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2013-08-15



うちなーバス旅情 糸洲 西日に頬を照らされながら

  
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  「この暑い中、お散歩ですか? どこまでお帰りですか?」

  そんなふうに、声をかけたくなるようなご老人。
  眩い西日の中から影のまま、よんな~よんな~歩いてこられて、近づいて。
  三歩進んでは立ちどまり、四歩進んでは深い息。
  まっすぐと前へ、焦点は彼方にあるようで。
  やがて、バス停が作るささやかな影の中で、
  ようやく互いの表情を認め合えるようになって。
   
  そのご老人が、こう、おっしゃるのです。

  「この暑い中、ご旅行ですかな? どこまでお行きなさいますかな?」

  じゅんウチナーンチュの慎ましやかな好奇心からか。
  あるいは、塩を吹くTシャツに玉の汗の旅人を案じてか。

  「大度まで参ります。今日は朝からたくさん、歩きました。
   新城、具志頭から仲座、そして、こちらの糸洲まで。
   もうすぐ、バスが来ますので、大度まではバスに乗って行きます」

  「ほお、それはよろしい。無理はしないのが、よろしいでしょう」

  はにかんだような笑顔が、目を細めて、そう、おっしゃるのです。

  「バスに乗って、大度の民宿で汗を流して、
   それから、あとはゆっくり、海辺で夕陽を見ようと思っております」

  「ほお、それはよろしい。よろしいことですな」

  はにかんだような笑顔は、安堵を浮かべ、
  また焦点を彼方に、東へと向き直るのです。
  そして、もうひとふんばりの決意を、穏やかにまなじりに浮かべ、
  深い息を吐くのです。

  「御宅はお近くですか? まだまだ暑いです。どうぞ、ご無理をならぬよう」



  西日に背中を押され、いくぶん軽やかになったような足取りを見送りながら、
  こんな写真を撮らせていただきながら、ふと、思ったのです。
 
  「バスは一本、遅らせても大丈夫です。
   もうひとがんばりして、波平入口か山城入口まで、歩くのもいいでしょう。
   途中まで、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

  そう言って、一緒に西日に背中を押されながら、
  同じ道を歩かせていただいてもよかったかと。

  そして、糸洲のバス停でひとり、バスを待つような旅人は、
  この土地の歴史を素通りはしない。
  そんな眼差しで、ご老人は、声をかけてくださったのではないかと。

  「考えすぎかな」

  日没まであと2時間ちょっと。
  この夕陽に染まる海と空を、やはり、見たい。
  アコークローに染まって、夕凪に包まれたい。





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  「無理はしないのが、よろしいでしょう」

  そのお言葉をリフレインしながら、
  眩い西日の中からバスが現れるのを、待ったのでした。


-2013/6/30 糸満市 糸洲-



2013-01-05

うちなーバス旅情 39番 あがいてぃーだへ走る

    
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     朝の海を見に行くバスは やはり東へ向かいます
     だいたい知念か 玉城方面行き R329からR331へ

     今回は 39番・新原ビーチ行きで 垣花へと向かいます





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     朝の海を見に行くバスは だいたい早起きで
     車中でニーブイするつもりで 夜ふかししたり 飲みすぎたりするのですが

     兼城十字路あたりまでは そんなことを夢見ているのですが





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     あがいてぃーだは窓の外 左頬を照らしたり 前から誘ったり
     新里ビラと一緒になって ニーブイさせてくれないのです

     久高島へ渡った朝も 新原ビーチへ向かった朝も そんなでした





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おはよう!

    



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     ありあり わらばー! いぇー わらばー!

     走行中は 走らんけ 歩かんけ
     両替は バスが停まってからしなさい
     朝から元気やさ ニーブイできんやさ

    (注:運転手さんは、ちゃんと注意していました)


-2012/11/12 南城市 佐敷~玉城あたり-



2012-11-03

うちなーバス旅情 ターミナル・サンセット

    
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ほっとします 我が家へ戻ったように





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今日できることはしたよと 長い影にたちどまり





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朝は早いのです 夜は長いのです 夕凪は再生のときなのです



-2012/3/24 那覇バスターミナル-



2012-10-26

うちなーバス旅情 第二富盛 シーサーのいるバス停

    
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     こうやって見ると、なかなか立派な佇まいだし、なかなか絵になっているではないか。

     あのときは、ごめん。
     バス停の作りものだなんて、軽く流してしまって、ごめん。

     あのときはこうやって、反対側のバス停から眺めるような余裕もなかったな。
     勢理城から降りてきたときは、でーじな状況でもあったし。





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     2008年春、初めての沖縄ひとり旅、バス&歩き旅で、
     最初に降り立ったバス停がここ、第ニ富盛。

     34番、那覇発・東風平経由・糸満行きの始発バスで、午前7時前に着いた。
     運転手さんとひと言二言会話を交わし、バスのエンジン音が去ったあとは、
     朝の静けさに包まれた。
     時おりこだまするのは、シロガシラの声だったか、ヒヨドリの声だったか。

     未明からの雨があがり、すべてが濡れていた。
     雲間の朝陽が少しずつ、道や木々を照らし始めていた。
     左と右の丘を意識しながらも、路は輝いていた。
     背中の荷物は馬鹿みたいに重かった。
     丘も歴史を背負っていた。

     やはり雨に濡れて、ちょっとくすんだ色になり、生した苔が浮かび上がり、
     口の中に小さな塵芥が溜まった、そんなシーサーを一瞥する。
     作りものだなんて、とても軽くあしらってしまったのは、このあと訪れることになる、
     本物の富盛の石獅子のことに、強く意識が向いていたから。

     勢理城の頂上から八重瀬嶽を見据える富盛の石獅子。
     このときはまだ、集落を守る石獅子でも、「ひーざん」を見据える石獅子でもなかった。
     ひとの暮らし、営み、想い、そして、琉球の長い歴史が見えていなかった。
     ただただ、日米両軍が対峙する最前線で、弾除けに使われ、弾を浴び、
     戦世を見据え、戦世を静かに語りつづけてきた象徴。
     それが、この朝、会いに行った富盛の石獅子のすべてだった。

     だから、バス停で微笑むシーサーを、まるで観光地のモニュメントのようだと、
     しっかり見ることもなく、軽く流してしまった。
     いや、こわばっていた心が、少しだけ、ほぐれはしたのだけど。



