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2010-03-31



Tomorrow

   昨日・・・
   正確には日付変わって、今日のAM 0時から30分間、
   いつもと同じように、ラジオから届く声に耳を傾けた。


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福岡空港の影長く



   このところの沖縄旅行は、いつも火曜日に完結する。
   いや、させている。


   理由のひとつは、
   沖縄最後の夜を必ず過ごしたいお店が、日曜定休だから。
   (しっかり休むのも、間もなく42周年を迎えるという長続きの秘訣)

   というわけで、月曜日の夜は必ず、那覇西で飲んでいる。


   もうひとつの理由が、
   福岡の自宅で、火曜日の深夜に、
   『音の匠たち 普天間かおりのぬちぐすいラジオ』
   を聴きたいから。

   疲れ果てて、眠い目を擦りながらという日もあったけれど、
   かおりさんの声を聴くと、疲れが吹っ飛んだ。
   旅の終わりに訪れてもおかしくない、三日間くらいのチルダイ状態を、
   たぶん、未然に防いでくれた。




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最寄の高速バス停。自宅まで、荷物の重さが堪えます



   そんなこんなで、沖縄旅行は、
   『ぬちラジ』(みんな略して、そう呼んでいた)とセットになっていた。
   ラジオの前で完結していた。

   無事に、穏やかに、雲の上にソフト・ランディング。
   
   沖縄の旅の記憶はすべて、かおりさんの歌、笑い声、
   そして、番組の最後に流れる「Tomorrow」とオーバー・ラップする。

   声の、メロディの、プルースト効果。
   (サーターアンダギーや、島らっきょうや、「ぎぼまんじゅう」の香りも、少し混じる)




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那覇西の夜明け




   初めての沖縄旅行での、
   普天間かおりさんとの運命的出会い。
   (それが、たとえポスターであっても、運命は運命)

   それから、ちょうど2年。

   博多駅のホームで終電を待ちながら、
   刻々と進む九州新幹線駅の工事を見上げながら聴いたこともあった。

   終電にさえ乗り遅れそうで、ビル街を走りながら、
   それでも、電波を拾うためにビルの谷間で立ち止まって聴いたこともあった。

   枕元のノートに速記でメモを取りながら聴いて、
   翌日、那覇西のおかあさんに報告したこともあった。
   (翌週以降、チューナーとともにMDレコーダーも稼働するようになった)

   その間に、福岡で、ライブやイベントでの幾度かの出会い。
   つい先日、那覇で、半径3km圏内での、「あきさみよ~」のすれ違い。


   そんな、たくさんの思い出に浸りながら。

   『ぬちラジ』は、ひとまずの区切り。



   いつもと同じ、明るいエンディング。
   アルバム『Precious』の中から、「Tomorrow」を聴きながら。

   「みんなにいいことがありますように」というメッセージ。   

   最後のひとことが、
   いつもと、少しだけ、違っていたかな。


   「いつか どこかで 必ず お耳にかかりましょう!」


-Special Thanks-
  普天間かおりさん
  しろまのおかあさん
  KBCラジオさん


2009-07-12

歩きたくなる径



とおくひろがる めのまえのけしき




おしえてくれた ひとみにうつして




ひとこと ひとこと すきとおるわたし




みみをかたむけて またたきするたび




こころははれてく




とおくつづく あるきたくなるみち




おしえてくれた ほほえみにのせて




   ZABADAKに上野洋子さんがいた頃の

   「歩きたくなる径」という曲が好きで

   今でも何度も聴いています


   暑い熱い 沖縄の太陽の下を歩いているときに

   その歌声を 頭の中でリフレインすることは

   木陰を見つけたり そよ風を感じたり

   懐かしい人に会えたりすることと同じように

   涼やかな幸せでした

   
   でも

   写真が残っているということは

   そこは 「立ちどまりたくなる径」 でもあったのでしょうか






      歩くには十分な道を拡げるために 憩いの湯が消えることは 寂しくて 悲しい
(糸満市「ときわ湯」の前の通り)




64年前の痕跡が 今も石塀に残る径 (南風原町津嘉山)







「暑そうだね」  「熱中症に気をつけて よんなーよんなー 歩きなさい」



 原詞 「歩きたくなる径」
     作詞・作曲:上野洋子 ( 『桜』/ZABADAK 収録 )

2009-06-07

空を見上げて

ずっと気になっていて
数日前 その人の目 いや 心に映った空があまりに切なくて

今日は 空に 心に 光が射していてくれないか
日記に 新たなページが書き加えられていないか
何度も その日記を訪れた

それでも
声を届けることはできないし その声は無力で 言葉も見つからない

   ピアノも弾けない
   何か 生涯を賭して打ち込んできた才能もない
   その喜びも分からないし それを失う恐怖や絶望も想像できない

ただ
仕事 ―生業― を失うという次元のものではない
あまりに大きな喪失感 そのことだけは
その才能に心動かされる者として 喜びを分かち合える者として 想像できる



