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2010-06-02



お笑い米軍基地の稽古がでーじなってる!だはず


2010年 6月 2日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

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    5月29日(土)に、複雑な想いを抱きつつも、
    毎年の恒例行事と見越して先走って投稿したこのネタが、
    今朝、朝刊に掲載されました。

    6月1日(火)に実際のニュース映像を見て後に投稿した、
    こちらのネタの方が良かったかな、などと思いつつ、
    そして、今日が、どんな一日になるのかも知らずに、迎えた朝。


    ■ 『かりゆしウェア』
      利点―風通しがよい
      欠点―風当たりが強い
          ―――鳩山内閣




2010年 5月 9日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

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    1月24日を最後に、薄墨純一郎、ずいぶん長く沈黙いたしました。

    その間、2月末には9日間の沖縄旅行というインターバルもありました。
    とはいえ、それまでの旅と同じく、しっかり、投稿用の体裁を整えたハガキを持参し、
    あわよくば、沖縄で直に目撃する基地問題の現状などをネタに、
    特派員気取りで投稿をしようなどと意気込んでもおりました。


    ところが、旅から戻って、投稿がぱたりと止まります。
    正確に申さば、普天間を中心とする基地問題以外の世相は眼中になく、
    もう、どうでもよくなってしまったのです。
 
    伊江島、辺野古、ホワイトビーチを回り、歴史や現状を間近に見聞きする中で、
    頭のスイッチがどこかで切り替わったのでしょう。
    そして、基地問題に関する情報収集は、新聞紙面やテレビニュースの枠を超えていきます。
    次々と頭に入ってくる情報は、薄墨、そして、古波蔵の座右の銘である
    「諧謔精神」に転化されることもなく、風刺に昇華されることもなく、
    資料の積読と比例するかのように、重く蓄積されていきました。
    諧謔や風刺は言葉遊びに過ぎないとすら、感じるような心境にまで至ったのでした。

    
    そして、もうひとつ。

    基地問題と向き合えば向き合うほど、風刺の矛先をだれにも向けられなくなったのです。
    為政者を笑うのは簡単でしょう。
    迷走ぶりには腹も立ちます。
    揚げ足を取られて然るべき言葉の軽さは目に余りました。

    とはいえ、問題の根源は、やはり、米軍、米政府でしょう。
    だったら、米軍、米政府に矛先を向ければよいではないか。
    ジョージ・ブッシュ氏の頃はやりやすかったよな・・・、などと思いつつ、
    しかし、軍事知識をはじめとする博覧強記で、素人の頭は飽和状態でした。


    沖縄への想い、日本政府への失望、米軍、米政府の分からないことだらけ。


    頭に「遊び」がなければ、笑いも生まれませんでした。
    そして、刻一刻と、本当に笑えない状況が明らかになってきました。
    


    鳩山政権が、いよいよ、約束を反故にする姿勢を明らかにし、
    その限界を自ら露呈、告白、謝罪するに及んで、
    そして、沖縄のイエローカードがレッドカードへと変わるに及んで、
    薄墨純一郎、ようやく、鈍っていた諧謔のペンを握り、
    沈黙するよりは声を上げようと、鳩山首相へ矛先を向けることにしました。
    心のどこかに、「本当の矛先は米軍、米政府なんだよな」という想いを残しつつ。
    もっと深く、この問題の本質を突くような笑いを探求せねばと思いつつ。



    まだまだ、心から笑えない日々が続きそうです。
    だれが後継首相になっても。



    ■ 『退陣論』
      外堀を埋めるのは代表への冒涜だ
                ―――鳩山首相
                             (2010. 5.31)

    ■ 『本末転倒』
      滑走路案できて着地点なし
            ―――在沖米軍基地問題
                             (2010. 5.29)

    ■ 『支持率急降下』
      世界一危険な政権かも
              ―――普天間飛行場
      鳩山首相どの
                             (2010. 5.20)



    鳩山さんの、普天間問題を巡る一連の対応についての功罪の「功」の部分として、
    世論の中に多く見受けられる論調は、要約すればこんな感じでしょうか。

    沖縄、基地問題、日米安保や地位協定、そして、国際情勢について、
    日本全体があまりにも無知で、認識不足だった。
    鳩山さんが、その認識不足を自ら白日の下にさらすことで、
    結果として、国民の覚醒を促した。


