Search

2017-02-15



うまんちゅぬ肝心にを の色見て我に返る

   
null

   断崖を前にして 路を失った
   打ち寄せ 迫り来る波の気配に 色を失った
   潮だまりを駆け 巌を這い 掴めるものを掴んだ

   張りつくように這い上がった路を 振り返る
   荒い息 風に冷える汗 濡れた靴 手に土塊
 

   足元に 
   風に揺れるに 色を見る

   失っていた色彩と 今と ここと 我とを 
   動き出した時間の中に 取り戻す    


-2014/12/2 糸満市 喜屋武-

  ■ 2016-06-17 戦世を訪ねて 20082015
  
  

  

2016-12-27

うまんちゅぬ肝心にを 清らの辺に咲く

   
null

   清らかな水を求めて
   肝清らさん(ちむぢゅら・さん)が集い
   いつも清らに 清めた樋川(ひーじゃー)で
   心も体も 清めていたのだと思う


   水が届かない被災地に入る あるいは
   どれだけ水を飲んでも汗になる 熱中症と隣り合わせの酷暑
   そんな体験をした 今年 熊本  

   
   沖縄の真昼間(まふっくゎ)を あまくま歩くのとは
   また 違ったかたちで知った
   水の重さ 水のありがたさ


   そしてまた 帰ってきた沖縄
   ともに分かち合う暮らしの中で育まれる
   そんな清らに 想いを寄せました

   清らの水辺に 咲く
    


-2016/11/9 仲村渠樋川(南城市 玉城仲村渠)-



   5年半ぶりの再訪でした

   5年半前 水と向き合った記憶がどうしても湧いてこない
   それもそのはず
   あの春の日は 蜜の味 出会いの妙
   刈ったばかりのウージをかじらせていただいて
   渇きを潤したのでした

   ■ 2011‐04‐24 サトウキビの日に

  

2016-08-09

うまんちゅぬ肝心にを 祈り重なりて

   
null

   友の墓と、父の墓を、巡った夏の日の終わり。
   心向くまま、初めて訪れた海。

   風が汗を笑い、光が目を洗う。
   明日を寿ぎ、命凪ぐ。



-2016/8/7 下関市 吉母-



2016-05-17

うまんちゅぬ肝心にを 季節季節が

   
null

  「季節 季節が素通りする」と唄ったのは 高田渡さん
  「この一ヶ月、早かったね」と語らったのは 熊本にて

  「日付どころか、何昼夜が過ぎたのかも分からなくなった」
  そんな戦世の日々に 今年は想いをいたすことができておりません
  
  そうこうしているうちに 沖縄から梅雨入りの知らせ
  テッポウユリのは雨粒に頭を垂れ 石積みに水滴を落とすのでしょうか


-2015/4/25 今帰仁城跡(今帰仁村)-


-Special Thanks-
 「石」 作詞:山之口貘 外国曲
    (アルバム『ねこのねごと』ライナーノーツより)



2016-04-05

うまんちゅぬ肝心にを 瞼の中に

  
null

 ここで夕陽を見るつもりだった。



 西へ下れば渡嘉志久集落、ビーチ、東へ下れば渡嘉敷集落、今宵の宿。
 西へ沈む夕陽、夕陽に染まる空と海。
 ここは山並みの切れ目になっていて、遮るものはない。
 ということを、地形図で読み取っている。

 渡嘉敷集落までは、下り坂でおよそ2kmの道のり。
 ゆっくり歩いて、30分。

 街路灯などないアコークローの山道に、念のための懐中電灯。
 万が一、ハブさんの道路横断に「ぐぶりーさびら」するような場合には、
 三脚を、専守防衛の範囲で、伸ばせばいい。
 ターブックヮ(水田)が黄昏色に染まっていたら、しばらく見とれるかもしれない。
 さっき見た、あのケラマツツジへの恋心は、宵闇の中でさらに、
 燃え上がるかもしれない。
 もしも、リュウキュウヤマガメに会えたりしたら、
 しばし、カメのペースでカメの後ろを歩く、はず。

 そんなことがあっても、まあ、夕食の時間にまでは、宿へ戻る。


  
 そんなふうに心に決めていた場所を、昼下がり、通りかかる。
 路肩に車を寄せて、眼下に渡嘉志久ビーチを望む。
 地形図で読んだとおりの見晴らしに、頬が緩む。
 そして、予想をはるかに超えて、すべてが美しすぎる。
 微笑んだまま、息を飲む。

 この景色が、夕陽の中で一体、どんな色に染まるんだろう。

 美しすぎる色彩に満たされた視野の中で、足元の植込みに目がとまる。
 赤、オレンジ、紫の々。
 目の前に広がる青と緑の色彩に、さらに彩りを加えるたち。
 からへ、蝶が舞う。
 その飛跡を、楽園という言葉がよぎる。
 そして、を植えた島の人の肝心にも想いを寄せる。
 感謝の微笑みを届けたいと思う。
  


 時計を見る。
 午後1時を少し回ったところ。
 ここに来るのは、あと5時間後か。
  
 午後6時に、阿波連でレンタカーを返す。
 本当はその30分後、6時半の日没を阿波連で迎えたかったのだけど、
 返車の時間は決まっている。
 その後、渡嘉敷集落までの送迎をお願いすることになっているので、
 わがままは言えない。
 阿波連から渡嘉敷まで、日が暮れてから歩いて山越えするのは、さすがに無理。
 昼間だったら、楽しい道のりになるだろうけど。

