2010-01-23

うちなーバス旅情 28番

  
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1月23日(土)付け朝日新聞ウェブ版(asahi.com)によると、
同22日(金)、ジュネーブの世界保健機関(WHO)執行理事会において、
アルコールの販売や広告の規制を求める指針案が採択されたとのこと。

 「アルコールの有害な使用を減らす世界戦略」
 「いき過ぎた飲酒などを健康面だけでなく社会への「害」ととらえ、
  各国の自主規制で減らすことをめざしている。5月のWHO総会で正式合意する見込み」


寝耳に水のこのニュース、と言ってしまうと、実はそれは嘘になる。
私が「酒の師匠」と仰いでいる方が、報道に先んじて、同18日(月)の時点で、
ウェブ上でこの件に言及されているのを目にしていた。
きっと、酒造メーカーや関係業界も含めて、すでに公知の動きだったのであろう。

一人の酒ぬまーとしては、タバコ、あるいは化石燃料への課税と同じ発想で、
酒税引き上げによって飲酒を抑制しようという動きにつながることを、とりあえずは懸念する。

そして、今後、WHOが酒を「害」の面から議論することはあっても、
「益」の面に目を向けるということは望めないだろう。

よって、今後出てくる動きの中で、
まずは各人が、酒ぬまーの矜持にかけて健康的な酒を飲みつつ、
同時に、国や地域ごとの食、風土、習慣、行事、祭、メンタリティー、
それらと密接に結びついた飲酒文化が十分に尊重されるように、
そして、話が一面的な方向へと暴走せぬよう、大人の酒のための大人の議論がなされるよう、
盃を重ねながら注視していかねばならないと思う。



こんな、酒を取り巻く話が出てくるちょうど一年くらい前のこと。


酒ぬまーの矜持という面から、また、大人の酒という観点から、
いかがなものだっただろうかと、今でも回顧する出来事がある。
WHOに対してではなく、沖縄県バス協会に対して。
あの日、沖縄バスの28番・読谷線のバスで、
大当から嘉手納まで、乗り合わせた乗客の皆さんに対して。


最初に明言しておくが、
いかなる意味においても、何人に対しても、「害」になるような行いはしていないし、
社会にも迷惑をかけてはいない。

ただ・・・、ただ、白昼、かなりの量の、
たぶん、 8オンス=240mlタンブラー×2杯くらいの泡盛をストレートで飲んで、
ふらふらしながら、おそらく、酒かじゃーも振りまきながらバスに乗ってしまった、
そのことが、いささか小っ恥ずかしいという、それだけのことである。


そして、そこに至るまでには、その酒には、
人と人との交わり、心の交歓という背景があったのだということも、正々堂々と申し述べたい。

まあ、以下に詳述するその時の飲み方が、その地域の習慣や飲酒文化であったなどと、
一般化したり、演繹したりするわけにはいかないけれど。




その日、不思議なご縁で初めてお会いすることになった、ある彫刻家の方のアトリエで、
私は真っ昼間、相当な量の泡盛を飲んだ。いや、ふるまわれた。
それも、ごく短時間のうちに。

そうやって客をもてなすのが当たり前であるかのように、
いや、主と客などという、かしこまった関係を解きほぐすかのように、
彫刻家の実さんは、手にした「忠孝」の紙パックから、
私のタンブラーに泡盛をなみなみと注いでくださった。


その直前、2月だというのに25度を超えた炎天下で、
前日に知り合ったばかりの本土からの客人と私は、アトリエの庭に並ぶ彫像群と対面していた。

本やネットでは見たことのあった、100メートル彫刻「戦争と人間」。
かつて、読谷補助飛行場跡に並んだ中の、何体かであろうと思った。

 「コルヴィッツみたいですね」

私をこの場所と出会いに誘って下さったその客人も、
等身大を超える彫像たちに圧倒されているようだった。
(美術に疎い私は、コルベ神父とホロヴィッツの名を記憶に刻み、帰宅後、その芸術家の名を知る)


風通しのよいアトリエに腰を下ろしてからの話題は、
客人の方はもっぱら、本土の平和運動と沖縄とを結びつけるという話。
それに対して、私と同様、泡盛のストレートを手にした実さんは、
生まり島(うまりじま)の話、それも、その島が昔、いかに貧しかったか、
そして、長じて島を出て後、いかに劣等感を持って過ごしたかという懐古譚。


