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2010-05-27



沖縄には坂がある

      
    平面の地図を眺めて 平坦な道程を思い描いて
    沖縄を歩き始めてみると
    道程のあちらこちらに 坂がある
    思いがけないところにも 坂がある

    上るだけなら まだがんばるが
    上って下って また上るなんて坂が
    坂の向こうで待っていたりもする

    歩いてみて初めて その土地を 地形を体に感じる

    頭を空っぽにして 歩いた方がよい時もあり
    その一歩一歩を体に刻み 意味を求めるのがよい時もある

    もちろん 
    ビーチの木陰や ウージ畑をわたる風が恋しくなることもあるし
    夜のビールを待ちかんてぃーしながら さんぴん茶をがぶ飲みすることもある
    夏の上り坂は体に堪える
    その感覚にも 意味を求めたりもするのだが

    坂を上ること それ自体が目的の道程もある


    たいてい
    すぐ横の道を 路線バスが走っていたりする
    坂の途中のバス停のおばぁと 目が合ったりする
    歩き人が物珍しいのではなくて 昔を思い出しておられるのかもしれない




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一人で歩き また とぅじと歩いた坂

-2009/11/26 那覇市 首里金城町-




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冒険をやめて バス通りへ向かうことにした坂

-2010/2/20 沖縄市 住吉-




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どこまで下りられるのかと のぞきこんだ坂

-2009/2/22 浦添市 安波茶-




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自転車をきしませながら 立ちこぎした坂

-2009/2/24 読谷村 波平-




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ホワイトビーチ沿いの小路から集落に出て ほっとして眺めた坂

-2010/2/20 うるま市 平敷屋-




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ゆいレールを降りて歩くまで 見過ごしていた坂

-2009/6/30 那覇市 小禄-




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変わり行く泡瀬の海を眺めるために 登った坂

-2009/2/26 北中城村 渡口(県総合運動公園)-




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一歩を踏み出すたびに 足下に眠る歴史を想った坂

-2009/3/1 南風原町 黄金森公園-



2009-12-28

歩き続けるために

9月26日から11月6日にかけて、「ゆる~り読谷」と題し、
折にふれて、同村を旅して回った回想譚のようなものを書いた。
文字どおり、「ゆる~り」とした旅路を描き、
お読みいただく方には、「ゆる~り」と楽しんでいただきたかった。



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楚辺~座喜味の農道を Yナンバーが走る 上空を旋回する軍用機 「FOR RENT」の物件



その理由は、直前の9月24日に書いた、「ゆんたんざ 2008~2009」と題した小文にある。


昨年の春、そして、今年の春、私はいずれも読谷村を訪れた。

目的地まで歩くことが、また、目的ともなっている旅であるがゆえ、
昨年は、その日の天候を見て、那覇から読谷へ、路線バスで「通勤」することにした。
幸いにも、二日間、穏やかな晴天に恵まれ、残波岬で夕陽を眺めるというご褒美もあった。

そんな陽気の中、では、予定どおりの行程で回れたかというと、必ずしもそうではない。
南部戦跡に始まった10日間の旅も後半に差しかかり、
若干、心が緩み、歩みも遅くなり、良い意味で視野も広がり、
想定外の出来事や偶然の出会いを楽しむようになっていた。
そんな日々の中で、読谷村を好きになり、思い出を作り、
同時に、大きな忘れ物、宿題も残した。

道に迷いながらようやく見つけた、「シムクガマ」と手書きされた、
小さな木製の看板の残像とともに。


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今年は、早くから決意していたとおり、その忘れ物と宿題に向き合うため、
読谷村に二泊三日で滞在することにした。
偶然ではない出会いを求めてこちらから出向き、会うべき方にお会いして、様々なお話を伺った。
一人で歩き回るというやり方では決して向き合えない、貴重な体験の中でも、
「シムクガマ」、そして、「チビチリガマ」の歴史に触れたことは忘れることができない。

旅から日常に戻った後も、その日常の中で、微力ながら、
自分なりのやり方で、周りに伝えなければならないと思いつづけている。

その一方で、地元の方と深夜まで飲み語らい、
同宿した方々と時間を忘れて話し込むという偶然の出会いや、
想定外の訪問先で、真っ昼間、グラス一杯にストレートでなみなみと注がれた「忠孝」で、
歓待を受けるといった偶然の出会いも、やはり、あった。
さらに、一人の時間には、思いもかけず、自転車という移動手段もお借りでき、
行動範囲も広がった。
爽快な汗とともに、前夜の深酒もいつしか、風に吹き飛んだ。



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2月末 サトウキビの刈り入れも最盛期を過ぎ もうひと頑張り




