«Prev || 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 || Next»

2015-05-23



読谷山飛行場掩体壕

   
null

 手元の地図には三ヶ所の印がある。
 記した当時、あるいはその時に参照した資料の作成時には、
 三ヶ所に現存していたのであろう。

 その後、「保存されているのは一ヶ所だけになった」という情報に接した。
 その一ヶ所が、地図に記した三ヶ所のうちのどこであるのかは、分からない。


   
 車を置かせていただくために立ち寄った、読谷村運動広場。
 「ここだったのか」と、2010年4月25日の県民大会が行われた広場を歩き、
 メインステージに上り、屋根の下に立つ。

 そこから、村役場の方を望む。
 2009年の春に補助飛行場跡を歩いた記憶を辿り、
 いくつかの風景が変わっていると思う。

 地図をよく見ることもせず、当てもなく歩き出す。
 思いのほか早く、写真で見ていた建造物らしきシルエットが見つかる。

 夏草を揺らす風に、青い香の暑気と乾いた音が、駆ける。





null

null

弾痕だろうか





null

null

 うだるような暑さの中、業者さんが補強工事を行っているところだった。
 声をかけ、内部の写真を撮らせていただく。
   
 どれほどに脆いものであるか、保存が難しい状態であるか。
 それは経年劣化だけでなく、建設当時の施工そのものが突貫工事であった。
 そんなお話も、聞かせていただく。  





null

 「義烈空挺隊玉砕之地」碑。
 手元の地図ではもう少し南、補助飛行場跡の脇に立っているとある。
 最近になって、ここへ移されたらしい。
   
 重爆撃機による胴体着陸という、特攻。
 その最期の生々しい写真を、戦時記録で目にした。
  
 爆撃機が飛び立った熊本市の健軍飛行場の近くに当時、住んでいたという義父から、
 「鬼気迫る表情の若者たちを見た」という話を聞いたこともある。
  
   

  

null

 旧日本軍が建設した沖縄北飛行場(読谷山飛行場)は、
 戦後、米軍嘉手納基地の補助飛行場となり、パラシュート降下訓練などが行われる。
 村に全面返還されたのは、2006年12月。
   
 この掩体壕は、2009年1月、
 読谷村の史跡(沖縄戦に関する遺跡)に指定された。



 

null

 この後向かった補助飛行場跡の周辺は、思っていた以上に様子が変わっていた。

 新たな暮らしを作る槌音。
 変わりゆくもの、残すべきもの。
 土地が語る歴史、ものが語る歴史。
   


-2013/6/28 読谷村 座喜味-

  
  

2015-05-13

それでも、海と

   
null

    西の海から戦がやってきた 春
    潮が退いては満ちる 北の海に面したガマに逃れた人々に





null

    命の水をもたらしたであろう 泉と出会いました





null

    風葬の場にも近い 静かな場所に ひっそりと
    清らかな水でした
    


-2013/6/27 読谷村 瀬名波-



2014-06-11

それでも、海と-2014

   
null

    過ぎた時があって 今を映す
    過ぎた時を 想うことができる今


    鏡のような水面にも 寄せては返す波があり
    今に至るまでに 寄せては返した時があり


-2013/7/1 糸満市 大度-



2014-06-08

水平線に向き合う時間

   
null

    ずいぶんゆっくりと 海を歩いたつもりだったけれど
    それでもぼくは 旅を急ぎすぎていた のかな?




null

    やがて 海へと歩き出す
    やがて 次へ次へと歩き出す
    真夏の午後の 海辺の座標


-2013/6/30 八重瀬町-



2014-06-07

それでも、海と-2014

   
null

     アコークローを
     世界の言葉にしたい

     あまねく 凪を


-2013/6/30 糸満市 大度-



«Prev || 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 || Next»