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2009-02-12



袖にし合うも多生の縁

 袖振り合うも多生の縁。なのに・・・。
 一度は契りを結んだ相手を袖にしなければならなかった、二人の男の悲恋の物語・・・。

2009年2月4日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ



 一週間前の話ですみません。
 そして、一年以上前の政界ネタですみません。

 水曜日恒例の「声」欄の投稿テーマ、先週は「お見合い」でした。やしが・・・、「不器用で口下手な東北気質」さんと「あなたとは違うんです」さんが最初に思い浮かぶような薄墨には、トレンディなラブ・ストーリーなど書けませぬ。
 というわけで、トレンド無視の2007年秋のお話。しかし、もう一昨年の秋のことになるんですね、あの大連立騒動。一体なんだったんでしょう。
 私なりに思うところ、感想などを。

一.もしも大連立が実現していたとしたら、一つだけメリットがあったと思います。それは国会審議の場が静粛になったこと。聞くに堪えないヤジ、いや、ヤジと呼ぶにも値しない品性下劣、意味不明、馬鹿丸出しの怒号、あれが無くなっていたのではないかと。
 議場の大半が大連立与党ということになれば、とりあえずは「友党」になってしまった議員に対して
罵詈雑言を浴びせることもできないでしょう。「子どもに見せたくない番組」第1位に推挙したいと常々思っている国会中継も様変わりしていたのではないか、と。
 あ、やしが、全員揃って起立して全員揃って拍手、っていう光景も、・・・ちょっと怖いか。

一.あの騒動で一番得をしたのは、実は小沢さんだったのではないかと。
 せっかく福田さんと折り合いつけた話を党に持ち帰ってみたら、執行部からは異議続出、反対意見の嵐、挙句に孤立無援。その後、プッツンしたのか、11月4日、日曜午後の突然の辞意表明会見。
 あの会見、直前にニュース速報のテロップが流れたので、リアルタイムですべてを見ることができました。大してやることもなかったので・・・。
 しかし私は、自称「口下手な東北人気質」小沢一郎の豹変というか、一世一代の大弁舌に正直、引き込まれました。「やればできるじゃん」。党首討論やインタビューでの訥弁ぶりは影を潜め、表情こそ能面のようでありながら、立て板に水の舌鋒は浪曲師の如し。そして、その矛先は身内の民主党にとどまらず、様々な憶測が乱れ飛んだメディアの報道に対しても。
 「最後っ屁」とばかりに放った、一部の報道機関に対する強烈な苦言。その後の各メディアではほとんど報じられなかった、あるいはカットされた発言。しかし、生放送では流れてしまった。
 所謂、放送事故、ですね。
 で、なぜ小沢さんが得をしたと思うかと申しますと、一つは、日頃の鬱憤を公然と、しかも世間の耳目を一身に集めながら、ノーカットでぶちまけ、それをメディアに乗せることができたこと。もう一つは、民主党騒然とするも、結局、選挙へ向けて党内の全勢力を掌握できるのは小沢さんしかいないという話に収斂し、党を挙げての懐柔は、やがて服従へと変わったこと。
 この騒動、もし計画的だったら・・・、小沢さん、寝業師であるとともに、荒事も一流の役者と見たり。

一.以下に記すことは、一部の方に不快感を与えるかもしれませんが、確信犯です。しらんぱー!
 この件の黒幕と目される(もう、公然の秘密)某新聞社グループの老害ジーサン、いい加減に隠居して欲しいものです。巨人中心主義の球界再編だの、1リーグ制だのという話はいい加減、諦めたかと思うと今度は政界再編か!いや、こっちの方が比較にならないほど一大事ですが。
 私の嫌いな原たつのりくんを一度は干して泣かせたこの横暴ジーサン、大嫌いです・・・ん?
 嫌い><嫌い=好き? あれ、論理矛盾?
 そんなことより、2004年8月13日には、沖縄国際大学で米軍ヘリが燃えていたというのに、この顰蹙ジーサンの辞任にメディアが大騒ぎしているって、何かおかしいですね。いや、無茶苦茶おかしいです。
 やしが・・・、東京でそのことにわじったまーちゃん(小波津正光さん)が「お笑い米軍基地」を世に出すきっかけともなった・・・。う~ん・・・、ナベツネ・・・。あ、いや、独り言です。
 あいっ!ジーサン、やーぬ仕事、次は米軍再編やっさ!・・・って、ラミレス、グライシンガー、クルーンやあらんぞ!