     バス停の椅子で、重い荷物を背負いなおし、まず、左側の丘へと急坂を登った。
     八重瀬嶽の白梅学徒看護隊之壕を目指した。



     初めての旅のころに比べて、ずいぶんと多くのことを見聞きして、知ってきたけれど、
     でも、初めての旅のときの感覚、心の感覚、皮膚感覚も、忘れずにいたい。





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     八重瀬嶽から下りて、道を渡り、右の丘、勢理城へ登る。
     富盛の石獅子に会って、ガジュマルの向こうに輝く初めての朝陽を見て、
     雨上がりの石段を、カタツムリを踏まないように下っているとき、落ち葉に足を取られて。

     背中の荷物がなければ頭を強打したのではないかというほどに、派手に滑りこけて。
     お尻が泥んこになって。

     糸満へと向かうため、ふたたび、数時間前に降り立った第二富盛バス停に立つ。
     糸満市街へと向かう高校生たちの声で、バス停は朝の賑わいの中にある。
     その賑わいの中にきっと、バス停のシーサーもいたはずだけれど、
     お尻が泥んこのうぶな旅人は、その賑わいから距離を置いて、立つ。
     洗濯のことだけを考えて、とぅるばっている。



     バス停のシーサーと再会するのは、4年後の、今年の春。



     春、夏、秋。
     八重瀬嶽から与座岳へ。
     今年の夏、暑さと寝不足と連日の強行日程ゆえに、あきらめた行程を、
     遠からず、歩いてみようと思う。

     スタートは4年前の春と同じ、このバス停になると思う。
     あのときと同じ始発のバスで、陽が昇るころに降り立つと思う。

     バス停のシーサーに微笑んでから、そして、八重瀬嶽の壕の前に立ちどまるだろう。
     去年の春の入壕のことを、どれだけ深く思い出せるだろうか。
     そして、あのドラマのロケ地にもなった、今日の平和を思うだろう。
     (まだ、オンエアを見ていないけれど、何か深いメッセージが込められているかもしれない)


-2012/3/27 八重瀬町 富盛-



2012-10-15

うちなーバス旅情 手紙 ~ 新たな旅へ

    
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-2010/10/13 那覇バスターミナルから夕陽を望む-

     
     つい先日、こんな写真をポストカード用紙にプリントして、
     用件の最後に、感謝や敬慕の想いを、さりげなく、ひっそりと書き添えて、
     いや、書き添える代わりに、この写真に込めて、
     返信用の240円分の切手を同封して、那覇へと送りました。

     すぐにお返事が届きました。
     さりげなく、ひっそりとお伝えした想いを、
     しっかりと受けとめていただけたことが伝わってくる、
     温かいお言葉が綴られていました。

     『バス運行時刻表』(平成24年3月現在)

     社団法人沖縄県バス協会さんから送っていただきました。
     これが2代目になります。



     自他共に認めるバス旅行(沖縄限定)愛好家。
     系統番号で、だいたいの行き先が分かり、
     初めて乗る路線に心ときめかすバスマニア。

     とはいうものの、最初の頃はやはり、複雑な路線を乗りこなすのに苦労をしていました。
     さらに、一歩家を出ると、移動通信手段や携帯端末を持ち歩かないという原始人。
     大好きなバスに乗るために、その旅で利用しそうな路線のダイヤを、
     旅立ち前にパソコンからプリントアウトし、ときにはエクセルで加工までして、
     道中、後生大事に持ち歩くなんてことをしていました。
     
     そんなスタイルが変わったのが、昨年の夏。
     那覇空港に着いてすぐ、沖縄観光コンベンションビューローの窓口を訪ねたときのこと。
     「バスマップ」の最新版が発行されていませんかと、ほぼ毎回、おじゃまする場所。

     「そんなにバスがお好きならば」と、
     このとき差し出していただいたのが、『バス運行時刻表』(平成23年3月現在)でした。

     そのときの喜びといったら、沖縄旅行初日にして早くも、
     その旅の最高のお土産を手にしたような心持ちでした。
     旅をしながら、柔軟に、果敢に、でーげーに、旅をアレンジできる。
     そんな宝物を手にしたような気分でした。



     その後の旅では、深夜や早朝の宿で、公園のベンチで、はたまたバスの車中で、
     まるでシナプスが結合するように、次々と、旅のプランができあがっていきました。
     アクロバティックな乗り継ぎの成功に、「したいひゃ~」を叫んだり。
     日没の時間とバスの時刻とを両睨みで、ぎりぎりまで、いちゃんだビーチでとぅるばったり。

     そしてそして、どこへでも携行できるこの時刻表、
     活躍するのは旅の途中にとどまりません。
     仕事の休憩時間にも、次なる旅のプランを、
     空想ではなく具体的に、考えたりすることもできます。
     さらに、知人から沖縄バス旅行のアドバイスを受けようものなら、
     嬉々として、綿密にプランニングして謹呈します。



       新原ビーチから、玉泉洞に行きたい?
       百名までは、けっこう登り坂だけど、歩いていい?

       だったら、百名のバスターミナルから・・・、
       そうそう、百名っていうバス停の前を通ると思うけど、
       ここからは別の系統のバスしか出てないから気をつけてね。
       広いバス駐車場があるところが百名バスターミナルだからね。

       ここから、50番系統の那覇行きのバスに乗って、
       長毛(ながもう)っていうバス停で降りてね。
       車内アナウンスをしっかり聞いて、堀川っていうところを過ぎたら、すぐだから。

       そして、長毛で降りたら道路を渡って、反対側のバス停に行って、
       そこで、82番か、83番の玉泉洞行きに乗れば、あとはもう、終点までだから。

       まあ、長毛でうっかり降りそこなっても、港川とか、具志頭まで行っちゃっても、
       82番、83番に乗れるから・・・って、
       いや、まあ、乗る前に運転手さんに、「玉泉洞行きに乗り換えます」って言っておけば、
       やさしく教えてくれるから、大丈夫、大丈夫。

       あっ、でも、ひとつだけ。
       五千円とか一万円とか両替できないから、千円札と小銭をしっかり持って行ってね。

       ところで、玉泉洞から、そのまま那覇まで帰るの?
       糸満とか南風原とか、寄っていかない?