これまで、詳しくは書いていなかったが、
実は今年6月には、宜野湾市の「佐喜眞美術館」も訪れている。
春に読谷を訪れた旅の時には、その存在をまだ知らず、
近くの沖縄国際大学まで足を運んでおきながら素通りしていたことを後悔したりもした。
しかし、少し時間を置いたことで、丸木位里・俊夫妻の作品と対面した時、
その訴えるところを受け止めるべく、心静かに、向き合うことができたのかもしれない。
残波大獅子太鼓の絵に、一瞬、微笑むだけの余裕も持てたのかもしれない。


そのような、いくつかの経験と記憶の断片を結びつけるかのように、
9月23日、私はDVDで映画 『ゆんたんざ沖縄』を見る。
おそらく、その日の深夜から、日付をまたいで、翌未明にかけて、
「ゆんたんざ 2008~2009」を書き上げる。



  大好きな普天間かおりさんの歌に、『R329』という、沖縄を想う曲があります。
 
   「きれいなだけじゃない 悲しみだけじゃない」

   「時計の針は戻らない 今日までのすべてが事実 光と影を抱いて」

  彼女のこの歌詞は、沖縄と向き合う時に限らず、いつも、頭から離れません。
  身の回りの出来事の中にもいつもある、普遍的な摂理のように思います。




戦がもたらした、読谷村の悲しみについて、影について、深く触れたから、
今度は、きれいな今や、光の部分、つまり、自分の中の楽しい思い出について書きたい。

観光コースでも修学旅行でもない読谷村を。
ちょっと変わった目線と、ゆっくりすぎる足取りで回った読谷村を。
微笑ましいエピソード、美しい景色、そして、心が温まるような出会いのあった読谷村を。


一連の「ゆる~り読谷」は、そういう動機で書き始めた。


だが、4回目まで書いたものを振り返ってみると、
意に反して、いや、やはり、と言うべきか、
光の中に、いつの間にか、戦争や基地の存在が影を落としていた。

もっともっと、ただひたすら、「ゆる~り」とした話もたくさんある。
書いてみたい。

しかし、、11月6日を最後に、5回目を書いていない。
書くことができない。

影が光に牙を剥いた。



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「可燃」 「不燃」 ゴミ置き場の表記に その集合住宅に住まう人の姿を見る




その理由は、直後の11月7日に読谷村で起きた、
トリイステーションの米兵によるひき逃げ事件である。

  なんだったんだ・・・
  ゆる~り読谷・・・?
  どこが・・・?


・米陸軍トリイ通信施設の2等軍曹・・・
  そのすぐそばで、台湾からの友人とゆんたくをし、笑い合ったトリイゲート
・容疑者は同村長浜在住・・・
  犬の散歩のマナーが英語で書かれていた、のどかな海岸線。
  夜道ですれ違った礼儀正しい外国人
・楚辺の旧米軍補助飛行場近くの農道・・・
  「25km/h」の速度規制標識、歩道のない道、Yナンバー
  虫を追う親子、歩き去る旅人、歩いた自分


  なんなんだ・・・
  何を見てきたっていうんだ・・・?
  何を分かったつもりでいたんだ・・・?


どこかで、観光客とは一線を画してきたつもりの自分の、
実は表層を見ていただけだった目線が露呈したような気がした。
容疑者や事件を取り巻く「力」と「無力」への憤りと同時に、
自分の浅はかさに対する落胆と羞恥も強く感じた。


  なんなんだ・・・
  読谷の今を伝える・・・?  
  光と影を・・・?


結局、行きずりの旅行者が、目の前に広がる光も、影も、判別できないまま、
ぼんやりと霞んだ光景を、所詮は傍観者として、うすぼんやりと眺めてきただけだったのか。

そこに住まう人々の姿や心まで、分かったような気持ちになってはいけない。
読谷の宿で飲んでいる時、本土から移住してきた同世代の方から、
同じようなことを言われたような気がする。



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低空飛行のヘリが 都屋の海を 漁港の上空を 横切る




私が「ゆる~り」と歩いた場所、そして、
見る方に「ゆる~り」とした空気を感じて欲しかった場所の多くが、
結果として、ことごとく今回の事件と関わりを持つということになった。

それを偶然と言ってしまえばそれまでだ。

それでも、「ゆる~り」と目にしたものを「ゆる~り」と受け止めて、
光の当たる側面だけを照らしてその姿を伝えようとした、
自らの浅はかさを受け止めざるを得ない。

おこがましくも、自分の発する情報の中で、
光と影とのバランスを取ろうと考えた安易な発想。
そうすることで、読谷村をまだ知らない方に、読谷村の光を伝えられる、
という身の程知らずの思い上がり。



年をまたいで、今後も、事件の推移を見守ることしかできない。
私の視野に入っていない、数多くの、基地に起因する事件の縮図としても。




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「平和の森球場」の前にある「不戦宣言」 ここも 旧日本軍 そして 米軍の飛行場だった




