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2009-12-28



歩き続けるために

9月26日から11月6日にかけて、「ゆる~り読谷」と題し、
折にふれて、同村を旅して回った回想譚のようなものを書いた。
文字どおり、「ゆる~り」とした旅路を描き、
お読みいただく方には、「ゆる~り」と楽しんでいただきたかった。



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楚辺~座喜味の農道を Yナンバーが走る 上空を旋回する軍用機 「FOR RENT」の物件



その理由は、直前の9月24日に書いた、「ゆんたんざ 2008~2009」と題した小文にある。


昨年の春、そして、今年の春、私はいずれも読谷村を訪れた。

目的地まで歩くことが、また、目的ともなっている旅であるがゆえ、
昨年は、その日の天候を見て、那覇から読谷へ、路線バスで「通勤」することにした。
幸いにも、二日間、穏やかな晴天に恵まれ、残波岬で夕陽を眺めるというご褒美もあった。

そんな陽気の中、では、予定どおりの行程で回れたかというと、必ずしもそうではない。
南部戦跡に始まった10日間の旅も後半に差しかかり、
若干、心が緩み、歩みも遅くなり、良い意味で視野も広がり、
想定外の出来事や偶然の出会いを楽しむようになっていた。
そんな日々の中で、読谷村を好きになり、思い出を作り、
同時に、大きな忘れ物、宿題も残した。

道に迷いながらようやく見つけた、「シムクガマ」と手書きされた、
小さな木製の看板の残像とともに。


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今年は、早くから決意していたとおり、その忘れ物と宿題に向き合うため、
読谷村に二泊三日で滞在することにした。
偶然ではない出会いを求めてこちらから出向き、会うべき方にお会いして、様々なお話を伺った。
一人で歩き回るというやり方では決して向き合えない、貴重な体験の中でも、
「シムクガマ」、そして、「チビチリガマ」の歴史に触れたことは忘れることができない。

旅から日常に戻った後も、その日常の中で、微力ながら、
自分なりのやり方で、周りに伝えなければならないと思いつづけている。

その一方で、地元の方と深夜まで飲み語らい、
同宿した方々と時間を忘れて話し込むという偶然の出会いや、
想定外の訪問先で、真っ昼間、グラス一杯にストレートでなみなみと注がれた「忠孝」で、
歓待を受けるといった偶然の出会いも、やはり、あった。
さらに、一人の時間には、思いもかけず、自転車という移動手段もお借りでき、
行動範囲も広がった。
爽快な汗とともに、前夜の深酒もいつしか、風に吹き飛んだ。



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2月末 サトウキビの刈り入れも最盛期を過ぎ もうひと頑張り




これまで、詳しくは書いていなかったが、
実は今年6月には、宜野湾市の「佐喜眞美術館」も訪れている。
春に読谷を訪れた旅の時には、その存在をまだ知らず、
近くの沖縄国際大学まで足を運んでおきながら素通りしていたことを後悔したりもした。
しかし、少し時間を置いたことで、丸木位里・俊夫妻の作品と対面した時、
その訴えるところを受け止めるべく、心静かに、向き合うことができたのかもしれない。
残波大獅子太鼓の絵に、一瞬、微笑むだけの余裕も持てたのかもしれない。


そのような、いくつかの経験と記憶の断片を結びつけるかのように、
9月23日、私はDVDで映画 『ゆんたんざ沖縄』を見る。
おそらく、その日の深夜から、日付をまたいで、翌未明にかけて、
「ゆんたんざ 2008~2009」を書き上げる。



  大好きな普天間かおりさんの歌に、『R329』という、沖縄を想う曲があります。
 
   「きれいなだけじゃない 悲しみだけじゃない」

   「時計の針は戻らない 今日までのすべてが事実 光と影を抱いて」

  彼女のこの歌詞は、沖縄と向き合う時に限らず、いつも、頭から離れません。
  身の回りの出来事の中にもいつもある、普遍的な摂理のように思います。




戦がもたらした、読谷村の悲しみについて、影について、深く触れたから、
今度は、きれいな今や、光の部分、つまり、自分の中の楽しい思い出について書きたい。

観光コースでも修学旅行でもない読谷村を。
ちょっと変わった目線と、ゆっくりすぎる足取りで回った読谷村を。
微笑ましいエピソード、美しい景色、そして、心が温まるような出会いのあった読谷村を。


