2009-06-03

八重瀬岳の麓で

前夜からの雨が降り続く。大粒になったり、小雨になったり。
2008年3月18日早朝。いまだ夜陰の残る、那覇バスターミナルへ。

前日の夕刻、那覇に到着。まんじりともせずに、事実上の、沖縄初日を迎える。

6時13分発、34番・東風平経由糸満行き始発。
雨がひどければ、そのまま、終点の糸満まで行くつもりで乗り込む。

真玉橋、津嘉山、外間、東風平・・・
資料で何度も目にした地名のバス停を、次々と通り過ぎる。

蒼い空も海も見えず、緑は雨に煙ってほの暗く、エンジン音と風を切る音の中、乗客は押し黙る。
起伏が多く、曲がりくねった道を走るバスの中から、暗鬱とした気分で車窓を眺める。

――― それはきっと、雨や雲のせいだけではなく、モノクロームの私の心象風景の反映。

  その同じ道を、
  家財道具を手に、または、着の身着のままで、いや、傷ついて、あるいは放心して、
  歩いた人々、歩き疲れた人々、歩けなくなった人々の残像を、
  時代を超えて、窓の外に、追っている。

63年前、季節はもっと苛烈だった・・・
そんなことを想う冷静さも持ちつつ。



目的地が近づく。
運転席のワイパーが止まっているのを見て、「第二富盛」の手前で下車のボタンを押す。

 「雨が上がってよかったねぇ」
 「ありがとうございます」
 「でも、こんな朝早くから、荷物をたくさん持って・・・、たいへんだねぇ」

那覇バスターミナルを出発する前、私がただ一人の乗客だったひと時、
しばし歓談していた運転手さんと言葉を交わし、バスを降りる。

雲間からわずかに、明るい空が顔を覗かせ、
民家の前に飾られた花々に、その日初めて、原色を見る。
バス停の、石彫を模したシーサー小に、小さく微笑む。

午前7時前。
時折、通り過ぎる車の音以外は、静寂に包まれている。
やがて、夜明けと、雨が止むのを待っていたかのような、鳥のさえずり。
風で木の葉から舞い落ちた雨粒が、背中のリュックに当たる音。



3万分の1の道路地図と、資料から転記した書き込みを頼りに、歩き始める。

すぐに・・・、地図では読めなかった登り坂。
歴史を読む時に、想いを致すべきだった登り坂。
背中のリュックの重みを感じる一歩一歩に、意味を求める。



  右手が糸満へ向かう県道52号線。左手の急坂を登ると白梅学徒病院壕跡。
  その上には八重瀬城(富盛城)跡、八重瀬公園もある。



  「6月3日 第一野戦病院本部は戦況の悪化により、富盛の八重瀬岳から糸満市国吉の壕へ
  後退が決定され、直ちに移動を開始した」と記されている。
  すぐ横には英文の解説もあった。



 首里方面を望む・・・・。地図の見方が正しければ。



そして・・・
初めての、沖縄の戦跡の前に立つ。
雨上がりの朝、ひとり、立ち尽くす。

「白梅学徒看護隊之壕」と記された白柱の横の、濃緑と岩に覆われた暗い空間が、
資料で読んだ "上の壕" であることに気づくまで、しばらく、時間がかかった。

そして、どのような想いを携えて、その場所に立てばよいのか、
心の準備ができていない自分に気づいた。


資料から得た知識と、今、この場が五感に訴えかけてくるものとが、像を一つに結ばない。
人の最期、それも戦争による「非業の最期の地」を目の前にしている実感が、湧いてこない。
「祈り」「鎮魂」「慰霊」・・・
言葉だけでなく、その本質に、これまで真摯に向き合ってきたのか。

そんな想いが頭を巡る。

にわかに落ちてきた雨粒で我に返り、ひとたび黙礼をしてその場を去る。
低木に覆われた階段を登って、八重瀬城跡の木陰に佇む。


今、たしかに、この場所が、空間が、静寂に包まれている。

静寂の中で、自分と対話をすることができる。
疲れたら座り、空をのんびり眺めることができる。
眼前の草木の味ではなく、その花を愛でることができる。
グスクに数百年の歴史を想い、自らの数年先を想うこともできる。
63年前には、できなかったこと。




 再び、壕の前に立つ。


グスクの木陰で開いた資料で
「歩行不能の重症患者は自殺を強いられ・・・」との記述を改めて目にした。
悲劇と向き合う際、時として、強い気持ちが必要な場面もあると念じる。

この場に立つ心の準備ができていなかったのと同じように、
壕にカメラを向けることへの是非を判断する規矩もまた、この時点では持ち合わせていなかった。

それでも、逡巡ののち、この光景をカメラに収めた。


「祈りの形のひとつ」。

今振り返ると、そういう気持ちだったと思う。
写真を見つめることで、その時の気持ちを鮮明に思い出すことができる。

そして、壕の中に花が手向けられていることに、後になって、写真を見ていて気がついた。



翌日には、国吉の「白梅之塔」も訪れた。
その後の旅路でも、また、今年、2009年の旅でも、様々な戦跡に立った。

本当は・・・、戦跡を訪れるということを個人的な体験にとどめるならば、
その場に立ち、五感を研ぎ澄ますだけでよいと思う。
頭の中の知識と、静かな祈りの感情とを一つにできればよいと思う。

しかし、その場では知識と、五感と、祈りとを一つにできなかった時、
あるいは、微力ながら、「語り部」の一端を担いたいという想いが強い時、
自分なりの「祈りの形のひとつ」として、
真摯な気持ちでカメラを向けさせていただくことにしている。

それが、壕であっても、慰霊碑であっても、陸と海とが断絶する場であっても。



そして・・・、「非業の最期の地」は、壕だけでも、慰霊碑の立つ場所だけでもないのだと、
美しい道を歩きながら、平和な風景の中に佇みながら、時々、思い起こす。


-2008/3/18-

 
category2008 沖縄旅日記  time23:25  authorKohagura Erio 

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