それでも・・・

目の前にありながら目に入らなかった、いくつもの影を見過ごしてしまった私ではあるが、
確かにそこにある、たくさんの光を、確かに見てきた。


私が歩いた場所の中に、村民の力でアメリカから取り戻した土地が数多くあった。
平和的な闘いにより平和を回復した土地が数多くあった。

そこに戦争の面影を見ることがどうしてもできない、悲しいほどに美しい自然があった。

戦を語り継ぎ、基地に怒る人が、
夕暮れ時、穏やかな表情で、らっきょうの皮を剥いていた。
懐かしい人々の顔が浮かぶ。


事件や基地という影に、光が隠されてしまってはならない。


そんな読谷村を、再び、訪れたいという気持ちが、
また、5回目を書きなさいと、後押ししてくれそうな気がする。



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2009-11-14

傾きと復元力


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バス停が傾いているのか



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街が傾いているのか



いや 両方とも傾いているのか



   座喜味は 護佐丸さんの環境共生思想の設計?

   大謝名は 平坦な土地がフェンスの中にあるから?



   バス停に顔を近づけて 時刻を眺めるとき 

   足の裏は 街の傾斜に従い 首から上は バス停の傾斜に寄り添い

   つまり ベクトルがバラバラ 軸がふらふらであるのに

   股関節あたりで 地球の重力とのバランスを取っていた んだはず

   倒れそうで倒れない 平衡感覚と 復元力


   
   ・・・・・・オリオン 泡盛 飲みすぎると 時々 倒れます

   ・・・・・・平衡感覚 復元力 失くします





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那覇港の夜を照らすフェリーの灯


   横風・・・ 三角波・・・ 荷崩れ・・・ 横転・・・

   ともあれ 乗客・乗員の皆さんがご無事で何よりでした

   しかし 流出した油の除去 漁業被害の補償 船体の撤去?修復? 経営への影響・・・
   これからがたいへんであるところ
   実務的に 現実的に解決せねばならない話とは別次元の
   浮世離れした話で すみません



   那覇港に 夜通し停泊している 
   鹿児島航路のフェリーの灯りが 近くの定宿からよく見えて
   真夜中のその光景が好きで

   乗ったことはないのに
   本部 与論島 沖永良部島 徳之島 名瀬
   寄港地の時刻を調べてみたり 地図を眺めたり


    「あいっ?いつ来たの?」

    「たった今、徳之島から着いたよ」

    「だからよぉ!「行くよ」って、ハガキくれるのはうれしいけど、いつ来るのか、書いてないさぁ」


   本土復帰前からの沖縄の玄関口 那覇港の周りでは
   本土復帰前から沖縄に通っている旅人を温かく迎える
   こんな会話を耳にすることもあります


   海の安全を祈ります   


2009-08-12

ウチナーチュンチュン発見会話

  
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 「おたく~、沖縄のスズメでしょ?」
 「ちがいますよ」
 「3時のおやつ、何にします?」
 「アチコーコーの天ぷら」

   ・・・・チュン チュン チュン チュン!



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 「おたく~、沖縄のスズメでしょ?」
 「ちがいますよ」
 「定額給付金の振り込み、どちらの口座にされますか?」
 「りゅうぎん読谷支店でお願いします」

   ・・・・チュン チュン チュン チュン!



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 「おたく~、沖縄のスズメでしょ?」
 「ちがいますって」
 「失礼ですけど、ご住所は?」
 「・・・沖縄市比屋根672番地」
 「おきなわし・・・ ひやね・・・?」
 「おきなわし!ひやごん!・・・県の総合運動公園!」

   ・・・・チュン チュン チュン チュン!

 「でも~・・・、そこ、本当に沖縄市ですか?」
 「沖縄市の・・・、すぐ隣の・・・、北中城村渡口!」

   ・・・・チュ チュ チュ チュ チュン チュ チュ チュン チュ チュ!


 ― Special Thanks ―
   ゆうりきや~ さん





 といいつつ、いや、やっぱり、ラストは沖縄市比屋根だったかな~?

 沖縄市と北中城村にまたがる沖縄県総合運動公園内の、
 北中城村に位置する「遠見台」からスタートして、「自然観察の森」を通って・・・
 そこから、どこをどう歩いて泡瀬に至ったのか、時間と記憶が定かではないのです。

 しかし、デジカメには撮影時刻も残ります。
 ちなみに、スズメが住まいにしているクジラの絵の側壁から、徒歩5分の後、
 私は次の光景をカメラに収めています。

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 ここは間違いなく、沖縄市比屋根です。海が目の前です。
 泡瀬干潟干拓工事(沖縄市東部海浜開発)を南側から眺めた、
 2009年2月26日、午前8時の光景です。


 「干拓~、沖縄のためですか?」


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