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2011-01-22



4th Floor Sunset

   
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-2009. 2.27 喜屋武漁港(糸満市)-


    沖縄の太陽が どうにも恋しいのです
    さらには 帰宅とともに睡魔に襲われる 今日この頃なのです


    夏の沖縄旅行がデビューだった腕時計も
    ソーラーの充電が不足気味だと言っています

    ロングコートを身にまとう凍える朝の通勤途中に
    左腕の袖だけをまくってみたり
    巨大なガラス越しに差しこむ夕陽に
    さり気なく左手の甲をかざしてみたり


    でも もう少し あと一ヶ月
    あと一ヶ月もしたら 沖縄の太陽で思う存分
    充電しようじゃないか

    なんだったら 夜も昼も なくなるかもしれないよ
    持ち主さんの行動パターンからすると


    巨大なガラス越しに差しこむ夕陽は
    大宜味村塩屋からやってきたハーリー船も照らしています    


2011-01-05

ひとしく 朝

  
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    この朝の この場所からの写真は
    これまでにも何枚か 折にふれてアップしてきたのですが

    月日が経つにつれ だんだんこの一枚が好きになってきて
    天も地も 太陽も雲も 人々の暮らしも ひとしく朝を迎えているようで
    年のはじめに あらためまして



    荷物が増えるから よせばいいのに
    気に入った写真をA4サイズに引き伸ばしたものを 持ち歩いたりしています

    そんな写真を気に入って もらってくださる方がおられることが
    うれしかったりするもので
    あるいは ご好意を受けたお礼の代わりにと

    糸満のまちぐゎーの 「平和」と名のつく食堂で
    この写真も さまざまなポスターや切り抜きに混じって
    いい感じに齢を重ねているかもしれません

    昨秋 この写真との再会を果たしたとき 食堂の兄ぃ兄ぃは言いました

     「この写真は貴重な史料ですよ。与座岳の上のドーム、今はないですから」



    同じ与座岳の上に 「ガメラ」とも呼ばれるレーダーサイトが建設中と知ったのは
    昨年も押し迫った頃のこと 新聞紙上で

    旧いドームを解体した場所に 新たなドームが建設されているのか
    あるいは 「今はない」というのは 私の聞き違いだったのか
    もしくは 「今は、もう、ない」という 私の勝手な解釈だっただけなのか


    そんなこともすべて 成層圏の下にあっては
    ひとしく朝を迎えているようで


-2009. 2.27 山巓毛(糸満市)-



2010-06-18

静かな海の近くで

   
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    1945年6月18日

    バックナー中将 糸満市真栄里にて戦死

    ひめゆり学徒隊に 解散命令

    時を同じくして

    おびただしい生命や時が 荒波に飲まれて



    2008年春        

    「魂魄の塔」から少し歩くと

    ニンガチカジマーイが行ったり来たりする 海の光の中で

    影の見えないサーファーの影が 波に漂っていた

    荒崎海岸と摩文仁の丘の 真ん中あたり


-2008/3/19 糸満市 米須-



 【2010. 6.20 追記】

  1945年6月18日の「解散命令」は、ひめゆり学徒隊だけではなく、
  沖縄師範学校の学徒隊に対しても発せられたようです。
  ただ、どのような指揮命令系統によって、また、実際にどこまで命令が伝わったのか、
  そして、他の多くの学徒隊は、同じ時、どのような状況にいたのか、
  手元の史料ではその断片しか分かりません。

  2009年の春に、南風原町黄金森の展望台でお会いしたご老人が口にされた、
  「同級生は『健児之塔』に眠っている」というお言葉。
  その前後に伺ったお話から、その塔は『沖縄師範健児之塔』だったのであろうと思います。


  

2010-06-13

1944.6.18 ウオスケ

  
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     2,195.69kmを隔てたパラオ共和国の方角
     4,675.05kmを隔てたブーゲンビル島とほぼ等しい距離にあるはずの
     西部ニューギニアの 地図でも探せぬ地名

     そこに眠る祖父に 最も近づくことができた 摩文仁の丘
     沖縄県平和祈念資料館の展望台

     沖縄で 軍の狂鬼・冷徹と 兵の錯雑・哀惨とを目の当たりにするが
     密林と高峰と飢餓と熱病の島へ送られた肉親に投影するのは
     哀惨ばかり

     新たな手がかりには やはり出会えず
     南端の断崖に立ち 雨粒の向こうの水平線だけを目に刻む





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    自らの名の「綾」の一文字を
    南洋からの最後の手紙で 生まれたばかりの長女に託し
    それから 「戦病死」とされる最期までの七ヶ月をどう生きたのか
    遙かな島での日々の足跡もなく 再び門司の港へ戻ることもなく




    「あやぐ」を漢字で綴ると「綾語」になるということを 最近になって知った

    
    今宵 六十六年の歳月を隔てて
    花菖蒲の夕べに 「とうがにあやぐ」に耳を傾ける

    新良幸人さんが宮古の調べを唄い
    下地勇さんが三線を爪弾く
    先島生まれの二人の エールの交換の中に垣間見える 小さな戸惑いに
    小さく微笑んだ
    下地さんからの答礼は 「安里屋節」




    写真の中で 口を真一文字に結んだ綾一さんが
    日本兵たちの間で半ば自嘲的に流行したという
    「安里屋ユンタ」の替え歌を口にするような人だったのかどうかも
    知る術もない


-2008/3/17 糸満市 沖縄県平和祈念資料館-



2009-12-30

ありがとう沖縄 2009 FINAL


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   初めての出会いも うれしくて



   「また、会えたね」 「おっ!来たな!」 「本当に来ちゃいましたね~」

   そんな再会も うれしくて



   「また、お会いできそうな気がします」

   そんな見送りの言葉も うれしくて



   沖縄に着いたその日に いきなり

   「あなた、いつ帰る~?」

   なんて尋ねられたりするのも そのわけが
   手土産に サーターアンダギーを作ってくれるためだと分かった時も 
   とても とても うれしくて



   まだ ほかにも いろいろあったのですが


   
   今年の春
   糸満の「琉球ガラス村」で このガラスと出会うまでには

   一年前の春の 糸満のバスの中での出会いがあり
   一年前の春の 南風原での出会いがあり
   そんな出会いを 一本の糸に紡いでくださった方の 機微と笑顔があり       


   今年の春
   どこにも売っていない 手づくりのサーターアンダギーと出会うまでには

   一年前の春の 「那覇の我が家のおかあさん」との出会いがあり
   そのまた一年前の初夏の
   福岡で米軍基地を笑い飛ばした 沖縄の芸人さんたちとの出会いがあり
   そんな出会いの中にいつも 沖縄の想い 温かさがあり



   この写真を眺めているだけで
   いろいろな方のお顔や サーターアンダギーの香りが
   ほんわか ほんのりと 蘇えってくるのです




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今年も一年間



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ありがとうございました




-Special Thanks-
  那覇市のおかあさんの店(今年41周年!)
  琉球ガラス村(糸満市)
  演芸集団FECの皆さん
  丸三冷し物専門店(糸満市)
  ・・・・今年出会えた たくさんの皆さま


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