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2009-02-08



たら・れば・・・はやめて、多良川飲もうねぇ

 「わん、いちぬまに かんし たましくゎとーん うとぅな なたが・・・・」
 (私はいつの間に、こんな思慮深い大人になったのか・・・・)

 ウチナーグチ、おかしなところはないでしょうか? あ、でも、一ヶ所訂正します。 

 「わん、いちぬまに かんし たましくゎとーん 阪神ファン なたが・・・」


 桜の便りと時を同じくして、沖縄からはプロ野球のキャンプ情報が届けられるようになりました。私は宜野座だけに注目です。そうです!阪神タイガースです!

 あと、NHKの一柳亜矢子アナウンサーが取材に行く所。実は私、いっちー・・・。失礼、一柳アナのスポーツコーナーが大好きで・・・。訂正、一柳アナが大好きで、彼女が出ている時にはTV画面の右1/3しか視界に入っておりません。NHKさん、もっと一柳アナのアップを増やしてくださいねぇ。そしたら、画面全体を見ましょうねぇ。
―――とても「思慮深い大人」とは思えぬお馬鹿な素顔を曝してしまいました。 

 4番キャッチャー田淵がミスタータイガース、黒髪のある掛布が「若虎」と呼ばれ、ラインバック、ブリーデンの両「助っ人」はしっかりと「助っ人」の仕事をし、中村勝広・藤田平(いずれも後の監督)が鉄壁の二遊間、投手陣は江本、古沢、先発もやっていた山本和、それに安仁屋宗八さんも当時は阪神にいました。
 そんな時代からの30年来の阪神ファンの私にとって、忘れることのできない年がいくつかあります。

 1985年の日本一。高校生だった私は授業中にラジオで日本シリーズ(当時はデーゲームでした)を聴き、優勝が決まった土曜日の午後にはビールを、少々・・・。何といっても、ファンになって以来初めての優勝。というか、そもそも優勝を思い描いて応援した経験もなかったので、どうやって騒いでいいかもわからないといった心境でした。高校の卒業アルバムには縦縞のハッピを着た私が写っています。

 2003年のリーグ優勝。星野さん、去年は散々でしたが、やはりあの年の優勝は印象に残ります。讀賣グループの人事異動とやらで、一旦は監督の座を追われることになった原くんを甲子園で抱擁したシーンは感動的でもあり、巨人との恩讐の歴史の中に吹いた一陣の涼風でした。代わって、日本シリーズで苦杯を嘗めて以来、阪神に刃を向けた地元福岡のチームを巨人の次に敵視する歴史が始まりました。

 2005年のリーグ優勝。9・7、ナゴヤドーム。就任以来初めてマウンドに向かった岡田監督が笑みを浮かべて久保田に言い放った「むちゃくちゃせい!」。そして、中村豊のまさかの決勝弾。2003年以上にドラマがありました。そして、そのドラマのクライマックスが甲子園での、巨人戦での胴上げ。JFKも揃い踏み。言うことなし。やしが・・・・日本シリーズは、何だったんでしょうねぇ?

 以上・・・・ではありません。残念ながら。もう1年。生々しい記憶が。
 あの時、星野さんが原くんの折れた心を慰めたりしなければ・・・・。

 2008年、まさかの・・・。
 一柳アナが笑顔で阪神優勝を伝える日が目の前まで来ていたのに。いっちーが、よりによってなんで巨人の・・・。
 2008年10月8日、勢いの差は歴然でした。東京ドームで、わずかな望みは風前の灯となりました。
しかし、思いのほか、私の心は穏やかでした。落胆することなく、激昂することなく、号泣することなく
・・・・静かにマブイを落としました。

 あの時、久保田を出さずに、安藤を続投させていたら・・・・。あ、これはまだ優勝を信じて疑わなかった頃のヤクルト戦でのこと。
 あの時、名手・関本がまさかのバント失敗をしなければ・・・・。
 ・・・・・・いや、でも、久保田も関本も、十分すぎるほどがんばった。年に何度あるかないかの失敗を責める気は毛頭ないよ。


