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2008-12-15



謹啓 FECの皆さまへ  ~福岡からの告白~

 2007年4月28日、この日が私とFECとの出会いでした。
 「お笑い米軍基地」九州初上陸!

美しい国・・・だれかそんなこと言ってましたね。1年半前。


 沖縄と福岡との遠距離ファン歴が始まりました。

 今春には那覇へ飛び、生の舞台を本場で見ることができ大感激。そして、DVDを取り寄せ、メンバーの皆さんのブログを読み、空想の世界で「琉神マブヤー」に胸ときめかせ、公演スケジュールを眺めては次の沖縄旅行を画策する日々。
 とはいいつつ、生の舞台を見たのはわずか2回。いずれも「お笑い米軍基地」でしたので、漫才やネタを見たことはまだ一度もありません。もしかすると、ブログなどから垣間見える「舞台の外のお笑い芸人さんの素顔」のファンになってしまっているのかもしれません。やしが、逆に言えば、舞台の外での素顔までもが面白い。ゆえにプロの芸人さんなんですよね。
 自称、熱烈FECファン、そして、「FEC福岡県人会」。これからもゆたしくうにげーさびら。


 と同時に、いつかは言わねば・・・、いつかはわっさいびーんしなければ・・・、と心に秘めつづけてきたことがあります。突然ですが、今日ここに、告白いたします。

 社長に・・・? 団長に・・・?
 いや、やはり、あの日、あの瞬間、あの舞台の一瞬の「間」をフォローしてくださったお二人へ。

 まーちゃんさん! けいたりんさん!
 あの日、福岡の「お笑い米軍基地」で「人の鎖」をやっている時、4分50秒過ぎのところで、一瞬の「間」を作ってしまって心よりわっさいびーん
 あの会場からの声は・・・・。


 「これよりちょっと長いのがあればいけるんじゃない」

 タオルを手に、まーちゃんさんがテンポ良く次の展開へ移ろうとしたその時、会場からの時ならぬ声。


「ハブ!」



・・・・沈黙・・・・



 ごくごくごく一部のお客さんの冷めた含み笑い・・・・
 
 「KY」「へまこいた」・・・・昨年の流行語が私の周りを浮遊します・・・・

 客が脚本にないボケを、それも、しに寒~いボケをかましてしまった・・・・

 ハプニング、不規則発言、舞台進行の妨げ、他のお客様のご迷惑になる行為・・・・

     

 ちょっとした悪戯のつもりが思いもよらぬ大事件に発展し、びびりまくって、その場を逃げ出そうとするウーマクーのような、そんな心境でした。
 私は無限に続くかのように感じた、自分が作り出してしまった沈黙の中で固まってしまっていました。


 そうです。あの時、「ハブ!」と叫んだのはこの私でございます。


 しかし、けいたりんさんはこの想定外の声をも即座にキャッチし、機転を利かせて、すぐに場内の空気を変えてくれました。
 軽く驚いたような、おとぼけ顔(呆れと苦笑も入っていたのでしょうか)を会場に向けて、

  「ハブ?」


 ごくごくごく一部のお客さんの冷めた含み笑い・・・、を瞬時に場内みんなの笑いに変えてくれました。

 そして、この一連の動きを見て取ったまーちゃんさんが、流れに乗って、さらに当意即妙の一言。

  「ハブよりも長いのあったよ!」

 
 舞台は再び、何事もなかったかのように、無事に進行し始めたのでした。


 以上の顛末をこのように客観視できるようになったのは、実は1年以上が経過してからでした。この時の舞台の模様を、今も某サイトで動画で見られることが分かってからのことでした。
 「無限に続くかのように感じた、自分が作り出してしまった沈黙」。上に書いたその時の心境は偽りのないものです。とても大きなご迷惑をかけてしまったと思っておりました。以後、「痛切な反省」を心に持ち続けていました。
 ところが、おそるおそる動画で問題のシーンを見てみると・・・・。本当に、本当に一瞬の出来事でした。「無限に続く・・・・沈黙」? 人の記憶というのは時に、主観によって脚色されたり、変調したり、現実から大きくかけ離れたりしてしまうんですね。

 というわけで、なんくるないさぁ・・・・でした。

 って、いや、反省を忘れたわけではありません。本当に、もうしません。TVで見た、開演の直前まで台詞の一言一句を突き詰める、まーちゃんさんをはじめとする皆さんの姿が記憶に焼きついていますので。

 この一件落着、すべては、まーちゃんさん、けいたりんさんの、絶妙のアドリブのおかげだと思っております。福岡のお調子者の勇み足を、沖縄の大きな愛と笑いで救ってくださいました。あらためて、心からのいっぺーにふぇーでーびる!