     こんな感じやいびん。
  

  
     さて、この時刻表を開いて、また、次の旅の準備を始めましょうか。

     最近は、年のせいか、いや、やりたいことが多すぎて時間が足りないせいか、
     西町の民宿から那覇の街に出るときにも、
     那覇港前バス停から、市内バスのお世話になることが増えました。

     さてさて、西町から上之屋に行くには、3番系統で泊高橋まで行けばいい、と。
     で、帰りはけっこう遅くなるけど、上之屋発23時07分の23番系統で、
     バスターミナルまで戻ればいいか。

     などなど。





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-2012/3/24 ベンチにて行程手直し中 (いこいの市民パーク・宜野湾市)-

     こんな場面も、また、増えるんだはず。



    (追伸)

     台風被害があった地域の路線、通常運行に戻れているのでしょうか。


-Special Thanks-
  社団法人 沖縄県バス協会さま


2012-06-26

うちなーバス旅情 107番・108番

   
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     糸満と摩文仁の間を数往復する、82番の臨時便が走った慰霊の日も、
     いつもと同じように、いつもの生活に寄り添って、
     南部の村から村を何周か、循環したのだろうか。
     いつもより多く、歩く人や行き交う車に遠慮しながら、いつにも増して、ゆっくりと。

     糸満、高嶺、真壁、摩文仁、真壁、喜屋武、真壁、糸満。
     糸満、真壁、喜屋武、真壁、摩文仁、真壁、高嶺、糸満。





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     糸満市場入口からひとり、ひっそりとした車内に乗り込んだりすると、
     「どちらまでですか」と、運転手さんに尋ねられたりする。

     地域の皆さまの足に見慣れない顔。
     行き先は真栄平だったり、南山城址だったり、喜屋武だったり。

     「後から来る反対回りの方が早いですよ」なんて、教えてもらったこともあったけれど、
     米須や、ひめゆりの塔あたりだったら、どちらから回っても大して変わりはないので、
     「急ぐ旅でもないので、ゆっくり景色を楽しみます」なんて応えて、
     そのまま乗り込んで、そのまま話し込んだりした。
     話の流れで、降りるバス停を変えたこともあった。


     


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     南部を歩き疲れて、バス停にたどり着き、
     一刻も早く、糸満のまちぐゎーで、かき氷かビールにありつきたいなんて思っていると、
     そんな時はかんなじ、82番ではなく、ちょっと寄り道をする107番がやってくる。

     シートに腰をうずめてぼんやりと、窓の外を行ち戻いする、喜屋武の風景を眺める。



     今年の夏は、日が暮れてのち、喜屋武のバス停で、
     107番の糸満行き最終の、一本前のバスを待っていたりするかもしれない。
     

-2011/6/17-


2012-05-14

うちなーバス旅情 4年前のすーみー

   
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     初めての沖縄 徒歩&バスの旅
     旅も大詰め 読谷からコザ 北中城を経て 那覇へと戻る

     戦後復帰を迎えた頃 みんながどんな夢を見たのか
     この旅ではまだ 知ることはなかった



     北谷の「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」では
     どうふるまっていいのかわからないまま 一緒に雨の中にいたけれど

     ジャッキーステーキハウスには 二日連続で通ったけれど

     復帰前からつづく 「愛されて40年」(当時)の食堂と 今日につづくご縁ができたけれど

     同じく 今もご縁がつづく那覇の定宿は 「復帰っ子」だったけれど

     地図には載っている「象の檻」がなくなっている経緯を何も知らず
     広々とした空き地でとぅるばったりしたけれど

     戦跡を巡った南部では 戦後から現在のことを感じる余裕がなかった
     三和村という名前を 地図に書き込んではいたけれど

     「丸安そばのおばぁ」から「平和通りのおばぁ」への豹変にどぅまんぎるのは この翌日

     そんないろいろなことが まだ
     歴史の縦糸として紡がれていなかった

     ぼんやりと次の旅のことを もっと深く見なければならないことを
     縦糸横糸こんがらがって 考え始めてはいたけれど



     「内地で仕事を探そうかね」
     車窓景を撮ろうとして そんな沖縄の後姿も見ていたけれど

     すーみーなんてウチナーグチも まだ知らなかったけれど


-2008/3/25 読谷~嘉手納あたり-


-Special Thanks-
  『オジー自慢のオリオンビール』/BEGIN


2012-01-31

うちなーバス旅情 那覇バスターミナル 2010秋

   
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     移ろいゆく景色というと
     あったものがなくなったり なかったものがあらわれたり
     そんな時間の一方通行を 思うのですが

     あったものが ひとときなくなって またあらたにあらわれる
     そんな時間の行きつ戻りつもまた
     移ろいゆく景色を演出するようで


       茜色ぬ空 那覇港染みてぃ 小禄豊見城 六日月夜

 
     県の南部合同庁舎がなくなって ぽっかりと見通しがひらけて
     バスターミナルから那覇港が 小禄あたりの丘陵が アコークローが 見わたせた秋
     街の再開発が ひととき開いた扉

     移ろいゆく時の中に 通り過ぎた景色
     今はもう 新しいビル群の向こう側 新しい時間の向こう側

     何気なく記録に残した 定点観測



     そして 数え切れない旅の起点にして終着点
     愛すべき那覇バスターミナルはこれからどうなるのか
     バスが片寄せあう休息の場はずっとこの地にあるのか
     などというのは 旅人の感傷に過ぎないのですが

     那覇港の民間用ではない埠頭の行く末は
     この界隈を徘徊しつつ 定点観測


-2010/10/13 那覇バスターミナル-



2012-01-28

うちなーバス旅情 車窓景 平良湾

   
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     田港から乗ったバスは、塩屋湾の奥へ、やがて、大保大川の蛇行から徐々に外れて、
     所謂「STライン」の上を、南東へと走る。

     飛び飛びに停留所はあるのだが、乗降客もなく、
     ひた走るバスに、谷間の奥深くへと分け入っていくような錯覚さえ覚える。
     川筋のマングローブ林のように見えたのは、何かの畑の見間違いだったか。
     
     73番系統。
     名護と高江とを、一日に3往復する。



     道中、頑ななまでにバスで移動をするのは、
     ほぼ毎朝、前夜の酒が残っているという、如何ともしがたい事情もあるのだが、
     それよりも、車窓から見る風景の、その一瞬たりとも無駄にしたくない、
     そんな想いに駆られているからでもある。
     すべての旅程を歩けたならば、それこそ本望なくらいだ。