 阿波連のサンセットは、きっとまた、チャンスがあるだろう。
 やしが、でもやっぱり、西の海を、西の空を、
 オレンジ色に、アコークローに染まる、慶良間海峡を、やっぱり、見たい。

 

 わがままは言わないのですが・・・、やしが・・・、やさっ!
 ここで、渡嘉志久の分岐点のところで、降ろしてもらってもいいですか?
 いいんです、あとは自分で、歩いて帰りますから。


 
 ということで、レンタカーを借りるときに話をつける。





null

 この海が、この静かな海が、そして、このさわやかな風が、本当に明日・・・。



 想定はしていたけれど、やっぱりちょっと想定外のことが、ずっと頭の片隅にある。
 いや、正確に言うと、その想定外を想定して、
 じつは今日一日、少し駆け足で動いている。
 明日、行こうと思っていた場所、やろうと思っていたことを、今日のうちに。



 今朝、泊港を発つとき、そして、島に着いて民宿の方の出迎えを受けたとき、
 さらには、レンタカー屋さんからも、
 明日のマリンライナーの運航を心配する声を聞く。
 ネットで見る波浪予報も、明日の午後以降、渡嘉敷島の近海を、
 3.03.5mという、なんとも微妙な色に染めている。



 まあ、明日は明日の、風が吹く、か。
 ・・・あらん! 吹いちゃだめだ!



 午後6時、阿波連で送迎の車に乗る。
 話題はやはり、明日の運航。

 「午後便はまず、出ないでしょうねぇ。明後日も、うん、ちょっと、厳しいかな。
 フェリーだったら、なんとか、出るんでしょうけどねぇ」
 
(フェリーはこの時期、ドック入り期間で、週のうち2日ほどしか運航しない。
 高速船のマリンライナーは、波高3mの予報が出ると欠航。フェリーは4mまで)

 

 明日の午後便の欠航は、もはや避けられないものと観念しつつ、
 その流れから、船が出ない時の島の暮らしをいろいろ尋ねたりする。
 那覇との間の海が時化ても、島のまわりは案外穏やかなことも多く、
 魚が獲れるから、差し当たりの食糧は調達できる。
 場所によってはダイビングも普通にできるポイントもあって、
 島から出られないという不可抗力をも計画的に織り込んで、
 それを天恵として、休暇と滞在を延ばすダイバーさんもいる、等々。
 そんな話をしながら、車窓から見える夕景にもカメラを向ける。



 そして、渡嘉志久集落との分岐点、あの場所が近づく。
 そして、ここへきて、急に、気が変わる。
 というよりも、心を決める。

 「すみません、やっぱり、渡嘉敷の宿の前まで、行ってもらってもいいですか?」



 明日は一日、夕方5時のマリンライナーの時刻まで、
 島の中をゆっくり、歩くつもりだった。
 渡嘉敷の集落も、半日くらいかけて。

 しかし、もしも明日、午前10時のマリンライナーで島を発つことになれば、
 その時間がほとんど取れないことになる。
 夜明け前から起き出したとしても、やはり、ちょっと、時間が短い。
 そして、今日一日、ずっと駆け足だった。
 急ぎすぎた。
 慰霊の地に佇んだ時間を除いて。



 夕暮れどきは、ゆっくりと島の暮らしの中で、
 島の時間に溶け込んで、過ごしたい。
 
 夕暮れどきを唄う、いくつかの歌の歌詞とメロディーが、頭に浮かぶ。
 思い浮かんだ歌の情景には、人がいて、暮らしがあって、
 ゆったりと流れる時間を愛でている。
 
 西の海へ向かってひとり、雄大な夕景に酔うよりも、
 山の向こうに沈んだ光の透明な残照の中で、穏やかに黄昏れてゆく、
 暮らしの中を歩くことを選ぶ。
 そうすることにした。



 そんな一日のおわり。
 寝る前に、目を閉じて、今日一日の情景を呼び起こす。
 瞼の中でこの場所が、の色が、さらに鮮やかになって、蘇った。
 


-2016/2/28 渡嘉敷島(渡嘉敷村)-



2016-03-24

うまんちゅぬ肝心にを 今日を生きて

   
null

      今日を生きて 明日の生を想うこともない 強さ
      今日を生きて 明日の滅びを想うこともない 平穏






null

      明日に無限の死が潜んでいても
      今日につづく明日 それは戦ではない
      明日につづく明日の果てまでも 戦であってはならない



      今日と明日が 切り裂かれた春が あった島



-2016/2/28 渡嘉敷島(渡嘉敷村)-



2015-11-10

うまんちゅぬ肝心にを 蝶にいざなわれ

  
null

   石畳ばかり見てないで と いざなわれ
   蝶を追って 立ちどまり 顔を上げて 蝶を追い
   そこにがあるのを 知りました





null

   前にも いや これまでも いくたびも
   こんなことが あったような あったはずね


-2015/10/30 当山の石畳道(普天満参詣道) (浦添市 当山)-


   ■ 2013-07-11 それでも、 海と

 

2015-08-07

うまんちゅぬ肝心にを 涼を編む

   
null

今日もまた 猛暑お見舞い 一服の涼




   イグサのです
   沖縄で作られる 希少なイグサ
   「沖縄ビーグ」 だはず

   ターブックヮを見かけることも少ない沖縄で
   この地の この一画に イグサがあることを
   3年前の秋に お見かけしてはいましたが
   あの日は水面に 黄昏色を映していましたが

   うりずんの候
   こんなを 見ることができるとは
   稀有なる出会い やんばる朝さんぽ




   沖縄県庁やら 農林水産省やら 総務省統計局やらの
   いろんな資料をのぞいてみましたが
   沖縄県内の生産量や作付に関する数字は見つからず

   分かったことは

   うるま市の具志川 与那城が主産地で
   「照間のビーグ」が有名であるのだということ

   「昭和56年の収穫面積67ヘクタール、生産量548トンをピークに減少し、
    平成15年現在で収穫面積11ヘクタール、生産量47トンとなっております。」
            (平成16年12月13日 第6回沖縄県議会 農林水産部長)
   のだということ



   夏の自由研究ふーじー やいびたん


   
   ■ 2012-02-07 資料まる写しでエイカー?

