2010-06-23

慰霊の日に想う

  
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     基地を見下ろす




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     基地を見通す





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     基地の隣の美術館で 「沖縄戦の図」を
     遠くから見据え 近くから見上げる 





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     基地へとせり出すように伸びる この屋上の階段は
     今日 6月23日 慰霊の日に
     太陽の沈む日没線を指しているという


-2009/6/27 佐喜眞美術館(宜野湾市)-





     映画『チビチリガマから日本国を問う!』(西山正啓監督・2010年作品)を、
     つい先日、福岡市で見た。

     舞台の大半は霞が関であり、
     映像の大半は、金城実さん、知花昌一さん、知花盛康さんらが、
     去る4月上旬に、首相官邸前や国会周辺で行った、
     基地問題に関する抗議、申し入れ、座り込みなどの行動を追ったものである。
     二ヶ月前の、四日間のドキュメントが中心である。

     その感想や思うところについては、また、機会を改めて触れたい。
     
     二つだけ。

     普天間、辺野古、という風に「点」で見ても、また、今の姿だけを見ても、
     基地問題や、沖縄の平和への道筋は見えてこない。

     そして、読谷村が戦中、戦後の沖縄の縮図であり、
     読谷村の育んできた文化や、そこに暮らす人々や、
     基地と向き合ってきた足跡の中に大きな示唆がある。

     そういうメッセージが、この作品には込められているのだと思う。
     上映後の監督を囲んでの懇談でも、そのような話題になった。



     そして、あらためて、
     霞が関の日々と、最後は4・25県民集会の映像であっても、
     それでも、タイトルは『チビチリガマから・・・』、である。


     冒頭、今年4月3日に清明として行われた、
     チビチリガマの慰霊祭の模様が収録されている。

     『ゆんたんざ沖縄』(同監督・1987年作品)が撮られた時から、
     ずいぶんと歳月が流れたなどと、軽々に言うことはできないが、
     それでも、壕の前の広場の、ブルーシートの上で行われる清明の光景は、
     穏やかな空気に満ちているように見えた。

     映像の中に見つける、見知った顔に、懐かしさを覚えたせいかもしれない。

     命を落とした者を悼む想いと、今、時間を共にする生ある者同士が互いを想う心が、
     悲しみの壕の前で交わっているように見えた。
     「集団自決」「集団強制死」の現場の前で。


     
     このシーンを見たとき、ひとつの思いにとらわれる。

     その文化的、歴史的背景を知っているわけでもない、
     ましてや、清明の場に身を置いたこともない者の、まったくの思いつきであり、
     言下に否定される着想かもしれない。
     それでも、その思いを言葉にすると、このようなものである。


      「今現在の、一見、のどかなピクニックのようにさえ見える清明の形式は、
      実は戦後になって生まれたものなのではないか。

      沖縄の方々にとって、グソー(後生)におられるご先祖の中の、ごく近しい方の多くは、
      先の沖縄戦で亡くなった方であるということは想像に難くない。

      戦後すぐの頃、清明という日は、あまりにも鮮烈すぎる、悲しすぎる死と、
      その記憶と向き合わねばならない、辛い一日だったのではないか。

      であるがゆえのに、その記憶をあえて心の深奥に置き、
      生ある者同士、互いの苦痛を少しでも和らげるために、いたわり合うように、
      ひとときの宴を楽しもうと努めたのではないのか。

      小那覇舞天さんが、「命の祝事をしよう」と家々を回ったように、
      それを受け容れた人々の心の持ちようと同じように」


      お墓の前に集い、重箱料理と交歓を楽しむ清明とは、
      沖縄の古くからの心と、戦後の復興の中の智慧とが溶け合って生まれたもの。


      もし、この着想に従うならば、
      映画の中の、チビチリガマの前の清明のシーンの見方も変わってくる。
 
       「穏やかな空気に満ちているように見えた」情景の本質は、一変する。

      いや、やはり、清明は清明で、
      ずっと昔から、形を変えずに今日に至っていると考えるべきなのか。



      昨春、チビチリガマを訪れる。
      昨夏、佐喜眞美術館に収蔵、展示されている「沖縄戦の図」を見る。
      昨秋、『ゆんたんざ沖縄』の中で、丸木俊さんが読谷の戦世を生きた女性と語らいながら、
      「沖縄戦の図」の絵筆を握るシーンを見る。

      慰霊の日には、65年間、ずっと基地がある。



      クバやアダン葉の舟に乗せて、
      アメリカ軍を、海の向こうの、彼らの祖国へと流す。
      ポークや、ルートビアや、レーションや、
      んむくじや、そーみんや、レトルトのソーキ肉なども乗せてあげて。
      アブシバレーのように。

      慰霊の日の夜は、そんな穏やかなことも思い描く心持ちになる。


 
category2009 沖縄旅日記② 夏  time23:54  authorKohagura Erio 

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