2009-01-30

平和を想い、願う十字路


 「南風原の小学生が登校途中に不発弾を拾い、学校に持ち込んだ」

 このお昼のニュースを見ながら、私は、兼城十字路、黄金森、陸軍病院壕、南風原文化センター、飯あげの道・・・、昨春訪れた場所を次々と思い出しました。
 そして、とっさに、南風原小学校――壕に移る前の陸軍病院が置かれた南風原国民学校がそこにあったということが想像できなかった――の現在の平和な光景が頭をよぎりました。
 
 アナウンサーの口から発せられたのは、翔南小学校・・・。沖縄を旅して以来の習慣で、何か気になるニュースに接すると、すぐに地図を開いて場所を確認します。南風原町喜屋武。南風原小学校とは目と鼻の先です。
 そして、喜屋武といえば、沖縄戦の最中、そこには病院壕の炊事場があり、そこから壕まで、丘を越えて命がけで食事を運んだ小径が「飯あげの道」だった・・・。


 とにかく無事でよかったです。


 胸をなでおろした時、以前から気にかかっていたことを思い出しました。

 「そういえば、南風原文化センターの移転の件、どうなったんだろうか」。

 悲しい歴史とは逆に、私の旅は、摩文仁の平和祈念資料館、平和の礎から始まり、南部戦跡を巡り、「死の十字路」を経て、嘉手納、読谷方面という順に、島尻から北へと向かう形になりました。ちょうど旅の中間点で、南風原町を訪れました。

 南部戦跡を歩く道程で、私は前もって調べていた史料を手に、いくつかの壕の近くにも立ちました。しかし、そこは、然るべき案内者やガイドもいない旅行者が立ち入る場所ではないと心得ていました。たとえ真摯な気持ちであろうとも、そこに眠る人、その場所を想う人の心の静穏を破ってはなりません。加えて、歴史遺構の保存・保護、私有地への立ち入りのマナー、わが身の安全ということも。


 「沖縄陸軍病院南風原壕群20号、一般公開開始」という情報は、偶然、ネットで見つけました。公開されている他の壕の多くは、見学を修学旅行など団体に限定しているのに対し、南風原壕は個人での見学も受け付けていただけました。その理由は、・・・実際に入壕し、以下に記すようなお話を現地の方に伺って納得できました。

 そして、同時に知った南風原文化センターを午前中に見学し、午後、病院壕を見学する予約をしました。事前に連絡を取り合った文化センターの方は「小さな施設ですから、あまり時間はかかりませんよ」とおっしゃったのですが・・・。


 その展示内容はもとより、展示の仕方に私は圧倒されました。いや、正確には、最初は「まさかそんなはずは・・・」と思いながら見ていました。発掘された戦時中の出土品の数々が、そのまま、ケースに収められることもなく、手を触れることのできる状態で目の前に存在しているのです。

 「よかったら触ってみられてもいいですよ」
 長時間、戦史の展示室に立ち尽くす私に、センターの職員の方が声をかけてくださいました。
 その質感を指先に感じることで時代を超えて伝わってくるものがあるという気持ちと、そのほとんどが「遺品」である事実の重さとの間で、私はしばし逡巡してしまいました。

 「あ、でも、これはやめときましょうね。私も触ったことありません。不発弾だったら爆発しますから」
 笑うに笑えないジョークの傍らで、艦砲弾と思しき錆に覆われた―おそらく私の体重の比ではない重量の―金属の塊が、鋭利な先端を天に向けて屹立していました。

 この職員さんとはかなり長い時間、お話しをさせていただきました。戦災から避難する住民の写真の中に、この方と血縁のある方も写っているということも聞きました。温和な話しぶりの中にも、身近に戦争を実体験した方がおられる重みが感じられます。
 やがて、文化センター設立の歴史にまで話は及びました。元々は町内の学校のための給食センターの建物であったとのこと。
 「そのせいなのかな。開設当初から、天井が湿気で傷んでいるみたいで・・・」

 たしかに小さな施設でした。そして・・・。
 施設の実情を見て、また、私個人の意見として、大人数の団体での見学の受け入れは難しいと思いました。そして、多くの見学者でごった返すようになると、上に書いたような、性善説というか、各人の良識を信じた展示の仕方も難しくなる・・・、といった事態も起こらないとは限りません。
 多くの人に訪れて、見て欲しい、それに値する施設だという気持ちと、ひっそりと静かな時間を過ごしながら歴史と向き合える場であって欲しいという気持ち。時間が経つにつれ、徐々に後者の気持ちが強くなっていきました。