   

-2015/4/28 国頭村 奥間-


2015-07-28

うまんちゅぬ肝心にを これからもつづく、いくつもの朝へ

   
null

   こうやって 沖縄を歩くようになった
   大きなきっかけを 作ってくれた

   そして

   ときにチルダイ ときにワジワジーする心を
   深いところからの笑い 強くてしなやかな笑い 底抜けの笑いで
   解きほぐし 力づけてくれた

   まーちゃんの復活を 待っています

   

   今年の名護公演の翌朝
   瀬嵩の浜はこんなふうに 辺野古の海のいろんなことを
   包み込んでいました



-2015/6/28 名護市 瀬嵩-

  
  

2015-07-21

うまんちゅぬ肝心にを ひざまづきて俯瞰する

   
null

   旅の初めは いつも
   とりわけ 濃密な夏の空気にいきなり包まれる沖縄では
   いまだ 目線も心も定まらず
   歩みもどこか ふわふわと


   
   4年前の春は ガマからガマへの移動の途中 この地に立ち寄る
   糖蜜タンクと 門柱だけを ガイドさんに案内していただく
   車を降りて 数枚の写真を撮り 記憶に留める
   タンクにも門柱にも そのいずれにも弾痕の残る 高嶺製糖工場跡



   今回は 自分の足で歩いてみる
   今回は この地の歴史も頭に入れて
   与座岳や 与座ガーや 上座ヌ殿を 訪れた記憶も携え
   糖蜜タンクと門柱の位置を書き入れた 地図も片手に
    




null

   それでも 真夏の午後の静寂の中で
   今ここにある 暮らしの中におじゃまして
   痕跡から痕跡へと 歩きながらも 

   家並みのどこに 目を向ければよいのか
   スージに何を 感じればよいのか

   目線も心も定まらず
   歩みもどこか ふわふわと
   芭蕉の葉が揺れる ファインダーは捉えるものを求めさまよう



   一株のに 目を奪われる

   ニチニチソウが 夏を謳歌している
   太陽を求めて 天に向かう
   その根は 水タンクまわりの水脈を知るか

   焼けた地面にひざまづき そのの目線に下りてみる
   の目線から この土地を見る
   の高さで この土地を感じてみる
   




null

   旅の中では こんなことがよくある

   たとえば
   舞う蝶がのありかを教えてくれて の向こうに海の青さを見る
   この目で見ていたはずの景色を 違ったかたちで見せてくれる

   なにかにいざなわれてファインダーが切り取る 風景の中で
   目線が定まり 心の焦点が合い
   歩みはたしかなものとなり あるいは そこへ立ち尽くす



   立ち上がって 与座岳を仰ぎ見る
   今 自分のいる場所を 俯瞰する
   この土地を歩いている意味に 立ち返る

   暮らしも山並みも 夏の青空も美しく
   その美しさの中で 静寂の中で たしかな生気の中で
   痕跡への意識を鮮鋭にする



-2015/6/25 糸満市 与座-

 
 

2015-06-20

うまんちゅぬ肝心にを 遠い昨日も

   
null

null

   みんな 等しく 光をうけて
   みんな 等しく 身の丈の影
   そして 風景をつくる
   
   時が流れ 光もまわり 影もまわり
   朝から夕へ 今日から明日へ
   そして 歴史をつくる

   まわる まわる くりかえす
   ほら 足元にも ほら 遠くにも
   そして ここにいる


   
   光に包まれ ひとつの影になり
   今ここに 溶け込んでいく 陶然の中で 

   遠い昨日も 忘れない
   遠い昨日の 光と影も
   

-2014/6/20 糸満市 喜屋武-

  
  

2015-06-07

うまんちゅぬ肝心にを 梅雨

   
null

null

null

null

    雨をよろこび あの 陽射しを待つ

    素通りできない 季節 季節が・・・


-2014/6/19 嘉手志川(かでしがー) (糸満市 大里)-

  
  

2015-05-26

うまんちゅぬ肝心にを 空を乞い地を包む

  
null

    いくつもの 昼と夜が過ぎて

    2万5千余回の 昼と夜に育まれてのち
    が咲く
  
  
  
  
null

    昼夜のなかった 日々もあって
    照明弾に明るむ夜 外光の届かぬ昼
    艦砲の止む 朝と夕
   
    ぬかるみ えぐられた土に
    は咲いたのか




null

    いくたびも訪れたこの丘の
    そんな 夜から朝へ明けゆく時間を 過ごしてみた

    静寂の中で 森は過ぎし時を語ってくれるかと

    やがて 朝靄が晴れ やがて 光が満ち
    今日を感じ 今日を想い 今日の暮れるのを信じる 今日が始まる   




null

    沖縄陸軍病院 1945年5月下旬 南部撤退
    人々の彷徨もまた 南へ



-2014/6/20 沖縄陸軍病院南風原壕群20号(南風原町 喜屋武)-

  
  

