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クルセイダーズの「Street Life」もいいけれど
スタンダードの「On the Sunny Side of the Street」は もっといいよ
酒が好きなら 高田渡さんの「バーボン・ストリート・ブルース」もいい



母 「ワンワンワン!」 (しんいちろう、シンゴ、家へ帰ってなさい)
弟 「キャン!」 (兄ちゃん、何やってるばぁ)
母 「ワンワン!ワォーン」 (しんいちろう、ほら、早く!)
兄 「・・・クゥ~ン」 (ナイチャーの、においかなぁ、アメリカーじゃ、ないよね)

母 「ワン!ワンワン!ワン」 (とにかく、知らない人だから、急いで帰りなさい!)
弟 「キャンキャンキャィ~ン」 (ひんぎれー!)
兄 「ワン?・・・ウォ・・ウォン」 (あ、シンゴ~、待ってよ~!)
母 「グゥウウウウ」 (お兄ちゃんったら、のんびりしてるっていうか、なんていうか・・・)
私がその場所を離れ、一歩を踏み出したのと、偶然の出会いがしらだったのか。
いや、もしかすると、私がその場所に20分近くも留まり、
周囲を巡ったり、中を覗き込んだり、何やら思案をしている様子を、
まるでヌスル(泥棒)を監視するかのように、実はずっと見張っていたのかも。
いずれにしても、私が「団結道場」を後にして、次の目的地へ向かおうとした途端、
犬の親子と対峙することになった。
その存在に、私はまったく気づいていなかった。
親子は、私が20分前に村営バスを降りた、真謝へと向かう方の「団結道場前」バス停に。
私は、県道を挟んだ反対側に。「団結道場」を背にして。
目が合った瞬間に、そのうちの、親犬と思しき一匹が、けたたましく吠え始める。
吠えながら、二匹の子犬たちを見やっては、何かを促すように時おり声色を変えては、
また、鋭い吠声と目線を、こちらに向けてくる。
子犬のうちの一匹が、何かを悟ったかのように、畑の中の小路を駆けて行く。
親犬は、吠声と目線を途切れさせないようにしながら、自らも少しずつ後ずさりしながら、
のんびり屋の、バス停から動こうとしないもう一匹の子犬を、呼び戻そうとする。
のんびり屋の子犬が、何を思ったのか、ようやく、畑の中の小路を駆けて行く。
親犬は、子犬を守りきった安堵感からか、いくぶん、吠声のトーンを落としながらも、
それでも、島の外からやってきた見知らぬ人間を歓迎する素ぶりは見せない。

「団結道場」の「米軍に告ぐ」の一文は、1955年に書かれている。
犬は「島ぐるみ闘争」を知らない。
私もまだ、生まれていない。
その後、学校でも習わず、学ぶべきいくつかの機会を素通りしてきたのかもしれない。
41年生きてきて、二度目の伊江島。
一回目は、伊江島補助飛行場を南西から北東へと歩いた時に、途中で立ち寄るはずが、
気がつくと北東の端まで辿り着いてしまっていた。
なので、二回目は、港でフェリーを降りて、そのまま真謝行きの村営バスに乗り、
小雨の中、「団結道場」に降り立った。
そういえば、アメリカ海兵隊の訓練場のゲートが、
「団結道場」と目と鼻の先にあることも見落としていた。
西崎の灯台への道を遮るフェンスが、ゲートであると思い込んでいた。
歴史を鑑みれば、そして、その意図に想いを巡らせば自明のことなのに。
ゲートがそこにあるからこそ、目の前に「団結道場」を建てる意味があったのではないか。

この地を訪れる、見知らぬ人間を、犬はどのように見ているのだろうか。
その鋭敏な嗅覚は、ただ単に、島の人と島の外の人、
あるいは、知っている人と知らない人、という区別をしているのだろうか。
犬は「国籍」を知らない。
犬は「職業」を知らない。
などと断言してもいいのだろうか。
犬は、その鼻先といってもよい場所に存在する「訓練場」に出入りする、
「アメリカ」という国の「海兵隊員」という職業を、そういう人間の特殊性を、
本能的に理解しているのかもしれない。
「団結道場前」でバスを降りた男が、200m先の、次の「訓練場入口」バス停へと向かい、
どうもそのまま、訓練場のゲートにまで足を運ぶのだろうと、
その足取りを本能的に理解したのかもしれない。
「この男は、いったい、島の味方なのか、どっちなのか」

犬は「ヌチドゥタカラ」を是としない、人間の愚を知らない。
犬は彼方の、近くの、火薬の匂いに戦慄する。
犬はぬーがぬーやら分からんで、吠える。
犬は時として、空から畑に降ってくる人間を見る。
つい先日も、パラシュートが風に流されて、
グリーンベレーがフェンスの外の畑に降ってきたと、
沖縄の新聞だけが伝えている。
(犬の名前は、実在する人物、団体、敬愛するお笑い芸人の兄弟等とは一切関係ありません)
【訂正】
本文中、島内の路線バスを「村営バス」と書きましたが、
正しくは、「伊江島観光バス」さんの運行でした。
おわびして訂正いたします。
(2011.2.6)
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2013-12-16
おーい!

アッチャーエイカー!
-2013/2/11 糸満市 米須-
2013-11-30
Street Life

どうした?

