Jump to navigation
10年前に見たこの舞台が、沖縄との向き合い方を変えてくれました。
それはまた、歴史と今と、世界と我が身と、深く向き合う契機でもあり。
それから一年後、沖縄の旅が始まりました。
那覇でふたたび「お笑い米軍基地」を見て、FECの皆さんと間近に接することに歓喜したこの日だけでも、今につづく、いくつもの出会いがありました。
基地のことについては、ワジワジーも、チルダイも、チムグリサもつづいています。
笑えない現実を前にして、笑いを許さぬ力に抗って、それでも、これからも、わったーの笑いを。
怒りを胸に、しなやかに。
2015/8/18 11:09
件名 : FMとよみ 「FECやいびんど~」 ハンサムさま
古波蔵恵里夫です。
帰省先で聴いています。
さっそく、メールテーマ
「くじんぐゎ~(小銭)!」
7年前の春。
場所は、那覇の農連市場。
わらばーたーが、自動販売機で、遊んでいました。
「平成8ね~ん」
「平成13ね~ん」
くじんぐゎ〜(小銭)を入れては、返却レバーを回して、また、入れて。
出てくるたびに、違う年号の小銭が出てくるのを楽しむだけの、
他愛のない遊びに、夢中になっていました。
「平成15ね~ん」
「平成62ね~ん」
ん・・・?
思わず、チェックを入れる、私。
「あいっ!わらばーたー! 今年は、平成、何年か?」
「平成・・・20年」
「平成20年に、なんで、平成62年のお金が、あるかぁ?」
「・・・ああっ! ・・・このお金、ニセモノ!?」
ああ、昭和は遠くなりにけり。
(写真も添付しましょうねぇ)
また ここに立つ こうして また
こうやって 何度目だろうか
手には島野菜 朝ごはんはアヒラー汁
「丸安そば」にしようかと迷ったけれど
市場にレンズを向けて歩いた
ため息と余白と 止まりゆく時間と静寂と
そして また
変わりゆく風景の中に また 立つために
変わりゆく風景の中に 過ぎし日を探し歩くために
変わってしまった風景さえも 記憶にとどめるために
手には島野菜と おそらくあの春の日以来の再会のカマボコと
今日も朝ごはんはアヒラー汁
「丸安そば」のあった場所は・・・ 鉄骨とシートに囲われて
市場にレンズを向けつづけた
ため息深く 余白だらけの 感傷と追憶と
立ちつくすフレームの前を時おり
なにか思い出したかのようにゆっくりと 人が通り過ぎて
歳月はなにかを失いながら 足早に
元気にしてるか あの日のわらばーたー
覚えているか ここで遊んだことを
(メール つづき)
遠くになりにけりと言えば・・・。
そうそう、この同じ日に、農連市場の近くで、
初めて、「FECやいびんど~」を聴きました。
パーソナリティーは、ハンサム。
2008年3月26日、水曜日。
この頃、ハンサムは、水曜日の担当でした。
まだ、放送開始後、3回目とか、4回目だったのかなぁ?
ラジオの電波の入る場所を探して、見ず知らずのスージグヮーを駆け回り、
見ず知らずの月極駐車場(那覇市樋川2丁目付近)で聴いたことを、
今でも思い出します。
それでは。
-Special Thanks-
FMとよみ 83.2MHz 「FECやいびんど~」
ハンサム 金城さん、仲座さん
一年前の今日のメールをそのまんま、転載させていただきました。
去年の10月。
旗揚げ20周年の記念すべき公演を前に、
手土産に添えたメッセージ。
プリントして持参したこの写真に、例のごとく、いつものように、
沖縄に着いてから、旅のさなかに、どたばた、サーラナイ、
でも、心を込めて、心に浮かぶままに、熱い心をそのままに、
こんなふうに、したためました。
“ 20周年 とりあえず おめでとうございます!
20年たっても タンカーユーエー。
いつまでも 道はつづきます。
その先に 笑いと 素晴らしい未来(おバカ)と
さらに遠く果てしない 道がつづきますように。
~FEC福岡県人会 古波蔵恵里夫~ ”
あれから、一年。
今年は21周年、おめでとうございます。
そして、これからも。
今年は、福岡から、変わらぬ愛を。
P.S.
ここも、この道も、『ハルサーエイカー』のロケ地だはずね。
アイ、カマー、リョウのバトル、そして、通じ合えた語らいのシーン。