    私もその一人ではあると自覚してます。


    鳩山さんは真摯に反省しているのならば、ご隠居してからなどと言わずに、
    すぐにでも、今日に至ったプロセスを検証し、詳らかにすべきでしょう。
    鳩山さん以上に、「トラスト・ミー」な感覚の方が、
    後々、首相の座に就くこともあるかもしれませんから。

    そして、同じく、真摯に反省している私は、一市民の立場で沖縄へおじゃまして、
    歴史に学び、現状を見聞し、そして、『お笑い米軍基地』やオリオンや泡盛で、
    混濁した頭をリフレッシュさせていただきます。

    
    途中から、「私」が薄墨なのか、古波蔵なのか、ごっちゃになってしまいましたが、
    以上、薄墨純一郎のどぅーちゅいむにーでございました。



2010年 1月24日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

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    「政治とカネ」も重要なテーマです。
    この頃は関心もありました。

    小沢さんは今後、どう動くのでしょうか・・・。


    そして、『お笑い米軍基地6』の初日、北谷公演まで、
    あと、18日・・・。



2009-12-29

政権交代104日目に


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  ウチナータイム、つまり、時間に対しておおらか、というのが通説の沖縄ですが、
  郵便ポストの「取集時間」は、なんと、分刻みなんですね~。
  本土では、オフィス街や官庁街でさえ、30分か、10分刻みがいいところなのですが。

  あ、でも、よく見るとやっぱり、「〇時〇分ごろ」、「ごろ」なんですね。
  なんか、いい意味で安心しました。
  分刻みなのに「ごろ」って、ちょっと、おもしろいですが。


  と、本日のお題にもまつわる前ふりをしたところで・・・


  ごぶさたの薄墨純一郎でございます。

  「はじめまして」の方もいらっしゃるかもしれません。
  朝日新聞西部本社版の「声」欄(読者投稿面)の一隅にある、
  時事コント「かたえくぼ」のコーナーに、時折、おじゃましている者です。


  さて、前回の登場がいつだったかと振り返りますと・・・
  麻生前首相惜別企画 「ゆく人、くる人 2009」、
  9月15日、つまり、首相官邸の主が替わる前夜のことでした。

  前回も、自民党政権末期から、真夏の総選挙を経て、
  民主党政権の胎動期までの三ヶ月分をまとめ出しでお送りしましたが、
  今回も、またもや三ヶ月分、溜め込んでおりました。

  暮れの大掃除もそこそこに、一挙放出にてお送りいたします。


2009年10月 4日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

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  完全なるダジャレです。
  そういえば、今シーズン中に事実上、解体していた、
  阪神タイガースの誇るリリーフ投手陣「JFK」も、
  「J」こと、ジェフ・ウィリアムスの勇姿が今季限りとなったことで、
  名実ともに解散となりました。
  2005年、「JFK」を惜しげもなく投入し、甲子園で巨人を倒しての優勝決定、
  忘れることができません。

  ところで、自民党。
  こんなことを考えました。
  もし、「加藤の乱」がなければ、その後の総理総裁の座はどうなっていたのか。
  案外、森さんの次は加藤さん、という展開もあったのではないかと思ったりもします。
  そうすると、その後の継投は、「YKK」、いや、「KYK」というふうになっていたかも。
  めぐり巡って、「あなたが大将なんだから」と涙した谷垣さんが、
  今や自ら「大将」になってしまった、一寸先は闇の政治の世界。

  ・・・・・・「負けに不思議の負けなし」/野村克也




2009年10月29日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

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  そんな自民党の中で、なんだかんだ、完投したのが小泉さん。
  昔は「濃墨純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)」を名乗っていた私から見ても、
  摩訶不思議な人でした。
  あ、決して、小泉氏に心酔して、そのような名を名乗ったわけではなく、
  総理在任中は数多くのネタを投稿し、掲載していただくことで、
  しばしば、その言動に諫言を申したものです。

  「人生いろいろ」の一言で、火の粉を振り払ってしまった宰相。
  しかし、自らの後継者の人選は如何ともしがたいものであったようです。




2009年11月 8日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

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  「共通一次試験」という名の試験を受けた時、
  高校から受験会場まで、クラスごとに貸切バスで乗りつけたのですが、
  バスを降りる前にみんなで気合いを入れたことを懐かしく思い出します。
  なんだか、修学旅行のようで、その瞬間のことが卒業式よりも印象に残っています。
 