 私たちが話を続けている最中にも、地元の小学生らしき子どもたちが、顔見知りのおじさんに挨拶をするかのように受付を通り抜け、中へ入っていきました。


 「センター設立の趣旨は、地元の子どもたちの平和学習の場です。でも、戦争に関する資料だけではなくて、それ以前の、平和な時代の南風原の歴史、民俗、文化にも日常的に接することができる場として活用して欲しい。遊びにくる感覚で。だから、三線でも、壕からの出土品でも、実際に展示物に触れることができるようにしているんです。ホールにはピアノも置いてあって、音楽会を行ったりもするんですよ」

 「摩文仁の平和祈念資料館とは、また違った役割があるわけですね。そういえば、摩文仁の資料館で手を触れることができたのは、中に戦時中の水が入ったままの水筒、その一点だけでした。頑丈なアクリルケースの中の・・・」

 「これは南風原だけではないんですが、まだまだ地面を掘れば、次々と遺品や遺骨が出てくるのが実情なんです。このセンターの2階も、整理が追いつかないままの出土品が一杯で・・・」

 「えっ?2階にもまだあるんですか?」

 「はい。・・・でも実は近々、センターを新築して、移転することになっているんです。今年の秋頃には一旦休館となります。移転場所はすぐ近くで、もう少し病院壕に近くなります。しかし・・・、それまでに展示物、収蔵物、そして、2階の出土品を整理して、引越しの準備をしないといけないんですけど、これはたいへんだな、と(苦笑)」


 病院壕に入壕する予約の時間が迫ったので、2階には上がらず、一旦、文化センターを後にして、私は入壕口へ向かいました。・・・この時の話はまた後日。
 ただひとつ、病院壕と、文化センターの展示物、収蔵物に共通して感じたこと、そして、おそらく南風原の方々も直面している問題について。それは、保存と、平和のための活用(公開)のどちらを優先するかということです。
 上に書いたように、「沖縄陸軍病院南風原壕群20号」の見学は個人でも申し込めます。逆に、入壕者数を制限しています。それは、この一帯の地質が非常に脆弱なため、風化や劣化に細心の注意を払わなければならない、という事情があってのことなのです。人がその場に立ち入り、往時を偲んで平和に想いを致す貴重な体験は、一方で、重要な歴史遺構としての場を少しずつ傷つけてしまう損失と隣り合わせなのです。

 病院壕は外界の光の一切差し込まぬ漆黒の闇でした。外に出て、眩しい太陽の下、ガイドさんや発掘調査に携わっておられる学芸員さんともお話をさせていただきました。その後、何度も立ち止まりながら「飯あげの道」を歩き、国道に出て、ようやく、現実の世界に戻ってきたような気がしました。



      病院壕を出て、「鎮魂と平和の鐘」を静かに鳴らし、「飯あげの道」へ。
      途中までは舗装されていない山道を歩く。


 「63年前の今日も、こんな太陽がハイビスカスを照らしていたんだろうか」

 再び文化センターを訪れ、残された時間、2階の出土品と静かに向き合いました。
 そして、最後にもう一度、「人の一生」を描いた壁画――センターの展示の半分は戦時のものではなく、心温まる、平和な時代の南風原の生活に関するものでした――の前に立ちました。誕生前から、そして死後までも、人生の節目ごとに様々な儀式を行う様子が描かれています。マブイをよく落とす幼子、ニービチに頬染める夫婦、めでたくカジマヤーの祝福を受けるオジィ、オバァ。家族や周囲からの思いやりや愛情、心と心のつながりに囲まれ、健やかに、幸せに、生まれ、生き、天寿を全うする。現代日本に生きる私の目には眩しくさえ映る情景。

 「戦は、そんな、みんなから大切にされてきた「一生」を、突然断ち切ってしまったんだな」


 ずいぶん・・・長くなってしまいました。

 今日、ネットで調べたところ、南風原文化センターのサイトに「今年の1月から休館、11月に新館オープン予定」の旨、記載されていました。あの時の職員さんの、引っ越しのご苦労を想いました。

 県外の、そして、町外の人間の勝手な希望ですが、新館に移って以降も、私が訪れた時のような場所であって欲しいと願います。
 「ハコモノではなく中身」という話は全国各地で、あまり良くない意味で使われます。しかし、この南風原文化センター、とりわけ、元給食センターであった南風原文化センターは、建物は小さく古くても、素晴らしい「中身」のある場所でした。
 そして、僭越ながら、その「中身」という言葉には、展示物、収蔵物のみならず、センターや壕でお会いできた方々も含まれています。オジィ、オバァから平和への想いを受け継いだ、私と世代の近い方々から多くのことを教わり、また、旅への示唆をいただきました。

 南風原町。前半の南部戦跡巡りから、後半の基地と戦跡のある街への旅路の途中に立ち寄った、出会いに満ちた十字路でした。


 (おことわり)
 文中の会話の部分は、私の一年を経過した記憶に基づくものです。よって、正確さに欠ける部分、私の責による思い違いが含まれている部分等もあるかと存じます。その点、ご了承ください。
 
category2008 沖縄旅日記  time02:16  authorKohagura Erio 

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