2009-06-23

言葉にならない言葉


2008/3/20 糸満市伊敷 轟の壕




2008/3/22 南風原町黄金森 陸軍病院壕付近 「飯あげの道」



(南風原陸軍病院壕にて)

壕を出て、太陽に照らされた世界の眩しさに目を細めました。
やがて、その視界に、目の前の野球場の芝生の緑が像を結びました。
そよ風を感じました。

ガイドさんに、壕の中では伺えなかったいくつかの質問をし、
最後に、私が沖縄を歩き始めて以来、ずっと胸に抱き続けてきた、
率直にして、心の深いところからの質問を口にしました。

 「戦跡や壕を訪れる時、どんな気持ちでその場に立てばいいのでしょうか。
  そして、立ち去る時、何か言葉を残すとしたら、何と語りかければいいのでしょうか」

私より若いガイドさんは、今、出てきた壕の方を一度、振り返り、
野球場の上に広がる空を見上げながら、こう答えてくださいました。

 「私も・・・ 時々・・・
  この中で亡くなった人たちが、じっと私たちの方を見ているんじゃないかなって、
  思うことがあります。
  でも・・・ 私はここに入る時、こういう風に考えるようにしています。
   ―― あなたたちのことを、忘れていないよ。
   ―― 沖縄は今、平和だよ。
   ―― 沖縄の人は、みんな、元気にがんばっているよ。
  そういうことを、沖縄で命を落とした方々に、報告しに来ているんだって」

その場で探した言葉ではなく、何度も、何度も、この壕に入り、
ボランティア・ガイドに応募する前からの、そして、その後の、
様々な想いが結晶となった言葉だと思いました。

沖縄の今を、穏やかな微笑で見つめる二人を包み込むように
そよ風が吹き抜けました。



「南風原陸軍病院壕」 (正式名称:沖縄陸軍病院南風原壕群20号壕)

その直前に訪れた「南風原文化センター」(現在、移設改築中)とともに、
私と世代の近い方々とお話をさせていただき、
私にとって、戦世を見つめる旅の目線や心の持ち方が定まった場所であり、時間でした。

また、私なりの言葉を得る、大きな契機にもなりました。




(糸満市 轟の壕にて)

その二日前、私は一人、糸満市伊敷の「轟の壕」の入口まで、石段を下りました。

光が届いている、壕内のほんのわずかな空間に目を凝らし、
木々に覆われた自分の周囲に五感を研ぎ澄ませ、
その場の空気を感じることで、往時のことに想いを巡らせようとしました。

時を往き来し、時の経つのを忘れ、しばし佇みました。

やがて、その場を辞去する時、それまで、いくつもの戦跡を巡って来た時と同じように
最後の言葉を探しました。

しかし、それまでと同じように、壕の方をじっと見つめても、言葉は浮かんできませんでした。

史料から得た知識と、自分の想像に基づく感情と、今、この場に立っている意味と、感じていること。
63年の歳月を隔てた死と生。

目を閉じても、大きく息を吸い込んでも、
生ある者の側の、心の奥底からの言葉は見つかりませんでした。

それまでと同じように、ただただ、その死を悼み、静かな、安らかな眠りを祈りました。


石段を登り始めた時、木漏れ日の眩しい目の前の光景から、
ひとつだけ、心からの言葉が浮かびました。

 「この、光に満ちた世界を見ることができなかった、出ることができなかった皆さん。
  本当に、無念だったと思いますが、どうか、ここから出て、新たな生命をつないだ人々のことを
  静かに見守っていてください」

私は、その光景と言葉とを記憶にとどめるため、
また、「祈りの形のひとつ」として、一枚の写真を持ち帰りました。

 
category2008 沖縄旅日記  time23:59  authorKohagura Erio 

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