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2011-11-13



秋の踊り

    
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    現代版組踊『肝高の阿麻和利』を、昨春の福岡公演、
    そして、昨秋、念願叶って、かっちん城(勝連城跡)公演で見ることができた。

    クライマックス、カーテンコールとともに、もう一ヶ所、
    涙腺までは行かずとも、温かい何かがこみ上げてくる場面がある。
    それが、平敷屋エイサーの登場する場面。
    もちろん、踊るのは、うるま市の肝高の子たち。

    2010年1月の福岡公演を見たときには、
    まだ、平敷屋エイサー自体を知らなかったような気がする。
    というのも、その直後の2月に、初めて勝連城跡を訪れた際、
    与勝中学校の壁に描かれた絵を見て、「ああ、これだ」と思ったくらいだから。

    なので、「温かい何か」がなんなのかは、今もって分からない。

   
    勝連城跡で壮大な朝を堪能した後、与勝半島を一路南東へ、平敷屋まで歩いた。
    途中、「きむたかホール」を過ぎてからは、ちょっと、海やフェンスへ近づきすぎたが。

    西に中城湾、東に金武湾を望む緩やかな坂の印象とともに、
    短い時間ではあったが、平敷屋の空気を肌で感じた。  

    そして、その後、時が経つにつれ、
    平敷屋エイサーをこの目で見たいという想いが日に日に強くなった。




    『琉球と袋中上人展 - エイサーの起源をたどる』
    毎日でも通いたいようなトピック展示が、この秋、九州国立博物館で行われている。
     (年間パスポートを持っているので、なんだったら、本当に日参することもできる)

    そして、そのポスターを初めて見たとき、
    「したいひゃー!」と叫んだか、カチャーシーを踊ったか、はたまた、島酒で祝杯をあげたか。

    「袋中上人とエイサー・檀王法林寺」と題された講演会に併せて、
    「うるま市無形民俗文化財「平敷屋エイサー」公演」、とあるではないか。

    勝手知ったるホームグラウンドで、数日前から、
    円いものはすべてパーランクーに見える日々を過ごす。
    左右の脚の上げ方がそれっぽくなる。
    その場で回ってみたくなる。



    晩秋とは思えない陽気が続く福岡、
    今日もTシャツに薄手の長袖シャツでちょうどよい日曜日だった。 
    青年会ではなく保存会の「二才達」をお迎えするのにはちょうどよい。
    しかし、エントランスホールの石の床は、裸足には少々、冷たいだろう。
    日の当たる外のベンチで、島サバでくつろぐ保存会の「二才達」に、
    一方的な目礼と、敬慕の眼差しを送る。




    自然光を採り込む構造の館内の、ほどよい明るさの中、
    午前と午後、二回の演舞。
    飾られている博多祇園山笠の飾り山とのコラボレーション。 

    高い天井に、地謡の三線、そして、パーランクーが、二重三重に反響して、空気を震わす。
    視線はパーランクーや、少し反った形のバチの動きから、やがて足元へ。
    その場で足踏みしながら回っているだけかと思ったら、
    その足の運びの優美かつしなやか、そして、強靭なことに驚く。

    お一人お一人の表情に、平敷屋の風景を重ねる。
    海の空気、畑の空気、西の空気、東の空気、そして、肝高の子たち。




    演舞の前後に、という書き方は失礼なのだが、
    このような講演も聴くことができた(敬称略)。


     講師:信ケ原雅文(檀王法林寺住職)
     演題:檀王法林寺-京都と沖縄の架け橋になって-

     講師:石川登志雄(伝統文化財保存研究所代表)
     演題:袋中上人と檀王法林寺の宝物

     講師:園原謙(沖縄県立博物館・美術館主幹)
     演題:エイサーの過去・現在・未来

  
    檀王法林寺ご住職のお話の冒頭に、同寺の所在地について、
    「鴨川があって・・・、三条通の・・・、三条大橋を・・・」とのご説明があった時、
    久茂地川と、国際通りと、蔡温橋・・・、などという雑念が去来した以外は、
    非常に濃密で貴重なお話を拝聴できた。