     そんな車窓の風景に向き合うために、あたかもその地を歩くが如く、予習もして行く。
     地図は頭に入っている。
     地形はかなり思い浮かべている。

     なので、谷間に分け入っていくという錯覚の先には、
     やがて、東海岸の海が広がることは十分に予想している。

     運転席越しに、正面に、平良湾を望む。 
     そして、バスが左折し、湾を右手に見ながら県道70号線を進むのを見越して、
     最初から右側の席に座っている。



     首を右斜め後ろに向ける。

     泡瀬で見たのと同じような、細長いアンテナ塔を認め、
     そこが慶佐次通信所であると分かる。
     ということは、その向こうに伸びるのが天仁屋崎。

     今いる場所を辿るための3万分の1縮尺の道路地図をめくり、
     本島の北半分を網羅する20万分の1の広域図に目を移す。
     辺野古、慶佐次、そして、この後向かう、高江。

     人間も、暮らしも、自然も、文化も、論理も倫理も法理も度外視して無理矢理に、
     辺野古に引かれたV字の滑走路の図面から、まっすぐ一直線。
     まっすぐ飛ぶかどうかも怪しい機体。
     伊江島も目に入る。
     広域図はキャンプハンセンで切れている。



     それがわかって、どうなる?
     わかったから、だから、どうする?

     自分が自分に問いかける。
     自分の声がする。

     考え込んでしまうこともあるから、考えごとをしながらの車の運転は危ないから、
     そういう如何ともしがたい事情もあって、どうしても、バスになる。



     日曜日の午後、浜で遊ぶはこの土地の人々か。

     首をかなりきつく、右斜め後ろに向けたのは、
     あっという間に走り去る近景を、その姿を振り返り、しっかりと見ようとしたから。 



     その土地の暮らしのことは、地図でも地形でも、読めない。
     ふたたび、窓の外を、じっと眺める。
     左側の窓の外も。
     考えるよりも、できうる限り今、暮らしを見る。


-2011/10/16 東村 平良~川田付近-



2011-02-18

うちなーバス旅情 35番

   
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    南風原町津嘉山から、那覇へ戻る。
    旧暦十四日の月の下でも、バス停の時刻は読み取れない。
    目線も少し、揺れている。

     「すぐに来ますよ。この辺は本数も多いですから」
    
    その言葉どおりに、ちょうどやって来たバスに乗る。
    国道507号線。
    やがて22時という時刻にしては、車の往来も多い。

     「34番も35番もここまで来れば、那覇までは同じ道中だったな」

    そんなことを思いながら、窓の外に顔を向け、
    小望月に照らされた、赤ら顔であるはずの笑顔に手を振る。



    この日、首里城を後にして、夕刻、所用で南風原に来ることは決まっていた。
    那覇の宿へ戻るために、前もって、兼城十字路からの最終バスの時刻を調べていた。
    漠然と、所用の場所は南風原の中心部だろうという感覚で。

    所用の場所は津嘉山に設定された。
    所用の事案を考えれば、そうなることは予見もできたのだが。
    所用の後のそれぞれの行動を勘案すれば、最も好都合な場所。



    というわけで、津嘉山のカウンターで、ジョッキを、グラスを重ねる。
    いいあんべえの中、時間を忘れて、「所用」にいそしむ。
   
    黄金森の陸軍病院壕や文化センターが縁で通うようになった南風原町に、
    今宵は、ただ、旧交を温めるだけの目的で訪れていることを、
    ふと、不思議に思ったりする瞬間以外は。
    旧交を温めるがゆえに、時に深まる対話に、思考が研ぎ澄まされる時以外は。

    そんな酩酊の中の静寂も、周囲のいいあんべえの声の重層にかき消される。
    模合なのだろうか。
    那覇の飲食店とは、明らかに違う時間、違う空気が流れているように感じる。
    らっきょうの天ぷらに、うめーしが伸びる。


    
    バスの中でひとりになって、酩酊の中の静寂が再び、頭をもたげる。
    昔、沖縄最初の朝、34番のバスで富盛へと向かった道。
    その朝の心境が、鮮明によみがえったりする。

    あの朝も、同乗客の背中を見ていたような気がする。
    




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    思考の中ではひとりであっても、バスの中ではひとりではなかった。

    やがて、この時間に那覇へと向かう、まるで夜行バスのような車中の、
    同乗客のことに意識が向き始める。

    通勤、通学の時間でもない。
    那覇で用事を済ませて、帰宅するというのでは逆方向だ。
    年齢層は高い。
    このまま、終点、那覇バスターミナルまで、時間をともにするのだろうか。


    そんなことを思っているうちに、仲井眞、国場を過ぎる。
    バスは直進し、あのヘアピンカーブを登り始める。
    真玉橋へは左折しない。

    ここで数分前の誤りに気づく。
  
     「35番は与儀に向かうのか」

    那覇を出て、東風平を経由して糸満に至るのが34番、
    那覇を出て、志多伯を経由して糸満に至るのが35番、
    この2系統を、まるで双子の兄弟のように思っていたのだが、
    那覇近くでも、案外、違った道を歩んでいたのか。


    降車ボタンが押され、乗客は少しずつ、降りていく。
    停留所のそばの、それぞれの目的地へと。
   
    那覇を中心に、放射線状に、上り、下りという人の流れがある。
    そんな思い込みとはまったく違う、暮らしの流れが垣間見える。


    降りる乗客へ、残る乗客がさり気なく、視線を送る。

     「ちょっと待ってくださいね~。降りる方が済んでからですね~」

    もしかすると、バスに乗り慣れない乗客が、
    運転手さんからの人間味あるアナウンスに、
    ステップへ半歩かけた足を、半歩戻したりしていたのかもしれない。





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    大潮の干潮のように、空席が増えていく。

    そんな車内の情景を、移ろいを、いつしか、いとおしむように見ている。
    いいあんべえの時の、まどろんだ意識の先鋭化を、
    カメラが記録している。


    明日は天気もよさそうで、予定どおり、大潮の干潮時に、
    南の果ての海岸に立っているだろう。
    
    しかし、暑さよ。
    体力はもつだろうか。
    西町のおかあさんの店でそばを食べて、明日に備えるか。
    まあ、ビールの一杯くらいは、ごあいさつ代わりに飲むだろうけど。
    暑い時こそ、二日酔いは厳禁なんだけど。