 最後に。小沢さん、しつこいようですが、辞任表明撤回での「私は不器用で口下手な東北気質なので・・・」という言い草。あの発言、地盤の支持者や東北の方々からの風当たりはなかったのでしょうかねぇ。

 そして、もし・・・、もしも、喜納昌吉参院議員が民主党代表だったら・・・。会見はこんな風になるのでしょうか。

 「わん、イチャリバチョーデーのウチナーンチュ気質だからよー、
           連立シンカーに~ なりな~さ~い~~♪」

             ( 花 ~ すべての候補者の名前にバラを ~ )

2009-01-20

ブッシュ大統領最後の夜に

 ・・・というお題で書き込みをしようと思ったのですが、もう日付が変わってしまいましたねぇ。
 あ、やしが、アメリカはまだ、2008年1月19日。ということは、やはりブッシュ大統領最後の日やっさ!こんな時、沖縄のフェンスの中の人々の最高指揮官はだれなんでしょうね。

 という前振りとはまったく関係のない・・・・あ、最後にはオチをつけます・・・・昨日の掲載作です。

2009年1月19日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

長っ!


 前回(1月5日)掲載の折、「画」の見えるネタが云々などと、偉そうに講釈を述べさせていただきました。今回、もうひとつ、風刺の重要な要素について思うところを、タカウチャガーにならんようにククリティ書きます。よろしくお付き合いください。

 それは「共感」であります。薄墨は勝手に、大きく二つに分けて考えております。

 「そうそう、だーる、であるねぇ」、「言われてみればそうやさぁ」とみんなが思っていること。お笑いの「あるあるネタ」に通じるものもあるかもしれません。そういうツボをいかに突けるか。これが一つ目の「共感」であると思います。
 為政者の失言や失態の揚げ足取りなどというのは題材に打ってつけです。ただ、賞味期限が短いのと、あまり続けると食傷気味になるのが難点です。あとは所謂「時の人」や、世間の目が一斉に向けられているニュース(暗い気持ちになってしまうニュースは除きますが)を、いかに旬を逃さずに料理するか。もちろん、他者だけでなく、庶民代表としての我が身をも笑いの対象にするのも大いにありだと思います。

 一方で、比較的地味なニュースに光を当てたり、まったく別次元の話題をチャンプルーして、一つの
風刺ネタに料理するのもまた、醍醐味であります。
 瞬時に「ぷっ」と噴き出すというより、しばしの黙考の後、「はあ、なるほどねぇ・・・」と余韻に浸っていただけるような、いい意味で浮世離れしたような、ヨンナーヨンナーで心に染み入ってくるような、そういう緩やかな「共感」もあっていいのではないかと思っております。
 薄墨思うところのもう一つの「共感」です。
 さらに、そこにメッセージも込めることができればなお一層・・・。


 と、ここまで書いてきて、「じゃあ、今回の作品は一体何なんだばぁ!?」と自問自答するに・・・。
あげっ!本当に何なんでしょう。・・・自分の心の暗部を曝してしまったような。
 「共感」の「き」の字もない、いささかブラックに過ぎる、しいて言えば「妄想」ネタとでも呼ぶべきでしょうか。下手をすると、現実にこんな悪さをする輩が現れてしまって、薄墨は犯罪教唆の罪状で、裁判員になるより先に被告人に?あぁ、「妄想」の暴走やさぁー!