  二次試験はそれぞれの志望校を目指し、みんな、各地に散っていきます。
  私の受験した大学では・・・失礼、大学の先輩方は、
  試験の終わった夜、「居酒屋」と呼ばれる飲食店で労をねぎらってくれました。
  ・・・ドラフト指名された高校球児でなくてよかったです。
  ・・・って、あ、いや、大きな声では言えませんが、私は別にそれは、そんな
  ・・・って、あ、いや、やっぱり、やめときます。
  その後、四年間、私も罪に問われる、つまり、飲ませた方の側にいたもんで・・・。

  以上、いたって健康な受験生でした、という、ネタとは無関係な、どうでもいい話でした。




2009年11月16日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

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  まあ、旅行代金が安いに越したことはないのですが。
  それでも、どう計算しても割に合わないのでは・・・?
  まあ、そんな格安パックに、いつもお世話になっている者としては、
  その代金の妥当性や業界内の力学などについて、とやかく言う資格はないのですが。

  とにもかくにも、「参りました」というところまで行かないうちに、
  体勢を立て直して欲しいものです。

  あと、所管大臣どのにおかれましては、激務の中ではありますが、
  沖縄担当大臣としての職責もお忘れなきよう、お願いしたものです。




2009年11月23日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

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  結局、鳩山兄弟とは縁がない、そういう巡り合わせだったわけですね。
  弟・邦夫氏とはすったもんだし、兄・由紀夫氏からは引導を渡される。
  小泉さんからは「人生いろいろ」、なんて書かれた年賀状が来たりして・・・。

  しかし、「郵政民営化の見直しが一丁目一番地」と言って憚らない政党どの、
  政調会長が地元の基地問題でがんばっている傍らで、
  党代表がそこにカジノを作ろうなんて言っている。
  ・・・大丈夫ですか?





といったところで、本年もお開きに・・・と思ってはいるのですが、
明日30日と、明後日31日の二日間は、あらかじめ提示された
「この一年」というお題に、数多くの投稿をしております。

昨年に続いての「年間20勝」は達成しておりますが、
あとひとつ、星を上積みしたいなどと考えながら、朝刊を待つ年の暮れとなります。

最後に、来る年も、多くの薄墨桜を咲かせるためにも、
日の目を見ることなく散っていったボツネタでこの一年を振り返りながら、
今年はお別れをしたいと存じます。
 (9月だけは選挙特需で2本、選ばせていただきました。)


 ■ 『功績』
   大量破壊兵器を見つけるより難しいことだ
               ―――後世の歴史家
   ブッシュ前大統領どの
                     (2009. 1.20 = 投稿日。以下、同じ)

 ■ 『角界不祥事番付』
   案外オレは下位だった
     ―――お騒がせ横綱
                     (2009. 2. 4)

 ■ 『心身ともに健康』
   苦い薬やお灸のおかげでしょう
              ―――国民
   麻生首相どの
                     (2009. 3.14)

 ■ 『ミサイル騒動顛末』
   海に落ちた
       ―――北朝鮮の飛翔体
   地に落ちた
       ―――日本の速報体制
                     (2009. 4. 6)

 ■ 『廃棄やめ見切り販売』
   お弁当、温め直します
       ―――コンビニ店員
                     (2009. 5. 8)

 ■ 『兼務閣僚増える』
   人材の枯渇とお友だちの不足です
            ―――麻生自民党
                     (2009. 6.15)

 ■ 『核密約文書』
   作って、持って、持ち出させず
            ―――外務省
                     (2009. 7.10)

 ■ 『久々の地元回り』
   どぶ板の場所を忘れてしまった!
        ―――自民党大物候補
                     (2009. 8.26)

 ■ 『劇場型政治』
   回り舞台も奈落もある
     ―――小泉純一郎
   自民党どの
                     (2009. 9. 5)

 ■ 『宇宙人』
   地球外からの献金なんて出てこないですよね
                      ―――民主党
   鳩山首相どの
                     (2009. 9.18)

 ■ 『五輪招致失敗』
   金以外はどれも同じという気持ちが分かった
                      ―――JOC
   アスリート各位
                     (2009.10. 5)