私は話に耳を傾け、タンブラーを傾ける。
話に口を挟まず、泡盛に口をつけつづける。


そんな風に、話題が全然かみ合っていないようで、
それでいて、笑いが溢れ、親しく濃密な時間が過ぎたということは、
本当は話題はかみ合っていて、
話の核心についての私の記憶が、実は、酔いとともに部分的に飛んでしまっているのか、
あるいは、呆けた頭が、深化していった話題の展開について行けていなかったのかもしれない。


「世代を結ぶ平和の像」、「残波大獅子」。

この二つの言葉が、何度も、泡盛を飲み続ける私の口を衝いて出そうになった。
しかし、会う人ごとに、もう何百回となく、
この二つの像のことを語ってこられたであろう実さんのお顔が目に浮かぶ。
そして、明確な目的を持って実さんを訪ねて来られた客人の、ご好意でこの場にいる私が、
客人と実さんとの会話に気安く割り込むことは慎まねばならないと思う。

それに、二日前に私が実際に見てきた前者の像のことは、
実さんとは初対面の私が酒を口にしながら、軽々に話題にできる話ではないし、すべきではない。


そんな風に、ただ黙々と泡盛を飲み続けながら、話を追っていた私がようやく口を開いたのは、
あまくま巡りした話題が、再び、生まり島への劣等感の話へと舞い戻った時だった。
泡盛を手にしたまま、実さんに向き合う。

 「山之口貘さんの詩にも、琉球人としての劣等感を描いたものがありますね。
  お話を伺っていて、貘さんのことを思い出しました」

 「ん?ああ、貘さんですな。貘さんか・・・。貘さんもあるから、見てきたらいいですよ」

 「え?」

 「貘さんの顔が、玄関の先にありますから」


少しふらつきながら靴を履き、表へ出る。屋外の陽光に目を細める。

最初に見た庭の彫像とは別に、玄関近くの軒先に、
小さめの作品や、いくつかの肖像が並んでいた。
若干、泳ぎ始めた目で、その一つ一つを凝視する。

やがて、すべての肖像を見終えて、困ったことになったと思った。

どれが貘さんの肖像なのか、分からない。
いや、これはすべて私に原因があるのであって、
そもそも私は、文庫本の詩集だったか、はたまた、
高田渡さんや大工哲弘さん、大島保克さんらが貘さんの詩を歌った、
『貘 詩人・山之口貘をうたう』というCDのライナーノーツの中だったかの、
そんな小さな写真でしか、貘さんの顔を知らない。
よって、そこに貘さんがいても、貘さんだと分からない。気づくことができない。
加えて、酔いも手伝ってか、高田渡さんの顔まで浮かんでくる始末。


少しふらつきながら靴を脱ぎ、静かにアトリエへ戻る。

話題は、巡りめぐって、本土の平和運動と沖縄とを結びつけるという話。
客人は、多岐にわたる対話を楽しみながらも、
なんとか、本題であるこの話に引き込もうとされている。
そんな空気が感じ取れたということは、外の空気を吸って、私の酔いが少し覚めたということか。
さらに、話題が琉球独立論へと展開していくに及んで、
「貘さんの肖像・・・」という話の出番はなく、私は「頭を抱える地球人」にならずにすむ。


減っていた分だけ、泡盛が注がれる。


やがて、予定していた辞去の時間をかなり過ぎたことに気づく。
コザの民宿へ向かうため、私ひとり、先に失礼することにする。
もっぱら聞き役に徹した私ではあったが、それでも、
飲み相手としては十分におつき合いできたと思う。
突然の訪問に対する歓待について、そして、その場に居合わせただけで得た心の昂ぶりについて、
うまく言葉にできないながら、そして、酩酊を自覚しながら、実さんへ丁重に謝辞を述べた。

 「また、いつでもおいでなさい」

笑いながらも真剣な眼差しの実さんは、私にいくつかの資料を持たせてくださった。
それらの資料には、実さんと客人とを結びつけたことが頷ける、
数多くのテーマが詰まっていた。


