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2014-03-29



夜明け前

   
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    二見はまだ眠る 辺野古崎も静寂の中
    キャンプ・シュワブは どうしているか


    二見 午前6時
    三線の音に乗る 防災無線

    キャンプ・シュワブ 午前8時
    辺野古漁港まで響く アメリカ国歌


    6時の天気予報を聴き終えて カーラジオのスイッチを切り
    窓を開け 潮騒と風を招き入れる

    オール島は 永遠の眠り
    

-2013/3/15 名護市 瀬嵩-



2013-12-24

メリー・クリスマス

   
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      チキンと ホワイト・・・ ・・・ホワイト・ビーチ





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      いなり寿司も でーじまーさん 海の見える丘
 
      特定秘密でも なんでもない 旅の途中のお昼ごはん



      戦場のない メリー・クリスマスを


-2013/10/20 うるま市 平敷屋-



2013-08-24

あの日、天願の空から、ひまわりの庭へ

   
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-2010/10/11 米軍天願桟橋(うるま市 天願)-



   本日、映画『ひまわり ~沖縄は忘れない、あの日の空を~ 』観賞。

   先にこの映画を見た方から寄せられた、
   「泣けました」、「ハンカチの用意を」という声。
   にもかかわらず、目が乾ききるほどに、スクリーンに見入ってしまいました。

   涙腺が目詰まりするほどのムヌカンゲー。
   (映画を見ているときに限ったことではなく、常日ごろからの)

   複雑な立場、複雑な想いを声高にデフォルメしたセリフに、肝苦しく。
   (沖縄で出会う皆さんは、ここまではっきりとは口にされない)

   宮森小の事故への「追想」だけなら、情緒に任せて泣けたかもしれません。
   しかし、「追想」で終わらせることができない沖縄の「今」、
   あんな出来事があってもなお、変わらぬ「現実」が、
   ずっとずっと、覆いかぶさってきたのでした。



   苦しくて、苦しくて、答えがない。



   アダン葉の棘を削って、風車を作るような、
   一人ひとりのそんな静かな心持ちだけが、
   どうにもならない立場の違いや、想いのぶつかり合いをせめて、
   やわらげて、ささやかなものにしてくれるのだろうかと、
   答えにならない、答え。
   


2011-01-25

民俗学と農学と ちょっと平和学

   
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   前回のつづき、伊江島の米海兵隊訓練場のゲート前なのであるが、

   「この地域内で地域内の活動状況を撮影したりメモをとつたり、写生したり、
    あるいは見取図を描いたりすることは禁じられています。
    無断で前記の行為をなしたる場合は没収することになつています」

   などという、なかなか神経質な賃借権者氏(自称・司令官)の看板を目にするにつけ、
   カメラの没収だの、拘束だのといった面倒ごとは、その夜の宿での楽しい夕べに水を差すし、
   そんなことがあったとバレると、とぅじから沖縄渡航を禁止されるおそれもあるので、
   ここは穏便に退散することにした。

   しかし、前記の文言を一言一句間違えずに記憶しているということは、
   撮影だか、メモだか、写生だか、何らかの形で記録を持ち帰ったりもしたのだろう。


   それはそうと、フェンスに沿うように広がる畑、いや、それでは本末転倒か、
   島の西端に向かって、フェンスに遮られる手前まで広がる畑に、興味深いものを見つけた。

   何かの枯れ枝のようなものが、ほぼ等間隔に、畑の端に挿し込まれている。





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   サン、ゲーン。

   沖縄を歩いていると、植物を利用した、非常にエコロジカルでエコノミーな、
   魔除け、あるいは、お守りを見かける。

   ウージ畑を歩いていると、その葉先が重ねられ、結ばれていたりすることもある。
   民家の庭のクバの葉が、かなり強引に結わえられていたりもする。
   門扉に、水道管に、やちむんシーサーに、草や枝の束。

   そんな経験、もしくは、沖縄民俗観から、この枯れ枝にもきっと、
   何かの謂れがあるに違いないと、にわか民俗学者は仮説を立てる。

   なにしろ、目の前には、現世に跋扈する強大なマジムン、ヤナムンがいるのだから。
   にわか民俗学者は、畑とフェンスとを交互に見やる。

   畑を守っている?




   その夜。
   かなり酒が進んだ席で、ほろ酔い民俗学者はふと、この枯れ枝のことを思い出し、
   昼間のフィールドワークを補完すべく、島の若者へインタビューを試みる。

    「ああ、あれですか。ただの目印じゃないですか。この畝まで植えつけが済んだっていう」

   にわか民俗学者の仮説は、農学の前に儚く瓦解したか。


   いや、しかし。
   あれだけ整った畝立てをされる農家の方が、そんな目印を必要とするのだろうか。

   そもそも、十月半ばのあの圃場に植わっていたのは何だったのだろう。
   見た感じは、島の特産のらっきょうのようにも見えるが。
   球根状のものを定植するのか、あるいは、新芽が発芽した状態で定植するのか。

   とにもかくにも、こんな造形美さえも備えた枯れ枝を、
   わざわざ何本も、畝の外れに挿しておく必要はあるのだろうか。


   島の若者よ。
   たしか、貴君は農業青年ではなかったと記憶しているのだが、
   酔いから醒めたにわか民俗学者は、
   やはり、あの枯れ枝には、何らかの力が、あるいは、土を耕す人の願いや祈りが、
   込められているやに思ってしまうのだが。