旧正月のカウントダウンをした夜にも ふたりは一緒だったわけだ
もちのように たっくゎいむっくわい してほしいな
「もちいちろう」を名乗るおにいちゃんのために
ありったけの「クニガミドーナツ」の中に
「くんじゃんナントゥ」もいくつか シャレで入れて
その前のライブに届けていたのだけど
その前のライブを終えて駆けつけてくれた弟くんが
「ナントゥ餅、おいしかったです!」って 言ってくれたんだっけ
弟くんがブースから見つめる舞台には まなざしの先には
いたんだよね 彼女も
「ライブ終わりで手伝いにくるなんて仲間思いだなぁ」
「お笑いの勉強かなぁ」
なんて思ってましたよ あのときは
ん?
「もちいちろう」お兄ちゃんも めでたい話になっているって話
そろそろ公式発表 あるのかな?

言葉が出てこない・・・。言葉も用意していなかった・・・。歓喜のともだおれだよ(笑)
2012年9月15日 - 16:40 #FEC駅伝
5時間ほどの後、博多の街で、
「雨の後、路は輝く」という歌に痺れた数百人の中でひとり、
台風を目の前にして、雨の路を走り続けたお笑い芸人さんたちの姿を思い出した、
そんなひとり、だった、はず。
余談


じつは、稲嶺十字路の横断幕、見ていません。
いや、目に入っていなかっただけか。
いや、あまりにも自然すぎて、スルーしてしまったのか。
生コン屋さんの棒術の絵には、思わず見入ったのですか。
「稲嶺十字路=横断幕」って、チブル誠仁が教えてくれた、はず。
2017-04-28
Decade
-2007/4/28 福岡市-
10年前に見たこの舞台が、沖縄との向き合い方を変えてくれました。
それはまた、歴史と今と、世界と我が身と、深く向き合う契機でもあり。
-2008/3/22 那覇市-
それから一年後、沖縄の旅が始まりました。
那覇でふたたび「お笑い米軍基地」を見て、FECの皆さんと間近に接することに歓喜したこの日だけでも、今につづく、いくつもの出会いがありました。
基地のことについては、ワジワジーも、チルダイも、チムグリサもつづいています。
笑えない現実を前にして、笑いを許さぬ力に抗って、それでも、これからも、わったーの笑いを。
怒りを胸に、しなやかに。
2016-08-18
1年前の夏に書いた、8年前の春の日記と、それからと
-2008/3/26 那覇市-
2015/8/18 11:09
件名 : FMとよみ 「FECやいびんど~」 ハンサムさま
古波蔵恵里夫です。
帰省先で聴いています。
さっそく、メールテーマ
「くじんぐゎ~(小銭)!」
7年前の春。
場所は、那覇の農連市場。
わらばーたーが、自動販売機で、遊んでいました。
「平成8ね~ん」
「平成13ね~ん」
くじんぐゎ〜(小銭)を入れては、返却レバーを回して、また、入れて。
出てくるたびに、違う年号の小銭が出てくるのを楽しむだけの、
他愛のない遊びに、夢中になっていました。
「平成15ね~ん」
「平成62ね~ん」
ん・・・?
思わず、チェックを入れる、私。
「あいっ!わらばーたー! 今年は、平成、何年か?」
「平成・・・20年」
「平成20年に、なんで、平成62年のお金が、あるかぁ?」
「・・・ああっ! ・・・このお金、ニセモノ!?」
ああ、昭和は遠くなりにけり。
(写真も添付しましょうねぇ)
(メールは 後半へつづく)
-2015/7/2 那覇市-
また ここに立つ こうして また
こうやって 何度目だろうか
手には島野菜 朝ごはんはアヒラー汁
「丸安そば」にしようかと迷ったけれど
市場にレンズを向けて歩いた
ため息と余白と 止まりゆく時間と静寂と
-2016/3/1 那覇市-
そして また
変わりゆく風景の中に また 立つために
変わりゆく風景の中に 過ぎし日を探し歩くために
変わってしまった風景さえも 記憶にとどめるために
手には島野菜と おそらくあの春の日以来の再会のカマボコと
今日も朝ごはんはアヒラー汁
「丸安そば」のあった場所は・・・ 鉄骨とシートに囲われて
市場にレンズを向けつづけた
ため息深く 余白だらけの 感傷と追憶と
立ちつくすフレームの前を時おり
なにか思い出したかのようにゆっくりと 人が通り過ぎて
歳月はなにかを失いながら 足早に
元気にしてるか あの日のわらばーたー
覚えているか ここで遊んだことを
-2008/3/26 那覇市-
(メール つづき)
遠くになりにけりと言えば・・・。
そうそう、この同じ日に、農連市場の近くで、
初めて、「FECやいびんど~」を聴きました。
パーソナリティーは、ハンサム。
2008年3月26日、水曜日。
この頃、ハンサムは、水曜日の担当でした。
まだ、放送開始後、3回目とか、4回目だったのかなぁ?
ラジオの電波の入る場所を探して、見ず知らずのスージグヮーを駆け回り、
見ず知らずの月極駐車場(那覇市樋川2丁目付近)で聴いたことを、
今でも思い出します。
それでは。
-Special Thanks-
FMとよみ 83.2MHz 「FECやいびんど~」
ハンサム 金城さん、仲座さん
一年前の今日のメールをそのまんま、転載させていただきました。
2014-10-19
旗揚げ21周年の夜に
-2013/6/27 糸満市-
去年の10月。
旗揚げ20周年の記念すべき公演を前に、
手土産に添えたメッセージ。
プリントして持参したこの写真に、例のごとく、いつものように、
沖縄に着いてから、旅のさなかに、どたばた、サーラナイ、
でも、心を込めて、心に浮かぶままに、熱い心をそのままに、
こんなふうに、したためました。
“ 20周年 とりあえず おめでとうございます!
20年たっても タンカーユーエー。
いつまでも 道はつづきます。
その先に 笑いと 素晴らしい未来(おバカ)と
さらに遠く果てしない 道がつづきますように。
~FEC福岡県人会 古波蔵恵里夫~ ”
あれから、一年。
今年は21周年、おめでとうございます。
そして、これからも。
今年は、福岡から、変わらぬ愛を。
P.S.
ここも、この道も、『ハルサーエイカー』のロケ地だはずね。
アイ、カマー、リョウのバトル、そして、通じ合えた語らいのシーン。
2013-09-28
名前は出さないけれど、でーじかりゆし!


