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2016-06-05



戦世を訪ねて 2008~2015

   
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  初めての沖縄ひとり旅が 「最初で最後」にならなかったのは
  いくつもの「宿題」を 持ち帰ったからでした
  
  この日 入り口で立ち尽くした闇を中を訪れたのは 一年の後
  そして チビチリガマへも



-2008/3/25 シムクガマ(読谷村 波平)-



2014-05-29

平和宣言

   
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    遊びの天才
    目の前の今 この世界に 夢中になって

    喜びの天才
    小さな喜び 大きく笑う 大いに楽しむ

    出会いの天才
    なにしてる? どこからきた? こっちへおいで



    そのまんま 大きくなったか?
    むぬかんげーする しぇーねんの手前くらいか?

    そのまんまじゃ 生きづらいかもしれないが
    でも 大事にしなさい 守りなさい

    自分を守って みんなも守る
    それ以上でも 以下でもなく



    追伸

    平成60年は ずっとずっと先だはずよ
    昭和20年は まず出てこないよ

    もうわかったよね 勉強したよね ジンブンついたよね
    今につながる 過去と未来と

    返却口から出てくる 10円玉の年号に
    一喜一憂していた あの日の天才たちよ


-2008/3/26 那覇市-



2012-05-14

うちなーバス旅情 4年前のすーみー

   
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     初めての沖縄 徒歩&バスの旅
     旅も大詰め 読谷からコザ 北中城を経て 那覇へと戻る

     戦後復帰を迎えた頃 みんながどんな夢を見たのか
     この旅ではまだ 知ることはなかった



     北谷の「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」では
     どうふるまっていいのかわからないまま 一緒に雨の中にいたけれど

     ジャッキーステーキハウスには 二日連続で通ったけれど

     復帰前からつづく 「愛されて40年」(当時)の食堂と 今日につづくご縁ができたけれど

     同じく 今もご縁がつづく那覇の定宿は 「復帰っ子」だったけれど

     地図には載っている「象の檻」がなくなっている経緯を何も知らず
     広々とした空き地でとぅるばったりしたけれど

     戦跡を巡った南部では 戦後から現在のことを感じる余裕がなかった
     三和村という名前を 地図に書き込んではいたけれど

     「丸安そばのおばぁ」から「平和通りのおばぁ」への豹変にどぅまんぎるのは この翌日

     そんないろいろなことが まだ
     歴史の縦糸として紡がれていなかった

     ぼんやりと次の旅のことを もっと深く見なければならないことを
     縦糸横糸こんがらがって 考え始めてはいたけれど



     「内地で仕事を探そうかね」
     車窓景を撮ろうとして そんな沖縄の後姿も見ていたけれど

     すーみーなんてウチナーグチも まだ知らなかったけれど


-2008/3/25 読谷~嘉手納あたり-


-Special Thanks-
  『オジー自慢のオリオンビール』/BEGIN


2011-02-22

そしてどこまで行こう

   
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     雨上がりの太陽を 
     ガジュマルの向こう 雲の向こうから 不意に差してきた太陽を
     富盛の石彫獅子と二人きりで見た朝が
     今日に至る沖縄の旅の 始まりだったように思います

     その前に
     白梅学徒看護隊之壕や 八重瀬グスクを訪れたときは
     まだ 自分の足で立っていなかったような
     まだ こわばった呼吸をしていたような
     まだ 生命の気配さえも静寂と感じていたような
     そんな朝でした

     雨上がりの落ち葉の上を這い回る
     カタツムリたちを踏まないようにと
     それくらいの正気を恢復して
     濡れた土の上を歩き出した
     一日の始まりでした


     今 そんな朝を思い出す 旅の支度の中にいます


 