一連の「ゆる~り読谷」は、そういう動機で書き始めた。


だが、4回目まで書いたものを振り返ってみると、
意に反して、いや、やはり、と言うべきか、
光の中に、いつの間にか、戦争や基地の存在が影を落としていた。

もっともっと、ただひたすら、「ゆる~り」とした話もたくさんある。
書いてみたい。

しかし、、11月6日を最後に、5回目を書いていない。
書くことができない。

影が光に牙を剥いた。



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「可燃」 「不燃」 ゴミ置き場の表記に その集合住宅に住まう人の姿を見る




その理由は、直後の11月7日に読谷村で起きた、
トリイステーションの米兵によるひき逃げ事件である。

  なんだったんだ・・・
  ゆる~り読谷・・・?
  どこが・・・?


・米陸軍トリイ通信施設の2等軍曹・・・
  そのすぐそばで、台湾からの友人とゆんたくをし、笑い合ったトリイゲート
・容疑者は同村長浜在住・・・
  犬の散歩のマナーが英語で書かれていた、のどかな海岸線。
  夜道ですれ違った礼儀正しい外国人
・楚辺の旧米軍補助飛行場近くの農道・・・
  「25km/h」の速度規制標識、歩道のない道、Yナンバー
  虫を追う親子、歩き去る旅人、歩いた自分


  なんなんだ・・・
  何を見てきたっていうんだ・・・?
  何を分かったつもりでいたんだ・・・?


どこかで、観光客とは一線を画してきたつもりの自分の、
実は表層を見ていただけだった目線が露呈したような気がした。
容疑者や事件を取り巻く「力」と「無力」への憤りと同時に、
自分の浅はかさに対する落胆と羞恥も強く感じた。


  なんなんだ・・・
  読谷の今を伝える・・・?  
  光と影を・・・?


結局、行きずりの旅行者が、目の前に広がる光も、影も、判別できないまま、
ぼんやりと霞んだ光景を、所詮は傍観者として、うすぼんやりと眺めてきただけだったのか。

そこに住まう人々の姿や心まで、分かったような気持ちになってはいけない。
読谷の宿で飲んでいる時、本土から移住してきた同世代の方から、
同じようなことを言われたような気がする。



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低空飛行のヘリが 都屋の海を 漁港の上空を 横切る




私が「ゆる~り」と歩いた場所、そして、
見る方に「ゆる~り」とした空気を感じて欲しかった場所の多くが、
結果として、ことごとく今回の事件と関わりを持つということになった。

それを偶然と言ってしまえばそれまでだ。

それでも、「ゆる~り」と目にしたものを「ゆる~り」と受け止めて、
光の当たる側面だけを照らしてその姿を伝えようとした、
自らの浅はかさを受け止めざるを得ない。

おこがましくも、自分の発する情報の中で、
光と影とのバランスを取ろうと考えた安易な発想。
そうすることで、読谷村をまだ知らない方に、読谷村の光を伝えられる、
という身の程知らずの思い上がり。



年をまたいで、今後も、事件の推移を見守ることしかできない。
私の視野に入っていない、数多くの、基地に起因する事件の縮図としても。




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「平和の森球場」の前にある「不戦宣言」 ここも 旧日本軍 そして 米軍の飛行場だった




それでも・・・

目の前にありながら目に入らなかった、いくつもの影を見過ごしてしまった私ではあるが、
確かにそこにある、たくさんの光を、確かに見てきた。


私が歩いた場所の中に、村民の力でアメリカから取り戻した土地が数多くあった。
平和的な闘いにより平和を回復した土地が数多くあった。

そこに戦争の面影を見ることがどうしてもできない、悲しいほどに美しい自然があった。

戦を語り継ぎ、基地に怒る人が、
夕暮れ時、穏やかな表情で、らっきょうの皮を剥いていた。
懐かしい人々の顔が浮かぶ。


事件や基地という影に、光が隠されてしまってはならない。


そんな読谷村を、再び、訪れたいという気持ちが、
また、5回目を書きなさいと、後押ししてくれそうな気がする。



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2009-11-14

傾きと復元力


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バス停が傾いているのか



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街が傾いているのか



いや 両方とも傾いているのか



   座喜味は 護佐丸さんの環境共生思想の設計?

   大謝名は 平坦な土地がフェンスの中にあるから?



