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2012-02-03



君知るや、沖縄の汁 ~ いなむどぅち

     
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     寒い冬、体の芯から温まる汁物が恋しくなる。
     鍋をストーブの上に乗せ、調理は時に委ねて、些事に勤しむなど、いとをかし。
     やしが、暑い沖縄で、熱々の汁をいただくのも、これもまた、でーじ上等。

     折々の行事ごとに欠かせない汁物。
     シンジムン(煎じ物)の系譜に連なると思われる、素材の旨みや滋味を引き出す汁物。
     そして、チャンプルー精神とサービス精神を体現するかのような汁物。

     沖縄はじつは、汗を流しながらでも満喫したい、汁物天国であると思う。





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     朝6時半に開南の「丸安そば」にいる。
     ということは、5時過ぎには起きて、西町の宿を6時には出発している計算になる。

     R329を通って中城へ向かう、30番系統・泡瀬東線の日曜日の始発は、
     ちょうどこの時間に那覇バスターミナルを出る。
     その始発に乗れば、少しでも早く中城へ着けるのだが、
     それ以上に、朝ごはんを重視した選択だった。

     那覇バスターミナルを通り過ぎて、開南まで歩いてきた。
     一本遅らせて、与儀十字路から、7時台の次のバスに乗ることにする。
 
     この朝に決めたのか、あるいは、バスの車中でとっさに思い立ったのか、
     今となっては記憶が定かではないのだが、
     R329を北から南へと歩いて縦走するというプランの中のハイライト、
     中城グスクの訪問を、当初の予定とは逆にして、朝一番に持ってきた。

     R329の中城小学校前でバスを降りて、中城グスクまで歩く。
     その道のりはかなりの上り坂であることが、地図からも見て取れた。
     途中に食堂があるという期待にも乏しい。
     朝ごはん抜きの行程としては、かなりしんどいと思われた。



     そんなわけで、一年前にも訪れていた「丸安そば」である。
     24時間営業。
     南に農連市場、北にむつみ橋から連なる数多のアーケード街、
     そんなクロスロードに三角形の店舗。
     パーラーのようでも、屋台のようでもある。

     前回は、うららかな午前の陽射しの中の遅い朝ごはんであったが、
     今回は、まだ夜も明けきっていない、冷え込んだ朝。

     前回は、券売機のメニューを見て、唯一、その名を知らない一品という理由で、
     「いなむるち」なるものを注文した。
     今回は、その味の懐かしさと、なによりも、温かく、ほんのり甘いみそ仕立ての汁を欲して、
     迷わずに券売機のボタンを押した。

     おじさんに食券を渡し、たぶん、前回と同じカウンターに座る。



     豚肉、カステラかまぼこ、椎茸、こんにゃく、上品な甘さの白みそ仕立て。
     前回は小ネギを散らしてもらっていたような気もするが、
     おそらく、その時どきの作り手のおばさん、おじさんのセンス、美学なのだろう。

     大盛りのごはんと一緒に、満ち足りた朝食をいただく。

     車が通り過ぎるたびに、風が背中を撫でる。
     朝の空気の冷え込みを、湯気が笑う。
     丼から口を離し、ほっと息を吐くたびに、五臓に力が漲る。


  
   

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     「いなむどぅち」か「いなむるち」か。

     丸安そばのメニューは「いなむるち」であったが、
     「猪もどき」が語源という説に立ち、私は「いなむどぅち」と呼び、
     自己流で「いなむどぅち・もどき」を作ったりもする。

     沖縄では、さまざまな行事や祝い事、人々が集まる場で供されると聞く。
     飲んだ最後の締めにもいいと思う。

     そして、食堂で気さくに、食券を買って食べたりもできる、
     温かい朝ごはんとしても、至福の一品だと思う。



     くわっちーさびたん!