 ・・・ところが、意外にも、孫を持つ「高齢者」を含む身内からは概ね好評で安堵しました。作者の理解を超えたところで「共感」を得られたようです。久しぶりにウケてくれたとぅじは、「あるある」と正反対の「ありえねー」というツボにはまったそうです。

 ということで、あとは後世の歴史家の評価に委ね・・・・といえば、あいっ、そうでした。今日はブッシュ氏の話から始まったのでした。
 「共感」という話もひっくるめてオチをつけましょうかねぇ。・・・ちょっと古い新聞を・・・。


2003年4月20日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

ヒトゲノム・・・よく分からんさぁ。


 5年近く前の掲載作です。イラク戦争が始まって、緒戦が収束して間もない頃です。故・フセイン氏も「We Got Him」される前です。

 不肖・薄墨、実は通算100回目の掲載を達成した時、迷うことなく本作を歴代ベストに選びました。
 上述の「共感」の、二つ目の考え方に該当するかと思います。
 「戦争反対」、「和平」を声高に叫ぶのではなく、・・・というか、なかなか風刺にはなじまない戦争に対して、DNAの視座から、ヒトとヒトとの愚かしい営為を眺め、

「だからよー、同じヒトなんだからよー、やめたらいいさぁ」

というメッセージを、静かに、しかし、風刺人として為しうる限りの力を込めて訴えたつもりです。

 ちなみに、ヒトゲノムの何たるかについては・・・、「だからよー (沈黙) 」


 薄墨、この頃はまだ「濃墨純一郎」でした。同音同名だった当時の首相は、「どこが戦闘地域か分からない」と公言して憚らないまま、自衛隊派遣の準備を進めていました。

2009-01-09

貧乏神の黄昏


2009年1月5日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ



 正月気分が抜けず、すっかり遅くなりました。「声」欄の年始特集、5日のテーマは「本物」でした。本年第1回目の掲載、にふぇーでーびる。
 やしが・・・、同じ紙面には元旦の若水の如き、「やはり本物は素晴らしい」「私の出会った本当の○○」「ニセモノの跋扈する世相を嘆く」といった、投稿者の方々の真摯なご高見が。それらを拝読するにつけ、正月気分に水を差す、いささか場違いなネタだったかと、しばし、私の傍らにも鎮座する貧乏神さまともども苦笑した薄墨純一郎でした。

 この年始特集、投稿は暮れの12月10日が締め切りでした。ということは、それ以降、新年までの間に起きた世間の動き、そして、その報道は反映されないことになります。

 ・・・・12月上旬、「村人」たちはすでに流浪を始めていたのかもしれませんが、まだ、「村」は存在せず、彼らは「村人」ではなかった・・・・。

 さて、「かたえくぼ」8年目にして見えてきたのは、投稿の時点でハッキリとした「画」(え)が脳裏に浮かんでいるネタは採用される確率が高いかな、ということです。10~20文字の中に凝縮された言葉から、ある時は4コマ漫画のように、ある時は漫才のボケとツッコミのように、テンポ良く、風刺のストーリーを想起させることができるか。編集者の方、読者の方にも、同じ「画」を見て微笑していただけるか。その「画」が届くか。
 そういえば、落語や漫才でも、その芸に引き込まれて笑っている時は、目の前(テレビの中)にいる噺家や芸人さんの姿と同時に、実は彼らが演じている人物の姿も見ている。それら人物が繰り広げる「画」の世界に入り込んでいる。そういうことが多いです。

 このネタを投稿する時、私の頭の中にいた「画」の貧乏神さまは、昔話や落語に登場し、あるいは水木サン(水木しげる氏)の描くところの、人間界とほどよい距離を保ちつつ共存する、見えたり見えなかったりする、でも、人間の欲とつかず離れず現れるべき所に現れる、そんな茫漠とした存在でした。・・・・あれ?『水木サンの幸福論/水木しげる』(角川文庫)、幸福の七カ条の第一条に、現代日本には確かに貧乏神が存在するとの記述(P14)はありますが、そういえば、水木サンの描く妖怪たちの中に貧乏神の姿を見た記憶はないな?・・・・とまあ、そういった程度の、曖昧なものだったのです。
 つまり、私自身、その「画」を見ているようで実は見ていなかった。しかし、貧乏神という言葉やその存在は市民権を得ている。ということは、後付けの理屈のようですが、その曖昧さこそ、編集者や読者の方々の中にある十人十色、千差万別、様々な貧乏神さまの「画」を自由に喚起できたのでしょう。

