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2014-02-24



一年前の写真から

   
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ゆうすけが教えてくれた美作という地も、こんな眺めなのだろうか




  高江の集落をあとにして、小中学校の前の小道を、行き先も決めずに進む。

  2011年の秋、日暮れまでのひととき、一日3便の路線バスの終バスまでの時間、
  行けるところまで行こうと、あの日は歩いてみた、曲がりくねった下り坂。
  夕空に伸びる電線に、その先にもまだ暮らしの気配を感じた、その道。

  その先へ、行ってみようと思う。

  共同売店「山の駅」の周りの集落でもない、
  住民と施工業者が対峙する(いったい、だれのために?)ゲート付近でもない、
  また違った高江の暮らしを垣間見ることができるかもしれないと思いながら、
  ゆっくり、ゆっくり、今日はハンドルを握り、窓を開け放ち、
  歩くように車を走らせる。

   

  数軒の民家が点在するのを目にした後、森はどんどん深くなる。
  連続するカーブと、濡れた森を縫う隘路に方向感覚は麻痺する。
  ただ、このまま道なりに走れば国頭村との境界に出ることだけは間違いない。
  そして、やがて海が見えるかもしれないと、地図とカーナビを交互に見る。


  「やんばる海水揚水発電所」までは行ってみよう。
  そう思ったとき、ふいに視界が開ける。
  地図で見る限り、海岸線まではかなり距離があるように思えたのだが、
  遮るものもなにもない、海を見下ろせる丘。

  路肩に車を停めて、地図を手に、小雨交じりの丘へ出る。
  今いる場所と、これから向かう発電所の位置を確かめる。





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  車から降りてすぐ、海手よりも山手側に目が向く。

  目に入った碑に刻まれた文字を、何度も読み返す。
  思いのほか新しい、その碑の質感を眺める。

   「ここに、この土地に、学校が?」

  かつて、やんばる船が行き交った歴史に想いを巡らす。
  津々浦々で営まれたであろう暮らし。

  それにしても、ここは海から遠すぎる。
  どれだけ坂を登ってくればいいのか。
  そして今、この地の周囲に暮らしの気配は、ない。

  ここに学校があった歴史。





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  「高江校発祥之地」碑を背に、海の方を向く。
  そこには「東海陸守龍神」と刻まれた、小さな碑。
  手前にあるのは御香炉か。
  海に、陸に、想いとともに向き合う、拝所なのだろうか。
  かつての、あるいは、今もなお。




  帰宅して後、高江校のことを調べたが、
  1908年に川田尋常小学校の高江分校がこの地に開設されたこと、
  二度の移転を経て、1969年からは現在の集落内にあること、
  それくらいしか分からない。

  同校のウェブサイトによると、
  「昭和40年の頃は、児童生徒の在籍も100名余りも数えた」とある。

  どんな暮らしが、歴史が、あったのか。



  北部訓練場の一部が返還され、いまなお訓練場に囲まれている、
  海水揚水発電所以外に、この場所は荒涼として、今はなにもない。
   
  映画化もされたドキュメンタリー『標的の村』に出てきた、
  ベトナム戦争当時の高江の幻影を、
  この海や森の残像、そして、小学校の歴史に重ねる。
  そしてまた、高江の今を思う。


-2013/2/8 東村 高江-



2014-02-06

一年前の写真から

   
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    車でぷらっとやってきただけで あのような奇跡に出会えるはずもなく

    それでも だれもいない砂浜と静かな波打ち際をそぞろ歩いては
    あの壮大な夕空と温かな薄明の名残りを探してみたりしました

    天気がよければ 日の沈む頃にまた訪れて
    日の暮れてから楚洲まで走ろうなんて 考えてもいたのですが
    やはりそれは ただ「見る」だけの旅路であって
    この土地を「感じる」ことは できなかったでしょう

    またいつの日かのための ロケハンにとどめて
    枯れ枝を揺らす二月の潮風は冷たく ダウンジャケットにくるまって
    西の空を覆う雲を見つめた 羽地内海


-2013/2/6 屋我地島(名護市)-



2013-09-29

夏に立ちどまり

   
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    眼下にひろがる名護の街灯りの中のひとつ
    名護市民会館で あの夜たしかに
    『お笑い米軍基地9』を見たんだねぇ と思いながら
    ガラスにへばりついたまま 目を閉じました



    あれからもう 3ヶ月か


-2013/7/2 19:55 空の上-



2013-09-28

名前は出さないけれど、でーじかりゆし!

   
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-2013/2/9 那覇市-


   旧正月のカウントダウンをした夜にも ふたりは一緒だったわけだ
   もちのように たっくゎいむっくわい してほしいな


   「もちいちろう」を名乗るおにいちゃんのために
   ありったけの「クニガミドーナツ」の中に
   「くんじゃんナントゥ」もいくつか シャレで入れて
   その前のライブに届けていたのだけど

   その前のライブを終えて駆けつけてくれた弟くんが
   「ナントゥ餅、おいしかったです!」って 言ってくれたんだっけ
 
   弟くんがブースから見つめる舞台には まなざしの先には
   いたんだよね 彼女も

   「ライブ終わりで手伝いにくるなんて仲間思いだなぁ」
   「お笑いの勉強かなぁ」
   なんて思ってましたよ あのときは



   ん?