   
    那覇バスターミナルが近づく。

    かりゆしウェアの老紳士が、また、降りていく。
    その上品な柄に一瞬、目を奪われる。





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    そのバス停の名前に、ほんの数時間前、首里城をあまくま歩きした記憶、
    その時間をともにした方の記憶がよみがえる。

    その記憶はまた、真和志小学校のタイムカプセルの秘話をも呼び起こし、
    小さな笑いを誘う。

    沖縄到着一日目。まだ、半日。
    それにしては、ずいぶんと濃密な時間が流れたものだと、
    また、笑いが込み上げてくる。

    
    バスは開南のあたりをノンストップで、バスターミナルへと駆ける。

    
-2010. 6.25-




 (書かなくてもよかったような気もする補遺)

   「うちなーバス旅情 28番」(2010-01-23)において、2009年2月のある日を踏まえ、
   こんなことを書いたりもしていたのですが・・・  


     これまでの数多くの沖縄バス旅の中でも、二日酔以外で酒気帯びだったことは、
     この暑い一日以外に思い出すことができなし、今後もやるつもりはない。
     ・・・と、沖縄県バス協会の前で宣誓したい。
     ・・・いや、まあ、でも、大人しく乗っているだけなら、別に、いいか。



2010-12-18

うちなーバス旅情 番外編 「拝啓 菅直人様」

  
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-2010/2/19 名護市 辺野古-


    この寒い中、暖かい沖縄への旅、お疲れさまでした。

    空からの視察はいかがでしたか。
    住民の熱い声も聞こえず、寒々とした味気ない視察だったことと拝察いたします。



    僭越ながら、次回はぜひ、県民の足、路線バスをご利用ください。

    辺野古の浜へお越しの際は、「辺野古」バス停が最寄です。
    那覇市からでしたら77番系統、うるま市や名護市からでしたら22番系統も出ています。
    
    バス停から浜まで歩かれる途中で、推進派の方の声に耳を傾けるのもよろしいでしょう。
    民主主義国家ですから。憲法上は。
    鳩山政権下で一度下ろした看板を、また掲げてあるそうなので。
    賛成の声の中に、反対の本質が垣間見えることもあるかもしれないので。

    辺野古からキャンプ・シュワブまで足を延ばすのあれば、同じく77番か22番で、
    名護市役所へ向かって二つ目の停留所が「第一ゲート」、三つ目が「第二ゲート」です。
    集落から本当に近いです。
    目と鼻の先の距離です。

    ただ、キャンプ・シュワブそのものは相当に広いので、
    歩いて見て回るのはナンギかもしれません。

    ちなみに、海上からのご視察でしたら、
    「作業船」よりも、カヌーの方をお勧めします。
    「作業船」は神出鬼没で、なかなかチャーターできないと思います。

    日によっては辺野古の浜からも、鉄線越しに、
    水陸両用者などが走り回る様子も、間近にご覧になれると思います。
    その向こうの、基地敷地内に見える真新しい建造物については、
    防衛省や財務省、外務省を所掌する補佐官、もしくは所管大臣からのご説明、
    あるいは、アメリカ合衆国大統領からの感謝の意などで、よくご存知のことと思います。



    それから、普天間にも、これから足繁く通われることでしょう。
    いつか、「普天間」バス停から77番に乗られて、辺野古までの道中、
    キャンプ瑞慶覧や、キャンプ・マクトリアスや、キャンプ・ハンセンや、北部の演習場などを、
    車窓からでも、ご覧になるのもいいかもしれません。



    あ、しかし、菅さんのご趣味はお遍路だったような。

    ご多忙中かとは存じますが、ぜひとも、センチメンタル・ジャーニーではなく、ご在任中に、
    ご自身の脚で、沖縄を歩いてご覧になってみてください。

    クバ笠、お似合いになると思います。
    まだ、今なら、たぶん、ギリギリ。



    以上、いかなる政治的意図もないグヮーシーした、
    沖縄のバス旅行を愛する旅人からの、
    のんびり、ゆったり、気ままなドゥーカッティー流「おきなわベタープラン」のご紹介でした。




    追伸
    バス車内では二千円札以上の両替はできません。



2010-08-19

うちなーバス旅情 那覇バスターミナル 2010夏

     
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      年々歳々移ろい変わりゆく、バスターミナル・・・の背景。

      その背景を、那覇に到着したその日に、
      旭橋駅へとすべり込む、ゆいレールから見下ろし、
      旅の始まりに、バスターミナルのプラットホームから見上げる。

      大きな庁舎がなくなった。
      今はクレーンが林立。

      しかし、このまま、ただ、空だけが広がる背景というのも、
      ケービンの那覇駅の頃みたいで悪くないと思うのだが。
      なんていうのは、旅行者のたわ言、絵空事だろうか。

      
      ご近所の、県立郷土劇場はどうなるのだろうか。
  

-2010/6/27 那覇市-

       
  

2010-05-19

うちなーバス旅情 107番・108番

  
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     午後3時過ぎ、「糸満市場前」から乗った108番のバスを降りたときは、
     午前に訪れた「轟の壕」のことも想いながら、
     さらに、これから南の果てへと向かおうとする道を想いながら、
     喜屋武岬までの道が描かれた地図と、目の前の光景とを交互に見ていたので、
     その光景の中にあった、このお店と、その看板は目に留まらなかった。



     陽も傾いて、どぅしぐゎーとの出会いがあったりした喜屋武岬からの戻り道、
     ニンジン畑や、古い石敢當や、書道教室の窓一面に飾られたワラバー達の習字や、
     石壁に長く伸びる自分の影など、「今」を歩く中で、何もかもが穏やかに映る目には、
     このお店と、その看板は、この集落の「守礼門」であるかのように飛び込んできた。



     時刻表を見ると、糸満へ向かう107番のバスはしばらくなかった。
     小波蔵か名城あたりまで歩けば、82番も走ってくるかもしれない。
     時間にしばられない、ゆったりとした夕暮れ時。