 ■ 『県外・国外に暗雲』
   心外です!
        ―――沖縄県
   鳩山政権どの
                     (2009.11.21)

 ■ 『今年の漢字は新』
   女房と畳をじっと見る
          ―――夫
                     (2009.12.12)



最後に、古波蔵としての本音を語ってしまった・・・




【2009.12.30 補記】


2009年12月30日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ

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   有終の美。
   ありがとうございました。

   麻生さんを「解散先おくりびと」などとお呼びしたこともありました。
   結局、自らもおくられてしまわれましたが。

   仕分け人。
   蓮舫さんの言葉が印象的です。
 
    「世界一になる理由は何があるんでしょうか?」

   世界最強の軍隊にも捧げます。
                         (薄墨流 『お笑い米軍基地』)




今度こそ最後。こんなことも想いました。

 ■ 『この一年』
   金は天下を回ったの?
    ―――定額給付金

 ■ 『この一年』
   咳をしてもドキリ


2009-09-15

ゆく人、くる人 2009


 「漢字の読めない麻生さん」として国民の記憶に残るであろう宰相が、明日、寂しく政権の座から
去ります。

 しかし、まあ、知らない漢字はだれだって読めないし、何となく知ってはいても、ついつい、読み間違うことだってあるでしょう。そういう意味では、同情したくなる面も無きにしもあらずなのですが・・・。
 が、しかし、問題の真の所在は、読めもしない漢字の散りばめられた文章を、一国の宰相が無防備に、平然と、口にしていること。つまり、宰相の「言葉」が、実は、官僚やスタッフの書いた「原稿」の
「代読」であること、ここに尽きるのではないかと思います。

 心が入っていない言葉の空疎が生んだ、面白くて、やがて哀しき悲喜劇でした。




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 さて、こちらの「玉突場」、つまり、ビリヤード場の看板。一体、何年の間、那覇市「太平通り」を行き交う人々の目に触れているのでしょうか。
 明らかな書き間違いではあっても、これを読み間違える人はいないでしょう。あるいは、粋人と拝察されるご主人が意匠を凝らした、入魂の一筆なのかもしれません。
 そして、時とともに人々に認知されることで、その文字は歴史と権威の光すら帯びることになります。

 心が入った言葉の遊びが生んだ、面白くて、やがて尊き光景だとお見受けしました。



 
 さてさて、ご無沙汰をいたしさびら。薄墨純一郎でございます。
 実は、沖縄旅行の熱に浮かされた6月末から5回分、掲載作品を溜め込んでしまっておりました。
 麻生さんにも大いにお世話になって、お礼を申し上げなければならない作品もありましたので、今宵、惜別企画として取り急ぎ、ここにまとめて披露をさせていただきます。


2009年6月16日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ


 実は、私の居住地の隣の選挙区が、あの鳩山邦夫氏の地盤です。この投稿をした頃、私は、あるポスターを見かけるたびに苦笑し、カメラに収めたいという衝動に駆られておりました。まだ、衆議院が解散される前、そして、麻生氏と邦夫氏との蜜月関係が日本郵政社長人事を巡っておかしくなっていた頃です。・・・あれ?邦夫氏、結局、辞任でしたっけ?更迭でしたっけ?
 笑顔の二人が並ぶポスターは、公選法の建前上、自民党総裁を招いての演説会の告知ポスターという体裁を取っていました。 ただ・・・、その日時が「平成21年11月29日」であるところが、これまた、面白くて、やがて哀しき・・・、でした。
 そこまで政権がもつのか、そして、仮に、もったにしても、わだかまりを持ってしまった「元・お友だち」の二人が、どんな面を下げて・・・失礼、どのような表情で並び立ち、何を訴えるのか。ついつい、どうでもいい想像を膨らませてしまいます。
 しかし、そんな想像も今となっては・・・。
 ちなみに、先週末、邦夫氏の選挙区を車で走ったのですが、件の演説会仕様のポスターは既に、「邦夫氏が一人、正義を実現する」という図案のものに、軒並み、貼り替えられていました。