    じつは、袋中上人が琉球を発って以降のことにはあまり関心が向いていなかったのだが、
    伏見で尚寧王に会っていたという話から、がぜん興味が沸いてきた。


    そして、エイサーの歴史についての園原謙主幹のお話は、
    平敷屋エイサーを目の前で見た感動に比肩する、深い印象とともに心に残った。

    1956年の「米琉親善全島エイサーコンクール大会」と、
    その後のエイサーの隆盛をどう見るかは各自の嗜好や価値観に拠るべきものだろう。

    しかし、その間の空白と、それ以前のエイサーとの断絶の歴史については、
    エイサーを愛し、沖縄に想いを寄せる者ならば、必須のこととして知っておかねばならないと、
    今日初めて知ったような者ではあるが、声を大にして訴えたい。

   ※ これに先立ち、1953年、初の全島エイサーコンクールが行われたとのこと。
     (出典:平敷屋公民館 web site)



   
    あまりに濃密な一日に、いつにも増して、とりとめもなくなった。


    使い込んだパーランクーは、どれも美しく、象牙色から黒褐色に光っていた。
    裏面に油性ペンで、「平保」と書かれているのが目に付く。
    門中か、屋号か、はたまた、より小さな集落単位の名前か、などと思案した後、
    「ああ、平敷屋保存会の略か」と気づき、得心苦笑する。


    またどこかで、できれば平敷屋で、お会いしましょう。
    来週には、新しい阿麻和利さま(6代目でしたか?)も誕生するそうですね。

   



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外に出て我に返ると、少しずつ透明感を増す秋の夕暮れだった。



-2011.11.13 九州国立博物館 (太宰府市)-


-Special Thanks & にふぇーでびたん-
  平敷屋エイサー保存会の皆さま


        

2010-02-11

「きむたか」の皆さまへ

  
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 拝啓

 この週末を皆さんは、バレンタイン・デーとして心ときめかせて迎えるのでしょうか。
 それとも、ご家族、ご親戚の方々とともに、旧正月として迎えるのでしょうか。
 あるいは、「卒業公演」に向けての最後の追い込み、通し稽古などで過ごすのでしょうか。

 さて、高校生、中学生の皆さんと、高校卒業から四半世紀が過ぎようとする私とでは、
 一ヶ月という時間の感じ方やその密度には、大きな差があるのではないか、
 などと思っています。
 そんなことを確信を持って思うのは、かく言う私自身もかつて、そういう時期を経てきたからです。
 ずいぶん、遠くになってしまったけれど。

 そして、卒業を間近に控えた三年生の皆さんは特に、
 この一ヶ月の間に、受験のプレッシャーやある種の高揚感とともに、
 「万感」などという言葉で表せるような感情も抱き始めているのではないでしょうか。
 いつもと様子が違って、「とぅるばっている」どぅしぐゎー、
 皆さんの周りにいたりしませんか?



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 『肝高の阿麻和利』福岡公演。
 うるま市から福岡市へ、皆さんの代表が来てくださったのは、ちょうど一ヶ月前のことでしたね。
 
 一ヶ月という時間。
 
 私は一ヶ月を経た今も、深い余韻に浸っています。
 こうやって、あの日の感想や想いを書いている今日まで、ずっと。

 皆さんは既に、次の舞台(それは、『阿麻和利』の舞台でもあり、皆さん自身の舞台でもあり)
 へと向けて、それぞれに歩み続けていることと思います。
 その間に、どのような成長を遂げ、どのような発見をし、どのような思い出を作ったのか、
 あの舞台を見た一人として、本当に楽しみです。

