Jump to navigation

童神の絶対の信頼に応えるために
この日はまだ 海と人を知ればよかった
この島の歴史 この島のじんぶん この島の風土 この島の神々
「トモダチ」も有事になれば銃を手に
この島からジャングルや砂漠へと飛び立ちます
「被災地」「原発」「復興」を伝えるニュースの片隅で
被災した方と手を握り合う「トモダチ」の映像につづいて
この島で行われている「トモダチ」の訓練の映像が流れた後に
「トモダチ」がこの島にいる理由が なんの疑問符もつかないままに報じられたりする
目の前の天願桟橋 集落の中に君臨するタンクファーム
広大な海兵隊のキャンプ そして司令部
この島の戦世 この島のアメリカ世 この島の今
海も人も ときに猛り狂うけれど
分かり合えれば ずっと「トモダチ」でいられるはずだと
童神に伝えてよいものか
そして この島の歴史も じんぶんも 風土も 神々さえも知らぬ
目には見えない猛りの波が 海からも空からもやってくるのか
童神を守ってやれるのか
あの日からまた おじぃのちぶるやみーが増えた

困ったときの助け合い それはそれとして感謝して
でも 本当のトモダチだったら 言いたいことを言い合わなきゃ
・・・って だれに向かって言えばいいのか
鉄条網だった浜のフェンスは あの震災の後
コンクリートと金網と有刺鉄線の壁になりました
海の中までせり出して
トモダチはキレやすくて 好き嫌いがハッキリしすぎていて
理詰めなんだけど屁理屈も多い正義漢
そして 見かけによらず臆病だったりもするから
いつも強気な態度に出ちゃうのかもしれない
そんなトモダチが 心に壁を作ったまま 腹に弾薬庫を抱えたまま
そばにいてくれようとする
みんなのものを大事にしないのにも 困ってしまう

「人が、こっちに向かって来てる?」
「波の中に、だれかいる?」
2Lより少し小さい、KGサイズにプリントした写真を見た方から、
そんな声が返ってくる。
「ああ、やはり、そんな風に見えるんだな」
プリントよりずいぶん大きなパソコンの画面でこの画像を見ている私は、
驚くよりむしろ、小さな喜びとともに、そう思う。
中央の波頭の左右に、人形(ひとがた)が浮かんでいるように見える。
波とともに、まさにこの岸へと向かってくるという意思を持っているかのようにも見える。
古人の思い描き、様々な思いを込めた、魂を表象する造形に似ている気もする。
軽やかに波に乗りながら、身を乗り出してこちらの様子を窺っているような、
人間臭い気配も感じる。
それでも、それは、波と波とが戯れる舞いの一瞬の偶然。
風と、潮と、岸辺の地形の織りなす、無限の意匠のひとつ。
やがて岸へと至り、泡沫となる曼荼羅。
「どちらかというと、巨大なウミウシのようにも見えるんだけど」
そんな無粋な言葉の後に、この浜の、岸辺の地形の話をする。
この島を訪れるたびに、朝は必ず、この浜で迎える。
潮が引いた朝には、珊瑚の欠片と白砂の岸に、大きな一枚岩が現れることも知っている。
なので、潮が満ちた、波の高い朝に、その一枚岩のあたりで、
打ち寄せる波が複雑にぶつかり合い、かたちを変える様を見つづけるのは、
ひとつの楽しみでもある。
そんな楽しみの中にあって、それでも波は、ときに、はっとするような変化を見せる。
海が盛り上がり、一瞬、腰が引けるような波が現れる。
直後に波飛沫が、靴とその周りの白砂を洗う。
海から人が、だれかが、やってくる。
そんな彼岸の物語が、この写真の中にあるのかどうかは分からない。
此岸に立つ者の時どきの想いによって、物語は移ろう。
人形はすでに、いつも、自然とともにあり、天上の時間の中にある。
海とともに生きてきた、古人から連綿と受け継がれる宗教世界。
そんな歴史を打ち砕いた戦世の中、海に散ったあまりにも多くの生命の悲話。
この朝、その二つの想いとともに、海を、波を見ていた。
じつは、ファインダー越しではなく肉眼で、波頭の人形を幾度か、確かに見ていた。
古のファンタジーと、峻厳な映像とを重ね合わせながら。
8日後、この南の海までもが騒然とした、あの大津波。
この日を境に、波を見る此岸の意識はまた、異質なものへと変わったと思う。
この写真にも、あの日の二つの想い、そして、津波への想いが重なる。
何かを投影するのではなく、波そのものへの言い知れぬ感情。
潮が、波が、満ちて、引いて。
そんな三つの想いに、もうひとつ、お盆のお迎えを重ねる。
もう一度、静かに、写真の中の波頭を見る。
「おかえりなさい」
海は穏やかに、連綿と、生命に満ちて。