たった一度 お会いしただけ
演奏後に少し 言葉を交わしただけ
初めて聴いたCDの音に どれだけ感嘆し 夢中になったか
その百分の一も 言葉にできなかった 思い出があるだけ
3枚のCDと インターネットから伝わる動静と 私の中の残像だけ



今・・・ 伝わってくる動静は 演奏から離れた日々の記録
その日記は 感情の奔流に揺れ動き
言葉にできない感情と 感情にもならない戸惑いも 垣間見える

最も大切な音 愛して止まない音が
突然 姿を変えてしまう 掴めなくなる そこにあるのに そこにない 
積み重ねてきた世界が 当たり前にあった世界が
歪みの淵の渦の中に 浮いたり沈んだり

心乱れる動揺の中にあって
どうしていいか分からない混沌の中にあって



でも 大丈夫

別の方法で 別の視座から 世界に対峙している
何かを感じ取ろうとしている
これまで見えてなかったものを 見ている
これまで受け止めていなかったものを 受け止めている
いろいろなことに 気づいている

他者のやさしさ 自分の中のやさしさが
心を強くし 心に寄り添っている
 



初めてその音色に接したアルバム 『Rapture』
リーダーの竹内直さんに 今年の3月にお会いした時
こんな話もした

  「エリッチョさん、そろそろリーダー作、出さないんですか?」

その時には 期待を抱かせてくれる答えが返ってきた
毎日のように ライヴハウスでピアノに向かう姿を
思い浮かべることができていた



 清水絵理子さん
   ジャズピアニスト
   通称 : エリッチョ (ericcho)
   http://ericcho.blog81.fc2.com/

 私の手元にある、エリッチョさんが参加した 3枚のCD
   『Rapture』/竹内直 (WNCJ-2184)
   『HOT SUMMER NIGHT』/里見紀子&清水絵理子 (HHR-1001)
   『PORTRAITS』/三槻直子 (WNCS-5107)



これまで以上に感性を研ぎ澄まし 鍵盤から生み出される音に向き合う

『HOT SUMMER NIGHT』 
ジャケットを手に取る
タイトルと同じように 暑い夏の夜を思わせる
あれは 去年の6月22日 久留米 Cafe Cheek to Cheek
竹内直さん (ts, fl) 清水絵理子さん (p) 井上陽介さん (b) 江藤良人さん (ds)



エリッチョさんが目の前でピアノを弾いた夜



二箇所に書かれた エリッチョさんのサインを 見つめる

 「あ・・・・、これ、東京から持ってくる時に、二人で先に、サイン書いちゃってました(笑)」

 「ハハハ。でも、せっかくだから、エリッチョさんだけでも、"実演"でサインをお願いしていいですか」

 「喜んで。お名前と一緒に、書かせていただきます」




今朝
「よい兆しが」 という表題の日記が アップされた

モノクロームの空ではなく
心を癒すための切花でもなく
大地で生命を謳歌する花を 見ていた
うぉっか (猫)の声が 普通に聞こえていた

今は まだ 「兆し」

でも 大丈夫

他者のやさしさ 自分の中のやさしさが
心を強くし 心に寄り添っている







2009年春 沖縄の空

私が沖縄で見た 最も切なかった空

いや 切ないという言葉では言い表せない 
もっと 心の暗部から噴き出る感情と 過去と現在の映像を伴って


 「きれいなだけじゃない 悲しみだけじゃない」

沖縄への想いが詰まっている 普天間かおりさんの歌に近づきたくて
「R329」を歩いていて 出会った空
三分おきに現れた 六十四年間つづく 空の悲しみ 空の怒り

サトウキビ畑をわたる風の音と そこに住まう人々の生活の音だけが
愛おしく 慎ましやかに届いていた 私の耳に
雲より低く 空を切り裂く プロペラの音


 「きれいなだけじゃない 悲しみだけじゃない」

三分おきに空を仰ぎ

目の前の きれいな風景と 人々の営みの中を
また 歩き続ける






 「R329」のきれいな風景は、また日を改めて、「2009 沖縄旅日記」の1ページとして紹介します。


清水絵理子さま
 一日も早いご快癒を、そして、喜びとともに、素晴らしい仲間の皆さまとともに、ピアノに向き合える日が一日も早く訪れることをお祈り申し上げます。
                         ジャズと泡盛と、ジンとウォッカを愛する一ファンより