 翌10月9日の晩、まだ、奇跡に奇跡が重なれば逆転優勝の望みもあったのですが、たましくゎとーん阪神ファンは行きつけの沖縄料理屋さんのカウンターに座り、拈華微笑で飲んでいました。決して酒に溺れてすべてを忘れようなどという思いではなく、命薬のような美味しい料理と温かいお店のみんなとの語らいで、マブイグミをしようと思ったのです。

 いつものように楽しい夜。いつしか、野球談義が始まりました。子どもの頃、ひたすらキャッチボールに明け暮れた低学年時代、マンガ『ドカベン』に感化されてみんながみんなナルシスティックなアンダースローになり、ところが、高学年になって加入した少年野球団のコーチから徹底的にオーバースローに矯正され・・・。
 「キャッチボールで、自分でもスナップがかかって球が伸びてるって感じるとき、気持ちいいよねぇ」
 「親父より速い球を投げられるようになった時、うれしかったけど、でも、ちょっと複雑でしたね」

 そんな楽しいひとときを過ごしていたのですが、新しいボトルを入れる時、つい封印していた心の慟哭が、静かに口を衝いて出てしまいました。

 「いやぁ、こんなに楽しく笑って飲んでるけど、本当は今日は心中穏やかじゃなくてね・・・」

 私は阪神ファンであることを告げ、ペンを手に取ると、「臥薪嘗胆」の四文字をボトルに刻もうとしたのですが・・・・。あがっ!字が分からん。「嘗」の字が出てこない。こりゃ、相当酔ったな・・・・。いや、酔ってなくても書けんか。
 でも、よかったです。「臥」の字って、「巨人」ふーじーですから。
 その時のボトルがこれ。「まだ、ちばりよー」の「まだ」に込めた、わずかな可能性に祈るような想いと、すでに漂っている諦観。10・10、すべてが終わるまで、あと20数時間。

沖縄の風「エイサー」 福岡市中央区春吉3丁目

 ちなみにこれを撮ったのは年が明けた今年1月のこと。
 見るたびに心の傷が疼いていた「10・9 阪神タイガース まだチバリヨー」が空になり、次に入れたのが多良川。

 1月から新しくお店に入ったニューフェイスくんが宮古島出身とのことだったので、「じゃあ、何か宮古の酒を」とお願いしたところ、この多良川を勧められました。おお!多良川といえば・・・・・。

この頃はまだ、宮古島市になる前の城辺町

美ら寅!

 そうなのです。我が家の永久保存ボトル「美ら寅古酒 2003年優勝記念ボトル」が多良川さん謹製だったのです。・・・という話を問わず語りに呟いたところ、なんとニューフェイスくんも親子二代の熱狂的な阪神ファンとのこと。ズミ!
 しかも、驚くべきことに、冒頭に書いた、私が阪神ファンになった時代(1970年代)の選手の名前などもよく知っている。いや、私より詳しいのです。まだ若いのに。
 「なんでまた、そんな昔のことまで知ってるの?」
 「いやぁ、物心ついた頃から、親父から阪神の話ばかり聞かされてきて(苦笑)」

 よし!今年の秋は、一緒に多良川で祝杯をあげるぞ!ズミ!ズミ!

 そして・・・・来年の春は、沖縄のキャンプ地巡りをしたいですねぇ・・・・一柳アナの追っかけで

2009-02-05

カンボジア語事始め

 「それでは宴もたけなわですが、そろそろ御開きの時間です」

 非の打ちどころのない宴会トーク。・・・実はカンボジアからの留学生君の口から発せられました。いいあんべぇに酔っ払っていた一同からは感嘆のどよめきと、嵐のような賞賛の拍手が沸き起こりました。

 私は縁あって、一昨年の夏、カンボジアはバッタンバン州にあるNGO、Phare Ponleu Selpak
(ファー・ポンルー・セルパク、以下「PPS」)サーカス学校の若者たちの公演を、市民実行委員としてお手伝いさせていただく機会がありました。
 PPSというのは、同国で内戦が続いていた時代の難民キャンプに端を発します。戦災や病気で親を失った孤児、貧困で路上生活を余儀なくされていた若者などに、音楽、絵画、そして、サーカスなどを通して教育の機会を提供し、自立への援助を行う施設です。これでは言葉足らずなので、詳しくは
PPSのサイトをご覧いただければ幸いです・・・・が、同サイトはフランス語で書かれてあるので、私もまったく理解できません。でも、もしかすると今でも、2007年夏に日本各地を公演した際の国内サイトがご覧いただけるかもしれません。