   らっきょうの旬の頃、また、おじゃますることになりそうです。






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  見渡す限りの食の野。フェンスの中のモクマオウが植えられたのはいつの日か





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  ハイサイ、二度目の登場。その節はどうも。はじかさーの中の最接近


-2010.10.15 伊江島-



2011-01-24

天知る地知る 犬も知るかも

    
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   母 「ワンワンワン!」 (しんいちろう、シンゴ、家へ帰ってなさい)
   弟 「キャン!」 (兄ちゃん、何やってるばぁ)
   母 「ワンワン!ワォーン」 (しんいちろう、ほら、早く!)
   兄 「・・・クゥ~ン」 (ナイチャーの、においかなぁ、アメリカーじゃ、ないよね)




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   母 「ワン!ワンワン!ワン」 (とにかく、知らない人だから、急いで帰りなさい!)
   弟 「キャンキャンキャィ~ン」 (ひんぎれー!)
   兄 「ワン?・・・ウォ・・ウォン」 (あ、シンゴ~、待ってよ~!)
   母 「グゥウウウウ」 (お兄ちゃんったら、のんびりしてるっていうか、なんていうか・・・)





   私がその場所を離れ、一歩を踏み出したのと、偶然の出会いがしらだったのか。
   いや、もしかすると、私がその場所に20分近くも留まり、
   周囲を巡ったり、中を覗き込んだり、何やら思案をしている様子を、
   まるでヌスル(泥棒)を監視するかのように、実はずっと見張っていたのかも。

   いずれにしても、私が「団結道場」を後にして、次の目的地へ向かおうとした途端、
   犬の親子と対峙することになった。

   その存在に、私はまったく気づいていなかった。
   親子は、私が20分前に村営バスを降りた、真謝へと向かう方の「団結道場前」バス停に。
   私は、県道を挟んだ反対側に。「団結道場」を背にして。

   目が合った瞬間に、そのうちの、親犬と思しき一匹が、けたたましく吠え始める。
   吠えながら、二匹の子犬たちを見やっては、何かを促すように時おり声色を変えては、
   また、鋭い吠声と目線を、こちらに向けてくる。

   子犬のうちの一匹が、何かを悟ったかのように、畑の中の小路を駆けて行く。
   親犬は、吠声と目線を途切れさせないようにしながら、自らも少しずつ後ずさりしながら、
   のんびり屋の、バス停から動こうとしないもう一匹の子犬を、呼び戻そうとする。

   のんびり屋の子犬が、何を思ったのか、ようやく、畑の中の小路を駆けて行く。
   親犬は、子犬を守りきった安堵感からか、いくぶん、吠声のトーンを落としながらも、
   それでも、島の外からやってきた見知らぬ人間を歓迎する素ぶりは見せない。





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   「団結道場」の「米軍に告ぐ」の一文は、1955年に書かれている。

   犬は「島ぐるみ闘争」を知らない。
   私もまだ、生まれていない。
   その後、学校でも習わず、学ぶべきいくつかの機会を素通りしてきたのかもしれない。
   41年生きてきて、二度目の伊江島。


   一回目は、伊江島補助飛行場を南西から北東へと歩いた時に、途中で立ち寄るはずが、
   気がつくと北東の端まで辿り着いてしまっていた。
   なので、二回目は、港でフェリーを降りて、そのまま真謝行きの村営バスに乗り、
   小雨の中、「団結道場」に降り立った。

   そういえば、アメリカ海兵隊の訓練場のゲートが、
   「団結道場」と目と鼻の先にあることも見落としていた。
   西崎の灯台への道を遮るフェンスが、ゲートであると思い込んでいた。
   歴史を鑑みれば、そして、その意図に想いを巡らせば自明のことなのに。
   ゲートがそこにあるからこそ、目の前に「団結道場」を建てる意味があったのではないか。





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   この地を訪れる、見知らぬ人間を、犬はどのように見ているのだろうか。
   その鋭敏な嗅覚は、ただ単に、島の人と島の外の人、
   あるいは、知っている人と知らない人、という区別をしているのだろうか。

   犬は「国籍」を知らない。
   犬は「職業」を知らない。
   などと断言してもいいのだろうか。

   犬は、その鼻先といってもよい場所に存在する「訓練場」に出入りする、
   「アメリカ」という国の「海兵隊員」という職業を、そういう人間の特殊性を、
   本能的に理解しているのかもしれない。

   「団結道場前」でバスを降りた男が、200m先の、次の「訓練場入口」バス停へと向かい、
   どうもそのまま、訓練場のゲートにまで足を運ぶのだろうと、
   その足取りを本能的に理解したのかもしれない。

   「この男は、いったい、島の味方なのか、どっちなのか」





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   犬は「ヌチドゥタカラ」を是としない、人間の愚を知らない。
   犬は彼方の、近くの、火薬の匂いに戦慄する。
   犬はぬーがぬーやら分からんで、吠える。


   犬は時として、空から畑に降ってくる人間を見る。


   つい先日も、パラシュートが風に流されて、
   グリーンベレーがフェンスの外の畑に降ってきたと、
   沖縄の新聞だけが伝えている。



  (犬の名前は、実在する人物、団体、敬愛するお笑い芸人の兄弟等とは一切関係ありません)


-2010.10.15 伊江島-



【訂正】
 本文中、島内の路線バスを「村営バス」と書きましたが、
 正しくは、「伊江島観光バス」さんの運行でした。
 おわびして訂正いたします。                   
                          (2011.2.6)

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