 は―――――――。スッキリしたさぁ。飲みましょうかねぇ。
 あ、その前に。

 今日この日、この告白をさせていただいたのには理由があります。先日のけいたりんさんのブログで
プロパン7の新たな出発を知りました。「FECのけいたりん」さんへ、メッセージをお届けできるのもあとわずかですね。やしが、フリーということなので、プロレス界の佐々木健介ふーじーに、あちらこちらの舞台で活躍されることを期待しています!
 FECとも「人の鎖」・・・あらん、「いちゃりばチョーデー」ですよね!
 
 では、これからもFECを、プロパン7を、遠距離応援しつづけます!
 > 訂正。 なるべく早く、沖縄行きます!

 いっぺーまーさい瓶! 

 いっぺーまーさい瓶! あげっ!この飲み代を旅費に回せば沖縄行けるやっさ!
 

2008-12-14

山羊汁初体験はユニオン赤嶺店

 ハナシチふーじー。風邪のひき始めという感じです。

 先日、「月と赤提灯」の構図を求めて夜間徘徊し、赤提灯の目の前まで行きながら・・・、心も体も温めてくれる店の暖簾を目の前にしながらっ! 自分の体より財布の中がもっと寒いことに悄然とし、飲まずに帰ったことが身体に悪かった。そうに違いない。病は気からであるわけさぁ・・・。

 
常備食。
 
 というわけで、久しぶりの「オキハム山羊汁」やいびーん!
 常備食のくすいむん。普段、ついつい手が出そうになるのを、こういう時のためにぐっとニジークネーしてきました。体を温めて、フーチバー(乾燥ですが)入れて、生姜もたっぷり入れて、早く寝ることに。・・・が、一説によると血圧が上がって、元気になって寝付けなくなる方もいるとか??

 山羊が一匹、山羊が二匹、山羊が三匹・・・。 

 一夜明け・・・
 うきみそーちー!朝になりました。ぐっすり眠れました。調子いいです。効いたかな。

 山羊汁といえば、10日間も沖縄にいながら食べる機会を逸してしまったのが心残りです。イカスミ汁とイラブー汁はいただけたのですが。
 最後の日、那覇空港で荷物を預けた後、手元にゆいレールのフリー乗車券があることを思い出し、万感の想いを込めて別れを告げたはずの沖縄へ再びめんそ~れ~。一駅だけ戻って赤嶺駅。目の前にあったユニオン赤嶺店でお土産(自分用)に買ったのが、オキハムさんのレトルト山羊汁でした。

 しかし、福岡の「わしたショップ」でも買えるオキハム山羊汁(いつも迷います、三合瓶と。どっちを買うか。両方、同じくらいの値段やさ。沖縄愛を貫くにはおカネがかかるわけさぁ。)を食べただけで、「わん、ヒージャー汁、しちゅっさー」宣言をしてもよいものか。本場の本物の本気の本番の本質の本性を知らずに。

 ううぅ、だんだん、この香りの虜に。
 
 しかし、食すごとに、その魔性の味に取り憑かれていく自分が分かります。顔が自然とほころぶ・・・を通り越して「うひひひひひ」という感じになっていきます。匂い、肉片の舌触り、骨の質感、濃厚な汁。至福の味やっさ。それだけに、ああ、それだけに本物が、沖縄の専門店の山羊汁を食べてみたい。
 万一、いや、そんなことはないとは思いますが、「百年の恋も・・・」というような事態が待っていようとも、「あがっ、はっさみよー、もう勘弁してたぼれー」ということになろうとも、山羊さんの生命をいただくわけですから、汁の一滴も残さずにクワッチーサビタンすると宣言いたします!