 ところが、元旦前後の紙面を眺めるにつけ、薄墨純一郎、危惧を抱きました。このネタが、上記のような悠揚とした笑いとはまったく異質の、もっと切迫した、現実社会で起きている「画」とオーバーラップして受け取られるのではないかと。貧乏神さまが架空の存在ではなく、今まさに現世に溢れる困窮する人々の「暗喩」と解釈されるのではないかと。

 「年越し派遣村」。日比谷公園、厚生労働省講堂、テント、毛布、炊き出し、生活保護・・・。

 12月10日には予想だにできなかった(報道の中に現れていなかった)事態。
 私の意図とまったく違った「画」が読者の中に描かれてしまうのではないか。そして、それは風刺の域を超え、度が過ぎたブラックユーモアになりはしまいか。

 言うまでもなく、私の中に「派遣村の村民=貧乏神」などという図式は毛頭ありません。広義の「生活困窮者」や「ホームレスさん」も然り。
 しいて言えば、彼らは、荒ぶる貧乏神のとばっちりを受けてしまった被害者だと思うのです。貧乏神を怒らせてしまった者たちはどこか別のところにいるはずなのに。


 ちょっと熱くなって、収拾がつかなくなってしまいました。

 為政者は「百年に一度」という言葉を弄していますが、不安定な雇用や経済弱者の存在は早くから指摘されてきた問題(下記『THE BIG ISSUE』誌でも)であり、それが、「百年に一度」を契機に顕在化しただけのこと。職と住を同時に失い、路頭に迷う。即、ホームレスさんの仲間入り。ホームレスさんと街を行く人々との間にある差異は、ただ、今夜の寝床と明日の職がある・・・という見通しがある・・・ということだけ。



世界一あたたかい人生相談 ビッグイシュー日本


 写真の本は年末に、福岡のホームレスさんから買いました。目が合った瞬間に微笑を交わす付き合いになった彼(職業:販売員)は、世間の目が「派遣村」に向いていたお正月も、休むことなく福岡・天神の街角に立ち、雑誌『THE BIG ISSUE』を販売していたそうです。
 この本、雑誌のこと、そして私の想いは、近々、詳しく書かせていただきます。

 しかし、寒さが厳しくなるこれからの季節。やはり、一日でも早くお伝えができれば・・・。
 札幌、仙台、船橋、東京、横浜、川崎、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、福岡、鹿児島、以上の各地のお近くでこのブログをお読みの方へ。「ホームレスの仕事をつくり自立を応援する」という趣旨の雑誌『THE BIG ISSUE』の販売員さんの姿を見かけられましたら、どうか、一人で街頭に立つ勇気を持ち、前向きに一歩を踏み出した、明るく温かい彼らから、一冊300円(このうち160円が彼らの収入になります)の雑誌を買い求めてみてください。
 詳しくはこちらをご参照ください。 http://www.bigissue.jp/

 最後は宣伝になってしまい、すみません。

2008-12-30

風刺ふーじー回顧録 2008

 不肖・薄墨純一郎が斜めから眺めたこの一年でございます。


2008年11月4日掲載

 「どん底」・・・・、読んでません。「蟹工船」・・・・・、読んだ記憶が消えています。それでもしゃあしゃあとこんなネタを投稿してしまうわんは、最近流行の「検索バカ」?