2009-04-07

やっぱり・・・泡盛

 ライブでも、ジャズでも、やっぱり泡盛なのであります。


 数メートル先に、峰厚介さん(ts)、岡田勉さん(b)、内田浩誠さん(p)がおられても。
 目の前のバンドマンたち(人形)の視線を集めてしまっても。


 去年は与世山澄子さんとの邂逅もあった巨匠たち。


 勉さんも、アンコール前にぐいっと一杯、飲っておられるし。

2009.3.21 DOLPHY's (太宰府市)





 目の前で、開演前の真剣な打ち合わせが行われていても。
 竹内直さん(ts)、藤山"E.T."英一郎さん(ds)、園田智子さん(p)、中瀬亨さん(b)

 「あ、すいません、泡盛ください。ロックで」
 「泡盛は・・・、あ~、今、60度のしかないけど、いいですか?」
 「えっ・・・、いや、私はうれしいんですけど・・・」
 「お水、足りなかったら言ってください」



 直さんをはじめとするカルテットの熱い演奏に、泡盛が「どなん花酒」であることも忘れる。
 「どなん」のグラスと水のグラスを間違えて、口に運ぶ。
 真横から響いてくる"E.T."のビートにも煽られ、当然の如く、おかわり。

 「あの~、厚かましく・・・、おかわりしたいんですけど。これ、すごくいい泡盛ですよね。お勘定、少しはプレミア付けてくださいね」
 「いやいや、いいんですよ。仕入れ単価ゼロだし」
 「・・・?」
 「これ、お土産なんですよ」
 「・・・ハハハ。そうなんすか。じゃあ、遠慮なく、お言葉に甘えて。いや~、おかわりに最初より薄い酒を飲んじゃうと、却って飲みすぎて悪酔いしそうで・・・」

 ・・・酔っ払うと、屁理屈に拍車がかかる。

2009.3.31 River Side (福岡市博多区)


2008-12-10

奄美からの初ハイヌミカゼ


 8日(月)の夜は元ちとせさんのコンサートに行ってきました。
 「奄美から」と書きましたが、今は沖縄にお住まいなんですね。ご本人がMCで言われていました。

 でーじ古い奄美の地図です。ちとせさんの出身地あたりも写っているはずですが・・・。
 
 コンサート・・・。 年に1~2回でしょうか。大きなホールで、お行儀よく正面向いて指定席に座って、
百~千人単位のお客さんの中の一人になるのは。しかも、所謂「メジャー・アーティスト」の公演。
 逆に言えば、普段の私は・・・。月に1~2回、小さなライヴハウスで、飲んだり食ったりしながら、
「イェーぃ」とか「ヒュー」とか声を上げつつ、30人とか10人くらいの客が肩寄せあい、時にミュージシャンの打ち上げにも乱入する。そんな空間で音楽・・・ほとんどジャズ・・・を楽しんでいます。

 「音楽をジャンルにカテゴライズするのは、CDショップの店員が「商品」を陳列する時に、置き場所に困らないようにするため。それ以上の意味は無い」。概ねそういった趣旨の発言をされた方がおられます。蓋し名言だと思います。
 かくいう私も、自己紹介などの際には便宜上、「ジャズおたくです」と宣言はします。しかし、沖縄の音楽は幅広く聴き(民謡から「かりゆし58」まで)、ほかにも、その生き様をも敬愛する故・高田渡さん、ZABADAK、上野洋子さん、露崎春女/Lyricoさん、川嶋あいさん、たま(解散後の各メンバーのソロ活動を含め)、普天間かおりさん、等々。あぃっ?普天間さんは沖縄に含むかな?いや、ポップス? ・・・だから、ジャンルなんてものは・・・。先ほど書いたとおりであります。

 さて、そんな私にとって、ヒットチャート上位の常連で、メディアにも頻繁に取り上げられ、「メジャー・アーティスト」の元ちとせさんは、何というか、スポットライトやスモークの中にいて、眩しすぎて、その姿が見えないような、ちょっと遠い存在のように思えていました。もちろん、その印象的な歌声は頻繁に耳にし、また、奄美出身ということで、沖縄愛に生きる私は親和感も覚えていたのですが。

 その音楽に真剣に向き合ったのはつい最近のことでした。
 きっかけになったのは、TVで放送された彼女のロングインタビュー番組。故郷・奄美の砂浜を歩きながら、島での生い立ちや島唄への想い、東京での新しい音楽との出会いなどを、開放感溢れる風景の中で、穏やかに、時に凛とした言葉で語っていました。私の中で勝手に造り上げられていた「メジャー・アーティスト」像とはかなり異なる、人間味溢れる素朴なその素顔を知ったのもこの時が初めてでした。距離感があっという間に縮まりました。
 そして、そのTV番組を見る、そのまたきっかけになったのが、『THE BIG ISSUE』98号(2008.7.1発売)の特集記事「2008年、「島宇宙」の旅」の中に掲載された、同じ奄美の唄者の大先輩、朝崎郁恵さんのインタビュー記事でした。
「THE BIG ISSUE」 >>>  http://www.bigissue.jp/
 