変わりゆくもの 変わらないもの
通り過ぎるだけの旅人が
思い出を思い出のままに 残したがる旅人が
暮らしとともに変わりゆくその先を
時間に抗って語ることは 慎まなければならない
それでも 変わらずにいてほしいものへの
熱烈なる愛を語ることは 許されると思う
日常の中で忘れそうになっている
そこに暮らす人の来し方と 共鳴しあうこともできると思う
この港も 漁船も 市場も 祭も 時化も凪ぎも
ひとつの復興から始まって
人々が暮らし 去来して 記憶の中に
やがて 橋が架かる

海は地球上で最大の太陽光パネルだと思う
波力発電や潮力発電なんていう 人為のレベルの事象ではなく
海流や潮汐を生み 夥しい生命を育み 蓄熱と放熱を繰り返す海
地球表層のエネルギーの源
といった程度の 茫漠とした科学的理解のレベルを以ってしても
人間が見たり 恩恵にあずかったり コントロールできると信じ込んでいるのは
そのほんの一部分であるということを
経験と本能と想像力と さらには人類普遍の畏敬といったレベルで
知っているし いつの間にか学んでいる

「You know」
海に祈る聖なる場所の 対岸のトモダチも
そうは思わないかい?

海から神が現われ 陸にあがり国をひらくよりも
陸から人が現われ 海を訪れ海を愛でる確率のほうが圧倒的に高い
海が人に 災厄や悲しみをもたらすよりも
海が人に 恵みや喜びをもたらす確率のほうが圧倒的に高い
自然が人間の 想定内に振る舞ってくれる確率はそれなりに高いのだが
自然が人間の 意のままになるという目算との間には
天文学的とまでは言わないまでも地球史的な
有意差がある
謙虚な良識さえ持てば その膨大な数式の検算も
神の領域ではないと思うのだが
砂浜に消えない式を描くか
水平線と地平線の高さに腰をおろすか

走れなければ 泳げなければ
なにか浮いているものに 流れてくるものに
飛び乗りなさい しがみつきなさい
もう 遠くへ行くこともないだろうと
大地に繋がれていない 老犬よ
今日も黙祷をしなかった
6月や8月に巡ってくる 戦没者を悼む日と同じように
今日の「その時」も 目を見開いていた
亡き人を想い 想いつづけ あるいは 語り伝えられた人々の
今また 押しつぶされそうな現実に対峙する人々の
その表情を見つめる
目を閉じて
触れ合うことなく通り過ぎてしまった 亡き人々を悼む礼節よりも
いつかどこかで 触れ合うことのあるかもしれない人々の今に 目を凝らす
疲れてはいないか 放心してはいないか 感情を押し殺しすぎてはいないか
どうやって心を近づけ つながっていけばいいのか
今日の被災地の テレビカメラを通じた映像でしかないのだが

「星には夜があり そして 朝が訪れた」
なんにもしない朝 気のすむまで
「雲が流れ 時が流れ 流れた」
なんにもしないで すべてに見とれる こころをひらく
「なんにもない大空に ただ雲が流れた」
なんてぜいたくで なんて幸せなのであって
そんな幸せが突然に終わったいくつもの物語を
風の音に聞きながら 波濤の向こうに見ながら
もう少しだけ なんにも考えない
「はじめ人間」も 現代人も
朝を迎えれば やがて 夕べを迎えると思って
それくらいのことを考えながら生きている
このところ
天災の不条理と戦争の非情とが 頭の中で混乱している
比べるものでもないというのに
沖縄を向きながら そんな季節を迎える
-Special Thanks-
「やつらの足音のバラード」
作詞:園山俊二 作曲:かまやつひろし
朝まで飲んで、空白む武夫原で唄った青春のうた

去年の夏 立ち尽くした荒崎海岸へ
雲間から光の帯
遠く海岸線は光の粒に霞む
炎天下の波飛沫の記憶
ストロマトライトのような 足元の造形
潮溜りの底まで覆う 藻類の森
遠い潮騒と近くの静寂の中で
おびただしい呼吸と光合成の気配
人間の歴史を忘れ
しばし 地球の生命誕生の現場を想う
近くの静寂の中で 小石が跳ねる
跳ねて転がる 転がり落ちる
落ちた先で 小石のようなヤドカリが
次々と目覚めていた