2015-05-17

うまんちゅぬ肝心にを 観一隅知遍照

   
null

     一隅照らされるを見 あまねく輝くを見る
     あまねく輝くを見 あまねく照らされるを知る


-2015/4/26 辺戸岬(国頭村)-



2014-05-31

うまんちゅぬ肝心にを 光の中

   
null

   美しくて 美しくて
   夢中になってシャッターを押しながら
   ふと気がつくと
   ファインダーからは 涙がこぼれていました


   背に「平和に礎」を感じ 眼前には地の果ての断崖
   その先の海と空を染める朝の光に
   心は無防備でした

   亡き人には
   「こんな朝もあったのですね」と 語りかけ
   シャッターを押しつづける自分には
   「なにやってんだ」と 詰め寄り

   意識は希薄となり
   涙が自分のものなのか 亡き人のものなのかさえ
   わからなくなり

   もしも 苦しみや悲しみの記憶を越えて
   今この情景に心安らいでおられるのなら
   亡き人の涙であってもいいと思い     


   やがて まぶしさを増す陽光
   雨露に濡れると 眼下に寄せる波との距離感を感じ
   やがて カメラを手に立ち尽くす自分


   だれもいない朝に だれかの想いとともに


-2014/3/19 沖縄平和祈念公園(糸満市 摩文仁)-



2014-04-28

うまんちゅぬ肝心にを 光と影の下に

   
null

楽園を見てから 歴史を辿る 埋もれた径


-2013/10/21 津堅島(うるま市)-



2013-12-20

うまんちゅぬ肝心にを そして・・・

    
null

null

null

null

null

null

    その場の空気や 時間の流れに調和してくると
    光に呼ばれたり 光が照らすところの世界が見えてきたりします
    ときに 蝶や鳥に誘われて 々の饗宴に気づいたりします



     「見えていない」 ということは
     「世界を失っている」 に等しい。

        『日本浄土』 藤原新也 (東京書籍)



    グスクは城郭であるかのように見えて また
    森羅万象と交わる 祈りの空間でもあり
    石積にはが よく似合い 
   
    俯瞰するその目でまた 足もとに目を凝らす

    いろんなものが 見えてきて





null

ウコール(御香炉)の前にバッタがいたり





null

    飛石のようにいくつも敷きつめられている ニービ(砂岩)の中の
    どうしてこのひとつだけが こんなに蜂の巣状なのかと思ったり





null

    フテンマから 浦添グスクの方角に離陸して
    首里石嶺 幸地 西原 中城へと旋回するのか
    C-130のタッチアンドゴーの飛行ルートと同じやしと
    苦々しく思ったり



-2012/11/10 大里グスク(南城市 大里大里)-

   
     

2013-03-30

うまんちゅぬ肝心にを 足元の群星

     
null
    

    「足元にも小宇宙がある」と いつも思っているのですが
    このときは 「足元に星空が広がっている」と 思いました

    ルリハコベの群星(むるぶし)


-2013/2/7 国頭村 奥-



2013-03-02

うまんちゅぬ肝心にを この土地に生きて

     
null

   糸満市真栄平という土地を、ほぼ5年ぶりに歩く。
   5年前と同じバス停から、ほぼ同じ道順で、「南北之塔」を目指す。

   5年前は、知識は傍らに置き、むき出しの感性で歴史の現場に立ち、対峙し、
   何かを感じとることを自らに課していた。
   その一方で、途中、歩いた道のり、目に入った風景を、
   記憶にとどめようという意識は希薄だった。
   写真もほとんど撮っていない。
   ただ、人との出会い、語らいだけは、出来うるかぎり、記憶に刻んだ。





null


   5年前は、内陸深くまでも強風が吹く、ニンガチカジマーイの季節だった。
   風に吹かれながら、「南北之塔」のあと、
   「萬華之塔」、「栄里之塔」、「白梅之塔」などを巡った。
   それぞれの場所にじっと立ちどまるも、
   途中の道のりはせき立てられるかのように足早だった。





null

   5年ぶりの真栄平。
   5年前を懐かしむ想い。
   5年の間に、より深く知った沖縄戦の惨禍、傷跡。

   さまざまな想いを抱えて、5年前よりもずいぶんとゆっくり歩む。
   さまざまな想いに衝き動かされて、シャッターを押し続けるカメラを、
   この日は雨粒が濡らす。

   5年前には気づかなかった、石塀の弾痕。
   5年前には想像できなかった、壕や塔のある場所だけではない、
   集落すべてを襲った戦禍。
   まったく違った見方で、多くのことに意識を向けながら、
   一歩一歩の道のりを歩く。





null

   「南北之塔」まで往復し、県道まで下りてきて、
   歩道を帯のように埋め尽くすが目に入る。
   この土地に根を下ろし、明日へ向かって生きている々は、
   過去へと手向けられた献とはちがった形で、
   この土地で失われた生命を慰めているのかもしれないと、そんなことを想う。
   ナスタチウムは食用にもなるんだよなと、
   平和な今だからこそ、そんなことも想う。
   5年前には、目には入っても、意識にはのぼらなかったかもしれない、々。
   を愛する、人々の暮らし、この土地に今、流れる時間。





null


   そして・・・
   この土地が『ハルサーエイカー2』のロケ地にもなったということが、
   その場所を再訪しているという喜びが、
   今回、風景を見やる気持ちをずいぶんと穏やかなものにしてくれたと思う。