 あ、そうそう、来日して最初の公演地は沖縄だったのでした!沖縄市のキジムナーフェスタ、そして、浦添市のてだこホール、もしご覧になった方がおられたら非常にうれしいのですが。
 福岡県太宰府市では約一週間、様々な交流があったのですが、言葉は片言の英語以外ほとんど通じません。そこで、PPSメンバーとの最初の顔合わせの時、私がカチャーシーの真似をしながら「オキナワ、オキナワ」と話しかけたところ、満面の笑みで、カンボジア舞踊風カチャーシー・ダンスで応えてくれました。「オキナワ」で言葉の壁を乗り越え、すぐに打ち解けることができました!沖縄に感謝!そして、彼らにとっても沖縄での日々は本当に楽しかったようです。さらに、調子に乗った私は、今度はポケットから三板を取り出し・・・・。

 ひとつだけ。サーカスといっても動物を使ったショーなどではありません。極限まで鍛え上げた肉体と、カンボジアの伝統音楽や伝統舞踊を盛り込んだアートであり、パフォーマンス。2007年来日公演の演目は、そこにストリートチルドレンの日常をユーモラスに織り込んだものでした。
 私が最も感動したのは、サーカスアーティスト個々人の身体能力や技量もさることながら、お互いの信頼関係でした。目を奪われるようなアクロバットも一人でできるわけではありません。身長の数倍の高さで後ろも振り返らずにバク宙をする。着地点には必ず受け止めてくれると信じる仲間がいる。
 ・・・・ああ、言葉ではうまく伝えることができないもどかしさ。体操ニッポンと刈屋アナウンサーには申し訳ないのですが、「栄光の架け橋だ!」の比ではない感動でした。

 そんなPPSメンバーと、一緒に食事をし、ある時は宿舎に押しかけてゆんたくし、地元の商工会主催の「打ち水会」には浴衣姿で参加し(天が勘違いして翌日は台風)、何日間かは一般家庭にホームステイもし、小さな恋も芽生え・・・、そんな日々の素顔からは想像できなかった、ステージ上の凛々しい姿に心打たれ、そして、最後のお別れパーティーでは涙、涙・・・・。

 そんな濃密な日々を、さすがに通訳なしで過ごすことはできません。一週間もカチャーシーを踊り続けては、肩を壊します。

 さて、そろそろ主役にご登場願います。

 そこで!福岡の大学で学んでいる同国の留学生君たちが大活躍してくれました。通訳はもちろんのこと、PPSメンバーや福岡でカンボジア支援を行っている団体、それに実行委員が一同に会しての「カンボジア料理の夕べ」では見事な料理の腕を振るってくれました。ちなみにその時、台風最接近中。外は暴風雨。でも、そんな体験がみんなの絆をより一層深めました。
 そして、三ヶ月以上前から実行委員に加わってくれて、同国の文化や習慣などについての様々な相談に乗ってくれたり、受け入れ準備に奔走してくれたのがK君でした。

 冒頭の宴会トークを行ったのが、このK君です。日本人以上に美しい日本語を話します。


 実行委員をした面々は何らかの形で、その後もカンボジアとの絆を、同国への想いを胸に抱いています。私もその一人です。

 2007年のPPS公演の後、仲良くなった留学生君のうちの二人が帰国することになりました。「留学生君」とつい書いてしまっていますが、母国でそれぞれの専門分野を修めた後に来日しているので、年齢は日本の大学院生よりもさらに上くらいの皆さんです。そして、帰国後は中央官庁の中枢で働かれるとのこと。
 そこで、元実行委員の有志が発起人となり、二人の送別会&留学生君たちへの感謝の夕べを行うことになりました。・・・ところが、なぜか、ごちそうは留学生君たちが自ら腕を振るうカンボジア料理。 主客逆転・・・。