「鮪に鰯」という詩があり 歌にもなっていて
時おり 口ずさんだりもする
今次の震災の第一報を受けて
漁師さんや 漁師さんの暮らしや 漁船や 漁港へ
津波が押し寄せた様を見て
茫然自失の後に
今度は 近海マグロや イワシが食べられなくなるのか
などと思ったりもした
人命を想う憔悴の後に
濁流の上を行くあてもなく舞う水鳥たちの狼狽や
海中の生命や生態系の破局を思ったりもした
やがて 時間の経過とともに
この震災を生き延びた海や陸の万物にも
ビキニのマグロと同じ脅威が降り注ぐということが見えてきた
脅威を引き起こした人類の愚に 程度の差こそあれど
貘さん夫妻は 死にたくないので あるいは 貧しさゆえに
鮪を食べずに鰯を食べるという選択もできたのだが
どうも我々は
地球に対する責任の一端を 我が身の内に生体濃縮しながらでも
生きるためにいただける生命は 口にしていかねばならないのではないか
そんなふうに思う
そして
気仙沼や八戸をはじめとする東北の港から いつか再び届く海の幸を
進んで食卓に並べたいと思う
そのときまでには
台所や茶の間に 火鉢の灰があるような暮らしを選ぶかどうか
そんなことも同時に 考えておかねばならないとも思う
糸満の絶品マグロの話は また 後日
-Special Thanks-
山之口貘さん
高田渡さん

16年前 神戸
飼い主をなくした柴が 同胞とじゃれながら車道を往った
乾いた冬の夕があったそうだ
お前は そんな日や同胞のことを知るよしもなく
私は 悲しくてすべてを笑うような現実を知らない
ただ 16年前の春
新大阪行きの夜行列車「あかつき」で夜明けを迎え
災害報道で見知った土地の名の駅を通過しながら
灰土色とブルーシートに覆われた 遮るもののない街の朝を眺めながら
かすかな人の営みを探そうと 私は
ガラスの向こうに目を凝らしたことがあった
幾年月かが過ぎて
今宵 満月の夕

-Special Thanks-
「満月の夕」を歌い継ぐみなさま
作詞・作曲 : 中川敬 山口洋

「戦後引揚者上陸碑」を探し歩いた浜で見た大木
戦世から過ぎた時を基準に その年輪と漂泊の時間を想う
暖火にくべるには十分すぎるか 運ぶには重かろうかと
今 この海にもつながる 災禍の地を想いつつ
温もりの一端から引き剥がされて
一週間も経っていないという時を基準にすると
彼の地に折り重なる木々の漂泊は あまりにも短すぎるとも思う
それでも 多くの木々が暖火としてその漂泊を終えるのだろう
油の一滴でも届けて欲しいと 願う夜に

己を空しくした 祈りの言葉には
虚栄も偽りもなく
寛容を失った正義の怒号もなく
全能の傍観者が紡ぐ空疎なつぶやきもなく
ただ 万物と共鳴する声が
遠く静かに海を越え 想いの彼方へと届くのか
記憶の中の そんな祈りの様を
遠い眼前の声や声やに対置して
指先とキーボードと電磁の狭間でつむぐ
声なき己の虚しさよ
明日なすべきことを前にして
ニュースに耳目を向けながら
茫洋と革靴を磨きながら
弟が現地へと派遣されると知らされた妻に問われ
言葉にすべき言葉を探して
空元気を声にする
「好き嫌いはあったっけ?」
言葉は声なきメールとなって
声なきケータイに共鳴する

陽の下も 雲の下も 同じ朝
光の行方は 風のみぞ知る
Search
2011-12-11
それでも、海と-2011

童神の絶対の信頼に応えるために
この日はまだ 海と人を知ればよかった
この島の歴史 この島のじんぶん この島の風土 この島の神々
「トモダチ」も有事になれば銃を手に
この島からジャングルや砂漠へと飛び立ちます
「被災地」「原発」「復興」を伝えるニュースの片隅で
被災した方と手を握り合う「トモダチ」の映像につづいて
この島で行われている「トモダチ」の訓練の映像が流れた後に
「トモダチ」がこの島にいる理由が なんの疑問符もつかないままに報じられたりする
目の前の天願桟橋 集落の中に君臨するタンクファーム
広大な海兵隊のキャンプ そして司令部
この島の戦世 この島のアメリカ世 この島の今
海も人も ときに猛り狂うけれど
分かり合えれば ずっと「トモダチ」でいられるはずだと
童神に伝えてよいものか
そして この島の歴史も じんぶんも 風土も 神々さえも知らぬ
目には見えない猛りの波が 海からも空からもやってくるのか
童神を守ってやれるのか
あの日からまた おじぃのちぶるやみーが増えた
-2010.10.11 うるま市 昆布-
2011-10-11
それでも、海と-2011