 あの時の、勝連から那覇空港、福岡空港、宿舎、会場、二日間で三公演という日々のこと、
 ――いや、すべてはもっともっと、ずいぶん早くに動き始めていたのでしたね、
  「あまわり浪漫の会」のブログで、遡って拝見しました――
 そんな日々のことを折にふれ、思い出していただければうれしいです。

 
 ところで、私が中学生、高校生の頃、「感想文」というものにはずいぶんと苦労させられました。
 どういったらいいのか、単純に「難儀ぃ~」というのもあったのですが、
 本当に感動したこと、その感情って、簡単には言葉になんてできませんよね。
 いや、言葉にできないような感動と出会えること、それ自体が幸せな、大切な体験なのであり、
 その、なんとも捉えようのない感情を、出来合いの言葉ではない、
 自分なりの言葉で表現できたその時こそ、自分だけの、本当の幸せなのかもしれない。
 
 ・・・などと、大人はあれこれと理屈を並べます。
 言葉を弄します。

 正直に書きますね。



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開演前の福岡市民会館

 
 実は、あの日の、2010年1月10日(日)の夜の部の公演の感想が、
 一ヶ月経っても、いまだに書けないのです。
 でも、自分で書いた理屈によると、その感動の余韻に浸っている私は今、幸せなのであり、
 いつの日か、その感動を本当の言葉として表現できた時に、
 もう一度、さらなる幸せを味わえるかもしれない。
 そんな風に思っています。

 なので、一ヶ月遅れの感想文としては未完成で、再提出ものなのですが、
 それでも、いくつかの忘れられない想いを言葉にしてみたいと思います。



 幕が上がってからしばらく、私は目の前の舞台に見入りながらも、
 頭の片隅では「歴史」「史実」をなぞろうとしていました。
 とりわけ、阿麻和利、護佐丸、そして、尚泰久王という三者の人間関係を、
 どのように対置して描くのだろうか、と。

 しかし、気がつくと私は、舞台上で輝きつづける出演者の皆さん、
 幻想的に、優雅に、時に情熱的に舞い、全身で喜怒哀楽を表現するアンサンブルの皆さん、
 そして、常に舞台とアイコンタクトを取りながら、様々な調べを奏でるバンドの皆さんの姿に
 釘づけになっていきました。
 今、目の前の「肝高」たちの躍動に、夢中になっていました。
 

 感想が表現できない、などと書いたのですが、
 でも、あの日、自分がどんな表情をしていたのかは、よく覚えています。
 頬の筋肉が微笑の弛緩と驚愕の緊張とを繰り返し、
 口角は日常の生活の中ではありえないような喜びを表わし、
 最後はもう、涙腺までも制御できない状態でした。

 8列目という良い席ですべてを見つめた視力2.0の眼は、
 さらに、涙線と琴線を刺激しました。

 クライマックスで、阿麻和利を遠い世界へ連れて行こうとする、
 アンサンブルの方の一人に百十踏揚が追いすがるシーン、
 それを、やさしく、しかし、諭すように首を振り、振りほどくシーン、
 かつて、これほど、儚く、美しく、「無常観」を描いたシーンを見たことがありません。
 その一瞬の動きに、自らの死以上の犠牲を出さぬように望んだ阿麻和利の想いも、
 投影され、表出されているだと思いました。

 ・・・阿麻和利の姿に、戦後の沖縄について学んだ出来事のいくつかが、
   オーバーラップしたりもしました。


 最後まで阿麻和利を演じきった「なーりー」くんをはじめ、
 カーテンコールに応えて勢揃いしてくれた皆さんへ届けたかった想いは、
 私もスタンディング・オベーションの一人であったことを書くだけで、
 十分に伝わるかと思います。


