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2013-12-31



ありがとう沖縄 2013 FINAL

     
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   今年の12月11日に書きかけたこと。

   2013-12-11 それでも、海と

   いつも心の中にありながら、なかなか言葉にはできずにいます。


   歩きながら、その場ではいつも、確たるものとして感じていながら、
   かたちにはならない想い。

   言葉の呪縛や頭の中だけの観念に捉われぬように、
   敢えて、かたちにせずともよいのかもしれません。
  
   
   戦跡、戦の記憶の刻まれた場所、だれかが傷ついたであろう場所。
   そんな場所を歩きながら、そんな歴史と向き合いながらも、
   その場所を「美しく記録したい」と思うようになりました。
   意識せずとも、以前から、そんな写真を撮ってきたように思います。

  
   言うまでもなく、戦は醜く、惨いものであり、
   歴史の現場に立つことで、その想いを一層、強くします。
   その想いをまた、だれかに伝えたいと思っています。


   戦争への憎悪、恐怖、それが戦争の抑止力。

   それでもなお、「美しく記録したい」。


   理由のいくつかを言葉にすることはできるのですが、
   今日は、以下の拙文を記すにとどめます。

   今年の11月に、「ひめゆり平和祈念資料館」を5年ぶりに訪れた際、
   「来館者感想文」の用紙に書いたものです。

   論旨が飛躍したり、拡散しているところもありますが、敢えてそのままで。
   「歩きながら、その場ではいつも、確たるものとして感じている」、
   その想いを書き記したものとして。

   「美しく記録したい」
   その理由のひとつが、最後の部分で、言葉になっているかと思います。



   目の前に広がる美しく静かな「沖縄の今」。
   美しさと静けさが、また新たな喧騒に乱されている、そんな年の瀬に。

   それでも、こうやって出会えた美しさに感謝をし、
   拠りどころとして、力として、また、新たな年へ。


   
  

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「2008年の春以来、二度目の来館です。
 その間、5年間、何度も沖縄を訪れ、ひめゆり学徒の皆さまや沖縄戦の歴史の刻まれた場所をできる限り、自分の足で歩かせていただきました。
 初めの頃は、資料や証言で知った(知ったつもりになっていた)往時の惨状と、目の前に広がる美しく静かな「沖縄の今」との隔絶に戸惑いを覚えることも多々ありました。
 祈りの言葉や、自分が今、何のためにその場所を訪れたのか、そのようなことが分からなくなることもありました。
 やがて、自分の中に「語られ部(かたられべ)」という言葉が浮かびました。「語り部」の皆さまの証言を通じて、たしかに生まれ、非業の最期を遂げられた犠牲者の皆さまのことを知り、また、最期の瞬間だけではなく、そこに至るまでの恐怖、絶望、悲嘆、葛藤・・・そんな「人間としての当たり前の感情」を、自分の心とも対比させながら想うようになりました。
 悲しい最期を遂げられたことだけではなく、人として生まれ、日々を生き、人間らしい感情を持っておられた皆さまの、一人ひとりのお顔を想うようになりました。
 そうすることで、戦争への抑止の想いはますます強くなります。
 そして、訪れた土地を辞去するとき、最後に、こんなことを言葉にします。
「せめて、楽しかった時代、人としての喜びを抱いたときの記憶に包まれて、安らかにお眠り下さい」と。同じ人間として。
 末筆となりましたが、語り部の皆さまの健やかで穏やかな日々をお祈り申し上げます。」
  
  
 
   

2009-12-28

歩き続けるために

9月26日から11月6日にかけて、「ゆる~り読谷」と題し、
折にふれて、同村を旅して回った回想譚のようなものを書いた。
文字どおり、「ゆる~り」とした旅路を描き、
お読みいただく方には、「ゆる~り」と楽しんでいただきたかった。



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楚辺~座喜味の農道を Yナンバーが走る 上空を旋回する軍用機 「FOR RENT」の物件