困ったときの助け合い それはそれとして感謝して
でも 本当のトモダチだったら 言いたいことを言い合わなきゃ
・・・って だれに向かって言えばいいのか
鉄条網だった浜のフェンスは あの震災の後
コンクリートと金網と有刺鉄線の壁になりました
海の中までせり出して
トモダチはキレやすくて 好き嫌いがハッキリしすぎていて
理詰めなんだけど屁理屈も多い正義漢
そして 見かけによらず臆病だったりもするから
いつも強気な態度に出ちゃうのかもしれない
そんなトモダチが 心に壁を作ったまま 腹に弾薬庫を抱えたまま
そばにいてくれようとする
みんなのものを大事にしないのにも 困ってしまう
-2011/6/21 名護市 辺野古・米軍キャンプシュワブ 上空-
2011-08-11
それでも、海と-2011

「人が、こっちに向かって来てる?」
「波の中に、だれかいる?」
2Lより少し小さい、KGサイズにプリントした写真を見た方から、
そんな声が返ってくる。
「ああ、やはり、そんな風に見えるんだな」
プリントよりずいぶん大きなパソコンの画面でこの画像を見ている私は、
驚くよりむしろ、小さな喜びとともに、そう思う。
中央の波頭の左右に、人形(ひとがた)が浮かんでいるように見える。
波とともに、まさにこの岸へと向かってくるという意思を持っているかのようにも見える。
古人の思い描き、様々な思いを込めた、魂を表象する造形に似ている気もする。
軽やかに波に乗りながら、身を乗り出してこちらの様子を窺っているような、
人間臭い気配も感じる。
それでも、それは、波と波とが戯れる舞いの一瞬の偶然。
風と、潮と、岸辺の地形の織りなす、無限の意匠のひとつ。
やがて岸へと至り、泡沫となる曼荼羅。
「どちらかというと、巨大なウミウシのようにも見えるんだけど」
そんな無粋な言葉の後に、この浜の、岸辺の地形の話をする。
この島を訪れるたびに、朝は必ず、この浜で迎える。
潮が引いた朝には、珊瑚の欠片と白砂の岸に、大きな一枚岩が現れることも知っている。
なので、潮が満ちた、波の高い朝に、その一枚岩のあたりで、
打ち寄せる波が複雑にぶつかり合い、かたちを変える様を見つづけるのは、
ひとつの楽しみでもある。
そんな楽しみの中にあって、それでも波は、ときに、はっとするような変化を見せる。
海が盛り上がり、一瞬、腰が引けるような波が現れる。
直後に波飛沫が、靴とその周りの白砂を洗う。
海から人が、だれかが、やってくる。
そんな彼岸の物語が、この写真の中にあるのかどうかは分からない。
此岸に立つ者の時どきの想いによって、物語は移ろう。
人形はすでに、いつも、自然とともにあり、天上の時間の中にある。
海とともに生きてきた、古人から連綿と受け継がれる宗教世界。
そんな歴史を打ち砕いた戦世の中、海に散ったあまりにも多くの生命の悲話。
この朝、その二つの想いとともに、海を、波を見ていた。
じつは、ファインダー越しではなく肉眼で、波頭の人形を幾度か、確かに見ていた。
古のファンタジーと、峻厳な映像とを重ね合わせながら。
8日後、この南の海までもが騒然とした、あの大津波。
この日を境に、波を見る此岸の意識はまた、異質なものへと変わったと思う。
この写真にも、あの日の二つの想い、そして、津波への想いが重なる。
何かを投影するのではなく、波そのものへの言い知れぬ感情。
潮が、波が、満ちて、引いて。
そんな三つの想いに、もうひとつ、お盆のお迎えを重ねる。
もう一度、静かに、写真の中の波頭を見る。
「おかえりなさい」
海は穏やかに、連綿と、生命に満ちて。
-2011/3/3 伊江島-
2011-06-06
それでも、海と-2011