   
     そんなゆったりとした時間と、西日だけに満たされた広場。


     このお店で、便箋と封筒を求めて、広場のどこかで手紙をしたためるのもいいが、
     おそらく、隣の郵便局の窓口はもう閉まっている。


     いや、そんなことは後から考えた理屈であって、
     実のところ、目は「さしみ」に釘づけだった。


     それなのに、「さしみ」を求めて、この店を訪れなかったわけは、
     ビールを売っている気配がなかったから。
     ビールがあったとしても、店の前のベンチのカップルのゆんたくが終わりそうになかったから。

     そして、喜屋武岬で出会ったどぅしぐゎーと、糸満で飲むという約束を交わしていたことを、
     その時間が迫っていることを、西日に光る腕時計が告げていたから。


-2008/3/20 糸満市 喜屋武-



2010-03-22

うちなーバス旅情 98番

 
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   きっと
   『独裁者』のいた時代を生きて
   『モダンタイムス』のように働いて
   『ライムライト』のような恋をして
   『霊泉』顔負けのお酒も飲んだかもしれない
   チャップリンのような立ち姿のおじさんが
   R331の「我那覇」バス停で ダンディーにバスを待っていた



   「とみぐすく南」へと向かう私は
   伊良波で買った 田芋や芋餅のパイが入ったホカホカの袋を手に
   チャップリンおじさんの横を通り過ぎて
   名嘉地インターを見上げながら 県道68号線の「我那覇」バス停へ

   11時を過ぎて ヘッドホンから聞こえてくるのは
   パーラナイサーラナイのお二人の声



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夕暮れ時 この日二度目の 98番乗車


   豊見城めぐりは 肝どんどんの『島めぐり』
   忘れ物して また 豊見城めぐり

   心は83.2MHz
   「沖縄手帳」はテーブルの上

   昼前にも立っていた 「我那覇」バス停から
   もう一度 同じ98番に乗ったり




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去年の夏 この坂を歩いて 「FMとよみ」へ さらに 瀬長島まで行くつもりだった 無謀だった


   小禄の坂を 奥武山へと歩いて下っている頃には
   すっかり日も暮れて

   たくさんの土産話を持って
   いつもと同じ 沖縄最後の夜 しろま食堂の夜
   沖縄最初の夜と同じ しろま食堂の夜




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一週間は短かったです さて 何からお話ししましょうか

 

-2010/2/22 豊見城市-


-Special Thanks-
 「FMとよみ」さん
 URUKA(砂川美香さん&宜保和也さん)


2010-01-23

うちなーバス旅情 28番

  
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1月23日(土)付け朝日新聞ウェブ版(asahi.com)によると、
同22日(金)、ジュネーブの世界保健機関(WHO)執行理事会において、
アルコールの販売や広告の規制を求める指針案が採択されたとのこと。

 「アルコールの有害な使用を減らす世界戦略」
 「いき過ぎた飲酒などを健康面だけでなく社会への「害」ととらえ、
  各国の自主規制で減らすことをめざしている。5月のWHO総会で正式合意する見込み」


寝耳に水のこのニュース、と言ってしまうと、実はそれは嘘になる。
私が「酒の師匠」と仰いでいる方が、報道に先んじて、同18日(月)の時点で、
ウェブ上でこの件に言及されているのを目にしていた。
きっと、酒造メーカーや関係業界も含めて、すでに公知の動きだったのであろう。

一人の酒ぬまーとしては、タバコ、あるいは化石燃料への課税と同じ発想で、
酒税引き上げによって飲酒を抑制しようという動きにつながることを、とりあえずは懸念する。

そして、今後、WHOが酒を「害」の面から議論することはあっても、
「益」の面に目を向けるということは望めないだろう。

よって、今後出てくる動きの中で、
まずは各人が、酒ぬまーの矜持にかけて健康的な酒を飲みつつ、
同時に、国や地域ごとの食、風土、習慣、行事、祭、メンタリティー、
それらと密接に結びついた飲酒文化が十分に尊重されるように、
そして、話が一面的な方向へと暴走せぬよう、大人の酒のための大人の議論がなされるよう、
盃を重ねながら注視していかねばならないと思う。



こんな、酒を取り巻く話が出てくるちょうど一年くらい前のこと。


酒ぬまーの矜持という面から、また、大人の酒という観点から、
いかがなものだっただろうかと、今でも回顧する出来事がある。
WHOに対してではなく、沖縄県バス協会に対して。
あの日、沖縄バスの28番・読谷線のバスで、
大当から嘉手納まで、乗り合わせた乗客の皆さんに対して。


最初に明言しておくが、
いかなる意味においても、何人に対しても、「害」になるような行いはしていないし、
社会にも迷惑をかけてはいない。

ただ・・・、ただ、白昼、かなりの量の、
たぶん、 8オンス=240mlタンブラー×2杯くらいの泡盛をストレートで飲んで、
ふらふらしながら、おそらく、酒かじゃーも振りまきながらバスに乗ってしまった、
そのことが、いささか小っ恥ずかしいという、それだけのことである。


そして、そこに至るまでには、その酒には、
人と人との交わり、心の交歓という背景があったのだということも、正々堂々と申し述べたい。

まあ、以下に詳述するその時の飲み方が、その地域の習慣や飲酒文化であったなどと、
一般化したり、演繹したりするわけにはいかないけれど。




その日、不思議なご縁で初めてお会いすることになった、ある彫刻家の方のアトリエで、
私は真っ昼間、相当な量の泡盛を飲んだ。いや、ふるまわれた。
それも、ごく短時間のうちに。

そうやって客をもてなすのが当たり前であるかのように、
いや、主と客などという、かしこまった関係を解きほぐすかのように、
彫刻家の実さんは、手にした「忠孝」の紙パックから、
私のタンブラーに泡盛をなみなみと注いでくださった。


その直前、2月だというのに25度を超えた炎天下で、
前日に知り合ったばかりの本土からの客人と私は、アトリエの庭に並ぶ彫像群と対面していた。

本やネットでは見たことのあった、100メートル彫刻「戦争と人間」。
かつて、読谷補助飛行場跡に並んだ中の、何体かであろうと思った。

 「コルヴィッツみたいですね」

私をこの場所と出会いに誘って下さったその客人も、
等身大を超える彫像たちに圧倒されているようだった。
(美術に疎い私は、コルベ神父とホロヴィッツの名を記憶に刻み、帰宅後、その芸術家の名を知る)