注がれた酒は、最後の一滴まですべて飲み干す。


最寄のバス停まで、「島袋さん」の車で送ってもらう。
よく考えると、波平の宿からこのアトリエに連れてきてもらったところからずっと、
「島袋さん」は我々と行動をともにしてくれていたのだった。
アトリエでは私と同じく、じっと話に耳を傾けていた。当然、泡盛は飲まずに。
かれこれ二時間近く、お付き合いいただき、お世話になったことになる。
今さらながら恐縮する。

バス停までの短い車中で、「島袋さん」と二人、
海が近い、直線の農道沿いの畑を眺めながら、農作物の話などをしたような気がする。

嘉手納飛行場の北端を横断する62番で、コザまで直行できれば楽だが、本数が少ないし、
まあ、28番ならすぐに来るだろうから、嘉手納で一旦降りて、
ロータリーの変わりっぷりを見て行くのもいいか。
とにかく、どこかで、うっちん茶をがぶ飲みしたい。
それにしても、海岸線に沿って、ずいぶんと南まで走ってくれているような気がするが・・・。

そんなことを考えているうちに、やはり、思っていたバス停より三つほど嘉手納寄りの、
大当(うふどう)のバス停に着いた。
本当にお世話になってしまった。

「島袋さん」にお礼を述べる。

ところが、別れ際になって、私が「島袋さん」と呼び続けていた「島袋さん」は、
実は島〇さんというお名前であったということが発覚する。
この勘違いは酔っ払っているからではなく、いや、沖縄に多いお名前だと思い込んでしまって。
そんな私の弁解を、本土からの移住者であるという島〇さんは、
すっかりウチナーンチュ化した笑顔で聞いてくれた。



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程なくして、28番・読谷線のシートに揺られ始める。
そんな状態で、つまり、かなりの酩酊状態で、何かを記憶にとどめたかったのか、
シャッターを押したりしている。

二人の小学生がバスを降りた数分後の、
トリイゲート付近の車窓の画像が数多く残っている。信号停車だったのだろうか。
カメラのデータだけが記憶している。


これまでの数多くの沖縄バス旅の中でも、二日酔以外で酒気帯びだったことは、
この暑い一日以外に思い出すことができなし、今後もやるつもりはない。

・・・と、沖縄県バス協会の前で宣誓したい。
・・・いや、まあ、でも、大人しく乗っているだけなら、別に、いいか。

-2009/2/25 読谷村-

 
category2009 沖縄旅日記① 春  time23:58  authorKohagura Erio 

Comments

きっちゃき wrote:

「金城実さんは残波のうふ獅子そのものですね」と
告げたかったんだな~~~

 いい酒でしたねー
生まれ島の 大阪の教師時代の話 楽しかったと思います

熱くやさしく厳しく まことにシーサーシンシーです。 
2010-01-25 time20:27

マル金 wrote:

「酒は百薬の長!!」
お酒のない人生なんて考えられません。
ただし、「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。

飲み過ぎないように・・・
僕たちは、人生を生きているのです。
息をしているついでに、泡盛を飲みましょう。

酔っぱらいのマル金でした。
2010-01-27 time02:14

Kohagura Erio wrote:

きっちゃきさん
シーサーシンシーとの忘れ難いひとときでした。
後日、DVDで『ゆんたんざ沖縄』を見て、感慨もひとしおでした。
次は、高志保から歩けばいいんだねぇ。

残波大獅子太鼓の皆さんとは、ほぼ同級生です。
1990年に学園祭に来てくれました。一緒に「残波」を飲みました。
やしが・・・1987年当時は・・・泰平ボケでした。
やくとぅ・・・今。
2010-01-28 time22:11

Kohagura Erio wrote:

マル金さん
絆を結ぶ酒を、楽しく飲みましょう。
「嘉例」結びを、泡盛にも、ペットボトルのお茶にも。
沖縄の旅路の記憶から・・・。

 「息をしているついでに、泡盛を飲みましょう」

沖縄の空気を十二分に吸って、
一日の歩みを語らいながら、思いながら、飲む泡盛は最高です。

私の祖父は「酒道」の師です。
いつも背筋を伸ばして拈華微笑で、穏やかに酒を愛しておりました。
ワラバー古波蔵は、7歳までに間に「酒道」の基礎を見て学びました。
31歳の弔い酒を以って、古波蔵は「酒道」の免許皆伝を祖父に願い出て。
じいちゃんの酒は原体験。ゆえに、美しき記憶のままに。
2010-01-28 time22:20

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