようと、16日まで多彩なイベントを繰り広げる。沖縄の伝統芸能や音楽、武道などを通し触れ合う。世代交代が進む中、ウチナーンチュのアイデンティティーやネットワークをどう受け継ぎ、促進するか活発に意見を交わす。
海外からの参加者は過去最多の5200人。国内を含めると6千人を超える。イベントは沖縄セルラースタジアム那覇を主会場にチャンプルー交流祭を連日開催。宜野湾市の沖縄コンベンションセンターではワールドウチナーシンポジウムなどが開かれる。
開会式には米ハワイ州知事やボリビアの駐日特命全権大使ら海外から多くの来賓も出席した。海外の県人会長や功労者、若者世代のネットワークを担う次世代の代表、ウチナー民間大使の新メンバーが紹介された。
仲井真弘多知事は「皆さんは沖縄県民の宝、そして誇りだ。困難な移民の時代、戦前戦中戦後を通し、苦難の道を歩んできた。それぞれの国から薫り高い風を持ってきていただき、感謝する。4日間のイベントを十分楽しんでほしい」と述べた。大会は1990年に始まり今回で5回目。今回のキャッチフレーズは「ちゅら島の魂響け未来まで」。
琉球新報
世界のウチナーンチュ大会が開幕(OKINAWA)
世界のウチナーンチュ大会が開幕

エイサーの演舞に合わせてカチャーシーを踊るハワイからの参加者ら=沖縄セルラースタジアム那覇(田嶋正雄撮影)
「ちゅら島の 魂響け 未来まで」をキャッチフレーズに、第5回世界のウチナーンチュ大会(主催・同実行委員会)の開会式が13日、那覇市奥武山の沖縄セルタースタジアム那覇で開幕した。海外参加者ら約2万人が会場を埋め、各国の名前を連呼して旗を振り合ったり、ウエーブするなどウチナーンチュの祭典は最高潮に達した。
今大会は「次世代への継承」がテーマとなっており、若い世代の取り組みにも注目が集まっている。14歳のnatchy(なっちぃ)がテーマソング「ニライの彼方」を歌って幕開け。
大会実行委員会長の仲井真弘多知事は「みなさんがそれぞれの国から薫り高い文化の味と風を持ってきてくれたことに心から感謝します」とあいさつした。
海外の県人会長や功労者、次世代代表が紹介されたほか、古謝美佐子さんがスペシャルライブを行った。
16日の最終日まで、ワールドウチナーシンポジウムやグローバル次世代プロジェクトで意見交換するほか、芸能やスポーツ、経済など多彩なイベントが繰り広げられる。
沖縄タイムス

エイサーの演舞に合わせてカチャーシーを踊るハワイからの参加者ら=沖縄セルラースタジアム那覇(田嶋正雄撮影)
「ちゅら島の 魂響け 未来まで」をキャッチフレーズに、第5回世界のウチナーンチュ大会(主催・同実行委員会)の開会式が13日、那覇市奥武山の沖縄セルタースタジアム那覇で開幕した。海外参加者ら約2万人が会場を埋め、各国の名前を連呼して旗を振り合ったり、ウエーブするなどウチナーンチュの祭典は最高潮に達した。
今大会は「次世代への継承」がテーマとなっており、若い世代の取り組みにも注目が集まっている。14歳のnatchy(なっちぃ)がテーマソング「ニライの彼方」を歌って幕開け。
大会実行委員会長の仲井真弘多知事は「みなさんがそれぞれの国から薫り高い文化の味と風を持ってきてくれたことに心から感謝します」とあいさつした。
海外の県人会長や功労者、次世代代表が紹介されたほか、古謝美佐子さんがスペシャルライブを行った。
16日の最終日まで、ワールドウチナーシンポジウムやグローバル次世代プロジェクトで意見交換するほか、芸能やスポーツ、経済など多彩なイベントが繰り広げられる。
沖縄タイムス
「複雑な感情」氷解 沖縄のきょうだいと交流(OKINAWA)
「複雑な感情」氷解 沖縄のきょうだいと交流