   カマーが駆けのぼったあのアジマーに、「やっぱり」と微笑んだ。
   5年前、ほとんど撮らなかった何気ない風景の中に一枚、
   そのアジマーの写真が残されていた。


-2013/2/11 糸満市 真栄平-



2013-01-14

うまんちゅぬ肝心にを 名も知らぬ...

    
null

     この紅いの名前を知りたい

     クワズイモと群生するという たくましさ
     クワズイモと共生するという したたかさ

     それでいて
     魔性を秘めた可憐 奥ゆかしき艶



     調べ方が拙いのだろうけれど いまだ その名がわからず





null

     この朝 グスクに近い静かな住宅地に鳴っていたピアノ

     人の手による演奏なのか レコードの音なのかさえ聞き分けられなかった
     優美にして幻想的 記憶の中に深く遠く懐かしく

     それでいて 通りすがりの旅人の分際で
     今この時 この場所には似合わないよな なんて苦笑した旋律



     ドビュッシーの「アラベスク第1番」だったなと
     ようやく今日 思い出した


     
     琉球 印象派 アラベスク 44歳を迎えた朝 紅い
     わからないのも つながらないのも それもまた いい


-2012/11/10 南城市 大里大里-



2012-12-03

うまんちゅぬ肝心にを の鎖

    
    null
    null
    null

     こうやってを咲かせるということは
     この土地に未来があると信じ
     この土地で未来を紡ぐという意志を表わしているのか

     もっと咲かせればいいと思う
     チョウやハチやハナムグリが空に乱舞するまで

     やがてフェンスを撤去するために ブルドーザーや重機が入る日が来ても
     この土地を今のかたちにした時代のような
     粗暴なことはしないと思うよ

     もっと咲き誇ればいいと思う
     嘘で踏み固められた地籍を覆いつくすまで 




    null



-2012/11/13 宜野湾市 真志喜-


2012-07-31

うまんちゅぬ肝心にを 喜屋武のひまわり

    
    null

     として 存分に美しいのですが
     透明感を増していく 夏の夕空色のキャンバスにも映えるのですが

     通りすがりの歩人は 虫でも画家でもないので
     ひまわりのまわりを ぐるりとみまわしては





    null

     どんな土地に暮らしているか どんな時間が流れているか
     そして みんなどっちを向いているのかと
     ちょっと離れてみては また を見るのです





    null

     ひまわりは 傾く太陽を追って西を向き
     土地に住まう人は 暮らしの時間を家路へと向かい
     光も音も 夕凪のように穏やかに



     いいなぁと思いながら おじゃましますと会釈をしながら
     長い一日だったと振り返りながら

     ひまわりが見ている西の空を 同じ空をもう少しだけ 海の近くから眺めるために
     歩人は まぶしい光に向かって 砂利道を下っていきました


-2012/6/28 糸満市 喜屋武-



2012-07-12

うまんちゅぬ肝心にを ゐきがあしび

   
    null

     いかなる作意もない どころか 半分寝ぼけて世界を見ている
     パンツを穿き 島サバを履くくらいに カメラを持って

     洗濯機を回すか その前に 朝めしの買い出しに行くか 今日も暑いのか
     そんなことしか 考えていない

     見なれた朝の公園は 寝覚めの夢のつづきのようで
     ガジュマルの樹冠と気根だけが 光を浴びて

    



    null

     公園の片隅の 長い影の中の たった一株の たった一輪

     朝日が スポットライトふーじーしなければ
     しーじゃが ロマンチストむにーしなければ

     気がつかなかったかもね





    null

     最後の一枚には 「やがまさ」と言われるかもね

     ゐきがどぅーさー 夜に咲く
     どこか遠くへ どっこい近くに


-2012/6/30 那覇市 西-



2012-06-18

うまんちゅぬ肝心にを 最果てに咲く

   
    null

     ハマユウという名の だと思う
     それまでも何度か目にしていたのだと 出会っていたのだと 思う





    null

     二年前の夏 去年の夏

     いずれの夏も 旅の日々における
     その暑さの頂点で 炎天下を歩きつづけた呻吟の頂点で
     島尻の南の果てで 神の島の北の果てで 
     眩む視界の中に 揺らぐ意識の中に
     白い 


     島尻の南の果てで 荒崎の海岸で
     その白いは 姫百合の幻影だった
     一輪だけのが あたかも人の手を 人の想いを経て
     そこに根づいたのだという 物語を紡ぐ


     神の島の北の果てで カベールの岬で
     その白いは 生命の歓喜そのものだった
     の群落は 海空と連なり 虫たちを躍らせ
     風に舞うようでいて たくましく大地を掴む

     



    null

     として 見ることのできる幸せ
     の名を知りたくなる 心の平安

     海の音だけが聞こえる 海



-2011/6/19 久高島-

     ■ 2011-06-13  うまんちゅぬ肝心にを 荒崎海岸



2012-06-05

うまんちゅぬ肝心にを 糸満のまちぐゎー

    
          null

     糸満のまちぐゎーで朝ごはんを食べて、
     糸満市場入口からバスに乗るか、そのまま歩き出すか。

     そんな一日の、行き先のほとんどは、「南部戦跡」とその周辺。
     そんな一日であっても、まちぐゎーでのこの朝のひとときは、微笑に満ちている。

     はまちぐゎーの人々の愛情を受け、はその生を謳歌し、
     の喜びはまた、人々の微笑を誘い、生を祝福する。

 



    null

     朝、ベンチでゆんたくをさせていただいた、おじぃ。
     PIANISSIMOなんて、お洒落なタバコを手に、同じベンチ。
     若かりし日、日暮れた後、まちぐゎー、いまいゆ、島酒。
     いくさの話は、しなかった。
     今の話も、しなかった。