 ところで、旅行に行く前のリサーチで、ネット上で「山羊を食べるならここ!」と紹介されまくっていた竜宮通りの有名店、店の前を歩いてみたら、真新しい看板には「牛さし」の文字が。・・・ということに、帰ってきてから写真を整理している時に気づきました。
 
 決まった。那覇市東町のあの店に行こう。


:**:今日の一枚:**:
「We'll Meet Again/さがゆき、渋谷毅、潮先郁男」
 この一年、最も心を温めてくれた一枚です。
 偉大な登川誠仁さんが「誠小」と親しみを込めて呼ばれるように、ジャズピアノ界の巨匠、渋谷毅さんも「渋やん」の愛称で親しまれています。本当に飄々とした、(時折垣間見せる音楽への厳しさ以外)何物にも捉われない、肩の力の抜けた、空気のような存在感の方なのです。とはいっても一介のファンとしては、今年初めてご本人と対面した際、お互いにほろ酔い加減であったにも関わらず、やはり直立不動で「渋谷さん」と呼んでしまいました。
 不思議な人です。最初にその名前を意識した時は、「歌伴の上手い人だな」という印象でした。といっても、ヴォーカルではなく、正しくは、サックスとのデュオというフォーマットでした。宮澤昭さん、林栄一さんとのデュオ。手数とかフレーズ云々ではなく、♪ポロリン、という印象的な「音粒」が耳から離れませんでした。そのスタイルはソロ・ピアノにおいても変わりません。
 ところが、その同じ「渋やん」が、現代日本ジャズ界の梁山泊、「渋谷毅オーケストラ」ではまったく別人になります。というか、「渋やん」は終始、各メンバーの人間性、音楽性を自由かつ最大限に発露させることに徹しています。ソロのスペースが大きく、また、演奏者を念頭に曲を選ぶ(曲を提供するのも各メンバーですが)のは「渋やん」の敬愛するエリントン楽団に通ずるものがあると思います。
 ジャズという分野にとどまらず、巷に流れている様々な愛らしいメロディを、実は作曲したりされているという一面も。

 「渋やん」の話が長くなりましたが、この三人がこの作品を制作するまでには、多くのドラマがあったようです。今は病床にある人物の願いを結実させたのがこの作品とのこと。
 そして、私が聴きにいったライヴは発売記念ツアー。しかも、直前には、その人物を前に演奏するという夢も実現し、いよいよツアーも最終日という夜でした。色々な想いが込み上げてきたのか、ヴォーカルのさがゆきさんの歌声には情感が溢れ、時に涙も溢れ、芋焼酎ではない"何か"に深く酔いしれた微笑は宙空を漂いました。
 そんな二人にそよ風のようなバッキングを送り続けるギターの潮先さんは、故・中村八大さんからジャケットを譲り受けたというほど親交が深かったとのこと。左胸に「Nakamura」の刺繍が入ったジャケット、その晩もお召しでした。

 そういう、ヴォーカル、ピアノ、ギターの三人が織り成す、どこか懐かしいメロディ。実を申さば、ほとんど知らない曲ばかりでした。話を聞くと、所謂ジャズ・スタンダードではなく、いい意味で世俗的な、古い時代の「流行歌」だそうです。
 作曲者が誰だ、誰彼の名演がいい、初出はミュージカルの・・・。ジャズおたくが陥りがちな、「お勉強」を一切忘れて、ただただ、音楽の波間にたゆたうのみ・・・。

2008-12-13

東風吹かば 解散?退陣? 麻生さん

 先月、「九州国立博物館で日中韓首脳会談開催」の一報が駆け巡った時は、まだ、地元・福岡ではいい意味で色めき立つ空気もあったものでしたが・・・。
 いまや、
 「博物館の臨時休館で、観光客も太宰府天満宮参道の土産物屋も大迷惑」
 「厳重警備と道路渋滞で、地元ドライバー大迷惑」
 「復古調音楽愛好家の街宣車の大音量低速流し走行が、もうわけわからんで大迷惑」

あ、これ、今年の春です。菜の花咲いてます。万葉の道。
こんなのどかな田園の小路も、ふらふらと散歩なんかしていると職務質問されたりするのでしょうか。


 そもそも、この首脳会談、何の話をするんでしたっけ?偉大なる将軍様とか、ホワイトハウスで引越し準備をしている人の悪口でも言って、梅が枝餅食って、世間話でもするのでしょうか。国際経済危機への対応策を話し合うとは報じられていますが。
 
 「あなた、何かというと「私は経営者だから」って言うど、日本経済、ぜんぜんダメではないですか」
 「あんただって、「経済大統領」なんて触れ込みですごい支持率だったのに、今はどうなのよ」
 「まあまあ。我が国人民が国家の威信をかけて作った安心・安全な食品、お安くしときますよ」


 あ、夜も更けてまいりました。しょうもない妄想をしている場合ではありません。
 実は、今日13日を狙って、朝日新聞「かたえくぼ」にこんなネタを投稿しました。2時間もすれば朝刊が届きます(もう、寝ますが)。実はちょっと期待しています。