 ありがとう。



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「春日市少年の船」のみなさんはアートとギャグで歓迎



 ゆっくりとアンケートを書いて、ロビーに出て、またまた、私の頬は緩みました。

 たぶん、あの曲は「平敷屋エイサー」、そして、最後に「唐船ドーイ」。
 アンサンブルの皆さんを中心に、若さ溢れる演舞が続いていました。

 冷静な判断に基づくクール・ダウンなのか、自然発生的な興奮状態なのか、
 プロフェッショナルなファン・サービスなのか。
 ここはロビーだぜ。
 おいおい、明日もあるんだろう・・・。
 そんなことを考えながら、目元を少しだけ光らせながら、私は笑って立ち尽くしていました。


 とりとめもなくなりました。



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終演後も立ち去りがたい人々は・・・


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私だけではなかった、というシーン。ドアの外からも拍手



 最後に。

 79名のメンバーが、代表して福岡に来てくれたと伺いました。
 沖縄に残った皆さんも、福岡からのたくさんのお土産と、本当の「土産」を受け取ったことでしょう。
 日々の鍛錬に加え、いろいろなお手伝いやバックアップを通じて、
 先輩たちから大きな財産を受け継いだことと思います。
 いつの日か、福岡へ、ハワイへ、海の向こうへ!


 そして、福岡に到着しながら、残念ながら体調を崩してしまった方もいたと聞きました。

 多感な年頃、本当は忘れてしまいたいことだったかもしれません。
 もし、そうだとしたら、思い出させてしまってごめんなさい。

 でも、これは、私の思い描く勝手な物語なのですが、いつの日かキミが・・・
 キミと呼ばせてもらいますね。

 キミが福岡を訪れ、それは一人旅かもしれないし、
 どぅしぐゎーと一緒かもしれないし、恋人と一緒かもしれないけれど、
 ある日、キミが、福岡市民会館の前に立っている。
 少し遠くを見つめるような目をして。
 あの日から過ぎ去った時間の長さに比例して、静かに立っている。

 やがて、ちょっと苦笑いを浮かべながら、
 あの時の仲間たちのことを思い浮かべたりしながら、考える。

  「一人が欠けた分をみんなでフォローし合えたことも、あの公演のメンバー全員の力だったんだ」

  「そういう意味では自分も、みんなの思い出作りや舞台裏の演出に「一役買った」ってことだよね」

 そんなことを思いながらキミは、もう一度、大きく笑って、
 新しい、楽しい、自分の思い出を作りに、福岡の街へと歩き出す。

 そんなシーンを勝手に想像して、
 私は、『肝高の阿麻和利』 福岡公演のエンディングに書き加えたいと思います。


 皆さん、本当にありがとう。


 来週の卒業公演、がんばってください。

 そして、打ち上げも盛り上がっ・・・。

 いかんいかん、大人になると、感動と酒をセットにする癖がついてしまって。
 ・・・いや、なんでもないです。

                                                     敬具


 追伸

 2月20日(土)の午前中に、私は勝連を歩いていると思います。
 天気がよければ、朝日が昇る頃、平敷屋から勝連城跡まで。



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   左上に写っているのは、
   『城(ぐすく)が劇場になった』(読谷村教育委員会発行)。
   2008年3月25日、座喜味城でこの冊子を手にしていなければ、
   おそらく、私はこの舞台とは出会えなかった。
   護佐丸さんと阿麻和利さんのお引き合わせに感謝。
   そして、各地の城を野外劇場として活用し、組踊や村民劇まで作り上げる、
   ウチナー・パワーに感服!


-2010/1/10 福岡市-




 特典写真・・・?

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2009/3/2 撮影。以前にも一度、掲載しました。どこだか、分かりますか?




-Special Thanks-
 あまわり浪漫の会
 読谷村歴史民俗資料館


2009-06-12

うさぎむん?

 



よく見ると・・・


足元に・・・



 


パン・・・??