沿道の人たちとタッチするルーシー・マツダさん
=那覇市安里
今回、初参加となった南太平洋の仏領ニューカレドニアの沖縄日系人会(イヴァン・オブリー会長)。メンバーの一人、2世のルーシー・マツダさん(72)は、亡き父に抱いていた「複雑な感情」を乗り越え、晴れやかな表情を浮かべて1マイル(1・6キロ)を進んだ。
名護市屋我地出身の父松田幸三郎さんは1910年、ニューカレドニアに渡り、鉱山労働や雑貨店経営に従事。現地の女性と結婚し、1男3女をもうけたが、太平洋戦争が始まると「敵性外国人」とみなされ、土地も店も奪われた上、オーストラリアの収容所を経て日本へ強制送還された。
残された家族の生活はとても苦しく、働く母に代わって当時7歳の姉がルーシーさんや生後間もない妹を世話した。幸三郎さんは30年前に他界。二度と会うことはなかった。
ニューカレドニアでは、戦争によって国を追放された出稼ぎ移民の祖父や父に「捨てられた」と思う日系2、3世は少なくない。ルシーさん自身、沖縄で再婚し5人の子どもに恵まれた幸三郎さんを「恨めしいと思った」と明かす。
転機は2007年、ニューカレドニアを訪れた沖縄の妹に会ってからだ。さらに初来沖し、離れていたきょうだいたちに「家族」として受け入れられ、墓参りをするうち、氷が解けるように、つらい記憶が和らいでいった。
来年7月、移民120周年を迎えるニューカレドニアには日系人の記念碑が建立される。その碑を設計するのは、那覇市の構造設計1級建築士、松田幸吉さん(57)。“自慢の弟”だ。
沖縄のきょうだいとはメールなどで連絡を取り合ってきた。「過去にはいろいろあったけど、気持ちを通わせることができて、すごく幸せです」(新垣綾子)
沖縄タイムス

沿道の人たちとタッチするルーシー・マツダさん
=那覇市安里
今回、初参加となった南太平洋の仏領ニューカレドニアの沖縄日系人会(イヴァン・オブリー会長)。メンバーの一人、2世のルーシー・マツダさん(72)は、亡き父に抱いていた「複雑な感情」を乗り越え、晴れやかな表情を浮かべて1マイル(1・6キロ)を進んだ。
名護市屋我地出身の父松田幸三郎さんは1910年、ニューカレドニアに渡り、鉱山労働や雑貨店経営に従事。現地の女性と結婚し、1男3女をもうけたが、太平洋戦争が始まると「敵性外国人」とみなされ、土地も店も奪われた上、オーストラリアの収容所を経て日本へ強制送還された。
残された家族の生活はとても苦しく、働く母に代わって当時7歳の姉がルーシーさんや生後間もない妹を世話した。幸三郎さんは30年前に他界。二度と会うことはなかった。
ニューカレドニアでは、戦争によって国を追放された出稼ぎ移民の祖父や父に「捨てられた」と思う日系2、3世は少なくない。ルシーさん自身、沖縄で再婚し5人の子どもに恵まれた幸三郎さんを「恨めしいと思った」と明かす。
転機は2007年、ニューカレドニアを訪れた沖縄の妹に会ってからだ。さらに初来沖し、離れていたきょうだいたちに「家族」として受け入れられ、墓参りをするうち、氷が解けるように、つらい記憶が和らいでいった。
来年7月、移民120周年を迎えるニューカレドニアには日系人の記念碑が建立される。その碑を設計するのは、那覇市の構造設計1級建築士、松田幸吉さん(57)。“自慢の弟”だ。
沖縄のきょうだいとはメールなどで連絡を取り合ってきた。「過去にはいろいろあったけど、気持ちを通わせることができて、すごく幸せです」(新垣綾子)
沖縄タイムス
民泊シーズン始まる(宮古島・沖縄)
民泊シーズン始まる
/さるかの会今年は9600人受け入れへ