  『東風吹かば』

   思い知らせよ民の声
    主なしかも首相官邸
      ―――バラの花
   太宰府の麻生首相どの

 菅原道真公の有名な歌の「改ざん」です。「梅の花」を「バラの花」に置き換えているわけですが、「バラの花」は例の選挙の時の、当選確実で乱痴気騒ぎをする時の必需品ですね。で、東風が吹いて梅が咲く頃には解散総選挙だろうと・・・。それでもって、結果次第では麻生さん退陣、首相官邸の主(あるじ)もいなくなるかも、と。
 ・・・こりゃあ、ダメですね。こんなにうだうだと説明が必要なようでは。もっと、切れ味がないと。


 ところで、昨夜はいい月でした。さすがに「復古調音楽愛好家」の皆さんもお静かになっていました。私はある構図を求めて、カメラ片手に近所を歩き回りました(職務質問されなくてよかった・・・)。
 それは、太宰府近辺の赤提灯と月とのコラボレーション
 いや、麻生さんと言えば「夜の飲み歩き」。でも、この近所には高級ホテルなんぞないし、それに、ひなびた店の赤提灯は、月明かりを遮るような不粋なことはしない。こんな店で飲んで欲しいな。
 そんでもって、「今日は全部、オレのおごりだ!」とか。
 なんか、本当に今日はおかしな妄想が・・・。そろそろ寝ます。


温泉街の外れにポツンと一軒。 一度、暖簾をくぐってみたい。
温泉街に飲食店が軒を連ねる中、なぜかこの店だけ、通りから外れた神社のそばに。でも、歴史ありそう。

ここは地元の酒飲みで知らぬ者はいない名店。

この店は、ひなびてない!いつも満席。安い、旨い。遠方からの客も。焼酎500円で飲み放題の定額給付酒あり。

2008-12-12

SHADOWS AND LIGHT

 最近、印象に残った「光と影」です。


 主なく秋風寒く木に繋がれし・・・
 木に結び付けられた自転車たち。たぶん、風を切って走ることはもうないでしょう。
 「持ち主が不明の自転車は撤去します」との貼り紙、そして、「一時保管の後、申し出がなければ処分します」との貼り紙から数週間。
 車輪が回らなくなったその日から、朽ちていく時間の流れに身を委ねるしかないのか。
 元の持ち主さんよ、もう十分に働いたと引退を勧告したとき、引越しでお別れをしなければならなくなったとき、せめて粗大ゴミ置き場までの「ラストラン」をしてやれなかったのか。
 本当はまだ疾走できるのに、不届者の手で見知らぬ土地に乗り捨てられ、だれのものでもなくなってしまった諦観も漂う。
 とまり木代わりに遊びに来るスズメたちが最後の慰めか。
 日々、影は長くなり、銀輪は冷たく佇むのみ・・・。


 銀の球体に夕景が映る。
 不思議なモニュメントを見つけました。月も顔を覗かせてくれました。
 魚や牛や熊(?)が螺旋状に空へ駆け上るような、その周りを五線譜が舞っているような。そして、その中にいくつも散りばめられた銀色の、鏡のような球体には、街の夕景が映し出されていました。
 今度はその球体にズームアップして、魚眼レンズの写真みたいな夕景を見てみたいのですが・・・・。わんのコンパクトデジカメの4倍ズームでは無理やさ・・・。


 日光浴、日光浴、こう見えて、晴れの日は忙しいさぁ!
 毎度おなじみ、ツチイナゴやいびんどー!なんか、今日の全国ニュースで、福岡で雹(ひょう)が降ったっていってたけど、あれは海に近い都心部周辺だけだったみたいよ。こっちは時折雲は出たものの、気温も高くていい天気でした。
 しかし、だんだんと太陽の光の射す角度がねえ、低いっていうかなんていうか、えぇっと、なんていうの、地球の公転軸が・・・、いや、ちがうな。あいた~!理数離れの影響が昆虫界にも及んでいるよ。
まあ、とにかく、ボクたちの住む「世果報の家」も、陽が当たる時間が短くなってきているんよ。おまけに、周りに住み着いた人間の家がたくさんあって、すぐ日陰になってしまう。えっ?日照権とかで裁判起こせるの?あ、でも勝ち目はないな。ボクたちの方が新参者だからね。
 まぁ、こんな暖かい、太陽が拝める日に、少しでも長く日光浴しておくよ。じゃ、忙しいから、またね!