2008年9月15日掲載

 労組の組織率も低下してしまった昨今。右手、拳!左手、腰!社会党、総評、ストライキ・・・。そんな熱き時代を生きた方々もみなさん、おじぃ、おばぁになられました。幸多かれ。

 近頃の 若者たちは 知らぬかと 呟きている 我不惑なり


2008年1月3日掲載

 「声」欄の新春恒例企画、3日の投稿テーマは「出会い」でした。
 年金記録の突合作業は遅遅として進まず、さらに、厚生年金データの改ざんまで露呈する始末。
 もう神頼みではだめですね。金本アニキや「新井さん」のように炎の護摩行で精神修養していただきましょう。もうとっくに尻に火はついていますが・・・。


2008年4月25日掲載

 こんなネタも投稿しました。

  『火の用心』

   マッチ一本火事のもと
      ―――夜回り
   聖火一本ヤジのもと
      ―――世回り



 次はとても印象に残っている掲載作です。内容よりも、その掲載日のことが。
 3月の沖縄旅行中、私は嘉手納ロータリーからコザ方向へフェンス沿いの道を歩きました。途中、「道の駅かでな」から家人に電話をしたところ、「今日、載ってるよ」との吉報。祝杯代わりに食べた巨大なチーズバーガーの満腹感、安保の見える丘から見下ろした広大な基地内の光景、そして、直前に北谷野球場前広場の集会で雨に濡れたTシャツの冷たさ。そんな記憶が甦ります。

2008年3月23日掲載

 消えたり浮いたりした年金記録の回復のために社会保険事務所へ赴いた方に、窓口の職員は「その当時の加入を疎明できる証拠を提示しろ」と言う。「そんな昔のものあるわけない」と答えると、「ならば、当時の事件や流行歌などを思い出せ」と応じる。いや、そういう応対をしろという、本庁からの指示やマニュアルの存在が明らかになったという話だったか・・・?あれ?
 ・・・・日記をつけない私の記憶も怪しいものです。
 ・・・・このブログと「かたえくぼ」の投稿記録と年金手帳、あんしんの3点セットやっさ!

 
 最後に。今年もあと一日残っておりますが、フライング御免で、年末のテーマ「この1年」へ投稿したネタをいくつか。

  『地方自治この一年』

   「民主主義の学校」は
   荒れました
       ―――大阪府


  『CHANGE』

   変革を訴え続けた
   ――オバマ次期大統領
   代われと言われ続けた
     ―――日本の首相

:ahhh: 臥薪嘗胆 :ahhh:

  
  『上り坂から下り坂』

   野球界にも「まさか」
   がありました
   ―――阪神タイガース
   小泉元首相どの

 嗚呼、岡田はんの胴上げ・・・。涙で目がかすんできたので、この辺で失礼いたします。飲むっ!
 朝日新聞西部本社さま、いっぺー掲載にふぇーでーびる。

2008-12-28

クリスマスは...てびち! in 台湾

 
2008年12月25日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

やりすぎ???

 でーじクリスマスふーじー的色彩!・・・・ちょっとやりすぎ、というか。今日はもう、巷では迎春モードの28日ですね。

 お久しぶりです。台湾「太好吃了」の旅から戻り、しばらく食い倒れておりました。

  > 太好吃了(タイハオツゥラー) ≒ とてもおいしかったです。
 
 ようやく、不在中の新聞チェック、洗濯、写真の整理、温泉でのんびり・・・の順で、元の生活に戻りつつあります。しかし、やはり温度差が堪えます。ひーさむ!

 さて、まずは手前味噌ながら「かたえくぼ」から。今月はすでに2回採用していただいていたので、もう年内は御用納めの気分でいたところ、思いもかけないクリスマス・プレゼントをいただきました。


屋台、通常営業中! 