学校給食ふーじーのパン・・・



私の実家の近くにある、神社の狛犬です。

すぐ隣にある小学校の児童の仕業・・・、いや、信仰心なのでしょうか?
『汚れなき悪戯』なら、セットメニューは葡萄酒というところですが、あれは神さまが違いましたか。
・・・というか、給食にワインは出ません。



ちなみに、その小学校区には、・・・・約30年前の話ですが、
キングスとネイチャーズという、二つの少年野球団があり、
双方ともに、私の所属した団地の野球団のライバルチームでした。

・・・いや、ライバルといっても、滅多に勝てませんでしたが。

悔しかったので、試合中、

「ハゲ、ハゲ、ハーゲー、つるっぱげ!ハゲのアート・ネイチャーズ!」

などと、他愛のないヤジを飛ばしておりました。

あ、監督は本当にハゲでしたね。
やしが、いくら監督をわじわじーさせても、選手を動揺させなければ意味はありません。

というわけで、心理戦も稚拙であった私の野球団は、永遠のライバルに永遠に負け続けたのでした。



閑話休題。



沖縄のシーサーと神社の狛犬、どことなく姿形や佇まいは似ているように思いますが、
その謂れ、歴史、生い立ちや、「期待される役割」などは大いに異なるようですね。
まだまだ、勉強中です。


沖縄を歩いていると、頻繁にシーサーにお目にかかるわけですが、
うさぎむん、お供え物をされている姿を目にしたことは一度もありません。


まあ・・・、狛犬にお供え物、というのも、そうそう目にする光景ではありませんが。






よく見ると・・・


手に・・・


おにぎり・・・   しかも、Vサインのシーサー。


特注品?


2009-03-30

母校へちゃ~びらさ~い


 いつ来ても、懐かしい場所。春はまた格別。
 飲んだり、酔ったり、酔ったどぅしぐゎーを介抱したりした場所。時々、お勉強。連夜、高歌放吟。

  ♪仰げば星斗爛燠(らんかん)として~!
   ♪今日人類が初めて 木星に着いたよ~ (ついたーっ!)
    ♪一体なんだったんだ 7days
  ♪幸せであるように 心で祈ってる
   ♪星には夜があり そして朝が訪れた
    ♪武夫原頭に草萌えて 花の香甘く夢に入り~・・・


 桜の花は気まぐれで、入学式の頃に咲いたり、卒業式の頃に咲いたり。
 卒業式の夜、浴びるように酒を飲みつづける仲間と離れて、ひとり立ち止まる。春の嵐に吹かれて、漆黒の夜空を乱舞する桜の花びらに、時間と空間と平衡感覚を見失う。
 桜吹雪の中に立ち尽くし、茫然と、ホワイトアウト。または、蕭然と、チルダイ・・・。


 酔っ払って、意味もなく倒して回ったり、男三人がかりで持ち上げたり、とんでもない場所に移動させたりした、通称「車止め」。今も健在でしたか。・・・守衛さん、ごめんなさい。あ、やしが、よく見ると、つい最近も引きずられた痕跡が・・・。


久々の、沖縄への「片想いの軌跡」


 そんなキャンパスで、私は、結成間もない「残波大獅子太鼓」と出会っていました。1990年の秋、
学園祭の協賛イベントに「沖縄からの風」を届けてくれました。終演後、メンバーの皆さんと一緒に
「残波」を酌み交わしたのが、人生初の泡盛体験。

 しかし・・・、人間の記憶というものはいい加減なもので、つい最近まで、私はその出会いを、1987年のことだったと誤って記憶しておりました。そうなると、私は18歳だったということに。まあ、「共通一次試験の自己採点を二日酔いでやった」と公言してはばからない酒飲み、私は別に構わないのですが、それだと、私と同世代の新垣さんご一家をはじめとするメンバーの皆さんまで、未成年飲酒の共犯者になってしまうところでした。
 間違いなく、1990年のことでございます。みんな、お酒、OKです。