民泊する農家と対面し荷物を運ぶ生徒たち
=13日、城辺農村環境改善センター
本土高校の修学旅行シーズンを迎え、さるかの会の農家民泊事業が本格化している。
13日は3校目の大阪府立東百舌鳥高校の2年生333人が来島、約70軒の農家が受け入れた。今年4月から来年3月末まで受け入れる生徒数は過去最高の9600人になる。
同校の生徒たちは午後4時ごろ城辺農村環境改善センターに到着し、入島式に参加。ここで受け入れ農家と対面して自己紹介した。
奥河圭一教頭は「大阪にはない自然、人情を宮古島で体験できる。民泊体験ができるのは一生の中で高校生のときぐらい」と民泊の意義を強調した。
入島式後、生徒たちは受け入れ農家宅に移動。島内観光に出掛けたり、郷土料理を一緒に作ったりしながら宮古島の歴史や文化、風習に触れた。
金谷真惟さんは野崎達男さん宅で民泊。「すごく楽しい。習いながら作ったゴーヤーチャンプルもとてもおいしかった。大阪では体験できないようなことがたくさんある。宮古島の良さを知り尽くしたい」と初日の感想を話した。
.宮古毎日新聞
/さるかの会今年は9600人受け入れへ

民泊する農家と対面し荷物を運ぶ生徒たち
=13日、城辺農村環境改善センター
本土高校の修学旅行シーズンを迎え、さるかの会の農家民泊事業が本格化している。
13日は3校目の大阪府立東百舌鳥高校の2年生333人が来島、約70軒の農家が受け入れた。今年4月から来年3月末まで受け入れる生徒数は過去最高の9600人になる。
同校の生徒たちは午後4時ごろ城辺農村環境改善センターに到着し、入島式に参加。ここで受け入れ農家と対面して自己紹介した。
奥河圭一教頭は「大阪にはない自然、人情を宮古島で体験できる。民泊体験ができるのは一生の中で高校生のときぐらい」と民泊の意義を強調した。
入島式後、生徒たちは受け入れ農家宅に移動。島内観光に出掛けたり、郷土料理を一緒に作ったりしながら宮古島の歴史や文化、風習に触れた。
金谷真惟さんは野崎達男さん宅で民泊。「すごく楽しい。習いながら作ったゴーヤーチャンプルもとてもおいしかった。大阪では体験できないようなことがたくさんある。宮古島の良さを知り尽くしたい」と初日の感想を話した。
.宮古毎日新聞
「人助けは私の使命」 (八重山・沖縄)
「人助けは私の使命」
前市長大濵氏、国頭村で医療に奮闘

【国頭】
前石垣市長で元県立八重山病院院長の大濵長照氏が、今月1日から医師として国頭村安田の村立東部へき地診療所で勤務している。
大濵氏は「医療の原点は離島・へき地医療。困っている地域を救い、人助けをすることは私の使命」と述べ、へき地医療に奮闘している。
「離島・へき地医療に強い関心があったので、離島の住民健診を全部やろうと思っていた」と話す大濵氏は、4期16年務めた石垣市長退任後、宮古島や伊良部島などで住民健診を引き受けていた。
昨年7月から、宮城馨国頭村長の熱心な誘いを受け、八重山病院時代に医師確保の困難さを知り尽くした大濵氏は「私も八重山の医療を守るため、全国を駆け巡って医師を探した。医師確保の難しさを知っていたし、宮城村長の誠意も十分に伝わった」と診療所医師を快諾。任期は1年ごとに更新する。
同診療所が担当する東部4地区には約600人が住んでおり、名護にある県立北部病院までは救急車で1時間以上かかる。大濵氏は「この地域は高齢者が多く、急に体調を崩す人もいる。海も近くおぼれる人や山道では交通事故も多発すると言われているので、診療所に常駐する医師が必要」と話す。
就任に大濵氏は「診療所にはまだまだ足りない器具などもあるので、救急医療に対応できる設備を整え、へき地医療の基盤作りをしっかりやっていきたい」と抱負。「国費留学で医学部に進学し、医療に携わってきたが、まだ責任を果たしたとは思っていない。今後もへき地医療のために貢献していきたい」と意気込みを語った。
八重山毎日新聞
前市長大濵氏、国頭村で医療に奮闘