-2013/2/9 那覇市-
旧正月のカウントダウンをした夜にも ふたりは一緒だったわけだ
もちのように たっくゎいむっくわい してほしいな
「もちいちろう」を名乗るおにいちゃんのために
ありったけの「クニガミドーナツ」の中に
「くんじゃんナントゥ」もいくつか シャレで入れて
その前のライブに届けていたのだけど
その前のライブを終えて駆けつけてくれた弟くんが
「ナントゥ餅、おいしかったです!」って 言ってくれたんだっけ
弟くんがブースから見つめる舞台には まなざしの先には
いたんだよね 彼女も
「ライブ終わりで手伝いにくるなんて仲間思いだなぁ」
「お笑いの勉強かなぁ」
なんて思ってましたよ あのときは
ん?
「もちいちろう」お兄ちゃんも めでたい話になっているって話
そろそろ公式発表 あるのかな?
2012-09-16
祝!200km完走! 祝!200回は通過点!

言葉が出てこない・・・。言葉も用意していなかった・・・。歓喜のともだおれだよ(笑)
2012年9月15日 - 16:40 #FEC駅伝
5時間ほどの後、博多の街で、
「雨の後、路は輝く」という歌に痺れた数百人の中でひとり、
台風を目の前にして、雨の路を走り続けたお笑い芸人さんたちの姿を思い出した、
そんなひとり、だった、はず。
余談


-稲嶺十字路 南城市大里稲嶺 2011/3/5-
じつは、稲嶺十字路の横断幕、見ていません。
いや、目に入っていなかっただけか。
いや、あまりにも自然すぎて、スルーしてしまったのか。
生コン屋さんの棒術の絵には、思わず見入ったのですか。
「稲嶺十字路=横断幕」って、チブル誠仁が教えてくれた、はず。