   「もちいちろう」お兄ちゃんも めでたい話になっているって話
   そろそろ公式発表 あるのかな?



2011-01-24

天知る地知る 犬も知るかも

    
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   母 「ワンワンワン!」 (しんいちろう、シンゴ、家へ帰ってなさい)
   弟 「キャン!」 (兄ちゃん、何やってるばぁ)
   母 「ワンワン!ワォーン」 (しんいちろう、ほら、早く!)
   兄 「・・・クゥ~ン」 (ナイチャーの、においかなぁ、アメリカーじゃ、ないよね)




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   母 「ワン!ワンワン!ワン」 (とにかく、知らない人だから、急いで帰りなさい!)
   弟 「キャンキャンキャィ~ン」 (ひんぎれー!)
   兄 「ワン?・・・ウォ・・ウォン」 (あ、シンゴ~、待ってよ~!)
   母 「グゥウウウウ」 (お兄ちゃんったら、のんびりしてるっていうか、なんていうか・・・)





   私がその場所を離れ、一歩を踏み出したのと、偶然の出会いがしらだったのか。
   いや、もしかすると、私がその場所に20分近くも留まり、
   周囲を巡ったり、中を覗き込んだり、何やら思案をしている様子を、
   まるでヌスル(泥棒)を監視するかのように、実はずっと見張っていたのかも。

   いずれにしても、私が「団結道場」を後にして、次の目的地へ向かおうとした途端、
   犬の親子と対峙することになった。

   その存在に、私はまったく気づいていなかった。
   親子は、私が20分前に村営バスを降りた、真謝へと向かう方の「団結道場前」バス停に。
   私は、県道を挟んだ反対側に。「団結道場」を背にして。

   目が合った瞬間に、そのうちの、親犬と思しき一匹が、けたたましく吠え始める。
   吠えながら、二匹の子犬たちを見やっては、何かを促すように時おり声色を変えては、
   また、鋭い吠声と目線を、こちらに向けてくる。

   子犬のうちの一匹が、何かを悟ったかのように、畑の中の小路を駆けて行く。
   親犬は、吠声と目線を途切れさせないようにしながら、自らも少しずつ後ずさりしながら、
   のんびり屋の、バス停から動こうとしないもう一匹の子犬を、呼び戻そうとする。

   のんびり屋の子犬が、何を思ったのか、ようやく、畑の中の小路を駆けて行く。
   親犬は、子犬を守りきった安堵感からか、いくぶん、吠声のトーンを落としながらも、
   それでも、島の外からやってきた見知らぬ人間を歓迎する素ぶりは見せない。





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   「団結道場」の「米軍に告ぐ」の一文は、1955年に書かれている。

   犬は「島ぐるみ闘争」を知らない。
   私もまだ、生まれていない。
   その後、学校でも習わず、学ぶべきいくつかの機会を素通りしてきたのかもしれない。
   41年生きてきて、二度目の伊江島。


   一回目は、伊江島補助飛行場を南西から北東へと歩いた時に、途中で立ち寄るはずが、
   気がつくと北東の端まで辿り着いてしまっていた。
   なので、二回目は、港でフェリーを降りて、そのまま真謝行きの村営バスに乗り、
   小雨の中、「団結道場」に降り立った。

   そういえば、アメリカ海兵隊の訓練場のゲートが、
   「団結道場」と目と鼻の先にあることも見落としていた。
   西崎の灯台への道を遮るフェンスが、ゲートであると思い込んでいた。
   歴史を鑑みれば、そして、その意図に想いを巡らせば自明のことなのに。
   ゲートがそこにあるからこそ、目の前に「団結道場」を建てる意味があったのではないか。





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   この地を訪れる、見知らぬ人間を、犬はどのように見ているのだろうか。
   その鋭敏な嗅覚は、ただ単に、島の人と島の外の人、
   あるいは、知っている人と知らない人、という区別をしているのだろうか。

   犬は「国籍」を知らない。
   犬は「職業」を知らない。
   などと断言してもいいのだろうか。

   犬は、その鼻先といってもよい場所に存在する「訓練場」に出入りする、
   「アメリカ」という国の「海兵隊員」という職業を、そういう人間の特殊性を、
   本能的に理解しているのかもしれない。

   「団結道場前」でバスを降りた男が、200m先の、次の「訓練場入口」バス停へと向かい、
   どうもそのまま、訓練場のゲートにまで足を運ぶのだろうと、
   その足取りを本能的に理解したのかもしれない。

   「この男は、いったい、島の味方なのか、どっちなのか」





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   犬は「ヌチドゥタカラ」を是としない、人間の愚を知らない。
   犬は彼方の、近くの、火薬の匂いに戦慄する。
   犬はぬーがぬーやら分からんで、吠える。


   犬は時として、空から畑に降ってくる人間を見る。


   つい先日も、パラシュートが風に流されて、
   グリーンベレーがフェンスの外の畑に降ってきたと、
   沖縄の新聞だけが伝えている。



  (犬の名前は、実在する人物、団体、敬愛するお笑い芸人の兄弟等とは一切関係ありません)


-2010.10.15 伊江島-



【訂正】
 本文中、島内の路線バスを「村営バス」と書きましたが、
 正しくは、「伊江島観光バス」さんの運行でした。
 おわびして訂正いたします。                   
                          (2011.2.6)

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