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2010-06-18



静かな海の近くで

   
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    1945年6月18日

    バックナー中将 糸満市真栄里にて戦死

    ひめゆり学徒隊に 解散命令

    時を同じくして

    おびただしい生命や時が 荒波に飲まれて



    2008年春        

    「魂魄の塔」から少し歩くと

    ニンガチカジマーイが行ったり来たりする 海の光の中で

    影の見えないサーファーの影が 波に漂っていた

    荒崎海岸と摩文仁の丘の 真ん中あたり


-2008/3/19 糸満市 米須-



 【2010. 6.20 追記】

  1945年6月18日の「解散命令」は、ひめゆり学徒隊だけではなく、
  沖縄師範学校の学徒隊に対しても発せられたようです。
  ただ、どのような指揮命令系統によって、また、実際にどこまで命令が伝わったのか、
  そして、他の多くの学徒隊は、同じ時、どのような状況にいたのか、
  手元の史料ではその断片しか分かりません。

  2009年の春に、南風原町黄金森の展望台でお会いしたご老人が口にされた、
  「同級生は『健児之塔』に眠っている」というお言葉。
  その前後に伺ったお話から、その塔は『沖縄師範健児之塔』だったのであろうと思います。


  

2010-06-13

1944.6.18 ウオスケ

  
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     2,195.69kmを隔てたパラオ共和国の方角
     4,675.05kmを隔てたブーゲンビル島とほぼ等しい距離にあるはずの
     西部ニューギニアの 地図でも探せぬ地名

     そこに眠る祖父に 最も近づくことができた 摩文仁の丘
     沖縄県平和祈念資料館の展望台

     沖縄で 軍の狂鬼・冷徹と 兵の錯雑・哀惨とを目の当たりにするが
     密林と高峰と飢餓と熱病の島へ送られた肉親に投影するのは
     哀惨ばかり

     新たな手がかりには やはり出会えず
     南端の断崖に立ち 雨粒の向こうの水平線だけを目に刻む





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    自らの名の「綾」の一文字を
    南洋からの最後の手紙で 生まれたばかりの長女に託し
    それから 「戦病死」とされる最期までの七ヶ月をどう生きたのか
    遙かな島での日々の足跡もなく 再び門司の港へ戻ることもなく




    「あやぐ」を漢字で綴ると「綾語」になるということを 最近になって知った

    
    今宵 六十六年の歳月を隔てて
    花菖蒲の夕べに 「とうがにあやぐ」に耳を傾ける

    新良幸人さんが宮古の調べを唄い
    下地勇さんが三線を爪弾く
    先島生まれの二人の エールの交換の中に垣間見える 小さな戸惑いに
    小さく微笑んだ
    下地さんからの答礼は 「安里屋節」




    写真の中で 口を真一文字に結んだ綾一さんが
    日本兵たちの間で半ば自嘲的に流行したという
    「安里屋ユンタ」の替え歌を口にするような人だったのかどうかも
    知る術もない


-2008/3/17 糸満市 沖縄県平和祈念資料館-



2009-12-30

ありがとう沖縄 2009 FINAL


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   初めての出会いも うれしくて



   「また、会えたね」 「おっ!来たな!」 「本当に来ちゃいましたね~」

   そんな再会も うれしくて



   「また、お会いできそうな気がします」

   そんな見送りの言葉も うれしくて



   沖縄に着いたその日に いきなり

   「あなた、いつ帰る~?」

   なんて尋ねられたりするのも そのわけが
   手土産に サーターアンダギーを作ってくれるためだと分かった時も 
   とても とても うれしくて



   まだ ほかにも いろいろあったのですが


   
   今年の春
   糸満の「琉球ガラス村」で このガラスと出会うまでには

   一年前の春の 糸満のバスの中での出会いがあり
   一年前の春の 南風原での出会いがあり
   そんな出会いを 一本の糸に紡いでくださった方の 機微と笑顔があり       


   今年の春
   どこにも売っていない 手づくりのサーターアンダギーと出会うまでには

   一年前の春の 「那覇の我が家のおかあさん」との出会いがあり
   そのまた一年前の初夏の
   福岡で米軍基地を笑い飛ばした 沖縄の芸人さんたちとの出会いがあり
   そんな出会いの中にいつも 沖縄の想い 温かさがあり



   この写真を眺めているだけで
   いろいろな方のお顔や サーターアンダギーの香りが
   ほんわか ほんのりと 蘇えってくるのです




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今年も一年間



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ありがとうございました




-Special Thanks-
  那覇市のおかあさんの店(今年41周年!)
  琉球ガラス村(糸満市)
  演芸集団FECの皆さん
  丸三冷し物専門店(糸満市)
  ・・・・今年出会えた たくさんの皆さま


2009-08-12

ウチナーチュンチュン発見会話

  
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 「おたく~、沖縄のスズメでしょ?」
 「ちがいますよ」
 「3時のおやつ、何にします?」
 「アチコーコーの天ぷら」

   ・・・・チュン チュン チュン チュン!