     
     そんな朝から、もう3年近い月日が流れている。

     3年間で重ねた齢と、身につけたジンブンによって、
     今ならきっと、西町の宿から歩いたりせず、那覇港前から開南まで、
     市バス(那覇バス)の2番系統・識名開南線に乗るだろうな、なんて思う。

     そして、初めての「丸安そば」で、つまり4年前に、
     カウンターの隣り合わせでゆんたくさせていただいた「平和通りのおばぁ」、
     ちゃーがんじゅーやみせーみー。


-2009/3/2 那覇市 樋川-


-Special Thanks-
  「丸安そば」さん


2012-01-17

碧い漁港

     
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     エンドロールを見なければ、気がつかなかった。

     というよりも、物語のクライマックスを迎えるその島の名前からして、
     安座真港ではないにしても、知念か佐敷あたりの、
     東の海に面した漁港だと思い込むところだった。

     それはそれで、そういうふうに、物語に没入していいのだけれども。



     3年前のあの日は、2月だというのに、とんでもなく暑かった。
     そして、空の色にも、海の色にも、驚いた。

     二度目の沖縄。
     読谷の補助飛行場跡は、頭が真っ白になるように暑かった。
     真栄田漁港の夕陽は残波を染めて、赤く紅く、熱かった。    
     泡瀬の朝の海は、ミルク色にも、鉛色にもなって、すべてを映した。

     そんな道中を経て訪れた二度目の糸満。
     なにも考えず、どぅし小に行く先を委ねた。

     その一年前の初めての沖縄、初めての糸満では、
     ずっと「意味」を背負って歩いていた。
     山野で、街で、そして、海で。

     この日、何の「意味」もなく、ただ、美しい情景だけを眺めて、
     旅の「なかゆくい」のような時を過ごした。

     「なかゆくい」を終え、糸満から那覇へ。
     そして、この夜、FEC「裏お笑い劇場」。





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     3年後、『ハルサーエイカー』第12話。
     いろんなことがつながった。

     普遍的な「意味」があるわけではないけれど、
     自分にとって、とても大切なもの、つながる軌跡。
     どんなに時が経っても、微笑むことができる追想。


-2009/2/27 喜屋武漁港(糸満市 喜屋武)-



2011-05-25

人の重さ 命の重さ

    
     二度目の訪問で
     新たに学んだ歴史と 等身大の自分の感性で
     「当時」と「今」と対置して見ることができた




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     狙われた銃爆撃だけでなく 偶然の至近弾や砲弾の破片も
     そのすべてが「鉄の暴風」

     最初はテニスボールほど やがて ピンポン玉
     「飯あげ」の苦難の末のおにぎり 一日の食糧

     不謹慎だと自らを叱責しつつ
     まれに頭上を横切るらしい「ファールボール」の像に
     そんなことを重ねた



     排水口を連ねたコンクリート壁
     この黄金森の土質と つるはしや杭木の跡の残る
     地下に眠る壕を思い出す

     突貫工事で掘り進められ ぬかるみ 崩落し
     数え切れない生死が去来し



     1945年5月25日
     梅雨の雨の中 歩ける者だけの撤退が始まった
     それが 始まりだった人も
     それが 終わりだった人も

     壕の外ではすでに 始まりも終わりも
     暴風とぬかるみの中で




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     グラウンドで怪我をしたチームメートを
     おぶったり 担架に乗せたりして ベンチまで運ぶのも
     なかなかたいへんなことだと 思ったりした


     「担送」という言葉の実感が 重く迫ってくる

     人の重さ
     人の命の重さ


     「独歩」が生死を分けた「病院」の跡


-2009. 3. 1 沖縄陸軍病院南風原壕(南風原町 黄金森)-



2011-02-06

生成し風化する地表

  
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     次の旅に備えた調べものをしていて、
     いつの間にか、沖縄の地質、土壌の分布を知ることになった。

     マージ、ジャーガル、ニービ。
     いくつかは、聞き覚えのある響きでもあったのだが、
     如何せん、そういう分野は門外漢、記憶にとどめるまでには至っていなかった。

     ところが、その土壌が、農業生産にも結びついているということになると、話は違う。
     言われてみれば当たり前のことなのだが、
     土の組成やph(酸性、アルカリ性)は、そこに育つ植物に大きく影響する、
     というくらいのことは分かる。
     海とサンゴと島の成り立ちというところにまで至ると、ロマンさえ感じる。