     米須、荒崎、山城、伊原。
     真夏の一日を歩き疲れた午後、また、ここへ戻ってきたときも、
     こうやって、同じように、座っておられた。

     どうしてここに、ずっと座っておられたのか、
     伝え聞いたその話はいずれ書くかもしれないし、ずっと書かないかもしれない。
     いや、たぶん、書かない。

     いくつかの季節がめぐって、季節季節のに出会ってきたが、
     おじぃとは、この夏だけの一期一会。


-2010/6/26 糸満市中央市場(糸満市)-



2012-05-15

うまんちゅぬ肝心にを 北上原

   
    null

     アカバナーの赤も緑も朝露も見ようとした
     すると 空は真っ白な光茫になった

     上がい太陽と輝く雲を見ようとした
     すると 地上のすべては黒い影になった

     ストロボでアカバナーを照らしてみた
     天からの光と 地上からの光で
     世界は一瞬 美しく デジタルに記録された
     美しいけれど それは本当の世界ではないと思った

     太陽の前を流れる雲を眺め アカバナーの枝葉を揺らす風を読み
     自らの立ち位置を変える
     世界の光を網膜の中で調和させる
     そして 弁だけが一瞬 光を透過し 光に浮かび上がるのに気づく



     そうやって ありのままの世界を見ようとする
     沖縄の光と影を見ようとするのと同じように

     どこに焦点を合わせるのか どこに立つのか
     すべてを見ることはとても無理だけれど

     ストロボで照らされたような すべてが明るく輝くような
     そんな虚構の世界は見たくない
     大好きな沖縄だけど 虚構の楽園の語り部にはなれない



     沖縄復帰40年

     中空にアカバナーの一輪
     光は空の色 影は地上の色 それぞれに美しく

     そして 人間の作る光と影


-2012/3/23 中城村 北上原-



2012-02-18

うまんちゅぬ肝心にを 荻堂

    
    null

カンヒザクラの残る曲がり角で 登ってきた道を 振り返り振り返り




          null

わき道にもちょっとちゃーびらさい 垣間見える景色を振り返り



     この日の最初の目的地は、中城村の久場。
     そこから次の目的地、北中城村の大城へと、最短距離の坂を登るとなると、
     2年前に中城グスクを訪ねたときの下りと同じ道になる。
     せっかくなので、ちょっと遠回りを楽しむことにした。

     熱田漁港、和仁屋、渡口、仲順、荻堂を経て、大城御嶽へ向かうことにする。
     中城村の屋宜、R329から中城グスクへ登ったときと同じように、
     長い登り坂を歩くことは覚悟しながら。

     思えば、それまでの北中城村の印象といえば、
     屋宜原にあるイラブー料理の「カナ」さんに行くときのR330沿線の風景と、
     中城との村境から「県総」までのR329沿線の風景だけであった。
     初めて、村を、ちょっとばかりではあるが、横断することになる。

     仲順って、やはり、「仲順流り」の発祥の地なのであろうか。
     「喜舎場テラス」ってあるけど、「喜捨」したわけではないんだよな、「喜舎」だもんね。
     歩いていても、考えること、好奇心には事欠かない。
     無粋と滑稽とが微妙な風情を醸し出す横断幕は、選挙管理委員会承認なのだろうか。



     そんな、むぬかんげーにしてふりむんの道中、
     ふと、北中城村のヒマワリのことを思い出す。
     思い出しはしたものの、ヒマワリに出会える場所までは調べてこなかったことに、あぎじゃび。
     たしか、どこかの畑や遊休農地に植えていたんだはず。
     どこでしたかね。

     仲順と喜舎場の境の交差点から、南へと歩を進める。
     少し歩くと、右手に「北中城中学校」という看板が目に入る。
     その角はコンクリートの法面になっていて、看板の先の道はよく見通せない。
     ちょっと立ち止まっただけで、また、坂を登り続ける。

     登りつめた後に、ヒマワリの黄色を求めて、振り返る。


     
 

          null

荻堂は 湧水と流水と とアートに 満ち満ちていた



     旅から戻って調べるに、どうやら、ヒマワリ畑は北中城中学校の周囲にあったようである。
     すぐ近くを歩いていながら、一瞬、目を留めていながら、通り過ぎてしまっていたようだ。