 つづきまして、台北のクリスマス・イブの一コマです。名物の屋台は通常営業中。ケーキの投げ売りなんてやってません。
 この時、私は慣れない海外旅行(2回目)で頭がテンパっていたため、クリスマスのことはすっかり忘れていました。後日、写真を見直して、街が思いっきりクリスマスムードだったことに気づいた次第。きらきらイルミネーションには目もくれず、分かるようで分からない、へんな~心をくすぐる漢字の看板の数々に目を奪われていたのでした。
 
 そして、頭の中はもっぱら、飲むこと、食べること。さらに、カタカナ変換した、必要最少限の台湾語会話をリフレイン。

 今回の旅のツアコンは妻でした。それも、しに強権的。私は迷子にならないようにくっついて行くだけ。その上、現地通貨は子供の小遣い程度しか持たせてもらえません。私の「単独行動主義」は見事に制圧されてしまいました。そんな私に命ぜられた役割はてーげー・・・・以下の通訳。「旅の指さし云々」本を手に持って妻に付き従い、台湾語、日本語、英語、さらに筆談も入り乱れてのトライリンガル会話を、愛想笑いと「謝謝」「多謝」の連発で乗り切りました。

 そういう役割分担でしたので、食べる物や入る店は、ほとんど妻の事前のリサーチに従う羽目に。
私は、地元の方が軒先の椅子や露店で一杯やりながら食しておられる、ディープな空気が立ち上る未知の味を飛び込みで食べたかったのですが、軒並み却下されました。あ、それでも「臭豆腐」なる、かなりクセになる一品だけは夜市でいただきました。 

てびちそば、あらんです。

 あいっ、てびちそば、あらんですよ。似てますけど。
 博多では豚足、沖縄ではてびち。いずれも妻は、日本ではまず口にしません。「サプリメントなんかより、お肌にでーじ上等のコラーゲンよ」と説いているのですが。
 しかし、私は妻がチェックしていた店のうちの一軒の紹介文に、「とろとろになるまで煮込んだ豚足が絶品」なる文字を見つけました。クリスマス・イブの晩餐、「てーげー通訳」は言葉巧みに「強権的ツアコン」をその店へとエスコートしました。
 作戦成功!私は「豬脚(ズゥジァオ=豚足)麺」に舌鼓。もちろん、麺もスープも「沖縄てびちそば」とはまったく違いますが、かつおだしの代わりに・・・・・何がベースかぜんぜん分かりませんでしたが・・・・・
とにかく美味しかったです。妻も「魯肉(ルーロー)飯」を絶賛するとともに、てびちも初めて食べました。本当にいいお店でした。他の小菜料理も最高で、台湾ビールを飲みながらすっかりご機嫌に。

外から厨房が見える、開放的な店構え。

 ご覧のとおり、沖縄にもある食堂兼居酒屋っぽい庶民的なお店でした。「あまり日本人は行かない」とガイドブックに書いてありましたが・・・・・・ん?日本人ライター、しっかり行ってるやっさ!
 しかし、この店の「魯肉飯」は地元台湾でも名声を得ているようで、店内にはトロフィーだの、著名人の賞賛文らしきものなどが飾ってありました。そうそう、店の外看板には「便當」の文字も。近所のOLさんなどが「魯肉飯」をランチにテイクアウトするそうです。これも沖縄ふーじーですね。
 そうかと思うと、私たちが食事を終えようとしていた頃、地元の馴染み客らしき方が三々五々、集まって来られました。全員が揃ったと思しき時、卓上には大皿に盛られた蟹の丸茹でが。さらに次々と運ばれてくる山海の食材の饗宴。賑やかな晩餐が始まりました。・・・・・お酒、飲んでる、いいなぁ。
 
 
最初の写真の、屋台の左手にあったツリーです。
 
 さて、話を戻しましょうねぇ。クリスマスツリーに「願い事」、というミスマッチが今回の「かたえくぼ」のオチだったわけですが、上の台北の屋台の左手に見える電飾ツリーをよく見てみると・・・・。下の方に何やら多くの紙片が。もちろん、何と書いてあるかは分かりません。
 もしかすると、実は「願い事」かもしれないし、
 「○○!愛してるよ!」 とかいうラブラブメッセージかもしれないし、
 「急募!すし職人。威勢がいい方、日本語の多少分かる方優遇」 かもしれません。
 
 では、ひとまず、この辺で。 



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