風通しのよいアトリエに腰を下ろしてからの話題は、
客人の方はもっぱら、本土の平和運動と沖縄とを結びつけるという話。
それに対して、私と同様、泡盛のストレートを手にした実さんは、
生まり島(うまりじま)の話、それも、その島が昔、いかに貧しかったか、
そして、長じて島を出て後、いかに劣等感を持って過ごしたかという懐古譚。


私は話に耳を傾け、タンブラーを傾ける。
話に口を挟まず、泡盛に口をつけつづける。


そんな風に、話題が全然かみ合っていないようで、
それでいて、笑いが溢れ、親しく濃密な時間が過ぎたということは、
本当は話題はかみ合っていて、
話の核心についての私の記憶が、実は、酔いとともに部分的に飛んでしまっているのか、
あるいは、呆けた頭が、深化していった話題の展開について行けていなかったのかもしれない。


「世代を結ぶ平和の像」、「残波大獅子」。

この二つの言葉が、何度も、泡盛を飲み続ける私の口を衝いて出そうになった。
しかし、会う人ごとに、もう何百回となく、
この二つの像のことを語ってこられたであろう実さんのお顔が目に浮かぶ。
そして、明確な目的を持って実さんを訪ねて来られた客人の、ご好意でこの場にいる私が、
客人と実さんとの会話に気安く割り込むことは慎まねばならないと思う。

それに、二日前に私が実際に見てきた前者の像のことは、
実さんとは初対面の私が酒を口にしながら、軽々に話題にできる話ではないし、すべきではない。


そんな風に、ただ黙々と泡盛を飲み続けながら、話を追っていた私がようやく口を開いたのは、
あまくま巡りした話題が、再び、生まり島への劣等感の話へと舞い戻った時だった。
泡盛を手にしたまま、実さんに向き合う。

 「山之口貘さんの詩にも、琉球人としての劣等感を描いたものがありますね。
  お話を伺っていて、貘さんのことを思い出しました」

 「ん?ああ、貘さんですな。貘さんか・・・。貘さんもあるから、見てきたらいいですよ」

 「え?」

 「貘さんの顔が、玄関の先にありますから」


少しふらつきながら靴を履き、表へ出る。屋外の陽光に目を細める。

最初に見た庭の彫像とは別に、玄関近くの軒先に、
小さめの作品や、いくつかの肖像が並んでいた。
若干、泳ぎ始めた目で、その一つ一つを凝視する。

やがて、すべての肖像を見終えて、困ったことになったと思った。

どれが貘さんの肖像なのか、分からない。
いや、これはすべて私に原因があるのであって、
そもそも私は、文庫本の詩集だったか、はたまた、
高田渡さんや大工哲弘さん、大島保克さんらが貘さんの詩を歌った、
『貘 詩人・山之口貘をうたう』というCDのライナーノーツの中だったかの、
そんな小さな写真でしか、貘さんの顔を知らない。
よって、そこに貘さんがいても、貘さんだと分からない。気づくことができない。
加えて、酔いも手伝ってか、高田渡さんの顔まで浮かんでくる始末。


少しふらつきながら靴を脱ぎ、静かにアトリエへ戻る。

話題は、巡りめぐって、本土の平和運動と沖縄とを結びつけるという話。
客人は、多岐にわたる対話を楽しみながらも、
なんとか、本題であるこの話に引き込もうとされている。
そんな空気が感じ取れたということは、外の空気を吸って、私の酔いが少し覚めたということか。
さらに、話題が琉球独立論へと展開していくに及んで、
「貘さんの肖像・・・」という話の出番はなく、私は「頭を抱える地球人」にならずにすむ。


減っていた分だけ、泡盛が注がれる。


やがて、予定していた辞去の時間をかなり過ぎたことに気づく。
コザの民宿へ向かうため、私ひとり、先に失礼することにする。
もっぱら聞き役に徹した私ではあったが、それでも、
飲み相手としては十分におつき合いできたと思う。
突然の訪問に対する歓待について、そして、その場に居合わせただけで得た心の昂ぶりについて、
うまく言葉にできないながら、そして、酩酊を自覚しながら、実さんへ丁重に謝辞を述べた。

 「また、いつでもおいでなさい」

笑いながらも真剣な眼差しの実さんは、私にいくつかの資料を持たせてくださった。
それらの資料には、実さんと客人とを結びつけたことが頷ける、
数多くのテーマが詰まっていた。


注がれた酒は、最後の一滴まですべて飲み干す。


最寄のバス停まで、「島袋さん」の車で送ってもらう。
よく考えると、波平の宿からこのアトリエに連れてきてもらったところからずっと、
「島袋さん」は我々と行動をともにしてくれていたのだった。
アトリエでは私と同じく、じっと話に耳を傾けていた。当然、泡盛は飲まずに。
かれこれ二時間近く、お付き合いいただき、お世話になったことになる。
今さらながら恐縮する。

バス停までの短い車中で、「島袋さん」と二人、
海が近い、直線の農道沿いの畑を眺めながら、農作物の話などをしたような気がする。

嘉手納飛行場の北端を横断する62番で、コザまで直行できれば楽だが、本数が少ないし、
まあ、28番ならすぐに来るだろうから、嘉手納で一旦降りて、
ロータリーの変わりっぷりを見て行くのもいいか。
とにかく、どこかで、うっちん茶をがぶ飲みしたい。
それにしても、海岸線に沿って、ずいぶんと南まで走ってくれているような気がするが・・・。

そんなことを考えているうちに、やはり、思っていたバス停より三つほど嘉手納寄りの、
大当(うふどう)のバス停に着いた。
本当にお世話になってしまった。

「島袋さん」にお礼を述べる。

ところが、別れ際になって、私が「島袋さん」と呼び続けていた「島袋さん」は、
実は島〇さんというお名前であったということが発覚する。
この勘違いは酔っ払っているからではなく、いや、沖縄に多いお名前だと思い込んでしまって。
そんな私の弁解を、本土からの移住者であるという島〇さんは、
すっかりウチナーンチュ化した笑顔で聞いてくれた。



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程なくして、28番・読谷線のシートに揺られ始める。
そんな状態で、つまり、かなりの酩酊状態で、何かを記憶にとどめたかったのか、
シャッターを押したりしている。