変わりゆくもの 変わらないもの
通り過ぎるだけの旅人が
思い出を思い出のままに 残したがる旅人が
暮らしとともに変わりゆくその先を
時間に抗って語ることは 慎まなければならない
それでも 変わらずにいてほしいものへの
熱烈なる愛を語ることは 許されると思う
日常の中で忘れそうになっている
そこに暮らす人の来し方と 共鳴しあうこともできると思う
この港も 漁船も 市場も 祭も 時化も凪ぎも
ひとつの復興から始まって
人々が暮らし 去来して 記憶の中に
やがて 橋が架かる
-2011/3/5 糸満漁港(糸満市)-
2011-05-06
それでも、海と-2011

海は地球上で最大の太陽光パネルだと思う
波力発電や潮力発電なんていう 人為のレベルの事象ではなく
海流や潮汐を生み 夥しい生命を育み 蓄熱と放熱を繰り返す海
地球表層のエネルギーの源
といった程度の 茫漠とした科学的理解のレベルを以ってしても
人間が見たり 恩恵にあずかったり コントロールできると信じ込んでいるのは
そのほんの一部分であるということを
経験と本能と想像力と さらには人類普遍の畏敬といったレベルで
知っているし いつの間にか学んでいる

「You know」
海に祈る聖なる場所の 対岸のトモダチも
そうは思わないかい?
-2011/2/25 三重城(那覇市)-
2011-04-15
それでも、海と-2011

海から神が現われ 陸にあがり国をひらくよりも
陸から人が現われ 海を訪れ海を愛でる確率のほうが圧倒的に高い
海が人に 災厄や悲しみをもたらすよりも
海が人に 恵みや喜びをもたらす確率のほうが圧倒的に高い
自然が人間の 想定内に振る舞ってくれる確率はそれなりに高いのだが
自然が人間の 意のままになるという目算との間には
天文学的とまでは言わないまでも地球史的な
有意差がある
謙虚な良識さえ持てば その膨大な数式の検算も
神の領域ではないと思うのだが
砂浜に消えない式を描くか
水平線と地平線の高さに腰をおろすか
-2011/3/5 ヤハラヅカサ(南城市 玉城百名)-
2011-04-11
それでも、海と-2011

走れなければ 泳げなければ
なにか浮いているものに 流れてくるものに
飛び乗りなさい しがみつきなさい
もう 遠くへ行くこともないだろうと
大地に繋がれていない 老犬よ
-2011/2/26 北中城村 熱田-
今日も黙祷をしなかった
6月や8月に巡ってくる 戦没者を悼む日と同じように
今日の「その時」も 目を見開いていた
亡き人を想い 想いつづけ あるいは 語り伝えられた人々の
今また 押しつぶされそうな現実に対峙する人々の
その表情を見つめる
目を閉じて
触れ合うことなく通り過ぎてしまった 亡き人々を悼む礼節よりも
いつかどこかで 触れ合うことのあるかもしれない人々の今に 目を凝らす
疲れてはいないか 放心してはいないか 感情を押し殺しすぎてはいないか
どうやって心を近づけ つながっていけばいいのか
今日の被災地の テレビカメラを通じた映像でしかないのだが
2011-03-30
それでも、海と-2011

「星には夜があり そして 朝が訪れた」
なんにもしない朝 気のすむまで
「雲が流れ 時が流れ 流れた」
なんにもしないで すべてに見とれる こころをひらく
「なんにもない大空に ただ雲が流れた」
なんてぜいたくで なんて幸せなのであって
そんな幸せが突然に終わったいくつもの物語を
風の音に聞きながら 波濤の向こうに見ながら
もう少しだけ なんにも考えない
「はじめ人間」も 現代人も
朝を迎えれば やがて 夕べを迎えると思って
それくらいのことを考えながら生きている
このところ
天災の不条理と戦争の非情とが 頭の中で混乱している
比べるものでもないというのに
沖縄を向きながら そんな季節を迎える
-2011/3/3 伊江島-
-Special Thanks-
「やつらの足音のバラード」
作詞:園山俊二 作曲:かまやつひろし
朝まで飲んで、空白む武夫原で唄った青春のうた
2011-03-27
それでも、海と-2011