 本当に、出会い、縁というのは不思議なものです。そして、つながる時には次々とつながるものです。 

 そんな、彼女のデビュー当時を知らない、若葉マーク付きリスナーの私でしたが、コンサートは大いに楽しみました。
 神秘的な歌姫というイメージはある瞬間は的中し、ある瞬間はよい意味で覆されました。
 静と動のバイブレーションが寄せては返す波の如く場内を包み、私の細胞のひとつひとつを揺さぶりました。
 歌声とコトノハは深い感動を伴って心の深奥にまで届きました。
 その軽やかにして情熱的な舞いに、洋の東西を超越した、音楽と舞踏と祈りとの和合を体現する天女の姿を見ました。
 30歳を目前にしている一人の若者としての率直な言葉(MC)に、自分の10年前を重ね合わせたりもしました。
 一緒にハミングできました♪(ライヴCDを最初に買って聴いておいてよかった)。

 2年ぶりの全国ツアーの初日。そして、彼女の音楽を創り上げる上でかけがえのない存在だった方がいる、天に向かっても歌声を届ける夜。様々な想いを込めて唄ってくれた素晴らしいコンサートでした。


 ちょっと高い・・・。うっちん茶を自分で煎じて飲もうかねぇ。
 
 息抜きのMCで何度も出てきた「酒豪伝説」あらん「ウコンの力」。CMに彼女の曲が使われているようですね。彼女自身「私もそろそろ・・・」なんて言われていましたが、まだまだ、「もぎたてのフルーツとしぼりたてのジュース」で大丈夫そうです。今のまま、真っすぐな歌を唄い続けて欲しいものです。
 で、その「ウコンの力」。今日、ついつい、買ってしまいました。でーじ感化されやすっ!

  
:**:今日の一枚:**:
「おぼくり/朝崎郁恵」
 敢えて、元ちとせさんではなく、本文中でも触れた朝崎さんの作品を。私は奄美の音楽についてはまったくの初心者なのですが、それでも、グインという独特の唱法や「情」の込め方に、やはり沖縄と違った風土や歴史がその背景に存在しているのを感じました。この作品では奄美の島唄に加え、ヤマト(本土)の民謡や童謡なども採り上げています。また、三味線だけでなく、楽器やゲストも多彩です。
 その中で、ウォン・ウィンツァンさんというピアニストがこの作品でとても大きな役割を果たしていると思います。このウォンさん、北欧系のジャズ・アルバムをリリースしたり、地雷犠牲者救済キャンペーンに音楽を提供したりしているのですが、この作品では、響きの深い美しいピアノ演奏と、南の島の空気や時間の流れを感じさせるアレンジで彩りを添えています。私は、『大島保克 with ジェフリー・キーザー』という作品や、古謝美佐子さんにとっての佐原一哉さんの存在などを想起しますが、これらの話題はまたの機会に。
 最後に。この作品に収録された、「嘉義丸のうた」という長い曲のことを。「十九の春」を思わせるようなやさしい旋律に乗せて、静かに、しかし、切々と歌い上げられるのは、1943年5月に奄美沖で起きた戦時の悲しい出来事。嘉義丸(かぎまる)というのは、米潜水艦によって撃沈された民間船です。朝崎さんの父上・辰恕氏が、島に辿り着いた生存者から聞き取ったその時の悲劇を、口伝の唄として秘かに語り継いだのですが、戦中の緘口令下はおろか、戦後も公にできない時代が長く続き、一時は忘れ去られようとしていたそうです。しかし、郁恵さんの尽力で再び光が当てられ、彼女の歌声によって、慰霊と鎮魂の唄が海に眠る犠牲者にへ手向けられ、60余年を経た今日、私たちにも届けられることになりました。・・・・・・・CDではこの曲の後に、最後の曲「故郷」が流れ始めます。故郷を想いながら非業の最期を遂げた方々への鎮魂歌と思いながら、聴いています。

 ブログ名に「十九の春」を使わせていただいている者として。今春の沖縄滞在中、「対馬丸記念館」のすぐ近くに宿泊していたにもかかわらず、訪れる機会を逸してしまったことを悔やんでいます。
 この「嘉義丸のうた」を聴いて、その思いはなお一層、痛切なものになりました。次は必ず・・・。


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