     そして、自生する植物とは違い、農作物の場合、
     先人の長年の経験、農家の方の叡智が、栽培適地を見出し、
     その土地に適した農業を形づくってきたという歴史の産物なのであろう。

     酸性土を好むパイナップル生産の分布は、北部の国頭マージの分布と符合する。
     土壌の分布図で見ると一目瞭然であった。

     では、島らっきょうは?チデークニ(島にんじん)は?と興味は尽きないのだが、
     必ずしもその作目に適していない土壌であっても、
     客土や堆肥の鋤き込みによる土壌改良といった努力も行われているらしい。

     となると、あとは沖縄の原風景ともいえるサトウキビなのだが、
     私がこれまでにキビ畑と出会ってきた風景は、
     おおむね島尻マージの分布に重なるようにも思う。
     しかし、中城村などの東海岸から南風原町、那覇あたりにかけては、
     ジャーガルという土壌分布らしい。

     とにもかくにも、サトウキビとは随所で出会う。

     サトウキビは土を選ばずに逞しく育つのか。
     あるいは、琉球王朝時代からの殖産、農業政策で、
     栽培に適した土壌へと改良されてきた歴史の賜物なのか。



     ふと、その土壌の分布図に、基地や軍用地の分布図を重ねてみようと思い立つ。
     正確な分布図ではなく、大まかな記憶の残像を重ねる。

     重ねてみて思ったのだが、基地や軍用地に、土壌は関係ないだろう。
     よほど脆弱だったりしない限り。

     しかし、またさらに、思いを重ねる。
     黙認耕作地という名の農地での、農業生産も行われているではないか、と。

     広大な滑走路を取り囲むフェンスを、さらに取り囲むかのように、
     細い帯のような圃場が広がっている場所もある。
     それはそれで、視覚的に分かりやすい。

     一方で、目には見えにくい形態の黙認耕作地もある。
     見た目には、沖縄の平和な農業生産の風景と何ら変わりのない、
     それでも、権利関係上は軍用地。

     そんな土地の存在が、少しずつ、分かってきた。
     それらしき土地も歩いてみた。

     しかし、歩いてみても、分からないことが多い。
     通りすがりの旅人が、無遠慮に踏み込めない経緯が、
     何層にも沖積、堆積しているということを、少しずつ、知る。

     

     写真のサトウキビ畑も、カメラに収めて持ち帰っただけで、
     どういう経緯の上にある土地なのかは分からないままである。

     左下にあるのは、言うまでもなく、石敢當ではない。

     今も効力を有しているのか、あるいは、
     「返還」とともに役目を終えて風化を待っているのか、
     それも分からない。    
     

-2009. 2.24 読谷村 波平-

2011-02-01

年の数 だけ食べる豆 二つ増え

   
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    はっさ!一ヶ月前のポスター?

    微笑しながら撮った写真ではあるが
    それを二年も経った今 思い出したように引っ張り出す自分にも 微苦笑する

    いや じつは微笑どころではなく
    必死に堪えた爆笑 思い出し笑いであったかもしれない

    この 中城村成田山の「豆まき」の場にいた
    いや 参加した いや 登場した方の
    愉快極まりない裏話を 直前に聞いていたりしたので





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    「中城のR329縦断」の一日は
    中城小学校前でバスを降り まずは 中城城址まで歩いて登るという
    旅人ならではの酔狂な行程から始まったのだが
    縦断開始前の寄り道にしては かなり重厚な行程であったのだが 





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    そんな裏話の舞台が 期せずして目の前に現れたり
    坂を登るにつれ移ろい変わる 沖縄本島東岸の風景を楽しめたりと
    なかなかに楽しいものであった

    右に成田山福泉寺 左は中城湾の海岸線



    ところで・・・
    「こやまさ~ん!」・・・でしたっけ?
    元・親方


-2009. 3. 2 中城村 屋宜・添石-



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