2009年6月26日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ


 内容とは関係のない私事ですが、これが掲載された日、私は那覇へと旅立ちました。
 毎度のことながら、出発前夜は徹夜です。朝刊が報じる国内外の動静よりも、私がその朝、求めていた情報は、宜野湾市の森川公園から浦添城址へと歩くルートについてでした。
 閑話休題。
 ここ何代か続いた「使い捨ての総理」も困りますが、それならば、「リサイクル」、つまり、再登板はできないものか、と考えを巡らせてみたりもしたのですが、過去の総理の顔ぶれはといえば・・・。
 思い起こせば、霞が関省庁の現在の姿のグランドデザインを描いた、今は亡き「橋龍」こと橋本龍太郎氏は、再登板を志した稀有な政治家でした。そして、この「橋龍」さんが小泉人気の前に敗れた総裁選から、自民党の今日へと至る歴史の歯車が回り始めたのでしょうか。
 一方で、再登板という意味では、民主党の有力者の皆さんは、総理でこそないものの、党の代表として、「リサイクル」を繰り返し、実践してきたとも言えるかもしれません。
 「分別でゴミも資源によみがえる」。わが町の指定ゴミ袋に書かれている標語です。
 あ、いや、決して「ゴミ」だなんて非礼なことは申してはおりません。ただ、政治家の皆さまには、くれぐれも、深い識見に裏打ちされた「分別」をお持ちいただきたいと、切に願うばかりです。



2009年8月4日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ


 これについては、ニュース・ソース、つまり、元ネタが分からないという声が多数、薄墨の元へ寄せられました。「国際面の小さな囲み記事も読んでください」と、不遜にも薄墨は答えましたが。
 今もって、アメリカという多民族国家の中に巣食う人種問題が生んだ一つのドラマ。
 在沖米軍というフレームを通して、米兵の姿を間近に見てこられた沖縄の方にとって、それは、「基地の街」で繰り広げられた、肌の色の違う米兵同士の軋轢という形で記憶されているかもしれません。本土に住む者には想像できない、リアリティを伴って。
 ところで、「まあまあ、ビールでも飲んで、二人とも機嫌を直してよ」って、オバマさん、酒じょーぐー?



2009年8月15日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ


 新聞社さんには恐縮なのですが、発想は紙面からのみ生まれるとは限りません。市井の風景だったり、銭湯でふやけている時の思索だったり、はたまた、テレビのニュースだったり。
 これなどは、典型的なニュース映像です。毎年恒例、たいてい、東名高速道の大和インター付近。
 さあ、高速道路の無料化という民主党のマニフェスト、一体、どんな形で政策に反映されるのでしょうか。温室効果ガス25%削減という目標との整合性は取れるのでしょうか。
 実は薄墨、「モーダル・シフト」論者でありまして、できるだけ公共交通機関を利用する立場につき、沖縄でもかたくなに路線バスの旅を楽しんでいるのですが。
 そういえば、民主党から今回、ご当選された沖縄選出の議員さんのポスターを今春、見かけました。そのポスターには、「沖縄にも電車が欲シーサー」とシーサーが訴えるキャッチ・コピーとともに、沖縄を路面電車が走るという空想の風景が、合成写真を駆使して描かれていました。
 ちなみに、電車の行き先表示は、「うるま市」と「南風原」になっていました。
 軽便鉄道の古地図にロマンを感じたりする薄墨、選挙区は違いますが、この政策、支持します。
 やしが、路面電車でうるま市までって・・・、どんだけ時間かかるばぁ・・・。



2009年9月10日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ


 そんなこんなで季節は移ろい、民意も移ろい、明日には第93代総理大臣が選出される運びです。新人議員諸氏には、ワイドショーやゴシップ誌に話題を提供する、チルドレンという名のタレントにはならないで欲しいものです。
 最後も沖縄の話になります。「最もマブイを落としやすい年頃は四、五歳の頃」という話を、以前、どこかで見聞きしました。もしも、解散がなく、任期満了となれば、ちょうど4年後に、新人議員さんたちはマブイを落としやすい年の頃を迎えることになります。
 今回、マブイも、何もかも落とした自民党のチルダイ・・・あらん、チルドレンたちも、次の選挙へ向けて、マブイグミを始めていることでしょう。
 願わくは、民の声を反映した、清らかなマブイを込めなおして欲しいものです。