   バス停に顔を近づけて 時刻を眺めるとき 

   足の裏は 街の傾斜に従い 首から上は バス停の傾斜に寄り添い

   つまり ベクトルがバラバラ 軸がふらふらであるのに

   股関節あたりで 地球の重力とのバランスを取っていた んだはず

   倒れそうで倒れない 平衡感覚と 復元力


   
   ・・・・・・オリオン 泡盛 飲みすぎると 時々 倒れます

   ・・・・・・平衡感覚 復元力 失くします





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那覇港の夜を照らすフェリーの灯


   横風・・・ 三角波・・・ 荷崩れ・・・ 横転・・・

   ともあれ 乗客・乗員の皆さんがご無事で何よりでした

   しかし 流出した油の除去 漁業被害の補償 船体の撤去?修復? 経営への影響・・・
   これからがたいへんであるところ
   実務的に 現実的に解決せねばならない話とは別次元の
   浮世離れした話で すみません



   那覇港に 夜通し停泊している 
   鹿児島航路のフェリーの灯りが 近くの定宿からよく見えて
   真夜中のその光景が好きで

   乗ったことはないのに
   本部 与論島 沖永良部島 徳之島 名瀬
   寄港地の時刻を調べてみたり 地図を眺めたり


    「あいっ?いつ来たの?」

    「たった今、徳之島から着いたよ」

    「だからよぉ!「行くよ」って、ハガキくれるのはうれしいけど、いつ来るのか、書いてないさぁ」


   本土復帰前からの沖縄の玄関口 那覇港の周りでは
   本土復帰前から沖縄に通っている旅人を温かく迎える
   こんな会話を耳にすることもあります


   海の安全を祈ります   


2009-11-12

同じ場所へ

  またまた、儀保駅なのですが、
  ・・・と、ここがどこであるのか、先に答えを言ってしまったのですが。

  その場に立っている、その時には気がつかなくて、
  後から写真を見返しているときに、ふと気づいたり・・・。

  あれ、同じ場所・・・?



  2008年3月。沖縄滞在最後の日。
  朝早く、金城町の石畳道の散策を終えて、首里桃原町の方から坂を登ってきました。


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  野球小僧とキックボード小僧という、
  一見、接点のなさそうな二人の会話が気になりつつ、
  「ぎぼまんじゅう」を目指します。

  ところで、儀保駅から徒歩数分で行こうと計画されている観光客の皆さま。
  その情報はおそらく古いのでご注意を。
  「ぎぼまんじゅう」さんの現在の所在地は那覇市首里久場川町2-109。
  最寄り駅は首里駅です。

-2008/3/27-





  こちらは約1年後の、2009年2月。沖縄滞在最初の日。
  サンエー経塚シティで「琉神マブヤー・ショー」を見終えて、
  「経塚の塔」、安波茶交差点まで足を延ばし、
  帰りは首里石嶺町を回って、ウチナー天ぷらの買い食いなんぞしながら、
  首里平良町から下ってきたところです。


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  あれよあれよの夕暮れ時。
  沖映通り・バンターハウスでの、「ハンサム単独ライブ」の開演時間が迫ります。
  いや、開場と同時に最前列に座り、オリオンを飲む時間が迫ります。
  ちょっと足早に。でも、ゆいレールが横切るのを待ってみたり。

-2009/2/22-




  それにしても、時速5キロペースで歩くつもりで地図を読む癖は、
  何度失敗しても治りません。懲りません。
  途中には坂があり、心惹かれる風景があり、面白い看板があり、くゎっちーがあり。
  そして・・・、沖縄は暑い!喉が渇く!時速5キロはみるみる減速します。


   「儀保駅から経塚まで近くはないと思いますが・・・」
   「ゆっくり散歩がてらっていうのもありかも」


  悪の軍団(当時)の、言っていることは正しいけれども判断を狂わせるという、
  やさしい、しかし、恐るべき囁きにそそのかされて、結局、歩いてしまいました。
  まあ、結構、いや、でーじ楽しかったのですが。



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「ちょうちか橋?」眼下の育苗場。テントには「シルバー人材センター」の文字。




  で、悪の・・・、いや、「ハンサム単独ライブ」の開場時刻には10分ばかり遅刻しました。
  一番乗りにはなれませんでした。
  「近くはないと思う」距離を、「ゆっくり散歩がてら」ふらふら歩いていたので。

  でも、よかったのです。
  その夜、最高の席には、最高の皆さんが、最高の笑顔で。
  その皆さんとのひとときの語らいは、私にとっても最高の思い出になりました。


  そして、また、同じ場所へ。
  あの場所へ、バンターハウスへ。
  必ず・・・。いちゅんどぉ~!