:**:今日の一曲:**:
「SHADOWS AND LIGHT/Joni Mitchell」
 Jaco Pastorius の音源が今のように大量に出回っておらず、また、インターネット経由の情報も乏しかった90年代前半、ジョニ・ミッチェル絡みの一連の作品の発掘(って、知ってる人は知っていたのですが)は衝撃的なものでした。しかも、本作には、Pat Metheny? Michael Brecker? Don Alias に Lyle Mays まで!?狂喜乱舞で買い求め、狂ったように聴きまくりました。どうしてもジャコのベースに耳は奪われがちでしたが、トータルなサウンドも、「ジャズおたく」の私にも大いなる興奮を覚えさせてくれました。
 ジャコだけに関していえば、本作以前に話題になった「MINGUS」でも同じくジョニをサポートして、もしかすると本作以上に魅力的なベースプレイに多くのスペースが割かれていたようにも思います。しかし、本作、やはりライヴならではの躍動感。そして、繰り返しになりますが、信じられないようなメンバー。1979年といえば30年前なんですね。
 その後、20世紀末を間近に控えた頃、このライヴの映像ソフトも発売されました。当時はまだ、DVD はなく、レーザーディスクでした。ところが・・・、しかし、さほど繰り返し見た印象が残っていない・・・。そんなはずはないのに・・・。と、購入した時期を思い返してみると、私事ですが、ちょうど結婚した時期と重なっていたのでした。「結婚の光と影」に、音楽を聴く時間も削られていた、ちょうどその頃でした。

 それにつけても、ジャコ、マイケル、ドン・アライアス、いずれもあまりにも早すぎる旅立ちでした。

2008-12-10

奄美からの初ハイヌミカゼ


 8日(月)の夜は元ちとせさんのコンサートに行ってきました。
 「奄美から」と書きましたが、今は沖縄にお住まいなんですね。ご本人がMCで言われていました。

 でーじ古い奄美の地図です。ちとせさんの出身地あたりも写っているはずですが・・・。
 
 コンサート・・・。 年に1~2回でしょうか。大きなホールで、お行儀よく正面向いて指定席に座って、
百~千人単位のお客さんの中の一人になるのは。しかも、所謂「メジャー・アーティスト」の公演。
 逆に言えば、普段の私は・・・。月に1~2回、小さなライヴハウスで、飲んだり食ったりしながら、
「イェーぃ」とか「ヒュー」とか声を上げつつ、30人とか10人くらいの客が肩寄せあい、時にミュージシャンの打ち上げにも乱入する。そんな空間で音楽・・・ほとんどジャズ・・・を楽しんでいます。

 「音楽をジャンルにカテゴライズするのは、CDショップの店員が「商品」を陳列する時に、置き場所に困らないようにするため。それ以上の意味は無い」。概ねそういった趣旨の発言をされた方がおられます。蓋し名言だと思います。
 かくいう私も、自己紹介などの際には便宜上、「ジャズおたくです」と宣言はします。しかし、沖縄の音楽は幅広く聴き(民謡から「かりゆし58」まで)、ほかにも、その生き様をも敬愛する故・高田渡さん、ZABADAK、上野洋子さん、露崎春女/Lyricoさん、川嶋あいさん、たま(解散後の各メンバーのソロ活動を含め)、普天間かおりさん、等々。あぃっ?普天間さんは沖縄に含むかな?いや、ポップス? ・・・だから、ジャンルなんてものは・・・。先ほど書いたとおりであります。

 さて、そんな私にとって、ヒットチャート上位の常連で、メディアにも頻繁に取り上げられ、「メジャー・アーティスト」の元ちとせさんは、何というか、スポットライトやスモークの中にいて、眩しすぎて、その姿が見えないような、ちょっと遠い存在のように思えていました。もちろん、その印象的な歌声は頻繁に耳にし、また、奄美出身ということで、沖縄愛に生きる私は親和感も覚えていたのですが。

 その音楽に真剣に向き合ったのはつい最近のことでした。
 きっかけになったのは、TVで放送された彼女のロングインタビュー番組。故郷・奄美の砂浜を歩きながら、島での生い立ちや島唄への想い、東京での新しい音楽との出会いなどを、開放感溢れる風景の中で、穏やかに、時に凛とした言葉で語っていました。私の中で勝手に造り上げられていた「メジャー・アーティスト」像とはかなり異なる、人間味溢れる素朴なその素顔を知ったのもこの時が初めてでした。距離感があっという間に縮まりました。
 そして、そのTV番組を見る、そのまたきっかけになったのが、『THE BIG ISSUE』98号(2008.7.1発売)の特集記事「2008年、「島宇宙」の旅」の中に掲載された、同じ奄美の唄者の大先輩、朝崎郁恵さんのインタビュー記事でした。
「THE BIG ISSUE」 >>>  http://www.bigissue.jp/
 