二人の小学生がバスを降りた数分後の、
トリイゲート付近の車窓の画像が数多く残っている。信号停車だったのだろうか。
カメラのデータだけが記憶している。


これまでの数多くの沖縄バス旅の中でも、二日酔以外で酒気帯びだったことは、
この暑い一日以外に思い出すことができなし、今後もやるつもりはない。

・・・と、沖縄県バス協会の前で宣誓したい。
・・・いや、まあ、でも、大人しく乗っているだけなら、別に、いいか。

-2009/2/25 読谷村-


2010-01-08

うちなーバス旅情 34番

  
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  午前1時40分、那覇バスターミナルはひっそりと寝静まっている。
  そんなバスターミナルの界隈を歩く人影もほとんどない。



  「安里から国際通りを抜けて、泉崎まで、
  ふつうに歩けば何分くらいの道のりなのか。

  ふつうというのは、だから、つまり、
  沖縄最後の夜だというので、ずいぶんと長い時間、飲み続けた足どりで、
  そして、何度も立ち止まっては、虚ろに漂う景色に名残を惜しんだり、なんていう、
  要するに、そんな、ドランクでセンチメンタルなロスタイムを除けば、という仮定。
  いや、昼間は昼間で、あの人混みの中を歩くわけだから、
  それなりに時間がかかるわけか。

  しかし、今はやはり深夜なのであって、
  歩いている人はいないし、明日には、自分もここにいないわけだし、
  好きな場所で立ち止まって微笑んだり、
  好きな場所でため息をついたりしてもいいってわけ。
  
  休息のじゃまはしないから。

  

  もう、10日も前になるか。


  
  那覇に着いてすぐ、「波布食堂」で、噂どおりの「肉そば」を食べて、
  そうか、あれが沖縄で最初の食事だったな、午後遅くの。
  それで、翌朝のバスが早いっていうんで、バスターミナルの下見に来たんだった。
  階段を登ったり降りたりして、何となく三角形をしているらしいというのが分かって、
  ともかく、明日、乗るバスの時間も、経由地も確認した。
  まあ、天候次第という条件つきだったけど。

  で、せっかくだから、「国際通り」という場所を、ちょっと歩いてみようとしたんだったな。

  ところが、だ。
  いきなり、道に迷う。しに方向音痴。でーじ、だっけ?
  いや、ちょっとした外出のつもりだったから、地図を持たずに歩いていたんだけど。
  それにしても、沖縄で、那覇で、一番、賑わっている場所に出られないなんて。
  久茂地川に出て、また、ターミナルに戻って、なんだか、細い道を行ったり来たりして。

  そうそう、コンビニの「Coco」がある通りに出る時、交差点におじさんがいて、
  ひっきりなしに出入りするバスと、ターミナルを出入りする人たちの、
  まあ、両方の交通整理をしていたんだ。笛を吹きながら。
  そのおじさんと、何度も顔を合わせてしまったりして。
  さすがに、「国際通りってどこですか?」なんて、訊けないよな。
  いや、別に訊いてもよかったか。

  小雨もぱらついてきたし、次の日からの行程を考えると飲みに出るという気分でもなかったし、
  そうだ、リュックに詰め込んで持ってきた資料を、次の日から回る場所の資料を、
  宿に戻ってもっと読んでおかないと、ということを思い出したんだった。

  いや、しかし、「肉そば」はすごいな。
  ポークおにぎりと魚の天ぷら、沖縄で最初の夕食は、スーパーのお惣菜で十分だった。
 


  あれが、もう、10日も前になるか。



  次の朝は、降ったりやんだりで、蒸し暑かった。
  でかいリュックを背負って、宿からバスターミナルまで歩くだけで気が滅入るような天気。
  ていうか、まだ、空も街も真っ暗だったか。
  真っ暗な空から、雨粒が落ちてきていたな、街灯に照らされて。

   「雨がひどかったら、富盛には寄らずに糸満へ直行する」

  そういうリスクヘッジも考えてきてはいたんだけど、
  それだったら、富盛まで行くだけ行って、バス停の屋根の下で、
  次のバスが来るまでの間、空を見て考えればいいってこと。

   「あの年の酷暑や雨に比べれば、三月の小雨なんて」

  そういうことも考えていた。
  あの年のことは、資料や写真でしか知らない。
  だったら、少しでも体感すればいい。
  体感する?
  その程度のものじゃないと分かっていても、やらないよりはいい。
  分かっている?
  分からないから、見に来た。歩きに来た。


  6時13分発、東風平経由・糸満行き、34番のバスは、
  最初の乗客が近づくと、ドアを開け、エンジンを吹かし始めた。

  でかいリュックを背負ったやつが、運転手さんの真後ろに座って、
  発車までの間、あれこれしゃべり始めたりしたもんだから、
  「こいつ、内地からだな」 なんて、思っただろ?


  ここから、本当の旅が始まったんだったな。


  それから、毎日のようにバスに乗った。
  歩いては、また、バスに乗る。また、歩く。
  歩き疲れて、シートで眠ろうと思った時も、結局、ずっと窓の外を眺めていたよ。




  歩き疲れたわけではないんだけど、
  やっぱり、今夜はそろそろ、さんぴん茶をがぶ飲みして、
  って、こういうのも今夜が最後だな、
  とにかく、寝ないといけない。

  明日、那覇空港を飛び立つ。

  たぶん、明日はもう、バスには乗らない。
  なんだか、「とても、お世話になりました」 なんて言いたい気分で、
  今、ここに立っている。

  今日は方向音痴でも、迷子でもないぞ。
  誇り高き酔っ払いの、万感の想いを込めた深夜徘徊だ。


  それにしても・・・

  驚いた、っていうか、ちょっと、笑ってしまったな。
  最後に顔を合わせるのも、34番だなんて。

  明日の、いや、もう今日か。
  今日の始発だな、きっと。6時13分発の。


  また近いうちに、津嘉山まで行く用事ができたから、
  その時には、また、世話になるよ」


 P.S.
  「糸満に、朝一番に着くバスだって、宣伝しておくよ。89番には悪いけど。
  まちぐゎーで食べるアチコーコーの島豆腐は最高だよな!」

-2008/3/27 1:44 AM-



2008年3月18日、34番・東風平線に乗車して以降の旅程については、以下に記したとおりです。

 「八重瀬岳の麓で」 2009-06-03
 「初めてのシーサー」 2009-06-15