その理由は、直前の9月24日に書いた、「ゆんたんざ 2008~2009」と題した小文にある。


昨年の春、そして、今年の春、私はいずれも読谷村を訪れた。

目的地まで歩くことが、また、目的ともなっている旅であるがゆえ、
昨年は、その日の天候を見て、那覇から読谷へ、路線バスで「通勤」することにした。
幸いにも、二日間、穏やかな晴天に恵まれ、残波岬で夕陽を眺めるというご褒美もあった。

そんな陽気の中、では、予定どおりの行程で回れたかというと、必ずしもそうではない。
南部戦跡に始まった10日間の旅も後半に差しかかり、
若干、心が緩み、歩みも遅くなり、良い意味で視野も広がり、
想定外の出来事や偶然の出会いを楽しむようになっていた。
そんな日々の中で、読谷村を好きになり、思い出を作り、
同時に、大きな忘れ物、宿題も残した。

道に迷いながらようやく見つけた、「シムクガマ」と手書きされた、
小さな木製の看板の残像とともに。


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今年は、早くから決意していたとおり、その忘れ物と宿題に向き合うため、
読谷村に二泊三日で滞在することにした。
偶然ではない出会いを求めてこちらから出向き、会うべき方にお会いして、様々なお話を伺った。
一人で歩き回るというやり方では決して向き合えない、貴重な体験の中でも、
「シムクガマ」、そして、「チビチリガマ」の歴史に触れたことは忘れることができない。

旅から日常に戻った後も、その日常の中で、微力ながら、
自分なりのやり方で、周りに伝えなければならないと思いつづけている。

その一方で、地元の方と深夜まで飲み語らい、
同宿した方々と時間を忘れて話し込むという偶然の出会いや、
想定外の訪問先で、真っ昼間、グラス一杯にストレートでなみなみと注がれた「忠孝」で、
歓待を受けるといった偶然の出会いも、やはり、あった。
さらに、一人の時間には、思いもかけず、自転車という移動手段もお借りでき、
行動範囲も広がった。
爽快な汗とともに、前夜の深酒もいつしか、風に吹き飛んだ。



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2月末 サトウキビの刈り入れも最盛期を過ぎ もうひと頑張り




これまで、詳しくは書いていなかったが、
実は今年6月には、宜野湾市の「佐喜眞美術館」も訪れている。
春に読谷を訪れた旅の時には、その存在をまだ知らず、
近くの沖縄国際大学まで足を運んでおきながら素通りしていたことを後悔したりもした。
しかし、少し時間を置いたことで、丸木位里・俊夫妻の作品と対面した時、
その訴えるところを受け止めるべく、心静かに、向き合うことができたのかもしれない。
残波大獅子太鼓の絵に、一瞬、微笑むだけの余裕も持てたのかもしれない。


そのような、いくつかの経験と記憶の断片を結びつけるかのように、
9月23日、私はDVDで映画 『ゆんたんざ沖縄』を見る。
おそらく、その日の深夜から、日付をまたいで、翌未明にかけて、
「ゆんたんざ 2008~2009」を書き上げる。



  大好きな普天間かおりさんの歌に、『R329』という、沖縄を想う曲があります。
 
   「きれいなだけじゃない 悲しみだけじゃない」

   「時計の針は戻らない 今日までのすべてが事実 光と影を抱いて」

  彼女のこの歌詞は、沖縄と向き合う時に限らず、いつも、頭から離れません。
  身の回りの出来事の中にもいつもある、普遍的な摂理のように思います。




戦がもたらした、読谷村の悲しみについて、影について、深く触れたから、
今度は、きれいな今や、光の部分、つまり、自分の中の楽しい思い出について書きたい。

観光コースでも修学旅行でもない読谷村を。
ちょっと変わった目線と、ゆっくりすぎる足取りで回った読谷村を。
微笑ましいエピソード、美しい景色、そして、心が温まるような出会いのあった読谷村を。