2009-09-24

ゆんたんざ 2008~2009


2008/3/25 読谷村波平/米軍楚辺通信所(通称「象の檻」)跡地



昨日、連休前に買っておいた、映画『ゆんたんざ沖縄』のDVDを見る。
・・・朝早く、家族が起きてくる前に、ひとりで見る。

沖縄で、見て、聞いて、感じたことを、
微力ながら、周囲の人々に伝えてきてはいるが、
残念ながら、最も身近な家族に、伝えることができていない。
いや、受け止めてもらえない。

戦争の話が怖いと言う。
戦跡、慰霊塔、壕の写真も怖いと言う。

そこがどんな場所であるのか、話してもいないのに、
私が撮った何枚かの写真が怖いから、見たくないと言う。
のどかな風景の中に、小さく、確かに、慰霊碑を覆う森が写ってはいたのだが。

私がそういう場所を訪れることさえも、快くは思っていないようだ。


私の感覚が正常なのか。家族の感覚が正常なのか。


そんな家族に、
この春、私がチビチリガマやシムクガマを訪れた話も、
まったく、できていない。
この夏、佐喜眞美術館で購入した、丸木位里さん、丸木俊さんの画集も、
私の方で、見せることを逡巡している。


集団自決は、そんな、今の家族にとっては、直面することが重すぎる事実のようだ。
私が、その集団自決の現場を訪れた事実にも、感づいてはいるようだが、
いまだ、その話題を口にすることを拒絶されている。


私から歩み寄るべきなのか。家族から歩み寄るべきなのか。


ただ、二つのガマに同行していただくとともに、今日に至るまでの貴重なお話を聞かせていただき、
二泊三日の読谷村滞在中、たいへんお世話になった知花昌一さんが、
本当に温かく、ご家族や地域を想う方であること、人間味溢れる方であるということは、
宿主と旅人という間柄、そして、古酒を酌み交わした間柄における、いくつかのエピソードを語る中で、
家族にも理解してもらえたようだ。


そこから、話を続けたいのだが・・・。




2008/3/25 読谷村座喜味/村役場上空を低空旋回する米軍機



そんな昌一さんの、1987年のあの出来事に呪縛され、
闘い続けることを余儀なくされる前の姿も映っているこの映画を、
そして、私自身、実際にチビチリガマを前にして、その現実の前で、
昌一さんに対し、言葉や問いかけとして発することができなかった、
たくさんの想いへの「答え」が散りばめられたこの映画を、
昨日、ようやく、見ることができた。


丸木俊さんが、読谷のおばぁをモデルに、いや、おばぁと対話をし、
その言葉を受け止めながら、筆を走らせるシーンがあった。
このような心の交流から、あの大作が生まれたのか、という深い感慨を覚えた。


今年の春、ご縁があって、お目にかかることができた金城実さんの、その時の悠揚たる面影、
そして、映画全編にわたって太陽のような存在であった金城さんの、
「世代を結ぶ平和の像」が破壊された時の、すべての感情を押し殺したような表情が忘れられない。


残波大獅子太鼓のシーンでは、個人的な思い出の中へタイムスリップした。
1990年、大学の学園祭に来てくれた、同世代の彼ら、彼女らと、泡盛「残波」を酌み交わした夜が、
私の沖縄への傾倒の大きな契機となっているのは確かだ。
3年前、NHK「芸術劇場」で見た『戦争と平和』の熱演、昨春の「おきなわワールド」での再会、
そして、今年の夏、佐喜眞美術館で見た丸木夫妻の作品群の中で出会った彼ら、彼女らの姿に、
ひととき、心が微笑んだ記憶。


そして、同世代といえば、読谷高校の卒業式のシーンは、
まさしく同級生に当たる私にとって、衝撃的であり、
四十路を過ぎた自分が、あの日の高校生に突きつけられる問いかけに、
確たる「答え」を返せずにいる。
むしろ、県・学校当局の発する言葉に、約20年間、自分が「成人」として生きてきた中での、
「現実」「穏便」に妥協を重ねてきた立ち位置を重ねてしまう。