2009-06-18

アメリカ

2009年6月7日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ




 初めてのアメリカ体験は、4歳か5歳の頃に見た「トムとジェリー」。
 ハンバーガー、顔の映らない家政婦さん、大きな家と見たことのない家電製品、遠足じゃなくてピクニック、穴あきチーズ。
 へんてこりんなペンがへんてこりんな文字を ――ケーキ屋さんで「おたんじょうび おめでとう」と書いてもらった時みたいに―― 書くと、ひとつのお話が終わる。
 夕方、茶の間、一台だけのテレビ。おじいちゃんが相撲を見る時には、ボクは「トムとジェリー」をがまんした。おじいちゃんが大好きだったから。それでも、ある日突然に始まる相撲中継が、いつ始まって、いつ終わるのか、ハラハラ、ドキドキしていた。
 「ヒョーショージョー!」と言う変なおじさんが出てきたら、これで相撲が終わるんだと、ある時、気がついた。
 母親にせがんで、一度だけ、ハンバーガーというものを食べたような記憶もある。まだ、ファスト・フード店なんてない時代。路面電車に乗って行く、デパートのレストランだったか。でも、屋上でいつも食べていた「焼うどん」の方が美味しいと思ったから、その一度だけで気が済んだような気がする。


 どちらかというと大人しい子だった小学校1年のボクに、おじいちゃんは「プロレスでも見ろ」と言った。
 毎週金曜日の夜8時、ボクはテレビの前に釘付けになった。通学路に貼ってあった新日本プロレスの興行のポスターを見ながら、レスラー全員の名前や必殺技を友だちに説いた。おじいちゃんをはじめ、家族みんなが呆れるほど熱中した。
 アントニオ猪木、坂口征二、ストロング小林、星野勘太郎たちのライバルはみんな外国人だった。
 人間風車のビル・ロビンソン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ジョニー・パワーズ、ペドロ・モラレス、そして、タイガー・ジェット・シン。
 "インドの狂える虎"と呼ばれたシン以外は、みんなアメリカ人だと思っていた。世界にいくつ、どんな国があるのか、まだ全然、知らなかったし。


 4番・田淵の前後を打つのが、ラインバックとブリーデン。大好きなアメリカ人だった。阪神の球団史上、数少ない、頼れる助っ人だった。日本シリーズで巨人をやっつけてくれた、阪急のウィリアムスとマルカーノにも感謝しているけど。
 小学校3年生、この年のプロ野球選手名鑑が実家にあるはずなんだけど見つからない。ただ、巨人の選手全員の顔に完膚なきまでに落書きをしているので、史料としての価値は乏しいと思う。


 毎朝、新聞が届くのが怖かった夏。ヒロシマ、ナガサキの季節が近づくと、一面に特集記事が連載された。
 「はだしのゲン」の、それもかなり凄惨な一コマが、連日、掲載された。いやでも目に入る。本当に怖かった。残像が目に焼きついた。
 戦後30余年という時代、キューバ危機から15年。今、戦後64年という視点に立って振り返ると、核の記憶が生々しかった往時の空気が分かるような気がする。
 8月6日は、平和授業で登校日だった。原爆の話だけでなく、人間魚雷・回天で出撃命令を受けながらも母艦の不具合などで生還した先生の話なども聞いた。
 アメリカと戦争をした・・・。それでも、実感は湧かなかった、小学校4年生の頃。


 中学校1年生の秋、NHKが30分の短いTV番組を放送した。「Aurex Jazz Festival ' 81」。この番組を目にしたことが、その後の私の人生を大きく変えた。
 ライオネル・ハンプトンという人が、タキシード姿に滝のような汗で、鉄琴のような楽器を叩いていた。楽しくて楽しくて仕方がないという喜びに溢れた表情と、年齢を感じさせないショーマンシップ。ピアノも弾けば、ドラムも叩く、マイクも握って歌もうたう。そして、見たことのない楽器の一群が繰り出す、波打つようなメロディとリズム。
 理屈抜きに、こっちまで楽しくなった。それまで、音楽に合わせて体でリズムを取るなんて、かっこ悪いと斜に構えていたのに、自然と体が揺れた。齢70を越えたおっさん(ハンプトン翁)が、まぶしいほどかっこいいと思った。
 この日、初めて出会った「ジャズ」という音楽を、今日まで、聴かなかった日はほとんどない。


