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2017-06-11



それでも、海と

   
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屋我地大橋横の砂洲から羽地内海、ジャルマ島を望む


 「ここに新しい道が有る。其開拓は困難であるが、感傷主義に萎へた心が、その企画によつて再び限りない勇氣を得るであらう。そのやうな熱烈な魂が、また此癩根絶策の正道の上にも必要であるのである」

  『葱南雑稿』(1946)太田正雄、東京出版
  (山川基・小笠原真・牟田泰斗(2009)「日本のハンセン病強制隔離政策と光田健輔」就実論叢39 巻から引用)

 


 「新しい道」「其開拓」「その企画」はいずれも、ハンセン病の科学的治療を指す。この言葉は、戦前の「不治」「不可治」を前提とした、ハンセン病文学における「絶望」「怨恨」「感傷主義」に向けられたものと理解する。

 強く心に響いている。
 ハンセン病のことだけでなく。日々、意識に上る多くのことにも置き換えて。
 ひとつ学びの中から、敷衍できる大きな言葉に出会えた。

 過去の戦争の犠牲に対して。
 現在も続く相克に対して。
 天災、人災。
 蔓延る欺瞞、無知、空疎。
 心萎えさせる、あらゆる現実に対して。
 日々紡いでゆく、暮らしの中で。

 熱烈な魂を。
 感傷主義に萎えることなく。
 
 それはまた、「祈り」を超えた、犠牲者への祈り。
 過ぎし日からの学びを、未来へ向けること。


-2016/6/25 屋我地島(名護市)-


  

2017-06-06

琉球の道

  
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   ヒージャーの声 ガラサーの声 また ヒージャーの声
   それから えっと 思い出せない
   
   声はすれども 姿は見えず
   フクギ並木の枝葉の向こうか フクギ並木の梢の上か
   
   静かな朝 だったから
   静かな暮らし 匂ったから  
   静かを浴びて 静かに溶け込んで 静かに歩いた


-2016/6/27 屋我地島(名護市 済井出)-

  
   

2017-06-05

戦世を訪ねて 2008~2016

  
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一中健児之塔の前に立ち




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塔の背後にある 壕の前に立ち




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壕の前で見上げる静かな空は 今は緑の梢の向こうに





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赤マルソウ通りまで坂を下る 今日に連なる明日へと暮れゆく 那覇の街




変わりゆくもの 変わらぬもの 忘れないこと 忘れえぬこと



-2016/11/7 一中健児之塔(那覇市 首里金城町)-

  
  

2017-06-04

戦世を訪ねて 2008~2016

  
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斎場御嶽の艦砲穴(かんぽうあな)


 
 
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 「1945年の沖縄戦において、「鉄の暴風」と形容されるほどの砲弾が撃ち込まれ、終戦直後は沖縄本島至るところに艦砲穴といわれる砲弾でできた穴が残っていたが、大半の艦砲穴は埋められるなどして残っていない。そのため、沖縄戦の様子を伝える戦争遺跡として保存している」 (案内版より)
  
  
  

 沖縄の各地を歩いてきた中で、艦砲穴と思しき痕跡に出会うことは一度も無かった。
 あるいは人の暮らした歳月の中へ埋められて。あるいは生い茂る草木に埋もれて。あるいはまた、気づくことができずに通り過ぎて。

 初めの頃、本島南端の隆起珊瑚礁の海岸で見る浅い円筒状の窪みを「弾着」の痕跡ではないかと考えていた。しかし、後にそれは、打ち寄せる波が石礫を巻き込みながら渦巻いて、長い歳月をかけて穿った自然の地形であるということを教わった。と同時に、仮にそこに「弾着」の痕跡があったとしても、六十余年、七十余年にわたる海の営為が、それを消し去ってしまったであろうと。


 琉球の最も大切な聖地のひとつであるこの御嶽で、期せずして、艦砲穴の前に立つ。初めて、艦砲穴を見る。
 聖地であるがゆえに、人為が加えられことなく、静謐な森の営為に包まれて、七十余年前の記憶をとどめることになったのか。

 木漏れ日が射す水面の底に、大地を抉った痕跡が今も残るのだろうか。そして、飛散した弾片は御嶽の樹々をなぎ倒し、貫き、あるいは、焼いたのだろうか。そこに人はいたのか。そこでどれだけの生命が消えたのだろうか。

 世界遺産となった聖地を訪れる多くの人々が、戦争遺跡に気づくことなく、通り過ぎていった。


-2015/6/30 斎場御嶽(南城市 知念久手堅)-



2017-06-02

戦世を訪ねて 2008~2016

   
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 知花グスクの麓。
 グスクの前に鳥居が立てられているのは戦前の歴史の名残りだろう。




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 鳥居をくぐってすぐの場所に「鎮魂・平和祈願の碑(いしぶみ)」がある。
 2004年3月28日完成、除幕。

 「沖縄市遺族会美里支部創立五十周年にあたり・・・(中略)・・・知花慰霊塔敷地内のゆかりの地に沖縄県の「平和の礎」の資料を基に軍人・軍属・一般住民二千七百余名の戦没者刻銘板を建設」(刻銘板本文より)

 「旧美里村出身者二千七百二十一人の名前が刻印されている」(広報おきなわ(№359)平成16年5月号より)




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 慰霊塔。
 この形は戦前の忠魂碑を改修したものだろうか(来歴については未確認)。




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 オオシマゼミが鳥居の脚にとまって鳴いていた。

 この前日、キャンプコートニーから昆布の米軍貯油施設の脇の小径を歩いていた時、繁みの中から「警戒音のような、電子音のような、不思議な音」が聞こえてきた。断続的に、はっきりと主張するように、そうかと思うと存在を隠すように、聞こえたり、途切れたり、してきた。
 足が止まる。こちらも警戒する。あたりを見渡し、自分のいる場所を地図で確かめる。繁みの中に目を凝らし、監視カメラや赤外線の探知機を探す。
 また「音」がする。立ちどまる。
 「音」はどこから?やがて、速足になる。

 期せずしてまた、その「音」を聞く。そして、その「声」の正体と間近に向き合う。

 オオシマゼミやクロイワツクが鳴き交わす、秋の沖縄をゆっくり歩いたのは、この年が初めてだった。



 セミの声も、歴史も今も、見るもの聞くもの、まだまだ知らないことばかりであった日々。
 

-2010/10/12 沖縄市 知花-



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