【国頭】
前石垣市長で元県立八重山病院院長の大濵長照氏が、今月1日から医師として国頭村安田の村立東部へき地診療所で勤務している。
大濵氏は「医療の原点は離島・へき地医療。困っている地域を救い、人助けをすることは私の使命」と述べ、へき地医療に奮闘している。
「離島・へき地医療に強い関心があったので、離島の住民健診を全部やろうと思っていた」と話す大濵氏は、4期16年務めた石垣市長退任後、宮古島や伊良部島などで住民健診を引き受けていた。
昨年7月から、宮城馨国頭村長の熱心な誘いを受け、八重山病院時代に医師確保の困難さを知り尽くした大濵氏は「私も八重山の医療を守るため、全国を駆け巡って医師を探した。医師確保の難しさを知っていたし、宮城村長の誠意も十分に伝わった」と診療所医師を快諾。任期は1年ごとに更新する。
同診療所が担当する東部4地区には約600人が住んでおり、名護にある県立北部病院までは救急車で1時間以上かかる。大濵氏は「この地域は高齢者が多く、急に体調を崩す人もいる。海も近くおぼれる人や山道では交通事故も多発すると言われているので、診療所に常駐する医師が必要」と話す。
就任に大濵氏は「診療所にはまだまだ足りない器具などもあるので、救急医療に対応できる設備を整え、へき地医療の基盤作りをしっかりやっていきたい」と抱負。「国費留学で医学部に進学し、医療に携わってきたが、まだ責任を果たしたとは思っていない。今後もへき地医療のために貢献していきたい」と意気込みを語った。
八重山毎日新聞
五穀豊穣と無病息災を祈願 (八重山・沖縄)
五穀豊穣と無病息災を祈願
住民総出で小浜結願祭独特多彩な芸能を奉納

【小浜】
国の重要無形民俗文化財に指定されている小浜島の
三大行事の一つ、「結願祭」が12日、嘉保根御嶽で
盛大に開かれた。
結願祭は、これまでの1年間の豊作に感謝し、改めて来年の五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災を願うもの。会場では、地域住民や郷友、観光客らが奉納舞踊を見守り、北集落のミルク、南集落の福禄寿をはじめとした集落交互の芸能が次々と境内を彩った。
独特の芸能が披露される小浜の結願祭は、旧盆行事、種子取祭とともに国の重要無形民俗文化財として2007年に指定を受け、園児から小中高校生、一般など集落総出で行われる。
この日の結願祭は、北集落のミルク、南集落の福禄寿をそれぞれ先頭にした住民らが嘉保根御嶽に会し、午前9時ごろからそれぞれ座マール、太鼓や獅子、棒術を次々と奉納した。
続いて、午前11時ごろからは特設された舞台で、両集落が交互に舞踊を披露。厳かな「小浜節」や子どもたちによる「せんする節」など多岐にわたり、観衆から盛んに拍手を受けていた。
午後も、にぎやかな舞台が続き、狂言(シュンギン)で演じられた「タイラク」は、独特の振り付けと軽快な動きが見る人の笑いを誘っていた。
小浜公民館の新本光孝館長(69)は「先人が築いた文化に誇りを持ち、後世に伝えたい」と決意を新たにしていた。
八重山毎日新聞
住民総出で小浜結願祭独特多彩な芸能を奉納

【小浜】
国の重要無形民俗文化財に指定されている小浜島の
三大行事の一つ、「結願祭」が12日、嘉保根御嶽で
盛大に開かれた。
結願祭は、これまでの1年間の豊作に感謝し、改めて来年の五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災を願うもの。会場では、地域住民や郷友、観光客らが奉納舞踊を見守り、北集落のミルク、南集落の福禄寿をはじめとした集落交互の芸能が次々と境内を彩った。
独特の芸能が披露される小浜の結願祭は、旧盆行事、種子取祭とともに国の重要無形民俗文化財として2007年に指定を受け、園児から小中高校生、一般など集落総出で行われる。
この日の結願祭は、北集落のミルク、南集落の福禄寿をそれぞれ先頭にした住民らが嘉保根御嶽に会し、午前9時ごろからそれぞれ座マール、太鼓や獅子、棒術を次々と奉納した。
続いて、午前11時ごろからは特設された舞台で、両集落が交互に舞踊を披露。厳かな「小浜節」や子どもたちによる「せんする節」など多岐にわたり、観衆から盛んに拍手を受けていた。
午後も、にぎやかな舞台が続き、狂言(シュンギン)で演じられた「タイラク」は、独特の振り付けと軽快な動きが見る人の笑いを誘っていた。
小浜公民館の新本光孝館長(69)は「先人が築いた文化に誇りを持ち、後世に伝えたい」と決意を新たにしていた。
八重山毎日新聞
祖納と干立で盛大に節祭 (八重山・沖縄)
古式ゆかしく一大絵巻 500年余の伝統誇る
祖納と干立で盛大に節祭

