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2019-06-23



戦世を訪ねて 2018

   
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  言葉にできないコトバを 深く掘りたく
  言葉少なに ここ数年
  浅く軽く たゆたう言葉を紡ぐことは
  コトバから遠ざかりそうで

  コトバの井戸に 言葉が満ちてくるまで
  湧き出づるまで 掴めるまで
  本当の言葉を結晶させた先人 叡智の
  コトバを読みつづけている

  そして
  言葉を紡ぐべき場所に立ったときは
  ただひたすらに 見る ときに目を閉じて

  そして
  コトバの水脈へと滲み出し 湧き出でようとする
  言葉を掘りはじめる
  去りし人へ まだ見ぬ人へ 連なる言葉を
  
  
-2018/6/27 魂魄之塔(糸満市)-

 
  
 「コトバ」と「言葉」については、
 若松英輔『生きる哲学』(2014・文春新書)に示唆を得る。
 
  

2018-09-29

自然の前で 自然の懐で -台風を前に-

  
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-2018/6/26 屋我地島(名護市 済井出)-



 太古、自然の懐に抱かれることにより、自然から身を守られ、
 全霊研ぎ澄ます生存の中でひととき、心安らいだ。
 往時の記憶が今も、私たちのDNAに残り、そして、信仰の場所ともなっている。
 そんなふうに感じる場所があります。
 心とともに、身体感覚として。本能として。

 たとえば、ガマで。そして、御嶽の森で。
  


 大型台風24号が接近し、既に被害も出ているとのこと。
 幾度もおじゃましているこの地にも突風の被害があったの報が。

 樹々が耐え、大地が受けとめる程度の風雨で、無事に通り過ぎますように。
  
   
 

2018-08-30

一草懸命

  
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一草懸命 いっそういのちをかける


  
   藤原新也さんの『メメントモリ』の一節
   一生懸命 いっしょういのちをかける

   その言葉を思い出す 南冥の朝


   明空を流れる雲に 寄せては返す波に
   ゆきてかえる 魂魄を想い

   やがて
   足元の一草に 生命を見る
  
   いのちあふれる朝に 今
   立っている
   
   
-2018/6/27 糸満市-

  
  

2018-08-23

梅雨が明けると

   
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     Okinawan Green, Feelin' Good, Condition Transparent,
     All Clear including DEFCON.
  
  
-2018/6/24 屋我地島(名護市)-

  
  


2018-08-18

梅雨が明けると

  
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   いろんな季節の いろんな雲が あつあつの空に乗っていて
   二見のそばを 思い出したり

-2018/6/24 屋我地島(名護市)-


   ※「二見そば」(名護市 二見)
   三枚肉、本ソーキ、ゆしどうふの “全部のせ” に
   なんこつも別皿で付いてきます
  
 
  
  
以下。
備忘のような、自省、自戒のような、自らを鼓舞するような。
過去に幾度も経験し、ウチアタイもするというのに、旅を終えてのお礼状、なかなか筆を執れぬ我が身へ。

「実際作物の創作心理から考えてみても、考えていたものがただそのままに器械的に文字に書き現わされるのではなくて、むしろ、紙上の文字に現われた行文の惰力が作者の頭に反応して、ただ空で考えただけでは決して思い浮かばないような潜在的な意識を引き出し、それが文字に現われて、もう一度作者の頭に働きかけることによって、さらに次の考えを呼び起こす、というのが実際の現象であるように思われる。」
寺田寅彦『科学と文学』(1933) より
   
「あんな手紙もらったら、返事も書けないさぁ・・・って、言ってたよ」
       今年の春、熱い、長尺の礼状を差し上げた鰹節屋のお母さんのお言葉を
       今年の夏、カマボコ屋のお母さんより伝え聞く(2018) より


  
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