        何も見ない 何も知らなかった
        あなたにここで出会うまでは
        そしてどこまで行こう

                     『アジアの花』/ザバダック
                       作詞:新居昭乃
                       作曲:上野洋子


-2008. 3.18 八重瀬町 富盛-



2011-02-03

にんじんの日に

  
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    今日は旧正月のことを、それも、旧暦文化の色濃く残る、
    大好きな糸満を舞台に書こうと思ったのだが、
    よく考えると、旧正月に糸満に滞在したことはなかったのだった。

    今年を含め、四年分の「沖縄手帳」をパラパラとめくる。
    
    海の近くまで行くとき、暦、そして、潮目を見るという習慣はついたのだが、
    今ひとつ、旧暦のことがまだ、理解できていない。
    おそらくは、ユンジチ(閏月)の存在で、頭が混乱しているのだと思う。
    暦を間違えないスクの方が、よほど、賢い。

    そんなことを思いながら、今年の「沖縄手帳」をめくる。

   
    今日、2月3日は旧正月。
    そして、「にんじんの日」とも書かれている。

    おそらくは語呂合わせだと思うのだが、日本全国「にんじんの日」なのだろうか。
    あるいは、沖縄独自のものなのか。
    チデークニ(島にんじん)の日ということならば、沖縄独自のものだろうが。

    しかし、糸満には「美らキャロット」というブランドがあり、
    また、「糸満市にんじん収穫祭」といったイベントも行われているようである。

    家庭でシリシリーされたり、食堂メニューの「煮つけ」に入っていたり、
    ステーキのつけ合わせになったりもする、
    所謂、西洋にんじんも、今日の日の主役なのだろう。





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   喜屋武のバス停から喜屋武岬まで歩いた道中、
   南向きの斜面がにんじんの葉に覆われているのが分かった。

   収穫中の農家の方の姿もあった。
   収穫の終わった圃場に、ひげにんじんが転がっていたりもした。
   すべては、傾き始めた春の日と、南の海の照り返しの中で、
   穏やかな影と輪郭を帯びていた。


   喜屋武岬では、思いがけない出会いなどもあって長居をし、
   (ここで、海へ近づくときは暦が必要だということを教わった)
   もとより、糸満の宿まではのんびり戻るつもりであったので、
   南部循環のバスがしばらく来ないことを確かめると、331号線に向かって歩き始めた。

   ものの数分で、次の喜屋武小学校前バス停に至る。

   もう一つ先の小波蔵まで出れば、玉泉洞の方から来る82番系統のバスもあるだろうと、
   バス停に目をやったとき、その向こうの看板が目に入る。
   いや、看板そのものが目に飛び込んできたのかもしれない。

   「美らキャロット」

   さっきまで歩いていたあの畑の、にんじんのブランドなのだろうか。

   すぐにでも食べたくなった。

   今夜、糸満最後の夜、出会ったばかりのどぅしぐゎーが連れて行ってくれるという店に、
   「美らキャロット」はあるだろうか。
   それとも、明日の朝、糸満最後の朝、いつもどおり、まちぐゎーを散策して、
   アンマーおすすめのにんじんを買ってみようか。
   なんだったら、丸かじりでも上等やっさ。


   結局、その夜、夢航海の夜に、酒肴の中に、にんじんはなかった。
   食べた記憶が飛んでいる、ということも、ないと思う、たぶん。

   夢航海の明くる朝は、野菜ジュースを、野菜ジュースだけを立て続けに飲み干して、
   それでも、荒波に揺られるような朝だった。
   夢なら醒めて欲しいと、美酒の痛飲を後悔した。
   まちぐゎーでは、かき氷だけを求めた。

   
   前夜、夢航海の最中、喜屋武のどぅしぐゎーに、

    「美らキャロットをシリシリーして、タコライスにトッピングすればいいんだはず」

   などと言ったような気もするし、後の再会の折にも、そんな話をしたと思う。


   今日まで、実用段階に至ったとも、全国区にするとも言ってこない。

   
-2008. 3.20 糸満市 喜屋武-



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