去年の夏 立ち尽くした荒崎海岸へ
雲間から光の帯
遠く海岸線は光の粒に霞む
炎天下の波飛沫の記憶
ストロマトライトのような 足元の造形
潮溜りの底まで覆う 藻類の森
遠い潮騒と近くの静寂の中で
おびただしい呼吸と光合成の気配
人間の歴史を忘れ
しばし 地球の生命誕生の現場を想う
近くの静寂の中で 小石が跳ねる
跳ねて転がる 転がり落ちる
落ちた先で 小石のようなヤドカリが
次々と目覚めていた
-2011/3/6 大度海岸(糸満市)-
2011-03-22
それでも、海と-2011

-2011/3/5 糸満漁港(糸満市)-
「鮪に鰯」という詩があり 歌にもなっていて
時おり 口ずさんだりもする
今次の震災の第一報を受けて
漁師さんや 漁師さんの暮らしや 漁船や 漁港へ
津波が押し寄せた様を見て
茫然自失の後に
今度は 近海マグロや イワシが食べられなくなるのか
などと思ったりもした
人命を想う憔悴の後に
濁流の上を行くあてもなく舞う水鳥たちの狼狽や
海中の生命や生態系の破局を思ったりもした
やがて 時間の経過とともに
この震災を生き延びた海や陸の万物にも
ビキニのマグロと同じ脅威が降り注ぐということが見えてきた
脅威を引き起こした人類の愚に 程度の差こそあれど
貘さん夫妻は 死にたくないので あるいは 貧しさゆえに
鮪を食べずに鰯を食べるという選択もできたのだが
どうも我々は
地球に対する責任の一端を 我が身の内に生体濃縮しながらでも
生きるためにいただける生命は 口にしていかねばならないのではないか
そんなふうに思う
そして
気仙沼や八戸をはじめとする東北の港から いつか再び届く海の幸を
進んで食卓に並べたいと思う
そのときまでには
台所や茶の間に 火鉢の灰があるような暮らしを選ぶかどうか
そんなことも同時に 考えておかねばならないとも思う
糸満の絶品マグロの話は また 後日
-Special Thanks-
山之口貘さん
高田渡さん
2011-03-20
それでも、海と-2011

16年前 神戸
飼い主をなくした柴が 同胞とじゃれながら車道を往った
乾いた冬の夕があったそうだ
お前は そんな日や同胞のことを知るよしもなく
私は 悲しくてすべてを笑うような現実を知らない
ただ 16年前の春
新大阪行きの夜行列車「あかつき」で夜明けを迎え
災害報道で見知った土地の名の駅を通過しながら
灰土色とブルーシートに覆われた 遮るもののない街の朝を眺めながら
かすかな人の営みを探そうと 私は
ガラスの向こうに目を凝らしたことがあった
幾年月かが過ぎて
今宵 満月の夕

-2011/3/6 糸満市 北名城-
-Special Thanks-
「満月の夕」を歌い継ぐみなさま
作詞・作曲 : 中川敬 山口洋
2011-03-17
それでも、海と-2011

「戦後引揚者上陸碑」を探し歩いた浜で見た大木
戦世から過ぎた時を基準に その年輪と漂泊の時間を想う
暖火にくべるには十分すぎるか 運ぶには重かろうかと
今 この海にもつながる 災禍の地を想いつつ
温もりの一端から引き剥がされて
一週間も経っていないという時を基準にすると
彼の地に折り重なる木々の漂泊は あまりにも短すぎるとも思う
それでも 多くの木々が暖火としてその漂泊を終えるのだろう
油の一滴でも届けて欲しいと 願う夜に
-2011/2/26 中城村 久場崎-
2011-03-16
それでも、海と-2011

己を空しくした 祈りの言葉には
虚栄も偽りもなく
寛容を失った正義の怒号もなく
全能の傍観者が紡ぐ空疎なつぶやきもなく
ただ 万物と共鳴する声が
遠く静かに海を越え 想いの彼方へと届くのか
記憶の中の そんな祈りの様を
遠い眼前の声や声やに対置して
指先とキーボードと電磁の狭間でつむぐ
声なき己の虚しさよ
-2011/2/25 三重城(那覇市)-
明日なすべきことを前にして
ニュースに耳目を向けながら
茫洋と革靴を磨きながら
弟が現地へと派遣されると知らされた妻に問われ
言葉にすべき言葉を探して
空元気を声にする
「好き嫌いはあったっけ?」
言葉は声なきメールとなって
声なきケータイに共鳴する
2011-03-14
それでも、海と-2011

陽の下も 雲の下も 同じ朝
光の行方は 風のみぞ知る
-2011/3/1 嘉手納町~読谷村沖 マリックスライン「クイーンコーラル8」船上-