 大学時代の親友の彼女が、1年間、アメリカに留学した。親友は毎日、日本時間の23時に、国際電話をかけるという約束をしたらしい。
 インターネットも電子メールもない時代、しかも、国際電話の料金は今と比べ物にならないくらい高かった時代。それでも親友は、見たことのない、国際通話専用のテレホンカードを持って、国際電話もかけられる電話ボックスへと日参した。
 そんな事情を承知の上で、私たち悪友は、その親友を飲みに誘う。学生だけが集う居酒屋には、カウンターに一台だけ、ピンク色の公衆電話。時計を気にし始める親友。「ちょっと、出てくる」という野暮な中座を、冷酷にも許さない。
 時計が23時を回った。衆目の監視の中、親友はやむなく、ピンク色の公衆電話に向かう。冷酷な悪友たちは、しかし、ありったけの小銭を彼の元に集める。
 一言一句に耳をそばだて、歓声を上げて冷やかしにかかる悪友たち。
 「え、あぁ・・・、今、ちょっと、ゼミが終わった後、軽く飲んでて・・・」
 見え透いた嘘はきっと、国際電話会社の海底ケーブルを通って、アメリカで見透かされているはず。
 しかし、友情の証であった小銭は、見る見るうちに消えていく。私たちの手持ちの小銭も底をついた。
 すると、そんな様子を見ていて、事情を察したであろう、同じカウンターに座る酔客から、続々と愛のカンパが寄せられた。
 感動的な出来事だった。
 同時に、歓声の輪は大きく広がり、親友の嘘をかき消すほど騒がしく、アメリカへと届いた・・・だろう。


 22歳、夏、長崎。
 社会人一年生の私の元へ、夏休み、家族が遊びに来た。私は、お気に入りの I・W ハーパーを買ってきた。父と飲み明かすつもりだった。
 私が幼い頃から、父の晩酌はいつも、瓶のキリンラガーだった。バーボンを一緒に飲むのはこれが初めてだった。しかし、ボトルの中身はそれほど、減らなかった。
 そして、これが、一緒に飲んだ最後の酒になってしまった。
 そのボトルをいつ、どうやって空にしたのか、覚えていない。記憶がなくなるような飲み方をしたのかもしれない。ただ、空になったボトルは、今も手元にある。
 時折、外で、I・W ハーパーの香りが恋しくなって、口にすることがある。
 だが、家で飲むことは、ない。たぶん、これからも。


 20代。"喪の作業"の途上にあって、書物の中でだけ、藤原新也氏の体験を通してだけであったが、"印度を放浪"する。
 その中で、ガンジスとディズニーランドを対置する形でアメリカを見つめる視座を得る。インドに親和感を、アメリカに距離感を覚える。日本の中のアメリカ的なものと、アジア的なものを峻別して見るようになる。
 それでも、国境や文化を超越したパット・メセニーの音楽は、いつも頭の中を駆け巡っていた。


 30歳。結婚披露宴なんて面倒だと思っていたはずなのに、いざ、企画を始めると自作自演の過剰演出にのめり込んでしまった。
 徹頭徹尾、ジャズを流す。和装でもジャズ。それが基本コンセプト。
 もうひとつ。90歳になった祖父に最大限の感謝を贈り、主役としての出番を作ること。
 それまで、従兄妹の結婚式で詩吟を披露しては親族の感涙を誘っていた祖父も、もう、座っているのがやっとという年齢になっていた。それでも、生まれてから8歳までを一緒に過ごした私のために、出席してくれた。
 私は、宴の佳境に、両家の祖父と新郎との「盃交換」という場面を用意した。その日のために、世界に二つしかない、ある特別な盃を準備した。
 祖父に注いでもらった酒を私が飲み干し、固い握手をし、そして、その盃を祖父に贈った。
 ウェザー・リポートの 「A REMARK YOU MADE」 が静かに流れていた。あなたが生きた証を忘れない、というメッセージを込めて。
 この時の写真が、遺影よりも好きで、命日には、私の手元に帰ってきたその盃で、酒を飲む。


 38歳の春、福岡で行われた古謝美佐子さんの唄会で、一枚のフライヤーを手にした。
 「基地を笑え!お笑い米軍基地」と書かれていた。
 FEC福岡県人会を名乗るに至る歴史は、こうして、偶然に始まった。
 そして、それ以来、私の沖縄への関わりは大きく変化し、深化した。と同時に、沖縄と、その多くは不幸にして、切っても切り離せない関係にあるアメリカについても様々な角度から見るようになった。
 見て、歩いて、感じたいと思った。戦世とアメリカ世を知ることから、もう一度、今の沖縄との関係を築こうと思った。旅に出た。
 60余年前が見えてきた。現在と未来が、少しずつ、見えてきた。
 歩いた分だけ、沖縄が、日本が、アメリカが見えてきている。