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 「おたく~、沖縄のスズメでしょ?」
 「ちがいますよ」
 「定額給付金の振り込み、どちらの口座にされますか?」
 「りゅうぎん読谷支店でお願いします」

   ・・・・チュン チュン チュン チュン!



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 「おたく~、沖縄のスズメでしょ?」
 「ちがいますって」
 「失礼ですけど、ご住所は?」
 「・・・沖縄市比屋根672番地」
 「おきなわし・・・ ひやね・・・?」
 「おきなわし!ひやごん!・・・県の総合運動公園!」

   ・・・・チュン チュン チュン チュン!

 「でも~・・・、そこ、本当に沖縄市ですか?」
 「沖縄市の・・・、すぐ隣の・・・、北中城村渡口!」

   ・・・・チュ チュ チュ チュ チュン チュ チュ チュン チュ チュ!


 ― Special Thanks ―
   ゆうりきや~ さん





 といいつつ、いや、やっぱり、ラストは沖縄市比屋根だったかな~?

 沖縄市と北中城村にまたがる沖縄県総合運動公園内の、
 北中城村に位置する「遠見台」からスタートして、「自然観察の森」を通って・・・
 そこから、どこをどう歩いて泡瀬に至ったのか、時間と記憶が定かではないのです。

 しかし、デジカメには撮影時刻も残ります。
 ちなみに、スズメが住まいにしているクジラの絵の側壁から、徒歩5分の後、
 私は次の光景をカメラに収めています。

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 ここは間違いなく、沖縄市比屋根です。海が目の前です。
 泡瀬干潟干拓工事(沖縄市東部海浜開発)を南側から眺めた、
 2009年2月26日、午前8時の光景です。


 「干拓~、沖縄のためですか?」


2009-08-01

Someone to Watch Over Me


○ 一般に通用している邦訳 : 「誰かが私を見つめている」
○ 古波蔵的我流ウチナー訳 : 「たーがな 我姿(わしがた) すーみーそーん」


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    女の子は あまはい くまはい
    白いボールを 追いかけて


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    ベランダの 男の子の視線も あまはい くまはい
    女の子の姿を 追いかけて

     Watch Over Her ....
 
     2009年 夏が来た


 おじさんにも分かるぞ おじさんにもそんな頃があったぞ
 まったく 男ってやつは・・・ 

 繊細で 意気地なしで じれったくて 傷つくことに臆病で
 そのくせ 少女マンガ家なんぞの想像力をはるかに凌駕した
 甘美なロマンチストで ナルシスティックな夢想家で 行動できない自信家で

 たくさんの後悔と たくさんの自己嫌悪と たくさんの溜め息と
 言葉にできず星屑になった 数え切れない思慕を胸に秘め
  ♪ 好きなら 好きと Say Again 言えば よかった (『恋しくて』/BEGIN)

 それでも ある時 男は 立ち上がる
 夢を叶えるために 夢から覚めて 男になる
 男の気持ちをぶつける! ・・・・・わけさぁ



  いぇー ワラバー わかるか?

  ・・・あがっ! わからんばぁ?
  ・・・片想いもな?
  ・・・意味くじわからんて?

  あいえな~! ただ 一緒に遊びたいだけ?



 あいっ? おじさんね?
 おじさんは・・・ お酒の力を借りて 男になったばぁよ!
 ・・・未成年だったやしが
 どぅーかってぃーやっさーっ! (オレの勝手だろっ!)



話題を変えましょう。


糸満漁港に面したこのお店に、昨春、初めての糸満滞在中、私は毎日、いや、毎晩、通いました。
携帯電話を持たない私の連絡手段は、もっぱら公衆電話です。
宿から最も近いこのお店の公衆電話から、一日の終わりに、家族へ定時連絡をしていました。

人通りのほとんど絶えた夜10時を過ぎても、お店の入口は開け放たれていました。
照明の消えた店内をほのかに照らしていたのは、お店の奥の居間の、慎ましやかな、生活の灯り。

居間には、おじぃが一人。店に背中を向けて。

「○○商店」というような看板も出していないこのお店、「共同売店」のようなお店なのでしょうか。



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   糸満市「居酒屋まんた」さん。一緒に飲んだどぅしぐゎーも、途中で記憶が飛んだとのこと
  今年の春に再会した時、お互いに、「何を話したか覚えてないから、また、初めまして・・・だな」