     このとき、2月末にはすでに、満開の時期は過ぎていたようであるが、
     でも、名残りのと一緒に、から種への生命のリレーも見ることができたかもしれない。
     そして、この地で生まれた種のいくつかは、夏に東北で、を咲かせたかもしれない。





    null

左に見える建物が もしかして 北中城中学校でしょうか



     この日はこの後、大城御嶽、中村家住宅、二度目の中城グスク、
     そして、那覇へ戻って、ゆーふるやー「旭湯」さんへと、なかなか盛りだくさんに歩き回った。    

     いずれまた、安谷屋の若松公園などもゆっくり訪れたいと思う。
     を訪ねて歩くときになるか、普天間の滑走路の延長線上として訪れることになるか。

     いろいろ出てきた「泡瀬ゴルフ場」跡地は、その後どうなったのだろう。
     イラブー汁も、久しぶりに食べたい。
     時の流れは、はやい。     


-2011/2/26 北中城村 荻堂-


2011-12-15

うまんちゅぬ肝心にを 塩屋

    
    null

     蝶が翔び去った後も 目は釘づけになって
     名前も知らぬまま 心奪われて

     名前くらいは知りたくて もっともっと知りたくて
     その美を表わすに相応しい いくつもの言葉を手がかりに
     ようやく たどりつきました


     ヒオウギというのですか


     名前は知っているけれど 卒業以来会っていない
     心奪われたままの あの子と出会えたようでした

     僕は内気な蟻になり
     水滴はほろ苦い甘美な日々を映します   
    
     
-2011/10/16 大宜味村 塩屋-



2011-08-28

うまんちゅぬ肝心にを 天願

    
          null

     この先しばらく 緑はあってもは見られないかもしれないと
     鼻を寄せるようにして眺めていく
     小路に入って 暮らしの匂いを精いっぱいに吸い込んで


     この先ずっと 県道75号の右手はキャンプ・コートニー
     緑はフェンスの中 緑は短く刈り込まれ 緑は何かを覆い隠し
     高圧線の鉄塔までもが高圧的


     およそ一年の歳月を経て ようやく
     県道の左手にも芝生の帯が延びていた理由が分かったような
     米国海兵隊ではなく米国陸軍が所管する緑地帯
     地図にも載っていない

     緑のその地下に パイプラインが隠れているんだはず


-2010.10.11 うるま市 天願-
     


2011-08-01

うまんちゅぬ肝心にを 久高島

    
    null

     自分の影を落とさない 場所や角度を探して回る
     そんな努力は無用であると と地表が教えてくれる
     午前11時30分 目が回る

     フボー御嶽から よんなー歩きで10分の後
     立ち止まり 立ち尽くす 人間日時計 


-2011/6/19 久高島-



2011-07-11

うまんちゅぬ肝心にを 中村家住宅

    
    null

     ゥワーフールを見て
     馬 牛 山羊が並んで入っていた家畜小屋を見て
     もう一度 ゥワーフールに釘づけになっているとき
     背後の声に 耳をそばだてる


       とーちゃん とーちゃん こっちさみてけろ
       やっぱす どごでも
       うまっこがいねぇど ひゃくしょうは できねぇんだべな


     この数日後に 釘づけになったテレビの前で地図帳を凝視するまでは
     「東北」は 広く 薄く 茫漠とした境界とともに
     そして 微笑ましきステレオタイプの中にあった

     なので 馬小屋に釘づけになっていた母ちゃんと
     呼ばれた父ちゃんと その一家が
     どこの県 どこの地方から来られたのかにも想いを致さず
     耳に残る言葉の響きとともに あいまいでささやかな 
     遠い「東北」との 袖ふる縁の思い出のままでよかった


     今とて 「東北」のどこでなにが起きているのか
     本当のところは掴みどころがないままでいる

     だから この思い出を笑っていいのかどうか
     「安否」という言葉とともに 今も 逡巡しつづけている


-2011/2/26 中村家住宅(北中城村)-

 

2011-06-13

うまんちゅぬ肝心にを 荒崎海岸

    
    null

     太陽と潮風と隆起珊瑚礁の野に
     だれかが根づかせたのだろうか

     太陽と潮風と隆起珊瑚礁の野で
     供から種が 種からが 芽吹いたのだろうか



     太陽と潮風と隆起珊瑚礁の野は
     自然の過酷を享受し 覆い尽くせる生命だけの群生地

     それなのに あまり考えられないことを考える
     周囲を見渡して 同じ白いを探すこともなく考える



     人にはそれぞれの 過ぎた日々があって
     それまでの想い そのときの視野で
     世界と向き合い 世界を見ている

     それがあるがままであるかのように
     見えている世界を 世界であると受けとめる
     世界の一隅への一瞥に 物語を投影する



     このは だれかのために咲いているのか



     すぐそばの供は 真水で生命を継いで色彩を残す
     ひめゆりの命日か 慰霊の日か 数日前か

     隆起珊瑚礁の野にも 海にも
     過酷な生と死が群れていたのは 六十余前のこと


-2010. 6. 26 荒崎海岸(糸満市)-



2011-06-07

うまんちゅぬ肝心にを 糸数グスク

     
    null

     前日、糸数アブチラガマを訪れる。
     この日、道路一本隔てて、糸数グスクを訪れる。

     前日は地下へ、この日は高みへ。

     前日、車中でお話を伺ったアブチラガマ周縁の歴史を辿ろうと、
     この日、稲嶺十字路からひとり、目取真、愛地、船越を経て、
     ふたたび糸数へ、立ちどまり立ちどまり、歩いてやってくる。