 1月29日に書いた、「留学を終えて祖国へ帰る海外の知人へ「にっぽんのうた」の贈り物」はこの時に作りました。そして、この時、初めて、カンボジア語(クメール文字)を書くことに挑戦しました。
 ・・・・無謀でした。何がどう難しいかさえも分からない・・・・というところから始まって、しかし、どうにかこうにか、「日本のうた」=「チョムリアン・ジャポン」まで、まさにミミズは這ったような線で書き上げました。
 ところが、よくよく見返してみると、どうもおかしい。なんか、間違いじゃなさそうだけど、やっぱりおかしい。あがっ!よりによって「日本」という字が違ってる!・・・さすがに自分に国の表記を間違えたものが海を渡るのは、私はいいとしても、他の日本人の方に申し訳ない。ということで、破棄して再度作り直し・・・・はせずに、さらに無謀な道へと踏み入ってしまいました。

 「ごめんなさい。私は日本という字を間違えました。なんくるないさぁ」

 私はこれだけのミミズ、あらん、文字を突貫作業でマスターし、裏面に書き添えました。なんか、当初の労力の3倍くらい疲れたような、やしが、それだけ、ばんない文字を覚えた充実感に浸りました。
 ちなみに、「なんくるないさぁ」にほぼ相当するカンボジア語が「オッパニャハー」。この言葉は、PPSメンバーと一緒に行動している時にも実際に何度も使った実用的、かつ、思い入れのある言葉でしたので、棚ぼたでそれが書けるようになったのは本当に嬉しかったです。

 「日本人は潔く非を認める。その場をうまく取り繕う。が、反省がない」。
 海の向こうでそう思われるかもしれませんが、オッパニャハー。 


 あ、K君、ソームトーホ(ごめんなさい)。今日は貴君が主役だったのでした。

 K君、めでたくニービチです!やったね。ニービチサビタン アッリ 乾杯!
 一緒に汗と涙を流したみんなでお祝いを取りまとめています。
 私は手紙と・・・・なんとかのひとつ覚え。またもや、CDケースをガサゴソと。先に帰国した留学生君に贈った曲より、さらにラブリーな曲を選りすぐりました。
 そして、久しぶりのカンボジア語。しかも、新しい言葉に挑戦。
 「おめでとう」、「幸福」、「夫婦」。文法は皆目分からないので、とにかく単語の羅列。「ソームチューンポー」、「ソペアモンコル」、「プダイプロプオン」・・・・ん~、プロプオンの、最後の子音の脚文字がなぜこうなるのか分かりませんが。
 ここまで書いたという熱意だけ、受け取ってください。貴君の大きな心には届くと信じて。

ツチイナゴが「ゲップ」をしているのかどうかは未確認です。

 あいっ!またツチイナゴ?。でも、今日はレモングラスの方にご注目を。カンボジア語で「スラッカライ」。東南アジア原産のこの植物が、福岡で5年も冬を越すのが不思議なくらいです。
 実は先に書いた留学生君の送別会に、私は庭のレモングラスを一抱え、根元から切り取って持って行きました。あくまでも飾りとして、お花見のススキふーじーに。そして、母国を懐かしんでもらえるかと思って。
 ところが留学生君たちの目の輝きが違います。

 「日本でフレッシュ(乾燥ものでない)が手に入るのは珍しい。うれしい!」

 そう謝辞を述べるやいなや、彼は根茎の部分を細かく刻み始めました。そして、見たこともない本格カンボジア料理の素材として使ってくれたのです。


 そんな歴史を知って知らずかツチイナゴ。やーの写真も海を渡るさぁ。
 ちなみに、書いてあるカンボジア語は・・・(間違っていなければ)

  「クニョム チョールチャット スラッカライ」(私はレモングラスが好きです)
  「プー」(げっぷ)

 ちょっとお行儀悪いねぇ・・・・。
 

2009-02-02

サイレント・マヤー (ネコマンガ未完稿)