 時は流れて・・・。2006年、オーチャードホールでの公演をNHK『芸術劇場』で拝見し、その映像を何度も何度も繰り返し見て、CDも取り寄せて聴いて、そして、2008年春、夢叶って、「おきなわワールド」で18年ぶりにお目にかかることができました。その日は幸運なことに、ご多忙な主要メンバーの皆さんも揃っておられました。

 「エイサー広場」のショーを2回続けて最前列で見て、三線と三板の演奏体験に2回続けて一番に手を挙げてステージに上がり、ハイテンションでカチャーシーの輪で舞い踊り・・・。ショーが終わった後も、メンバーの皆さんにとっては遥か遠い日の、しかし、私にとっては忘れることのできない感激の一夜の記憶を、喜々として語り続けてしまいました。・・・すみませんでした。
 本当に、本当に、言葉にならないほど、うれしくて、うれしくて・・・。前の晩に飲みすぎた「夢航海」で、ひどい二日酔いだったことも忘れるほどに。




-2008/3/21-


 那覇空港の出発ロビーに響き渡るパーランクー。なかなかの腕前。きっと楽しい思い出ができたんだろうね、わらばー。

 「またん、めんそーりよー」。       ・・・・・おじさんも、また来るよ。


2008-11-27

片想いの軌跡(1) 琴椿

 昨日の相撲の話で書き忘れたのですが、20年近く前に応援していた、今でも忘れられない関取がいます。
 
 1990年の九州場所、私は幼い頃からの夢を叶えました。それは、「じいちゃんと一緒に升席で酒を酌み交わしながら相撲を観ること」。
 初めての土俵下。しかし、館内は閑散。観客よりも協会関係者の姿の方が多いのではないかと思われる静けさ。それもそのはず、まだ序の口の取組が淡々と行われている時間。そんなお昼頃から早々と出かけたのでした。
 持ち込んだ1升のお酒を、祖父はいつになくハイペースで空けていきます。
  「じいちゃん、そんなに早く飲んでたら、途中で足りなくなるよ」
 祖父 「何を言っとる。今のうちに飲んでおかんと、十両の相撲が始まったら飲んどる暇などないぞ」
 そんな調子だったので、三段目あたりに入った頃にはすっかり上機嫌。偶然、私と同姓の、まだ四股名もなく本名で土俵に上がっている力士が登場した時には、仕切り中に大声で、「○○!」と名前を連呼する始末。すると、興に乗った他のお客さんまでもが呼応して「○○!がんばれ!」と、時ならぬ○○関ブーム。土俵下の勝負審判からは冷たい視線が・・・。
 
 と、本題を前に長々と脱線してしまいました。こんな調子でお酒が入っていたこともあり、当時、どんな関取衆がいたのか、まったく思い出せません。その日、土俵に上がった横綱や大関さえも (まあ、ネットで調べれば何でも分かるご時勢ですが)。ただ、肉体と肉体がぶつかり合う音、いや、衝撃波の迫力だけは強烈な印象として残っています。

 そして、ようやく、冒頭に書いた忘れられない関取。この関取だけははっきりと覚えているのです。それだけでなく、上述の○○関以上に、大歓声で応援したことも。
 琴椿関。沖縄県出身。玉城満さんのようなウチナージラー(もちろん髭は無し)だったような。元プロレスラーの寺西勇にも似ていたような。そして、土俵入りで、他の力士と比べて際立った浅黒い肉体。決して大きくはないけど、元横綱・北勝海のような、筋肉質で丸っこい体型でした。

 しかし、なにゆえに琴椿関を応援し、また、今日まで心に残っているのか。沖縄への「片想いの軌跡」のヒントにならないだろうか・・・。
 この話は19歳の初冬の思い出です。前に書いた「残波大獅子太鼓」との出会いが同年の10月。ほぼ同じ時期です。やはりこの頃に「恋」をしたのか。それとも、もっと以前に・・・?
 
 折に触れ、この「片想いの軌跡」を辿ってみたいと思います。「十九の春」より前の「何か」が、ある日、思い出せるかもしれません。
 
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