 本当に、出会い、縁というのは不思議なものです。そして、つながる時には次々とつながるものです。 

 そんな、彼女のデビュー当時を知らない、若葉マーク付きリスナーの私でしたが、コンサートは大いに楽しみました。
 神秘的な歌姫というイメージはある瞬間は的中し、ある瞬間はよい意味で覆されました。
 静と動のバイブレーションが寄せては返す波の如く場内を包み、私の細胞のひとつひとつを揺さぶりました。
 歌声とコトノハは深い感動を伴って心の深奥にまで届きました。
 その軽やかにして情熱的な舞いに、洋の東西を超越した、音楽と舞踏と祈りとの和合を体現する天女の姿を見ました。
 30歳を目前にしている一人の若者としての率直な言葉(MC)に、自分の10年前を重ね合わせたりもしました。
 一緒にハミングできました♪(ライヴCDを最初に買って聴いておいてよかった)。

 2年ぶりの全国ツアーの初日。そして、彼女の音楽を創り上げる上でかけがえのない存在だった方がいる、天に向かっても歌声を届ける夜。様々な想いを込めて唄ってくれた素晴らしいコンサートでした。


 ちょっと高い・・・。うっちん茶を自分で煎じて飲もうかねぇ。
 
 息抜きのMCで何度も出てきた「酒豪伝説」あらん「ウコンの力」。CMに彼女の曲が使われているようですね。彼女自身「私もそろそろ・・・」なんて言われていましたが、まだまだ、「もぎたてのフルーツとしぼりたてのジュース」で大丈夫そうです。今のまま、真っすぐな歌を唄い続けて欲しいものです。
 で、その「ウコンの力」。今日、ついつい、買ってしまいました。でーじ感化されやすっ!

  
:**:今日の一枚:**:
「おぼくり/朝崎郁恵」
 敢えて、元ちとせさんではなく、本文中でも触れた朝崎さんの作品を。私は奄美の音楽についてはまったくの初心者なのですが、それでも、グインという独特の唱法や「情」の込め方に、やはり沖縄と違った風土や歴史がその背景に存在しているのを感じました。この作品では奄美の島唄に加え、ヤマト(本土)の民謡や童謡なども採り上げています。また、三味線だけでなく、楽器やゲストも多彩です。
 その中で、ウォン・ウィンツァンさんというピアニストがこの作品でとても大きな役割を果たしていると思います。このウォンさん、北欧系のジャズ・アルバムをリリースしたり、地雷犠牲者救済キャンペーンに音楽を提供したりしているのですが、この作品では、響きの深い美しいピアノ演奏と、南の島の空気や時間の流れを感じさせるアレンジで彩りを添えています。私は、『大島保克 with ジェフリー・キーザー』という作品や、古謝美佐子さんにとっての佐原一哉さんの存在などを想起しますが、これらの話題はまたの機会に。
 最後に。この作品に収録された、「嘉義丸のうた」という長い曲のことを。「十九の春」を思わせるようなやさしい旋律に乗せて、静かに、しかし、切々と歌い上げられるのは、1943年5月に奄美沖で起きた戦時の悲しい出来事。嘉義丸(かぎまる)というのは、米潜水艦によって撃沈された民間船です。朝崎さんの父上・辰恕氏が、島に辿り着いた生存者から聞き取ったその時の悲劇を、口伝の唄として秘かに語り継いだのですが、戦中の緘口令下はおろか、戦後も公にできない時代が長く続き、一時は忘れ去られようとしていたそうです。しかし、郁恵さんの尽力で再び光が当てられ、彼女の歌声によって、慰霊と鎮魂の唄が海に眠る犠牲者にへ手向けられ、60余年を経た今日、私たちにも届けられることになりました。・・・・・・・CDではこの曲の後に、最後の曲「故郷」が流れ始めます。故郷を想いながら非業の最期を遂げた方々への鎮魂歌と思いながら、聴いています。

 ブログ名に「十九の春」を使わせていただいている者として。今春の沖縄滞在中、「対馬丸記念館」のすぐ近くに宿泊していたにもかかわらず、訪れる機会を逸してしまったことを悔やんでいます。
 この「嘉義丸のうた」を聴いて、その思いはなお一層、痛切なものになりました。次は必ず・・・。


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