     ガマだけに、戦世の歴史があるわけではない。
     ガマだけに、戦世の記憶を背負わせるのは忍びない。

     ガマは昔から、有史以前から、ガマとして存在し、
     ガマは今、平和目的の利用と遺構の保存との間で揺れ動く。

     地表は移ろう。目を凝らす。
     ガマは沈黙する語り部。耳を澄ます。



     道路一本隔てたグスクで、光の中で、そんなことを思う。
     蝶でも翔んで行けるほどの、隔たり。


-2011/3/5 糸数グスク(南城市 玉城糸数)-



2011-05-29

うまんちゅぬ肝心にを 中城グスク

     
     null


      生命の諸相の見事な調和
      自然は「おわり」の中に「はじまり」を内包している

      安定的で 効率的で 安全で 持続可能なサイクル
      風に乗り 拡散し 雨になり 土に還り 海に至り

      地上あまねく再処理施設 やがてまた が咲く   


-2011/2/26 中城城址(中城村)-


2011-05-12

うまんちゅぬ肝心にを 荒崎海岸

    
          null

     昨年の夏にこの写真を撮って以来、約一年、
     前後の数枚の写真とともに持ち歩くことが多い。
     L版より少し大きめのサイズで、文庫本に挿んだりして。


     なにかにつけ、だれとでも、沖縄の話になる。
     頃合いを見計らい、相手の予備知識や感受性を瀬踏みしながら、
     この写真を取り出す。


     思考が停止するような真夏の青い海と青い空、沖の白波のパノラマ。
     隆起珊瑚礁の岩場に芽吹く可憐なの接写。
    
      「やっぱり沖縄はきれいだね」

     そんな言葉を引き出したりしながら、
     あの夏の日の歩みを辿るかのように、一枚ずつ、
     紙芝居のように、時間に沿って、写真を進めていく。


     切り立った岩から眼下の、干潮のさざなみに光る海を見下ろす。
     積乱雲をバックに、アダンやトベラの濃緑の群生を振り返る。
     目的地への小路と、その先に見える摩文仁。

     海風に適応して生命を謳歌し、小路を覆い隠す緑と可憐な黄色い
     その小路の先に、祈りの

     
      「ここはどこ?こんな場所まで何をしに?目的地って?」

     そんな問いを引き出せたならば、きれいな沖縄だけではすまない、
     沖縄の歴史の話を継いでもよいかと尋ねる。

     「ひめゆりの塔」だけが、ひめゆり学徒の最期の地ではなく、
     また、ひめゆり学徒だけが、南の果てで非業の最期を迎えたわけではない。

     そういう話を継いでもよいかと尋ねる。


     この写真を撮った場所からもう少し歩みを進めると、
     いや、すでにこの写真の中に小さく写っているのだけれども、
     伊原の壕からこの荒崎海岸まで、なんとか命を継いだのに、
     この地で、絶望の中で、最期を選んだひめゆり学徒の碑がある。

     小路はきっと、碑にを手向け、水や、千羽鶴を届ける人たちの踏み跡。

     そういう人の想いによって、歴史は語り継がれる。
     踏み跡がいつまでも消えないように。


     ここに来た目的は、そういう場所に自ら、立ちたかったから。
     立ってみて何を思ったのか、何が分かったのか。

     が手向けられている場所も、が生命を謳歌している場所も、
     どこが、だれの、最期の場所なのか、分からないということ。
     夥しい着弾点。
     散らばる、折り重なる終焉の地。
     今は何も見えないだけ。
     光に満ちた目の前の平穏が虚構なのではないかと錯覚するほどの隔絶。
     想像を絶するという想像さえもできない。


     最後はそんな話までをしたい。
     微力ながら、語り部となりたい。
     沖縄を訪れ、多くのことを学ばせていただいたことを、身近な人々に伝えることが、
     戦世を辿る旅の最終目的であるとも考えている。

     しかし、今はまだ、力及ばすの感である。
     瀬踏みに終わることが多い。



     この沖縄旅日記の中で、これからの季節、
     今の自分や、自分の記憶や、書物と対話したことを、
     やはり力及ばずではあるが、書き綴ってみたい。

     次の旅の準備と並行して。

     昨年は慰霊の日の直後、今年は慰霊の日の直前。
     今年、梅雨は明けているだろうか。

     
-2010/6/26 荒崎海岸(糸満市 束里)-

     

2011-05-02

うまんちゅぬ肝心にを 読谷村古堅

    
     null

    フルギンガー(古堅井戸)の葉陰の 柔らかな緑色灯の下から
    真夏の白色灯の世界へと出たものだから
    無防備な瞳孔はしばし 色彩の緩衝帯を失う

    やがてみとめる 青 白 緑 赤

    虹彩の中の赤は
    深紅であったか 朱色であったか 緋色であったか
    一年が経とうとする今日も その赤いの名を知らず

    石積畦畔の上で生命力を競う植物の群生を
    陶然と見上げた記憶が残るのみ


    こののち
    生き残ったフクギや の終わったデイゴを巡る道中で
    ふたたび 穏やかな緑の光の中に身を委ねる前の
    一閃の赤       


    肉眼に汗 汗は魚眼レンズ


-2010. 6.28 読谷村 古堅-


2011-04-27

うまんちゅぬ肝心にを 伊江島

   
          null

     「どこかで見かけたんだけど」

     「たしかに見ましたよね」

     「どこだったっけ」

     「タッチューが見えたような」

     「だいたいの場所から・・・見えますよね」



     宿で出会った女性と 島のどこかでそれぞれに見つけたはずの
     ナスタチュームの群生について話をしたのだが
     結局 二人とも その場所を思い出すことはできなかった


     の話とはいっても ロマンスではない


     二人して この食用の葉や
     摘んできてサラダにして食べようか などとという話をしたまでのこと
     長命草を摘んで 食べた帰りに


     帰りのフェリーの中で カメラに記録された道中を振り返り
     「馬場通りだったかな」と思い出す


-2011/3/3 伊江島-