2009/2/24 読谷村楚辺/米軍「トリイステーション」第一ゲート





朝、飛ばし読みしていた朝刊を、昼を過ぎてから、ゆっくりとめくった。
2面の「ひと」欄に、写真家の石川真生さんが紹介されていたのに、思わず目を見張る。
(朝日新聞 2009年9月23日付)。
そこには、たった今、見終えたばかりの映画に記録されていた時代からさらに遡る、
知花さんと、そして、おそらく沖縄と日の丸との、複雑な感情の歴史が、
短い文章の中に深く刻まれていた。



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2008/3/25 読谷村波平/「吉祥之園」公園

2008年春・・・
2日間にわたって、読谷村楚辺、都屋、座喜味などの戦跡を歩いて回り、波平へと至る。
この地の、二つのガマについての歴史は事前に調べていたが、
戦没者、ご遺族の方へ想いを致すに、たとえ真摯な気持ちであっても、
然るべき案内者の同行もなく、一介の旅行者が、軽々に立ち入るべき場所ではない。

それでも、シムクガマの場所だけは、今、どんな風景の中にあるのか、それだけ、見ておきたかった。
おそらく、このすぐ近くであることは、地図を辿ってきた道程から察しがついた。

しかし、ゲートボールを楽しむおじぃに、突然、現れた旅人が、その場所を尋ねることは、
平穏な日常から、無遠慮に「戦世」の記憶へと引き戻し、
そして、その記憶へ土足で踏み込むことであると思った。



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だから・・・ 2009年春・・・
次の世代の方にお話を伺うために、再び、この土地を訪れた。




2009/2/23 読谷村波平/夕暮れ、島らっきょうとオリオンから始まる長い夜




2009/2/23 読谷村波平/分かれ道で迷子になるか、立ち止まるか、歴史も人も



 『ゆんたんざ沖縄』 (1987/SIGLO)
  製作:山上徹二郎、監督:西山正啓


2009-08-01

Someone to Watch Over Me


○ 一般に通用している邦訳 : 「誰かが私を見つめている」
○ 古波蔵的我流ウチナー訳 : 「たーがな 我姿(わしがた) すーみーそーん」


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    女の子は あまはい くまはい
    白いボールを 追いかけて


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    ベランダの 男の子の視線も あまはい くまはい
    女の子の姿を 追いかけて

     Watch Over Her ....
 
     2009年 夏が来た


 おじさんにも分かるぞ おじさんにもそんな頃があったぞ
 まったく 男ってやつは・・・ 

 繊細で 意気地なしで じれったくて 傷つくことに臆病で
 そのくせ 少女マンガ家なんぞの想像力をはるかに凌駕した
 甘美なロマンチストで ナルシスティックな夢想家で 行動できない自信家で

 たくさんの後悔と たくさんの自己嫌悪と たくさんの溜め息と
 言葉にできず星屑になった 数え切れない思慕を胸に秘め
  ♪ 好きなら 好きと Say Again 言えば よかった (『恋しくて』/BEGIN)

 それでも ある時 男は 立ち上がる
 夢を叶えるために 夢から覚めて 男になる
 男の気持ちをぶつける! ・・・・・わけさぁ



  いぇー ワラバー わかるか?

  ・・・あがっ! わからんばぁ?
  ・・・片想いもな?
  ・・・意味くじわからんて?

  あいえな~! ただ 一緒に遊びたいだけ?



 あいっ? おじさんね?
 おじさんは・・・ お酒の力を借りて 男になったばぁよ!
 ・・・未成年だったやしが
 どぅーかってぃーやっさーっ! (オレの勝手だろっ!)



話題を変えましょう。


糸満漁港に面したこのお店に、昨春、初めての糸満滞在中、私は毎日、いや、毎晩、通いました。
携帯電話を持たない私の連絡手段は、もっぱら公衆電話です。
宿から最も近いこのお店の公衆電話から、一日の終わりに、家族へ定時連絡をしていました。

人通りのほとんど絶えた夜10時を過ぎても、お店の入口は開け放たれていました。
照明の消えた店内をほのかに照らしていたのは、お店の奥の居間の、慎ましやかな、生活の灯り。

居間には、おじぃが一人。店に背中を向けて。

「○○商店」というような看板も出していないこのお店、「共同売店」のようなお店なのでしょうか。



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   糸満市「居酒屋まんた」さん。一緒に飲んだどぅしぐゎーも、途中で記憶が飛んだとのこと
  今年の春に再会した時、お互いに、「何を話したか覚えてないから、また、初めまして・・・だな」


さて、糸満滞在最後の日の朝、私は、漁港に停泊している漁船が揺れに揺れている中、
自分自身も揺れながら、このお店に辿り着きました。
海も、空も、地面も、見慣れた街並みも、すべてが揺れていました。