 最後に。二人の祖父について。
 
 上記のように、たくさんの思い出を残してくれた父方の祖父。

 一方、母親の父は、65年前の今日、1944年6月18日、ニューギニアで「戦病死」した、と戦死通知に記されている。あとは、たった2枚の写真が残っているだけ。
 様々な資料や戦記を読んでも、戦死通知に書かれている地名がどこなのか、今もって分からない。
 ただ、そこから垣間見えた、飢えと熱病のジャングルを想像し、無謀な作戦や軽視された人命を想起する時・・・

 アメリカ(連合軍)との戦争で命を落としたという実感は、ない。


2009-05-28

主文後回し

2009年5月18日付 朝日新聞西部本社版 「声」欄 かたえくぼ



 大学で、真面目に履修したにも関わらず、初めて「不可」を頂戴したのが、よりによって「裁判法」の単位でした。
 酒気帯びでの講義出席に反対する立場から、自らの良心に従って自主的に欠席を重ね、試験の記録も残っていない、朝1時間目のいくつかの講義は除きますが・・・。



 登場人物が多い文章を読むのが苦手です。途中でだれがだれやら、分からなくなります。10分前の記憶、10ページ前の残像はすぐに消え、頭の中は「たーやが?」に満たされてしまいます。

 裁判の判例、特に民事事件のケースなど、原告Xと被告Yとの争いに、物上保証人A、第三取得者B、第2順位質権者C、善意の第三者Dまで絡んできて・・・・。もう、矢印が混線したフローチャートを書いて、さらに、キャラが立つように想像上の顔まで描いて・・・・、それでも脳内のメモリが不足します。さらに、XとかYとか、「具体的存在」を記号化、抽象化されてしまうと、二次方程式でドロップアウトした数学コンプレックスが頭をもたげてきてしまうのです。
 裁判員制度は刑事事件が対象とはいえ、証人とか目撃者もばんない登場するでしょう。そうなると、おそらく・・・・、「たーやが?」。



 文章の速読もこれまた苦手です。とりわけ、法律の条文や判決文、お役所の通知や諸々の契約書類の約款など、理路整然とした隙の無い文章ほど、脳内のCPUが悲鳴を上げます。全然、先に進まないどころか、頻繁にフリーズします。・・・・脱線、暴走、あまは~いくまは~いの、隙だらけの冗長な文章を、自分が書き連ねるのはまったく苦にならないのに。

 さらに、一読しただけでは感覚的に理解できない、しかし、専門家の間では通用している難語・専門用語の類、これもまた、「具体的事実」の記号化、抽象化の一種だと感じてしまいます。それを頭の中で、自分なりにイメージできる「具体的事実」へと変換する作業に、多大な時間と労力を要してしまいます。・・・・これについては別途、証拠申請いたします。



 ニーブイします。いつでもどこでも。

 昔、職場のお偉いさんが訓示をされている時、頭の長周期地震動とともに、記憶がきれいに飛んでいたこともありました。真横におられた人事部長と目が合って、目覚めはスカッと爽やかでした。が、またすぐに、揺れの第二波が始まりました。いびき、寝言、歯ぎしりはないので周りに迷惑はかけませんが、寝汗がひどいです。・・・・っていう問題ではないか。



 理由は以上です。


(主文)

 私は裁判員には向いておりません。たぶん。


(参考意見)


 大学時代のノートです。証拠申請します。
 手前味噌ですが、試験直前の"コピー模合"、つまり、ノートの貸し借り、助け合いの際、友人からは好評でした。

 「しょうもない落書きがあちこちにあって、気分転換ができる」

 しかし、そんな落書きに無益な時間と労力を割いている間に、講義はどんどん先へ進み、耳に入ったはずの説明は右から左へ。理解する、しない以前の問題です。
 
 これが、「自分なりにイメージできる「具体的事実」へと変換する作業」 の実例です。


 ・・・・などという詭弁を弄し、かつ、臆面もなく公にするなど、反省の態度も見られず、更生を図るのは困難と思料されます。落書き癖の。

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