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2008-12-10



奄美からの初ハイヌミカゼ


 8日(月)の夜は元ちとせさんのコンサートに行ってきました。
 「奄美から」と書きましたが、今は沖縄にお住まいなんですね。ご本人がMCで言われていました。

 でーじ古い奄美の地図です。ちとせさんの出身地あたりも写っているはずですが・・・。
 
 コンサート・・・。 年に1~2回でしょうか。大きなホールで、お行儀よく正面向いて指定席に座って、
百~千人単位のお客さんの中の一人になるのは。しかも、所謂「メジャー・アーティスト」の公演。
 逆に言えば、普段の私は・・・。月に1~2回、小さなライヴハウスで、飲んだり食ったりしながら、
「イェーぃ」とか「ヒュー」とか声を上げつつ、30人とか10人くらいの客が肩寄せあい、時にミュージシャンの打ち上げにも乱入する。そんな空間で音楽・・・ほとんどジャズ・・・を楽しんでいます。

 「音楽をジャンルにカテゴライズするのは、CDショップの店員が「商品」を陳列する時に、置き場所に困らないようにするため。それ以上の意味は無い」。概ねそういった趣旨の発言をされた方がおられます。蓋し名言だと思います。
 かくいう私も、自己紹介などの際には便宜上、「ジャズおたくです」と宣言はします。しかし、沖縄の音楽は幅広く聴き(民謡から「かりゆし58」まで)、ほかにも、その生き様をも敬愛する故・高田渡さん、ZABADAK、上野洋子さん、露崎春女/Lyricoさん、川嶋あいさん、たま(解散後の各メンバーのソロ活動を含め)、普天間かおりさん、等々。あぃっ?普天間さんは沖縄に含むかな?いや、ポップス? ・・・だから、ジャンルなんてものは・・・。先ほど書いたとおりであります。

 さて、そんな私にとって、ヒットチャート上位の常連で、メディアにも頻繁に取り上げられ、「メジャー・アーティスト」の元ちとせさんは、何というか、スポットライトやスモークの中にいて、眩しすぎて、その姿が見えないような、ちょっと遠い存在のように思えていました。もちろん、その印象的な歌声は頻繁に耳にし、また、奄美出身ということで、沖縄愛に生きる私は親和感も覚えていたのですが。

 その音楽に真剣に向き合ったのはつい最近のことでした。
 きっかけになったのは、TVで放送された彼女のロングインタビュー番組。故郷・奄美の砂浜を歩きながら、島での生い立ちや島唄への想い、東京での新しい音楽との出会いなどを、開放感溢れる風景の中で、穏やかに、時に凛とした言葉で語っていました。私の中で勝手に造り上げられていた「メジャー・アーティスト」像とはかなり異なる、人間味溢れる素朴なその素顔を知ったのもこの時が初めてでした。距離感があっという間に縮まりました。
 そして、そのTV番組を見る、そのまたきっかけになったのが、『THE BIG ISSUE』98号(2008.7.1発売)の特集記事「2008年、「島宇宙」の旅」の中に掲載された、同じ奄美の唄者の大先輩、朝崎郁恵さんのインタビュー記事でした。
「THE BIG ISSUE」 >>>  http://www.bigissue.jp/
 
 本当に、出会い、縁というのは不思議なものです。そして、つながる時には次々とつながるものです。 

 そんな、彼女のデビュー当時を知らない、若葉マーク付きリスナーの私でしたが、コンサートは大いに楽しみました。
 神秘的な歌姫というイメージはある瞬間は的中し、ある瞬間はよい意味で覆されました。
 静と動のバイブレーションが寄せては返す波の如く場内を包み、私の細胞のひとつひとつを揺さぶりました。
 歌声とコトノハは深い感動を伴って心の深奥にまで届きました。
 その軽やかにして情熱的な舞いに、洋の東西を超越した、音楽と舞踏と祈りとの和合を体現する天女の姿を見ました。
 30歳を目前にしている一人の若者としての率直な言葉(MC)に、自分の10年前を重ね合わせたりもしました。
 一緒にハミングできました♪(ライヴCDを最初に買って聴いておいてよかった)。

 2年ぶりの全国ツアーの初日。そして、彼女の音楽を創り上げる上でかけがえのない存在だった方がいる、天に向かっても歌声を届ける夜。様々な想いを込めて唄ってくれた素晴らしいコンサートでした。


 ちょっと高い・・・。うっちん茶を自分で煎じて飲もうかねぇ。
 
 息抜きのMCで何度も出てきた「酒豪伝説」あらん「ウコンの力」。CMに彼女の曲が使われているようですね。彼女自身「私もそろそろ・・・」なんて言われていましたが、まだまだ、「もぎたてのフルーツとしぼりたてのジュース」で大丈夫そうです。今のまま、真っすぐな歌を唄い続けて欲しいものです。
 で、その「ウコンの力」。今日、ついつい、買ってしまいました。でーじ感化されやすっ!

  
:**:今日の一枚:**:
「おぼくり/朝崎郁恵」
 敢えて、元ちとせさんではなく、本文中でも触れた朝崎さんの作品を。私は奄美の音楽についてはまったくの初心者なのですが、それでも、グインという独特の唱法や「情」の込め方に、やはり沖縄と違った風土や歴史がその背景に存在しているのを感じました。この作品では奄美の島唄に加え、ヤマト(本土)の民謡や童謡なども採り上げています。また、三味線だけでなく、楽器やゲストも多彩です。
 その中で、ウォン・ウィンツァンさんというピアニストがこの作品でとても大きな役割を果たしていると思います。このウォンさん、北欧系のジャズ・アルバムをリリースしたり、地雷犠牲者救済キャンペーンに音楽を提供したりしているのですが、この作品では、響きの深い美しいピアノ演奏と、南の島の空気や時間の流れを感じさせるアレンジで彩りを添えています。私は、『大島保克 with ジェフリー・キーザー』という作品や、古謝美佐子さんにとっての佐原一哉さんの存在などを想起しますが、これらの話題はまたの機会に。
 最後に。この作品に収録された、「嘉義丸のうた」という長い曲のことを。「十九の春」を思わせるようなやさしい旋律に乗せて、静かに、しかし、切々と歌い上げられるのは、1943年5月に奄美沖で起きた戦時の悲しい出来事。嘉義丸(かぎまる)というのは、米潜水艦によって撃沈された民間船です。朝崎さんの父上・辰恕氏が、島に辿り着いた生存者から聞き取ったその時の悲劇を、口伝の唄として秘かに語り継いだのですが、戦中の緘口令下はおろか、戦後も公にできない時代が長く続き、一時は忘れ去られようとしていたそうです。しかし、郁恵さんの尽力で再び光が当てられ、彼女の歌声によって、慰霊と鎮魂の唄が海に眠る犠牲者にへ手向けられ、60余年を経た今日、私たちにも届けられることになりました。・・・・・・・CDではこの曲の後に、最後の曲「故郷」が流れ始めます。故郷を想いながら非業の最期を遂げた方々への鎮魂歌と思いながら、聴いています。

 ブログ名に「十九の春」を使わせていただいている者として。今春の沖縄滞在中、「対馬丸記念館」のすぐ近くに宿泊していたにもかかわらず、訪れる機会を逸してしまったことを悔やんでいます。
 この「嘉義丸のうた」を聴いて、その思いはなお一層、痛切なものになりました。次は必ず・・・。


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