そういうことなのね

だーるね だーるば?
クルセイダーズの「Street Life」もいいけれど
スタンダードの「On the Sunny Side of the Street」は もっといいよ
酒が好きなら 高田渡さんの「バーボン・ストリート・ブルース」もいい
-2013/11/6 中央パークアベニュー(沖縄市 中央)-
2013-08-19
ウンケー

ハイサイ お久しぶり 去年の秋以来

今日はシカシカーせずに しっかりお迎えしてるかぁ?
-2012/11/9 八重瀬町-
2011-01-24
天知る地知る 犬も知るかも

母 「ワンワンワン!」 (しんいちろう、シンゴ、家へ帰ってなさい)
弟 「キャン!」 (兄ちゃん、何やってるばぁ)
母 「ワンワン!ワォーン」 (しんいちろう、ほら、早く!)
兄 「・・・クゥ~ン」 (ナイチャーの、においかなぁ、アメリカーじゃ、ないよね)

母 「ワン!ワンワン!ワン」 (とにかく、知らない人だから、急いで帰りなさい!)
弟 「キャンキャンキャィ~ン」 (ひんぎれー!)
兄 「ワン?・・・ウォ・・ウォン」 (あ、シンゴ~、待ってよ~!)
母 「グゥウウウウ」 (お兄ちゃんったら、のんびりしてるっていうか、なんていうか・・・)
私がその場所を離れ、一歩を踏み出したのと、偶然の出会いがしらだったのか。
いや、もしかすると、私がその場所に20分近くも留まり、
周囲を巡ったり、中を覗き込んだり、何やら思案をしている様子を、
まるでヌスル(泥棒)を監視するかのように、実はずっと見張っていたのかも。
いずれにしても、私が「団結道場」を後にして、次の目的地へ向かおうとした途端、
犬の親子と対峙することになった。
その存在に、私はまったく気づいていなかった。
親子は、私が20分前に村営バスを降りた、真謝へと向かう方の「団結道場前」バス停に。
私は、県道を挟んだ反対側に。「団結道場」を背にして。
目が合った瞬間に、そのうちの、親犬と思しき一匹が、けたたましく吠え始める。
吠えながら、二匹の子犬たちを見やっては、何かを促すように時おり声色を変えては、
また、鋭い吠声と目線を、こちらに向けてくる。
子犬のうちの一匹が、何かを悟ったかのように、畑の中の小路を駆けて行く。
親犬は、吠声と目線を途切れさせないようにしながら、自らも少しずつ後ずさりしながら、
のんびり屋の、バス停から動こうとしないもう一匹の子犬を、呼び戻そうとする。
のんびり屋の子犬が、何を思ったのか、ようやく、畑の中の小路を駆けて行く。
親犬は、子犬を守りきった安堵感からか、いくぶん、吠声のトーンを落としながらも、
それでも、島の外からやってきた見知らぬ人間を歓迎する素ぶりは見せない。

「団結道場」の「米軍に告ぐ」の一文は、1955年に書かれている。
犬は「島ぐるみ闘争」を知らない。
私もまだ、生まれていない。
その後、学校でも習わず、学ぶべきいくつかの機会を素通りしてきたのかもしれない。
41年生きてきて、二度目の伊江島。
一回目は、伊江島補助飛行場を南西から北東へと歩いた時に、途中で立ち寄るはずが、
気がつくと北東の端まで辿り着いてしまっていた。
なので、二回目は、港でフェリーを降りて、そのまま真謝行きの村営バスに乗り、
小雨の中、「団結道場」に降り立った。
そういえば、アメリカ海兵隊の訓練場のゲートが、
「団結道場」と目と鼻の先にあることも見落としていた。
西崎の灯台への道を遮るフェンスが、ゲートであると思い込んでいた。
歴史を鑑みれば、そして、その意図に想いを巡らせば自明のことなのに。
ゲートがそこにあるからこそ、目の前に「団結道場」を建てる意味があったのではないか。

この地を訪れる、見知らぬ人間を、犬はどのように見ているのだろうか。
その鋭敏な嗅覚は、ただ単に、島の人と島の外の人、
あるいは、知っている人と知らない人、という区別をしているのだろうか。
犬は「国籍」を知らない。
犬は「職業」を知らない。
などと断言してもいいのだろうか。
犬は、その鼻先といってもよい場所に存在する「訓練場」に出入りする、
「アメリカ」という国の「海兵隊員」という職業を、そういう人間の特殊性を、
本能的に理解しているのかもしれない。
「団結道場前」でバスを降りた男が、200m先の、次の「訓練場入口」バス停へと向かい、
どうもそのまま、訓練場のゲートにまで足を運ぶのだろうと、
その足取りを本能的に理解したのかもしれない。
「この男は、いったい、島の味方なのか、どっちなのか」

犬は「ヌチドゥタカラ」を是としない、人間の愚を知らない。
犬は彼方の、近くの、火薬の匂いに戦慄する。
犬はぬーがぬーやら分からんで、吠える。
犬は時として、空から畑に降ってくる人間を見る。
つい先日も、パラシュートが風に流されて、
グリーンベレーがフェンスの外の畑に降ってきたと、
沖縄の新聞だけが伝えている。
(犬の名前は、実在する人物、団体、敬愛するお笑い芸人の兄弟等とは一切関係ありません)
-2010.10.15 伊江島-
【訂正】
本文中、島内の路線バスを「村営バス」と書きましたが、
正しくは、「伊江島観光バス」さんの運行でした。
おわびして訂正いたします。
(2011.2.6)
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