【西表】
国指定の重要無形民俗文化財で500年以上の伝統を誇る西表島祖納と干立の「節祭(シチ)」のユークイ(世乞い)が12日、両地区で催され、ミリクやアンガー行列、狂言やオホホなど島独特の多彩な奉納舞踊が繰り広げられた。
両会場には石垣から駆けつけた郷友会員やカメラやビデオを手にした大勢の観光客が詰めかけ、古式ゆかしい節祭の一大絵巻を堪能していた。
節祭は1年の豊作を感謝し、来年の五穀豊じょうと住民の無病息災を祈願する行事。1991年に国の重要無形民俗文化財に指定され、今年で20年目を迎える。
祖納公民館(那根操館長)の節祭は「スリズの儀式」で3人の旗手に守り刀が託されたあと、一番旗を先頭に集落内を練り歩き、前泊海岸に到着。
浜では、旗頭を先頭にピョーシ、ミリク、アンガー行列が静かに入場。船元の御座に着席し、奉納舞踊やミリクとぅりむち、男子芸人による狂言や勇壮な棒術、婦人アンガーなどの伝統芸能が次々に繰り広げられた。
潮が満ちた午後3時すぎからはユークイ儀式(舟こぎ)があり、舟子たちが2槽の舟で威勢良く海に漕ぎだし、浜辺では婦人アンガーがドラと太鼓を打ち鳴らして、舟を招き寄せた。
干立公民館(小波本到冶館長)の節祭は前の浜でヤフヌティや船漕ぎが行われたあと、干立御嶽境内で狂言や巻き踊り、棒術、ミリク行列、獅子舞などが次々と奉納された。
中でも干立地区の独特のオホホはひょうきんな面をかぶり「オホホー」と奇妙な声を上げ、ユニークなしぐさに観客らが盛り上がっていた。
この日は時折、小雨が降る天気となったが会場には地域住民をはじめ、大勢の観客が来場。国の重要無形民俗文化財指定20周年の節目を祝うとともに、来年の五穀豊じょうと住民の健康、地域の繁栄を祈った。
八重山毎日新聞
祖納と干立で盛大に節祭

【西表】
国指定の重要無形民俗文化財で500年以上の伝統を誇る西表島祖納と干立の「節祭(シチ)」のユークイ(世乞い)が12日、両地区で催され、ミリクやアンガー行列、狂言やオホホなど島独特の多彩な奉納舞踊が繰り広げられた。
両会場には石垣から駆けつけた郷友会員やカメラやビデオを手にした大勢の観光客が詰めかけ、古式ゆかしい節祭の一大絵巻を堪能していた。
節祭は1年の豊作を感謝し、来年の五穀豊じょうと住民の無病息災を祈願する行事。1991年に国の重要無形民俗文化財に指定され、今年で20年目を迎える。
祖納公民館(那根操館長)の節祭は「スリズの儀式」で3人の旗手に守り刀が託されたあと、一番旗を先頭に集落内を練り歩き、前泊海岸に到着。
浜では、旗頭を先頭にピョーシ、ミリク、アンガー行列が静かに入場。船元の御座に着席し、奉納舞踊やミリクとぅりむち、男子芸人による狂言や勇壮な棒術、婦人アンガーなどの伝統芸能が次々に繰り広げられた。
潮が満ちた午後3時すぎからはユークイ儀式(舟こぎ)があり、舟子たちが2槽の舟で威勢良く海に漕ぎだし、浜辺では婦人アンガーがドラと太鼓を打ち鳴らして、舟を招き寄せた。
干立公民館(小波本到冶館長)の節祭は前の浜でヤフヌティや船漕ぎが行われたあと、干立御嶽境内で狂言や巻き踊り、棒術、ミリク行列、獅子舞などが次々と奉納された。
中でも干立地区の独特のオホホはひょうきんな面をかぶり「オホホー」と奇妙な声を上げ、ユニークなしぐさに観客らが盛り上がっていた。
この日は時折、小雨が降る天気となったが会場には地域住民をはじめ、大勢の観客が来場。国の重要無形民俗文化財指定20周年の節目を祝うとともに、来年の五穀豊じょうと住民の健康、地域の繁栄を祈った。
八重山毎日新聞