一連の「ゆる~り読谷」は、そういう動機で書き始めた。


だが、4回目まで書いたものを振り返ってみると、
意に反して、いや、やはり、と言うべきか、
光の中に、いつの間にか、戦争や基地の存在が影を落としていた。

もっともっと、ただひたすら、「ゆる~り」とした話もたくさんある。
書いてみたい。

しかし、、11月6日を最後に、5回目を書いていない。
書くことができない。

影が光に牙を剥いた。



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「可燃」 「不燃」 ゴミ置き場の表記に その集合住宅に住まう人の姿を見る




その理由は、直後の11月7日に読谷村で起きた、
トリイステーションの米兵によるひき逃げ事件である。

  なんだったんだ・・・
  ゆる~り読谷・・・?
  どこが・・・?


・米陸軍トリイ通信施設の2等軍曹・・・
  そのすぐそばで、台湾からの友人とゆんたくをし、笑い合ったトリイゲート
・容疑者は同村長浜在住・・・
  犬の散歩のマナーが英語で書かれていた、のどかな海岸線。
  夜道ですれ違った礼儀正しい外国人
・楚辺の旧米軍補助飛行場近くの農道・・・
  「25km/h」の速度規制標識、歩道のない道、Yナンバー
  虫を追う親子、歩き去る旅人、歩いた自分


  なんなんだ・・・
  何を見てきたっていうんだ・・・?
  何を分かったつもりでいたんだ・・・?


どこかで、観光客とは一線を画してきたつもりの自分の、
実は表層を見ていただけだった目線が露呈したような気がした。
容疑者や事件を取り巻く「力」と「無力」への憤りと同時に、
自分の浅はかさに対する落胆と羞恥も強く感じた。


  なんなんだ・・・
  読谷の今を伝える・・・?  
  光と影を・・・?


結局、行きずりの旅行者が、目の前に広がる光も、影も、判別できないまま、
ぼんやりと霞んだ光景を、所詮は傍観者として、うすぼんやりと眺めてきただけだったのか。

そこに住まう人々の姿や心まで、分かったような気持ちになってはいけない。
読谷の宿で飲んでいる時、本土から移住してきた同世代の方から、
同じようなことを言われたような気がする。



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低空飛行のヘリが 都屋の海を 漁港の上空を 横切る




私が「ゆる~り」と歩いた場所、そして、
見る方に「ゆる~り」とした空気を感じて欲しかった場所の多くが、
結果として、ことごとく今回の事件と関わりを持つということになった。

それを偶然と言ってしまえばそれまでだ。

それでも、「ゆる~り」と目にしたものを「ゆる~り」と受け止めて、
光の当たる側面だけを照らしてその姿を伝えようとした、
自らの浅はかさを受け止めざるを得ない。

おこがましくも、自分の発する情報の中で、
光と影とのバランスを取ろうと考えた安易な発想。
そうすることで、読谷村をまだ知らない方に、読谷村の光を伝えられる、
という身の程知らずの思い上がり。



年をまたいで、今後も、事件の推移を見守ることしかできない。
私の視野に入っていない、数多くの、基地に起因する事件の縮図としても。




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「平和の森球場」の前にある「不戦宣言」 ここも 旧日本軍 そして 米軍の飛行場だった




それでも・・・

目の前にありながら目に入らなかった、いくつもの影を見過ごしてしまった私ではあるが、
確かにそこにある、たくさんの光を、確かに見てきた。


私が歩いた場所の中に、村民の力でアメリカから取り戻した土地が数多くあった。
平和的な闘いにより平和を回復した土地が数多くあった。

そこに戦争の面影を見ることがどうしてもできない、悲しいほどに美しい自然があった。

戦を語り継ぎ、基地に怒る人が、
夕暮れ時、穏やかな表情で、らっきょうの皮を剥いていた。
懐かしい人々の顔が浮かぶ。


事件や基地という影に、光が隠されてしまってはならない。


そんな読谷村を、再び、訪れたいという気持ちが、
また、5回目を書きなさいと、後押ししてくれそうな気がする。



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