さて、糸満滞在最後の日の朝、私は、漁港に停泊している漁船が揺れに揺れている中、
自分自身も揺れながら、このお店に辿り着きました。
海も、空も、地面も、見慣れた街並みも、すべてが揺れていました。

前夜、出会ったばかりのどぅしぐゎーと、二人でボトルを空けた「夢航海」。
見事・・・、沖縄初の二日酔いの朝でした。


宿の自動販売機で、野菜や果実系の缶ジュースを立て続けにがぶ飲みしたものの、
その程度の量ではとても復活できないことは、長年の飲酒の経験から分かりました。
ゆえに、2ℓペットボトルのうっちん茶を求めて、朝から、このお店を訪れたのでした。

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寝る前に飲んでおけば、まだ、よかったのだが。それができないほどに酔ったからこそ、二日酔い



毎朝、まちぐゎーへ直行していた時には気がつかなかったのですが、
その朝、店頭のスチール台の上には、二、三丁のアチコーコー島豆腐とおからの袋が置かれてあり、
お母さんがお二人、店番といった風情で立っておられました。

お母さんのお顔まで揺れている体調にもかかわらず、私はついつい、
うっちん茶や野菜ジュースを飲みながら、しばしのゆんたくを楽しませていただきました。

やがて、何の話題からか、お二人の口からこんな言葉が。

 「あら~、あなた、夜中にひとりで、港を歩いたの?海のおばけが呼びに来るよ~」

 「お酒を飲んでる人は、特に呼ばれやすいさぁ~」


朝っぱらから、なかなか、スピリチュアルなゆんたく・・・。
しかし、スピリチュアルな空気が濃密な沖縄で、お母さんが真顔で語られるお話には、
世俗的な怪談話とは一線を画すリアリティがあります。

ふと、昨夜、私が真夜中にひとりで港を歩いたこと、しかも、酩酊状態で、
さらに、あろうことか、港に停泊する漁船や夜景を撮るつもりだったのか、
漆黒の闇に包まれた海に向けてシャッターを押したことが、夢うつつの記憶の淵から蘇ってきました。

少ししかんだ気分で、その場で、前夜の画像を開いてみました。



 ・・・・ちょっと気になる箇所を拡大してみたりしつつ、

 ・・・・何度も目をこすり、これはきっと、腫れぼったい目のせいだと呟きながらも、その場で2枚、

 ・・・・見なかったことにして、・・・・消去しました。

 ・・・・と同時に、急に立ちくらみがして、思わず私は店先に座り込んでしまいました。



まあ、これはたぶん、重度の二日酔いによる体の変調だったのでしょう。たぶん。いや、きっと。
 Someone to Watch Over Me ? ...... No ! No ! No ! Nobody was there !


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宿に戻って少し休もうと、お母さんたちに辞去の挨拶をして、歩きだしたところ、
えっ?・・・お二人もそれぞれ、別々の方向に、島豆腐片手に歩き始めたのでした。

ちなみに、うっちん茶や野菜ジュースの代金を、私はお母さんに手渡し、
お母さんはそれを、店の奥のレジに、当たり前のように収納されていたのですが。

それなのに、お二人の姿は、どんどん遠ざかっていきます。
お店の方じゃなかった? もしかして、お客さんだった?


まあ、糸満のまちぐゎーに何日も通っていた中で、さりげない助け合いの光景 ―――
他のお店の店番やお客さんの応対も、当たり前のように、お互いさまという感じでなされているのを、
日々、目にしていたので、このお店での出来事にもそれほど驚きはしなかったのですが。


それでも、このお店の経営者は一体だれなのだろうかと、もう一度戻って、中の様子を覗いてみました。


オリオンビールやポーク缶や日用生活雑貨の詰まれた棚の奥の居間に、
おじぃが一人、店に背中を向けて、座っておられました。
その朝も。

私が毎晩、電話をしていた時と同じように。

 ・・・・・2008年3月の思い出。




再び2009年。6月28日。
白銀堂から糸満漁港に出て、すべてが懐かしい海沿いの風景の中を歩いているうちに、
気がつくと、このお店の前にいました。

「おじぃは、お元気かな」
立ち止まった私の前を、つむじ風のように、女の子が走り去っていきました。

「おじぃは、一人じゃないね」
ベランダのワラバーよ、大きくなったら、おじぃと飲もうね。恋を肴に。
 Please Watch Over Your Grand Father Tenderly.


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「酒飲みは海のおばけに呼ばれる」伝説は、酔って海に落ちそうな人への警句だと思う。きっと・・・


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