前夜、出会ったばかりのどぅしぐゎーと、二人でボトルを空けた「夢航海」。
見事・・・、沖縄初の二日酔いの朝でした。


宿の自動販売機で、野菜や果実系の缶ジュースを立て続けにがぶ飲みしたものの、
その程度の量ではとても復活できないことは、長年の飲酒の経験から分かりました。
ゆえに、2ℓペットボトルのうっちん茶を求めて、朝から、このお店を訪れたのでした。

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寝る前に飲んでおけば、まだ、よかったのだが。それができないほどに酔ったからこそ、二日酔い



毎朝、まちぐゎーへ直行していた時には気がつかなかったのですが、
その朝、店頭のスチール台の上には、二、三丁のアチコーコー島豆腐とおからの袋が置かれてあり、
お母さんがお二人、店番といった風情で立っておられました。

お母さんのお顔まで揺れている体調にもかかわらず、私はついつい、
うっちん茶や野菜ジュースを飲みながら、しばしのゆんたくを楽しませていただきました。

やがて、何の話題からか、お二人の口からこんな言葉が。

 「あら~、あなた、夜中にひとりで、港を歩いたの?海のおばけが呼びに来るよ~」

 「お酒を飲んでる人は、特に呼ばれやすいさぁ~」


朝っぱらから、なかなか、スピリチュアルなゆんたく・・・。
しかし、スピリチュアルな空気が濃密な沖縄で、お母さんが真顔で語られるお話には、
世俗的な怪談話とは一線を画すリアリティがあります。

ふと、昨夜、私が真夜中にひとりで港を歩いたこと、しかも、酩酊状態で、
さらに、あろうことか、港に停泊する漁船や夜景を撮るつもりだったのか、
漆黒の闇に包まれた海に向けてシャッターを押したことが、夢うつつの記憶の淵から蘇ってきました。

少ししかんだ気分で、その場で、前夜の画像を開いてみました。



 ・・・・ちょっと気になる箇所を拡大してみたりしつつ、

 ・・・・何度も目をこすり、これはきっと、腫れぼったい目のせいだと呟きながらも、その場で2枚、

 ・・・・見なかったことにして、・・・・消去しました。

 ・・・・と同時に、急に立ちくらみがして、思わず私は店先に座り込んでしまいました。



まあ、これはたぶん、重度の二日酔いによる体の変調だったのでしょう。たぶん。いや、きっと。
 Someone to Watch Over Me ? ...... No ! No ! No ! Nobody was there !


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宿に戻って少し休もうと、お母さんたちに辞去の挨拶をして、歩きだしたところ、
えっ?・・・お二人もそれぞれ、別々の方向に、島豆腐片手に歩き始めたのでした。

ちなみに、うっちん茶や野菜ジュースの代金を、私はお母さんに手渡し、
お母さんはそれを、店の奥のレジに、当たり前のように収納されていたのですが。

それなのに、お二人の姿は、どんどん遠ざかっていきます。
お店の方じゃなかった? もしかして、お客さんだった?


まあ、糸満のまちぐゎーに何日も通っていた中で、さりげない助け合いの光景 ―――
他のお店の店番やお客さんの応対も、当たり前のように、お互いさまという感じでなされているのを、
日々、目にしていたので、このお店での出来事にもそれほど驚きはしなかったのですが。


それでも、このお店の経営者は一体だれなのだろうかと、もう一度戻って、中の様子を覗いてみました。


オリオンビールやポーク缶や日用生活雑貨の詰まれた棚の奥の居間に、
おじぃが一人、店に背中を向けて、座っておられました。
その朝も。

私が毎晩、電話をしていた時と同じように。

 ・・・・・2008年3月の思い出。




再び2009年。6月28日。
白銀堂から糸満漁港に出て、すべてが懐かしい海沿いの風景の中を歩いているうちに、
気がつくと、このお店の前にいました。

「おじぃは、お元気かな」
立ち止まった私の前を、つむじ風のように、女の子が走り去っていきました。

「おじぃは、一人じゃないね」
ベランダのワラバーよ、大きくなったら、おじぃと飲もうね。恋を肴に。
 Please Watch Over Your Grand Father Tenderly.


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「酒飲みは海のおばけに呼ばれる」伝説は、酔って海に落ちそうな人への警句だと思う。きっと・・・


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