 先週はクリーマヤーの如く、ちょっと文字を書き過ぎました。

 連日の夜更かしでハナカタマヤーだったので、今日はヤーグマヤーになろうかとも思ったのですが、ちょっと用事(わしたショップにフーチバーとハンダマーを買いに)もあったので、ヤママヤーふーじーにフラフラと街を流浪しました。

 街中の公園で出会ったリアル・ヤママヤーです。やしが、さほどフィンガーマヤーあらんですね。

 




 壱 → 弐 → 参 → 完、です。
 お手数ですが、左上から一度下がって、また、右上に戻ってください。

 なにか、考えがあってのガンチキー、考えがあっての目配せ、考えがあっての動と静・・・。きっとそこにはドラマがある。

 やしが・・・、先週はクリーマヤーの如く、ちょっと文字を・・・。あ、これ、最初に書きましたね。そういうわけで、しにクタンディトーン。
 マヤー・ストーリーを考えるだけの創作意欲が減退しておりますので、今夜は寝ます。今日のところはセリフ無しのサイレントでご容赦を。マヤーの心が分かる方は、お好みのストーリーを創ってお楽しみください。

 やしが・・・、今夜はこれまでで最も、新しいウチナーグチをばんない使いました!・・・かなりへんな~
かもしれませんが。        おやすみなさい。

2009-02-01

歴史を鳥瞰するスズメ・・・と、ちょっと告知

 遅くなってしまいましたが、一週間前の話と、そのまた一週間前の話。さらに半年ほど前の話にも及ぶかもしれません。



 1月25日(日)、「福岡発、中国残留邦人と帰国者の「今」を考える」(主催:(財)中国残留孤児援護基金)という催しに行ってきました。前半が『吉林食堂 ~おはぎの美味しい中華料理店~』という舞台、後半がジャーナリストの大谷昭宏さんの講演や帰国者の方などを交えてのシンポジウムという構成でした。
 前半の舞台を演じたのが、私の住む市のすぐお隣、福岡県太宰府市にある「劇団道化」

 あ、あまり時間のない方のために、ネーランムン(大切なもの)から先に書いておきましょうねぇ。・・・というか、これをご覧いただいている方が皆さん、沖縄の方と思い込んでのPRですが。

 この劇団道化さんの人形劇が、2月に沖縄上陸ですよ~!

 
  舞台劇「番ねずみのヤカちゃん」
  2月7日(土)16:00~ 高良自治会館(那覇市小禄)   
  2月8日(日)11:30~ 環境の杜ふれあい研修室(南風原町)

 詳しくは、以下へお問い合わせください。
 ・沖縄なは子ども劇場事務局 電話 855-6525
   http://nahakodomogekijou.ti-da.net/
 ・劇団道化 電話(092)922-9738
   http://www.douke.co.jp/
   http://www.douke.co.jp/yaka/yaka_index.html


 「昨年の「しょうぼうじどうしゃ じぷた」沖縄公演も大好評」 「小さなお子さんから楽しんでいただけるとても評判のいい作品です」とのこと。
 琉神マブヤーごっこに熱中しているワラバーも、軍団マジムンふーじーに「ハゴー!」「ハゴー!」しているウーマクーも、ウエンツくん大好きのママも(?)、かわいいウェンチュ(ねずみ)親子の物語をぜひどうぞ!TVじゃない、目の前で、生で見るお芝居は上等どぉ!

 と、ここまで書いておきながら、正直に白状しますと、実は私、この作品をまだ見ておりませんでした。お子さまとママさん、パパさんに混じって、40歳のおじさんが一人で童心に帰って目をキラキラさせるのはちょっとハジカサン(恥ずかしい)なのです。シマー飲んで深夜に帰って目をギラギラさせるのはよくあるオバカサンなのですが。

 この劇団道化さん、年間500回以上、つまり、一日一回以上の公演を全国各地、時には海外にまで出かけて行っています。その多くが学校、幼稚園・保育園などでの公演です。今回の沖縄でも、上記2公演以外にもあちらこちらを回られるそうです。ある時は園児にオモチャ(失礼)にされながら、ある時は高校生や先生と一緒になって舞台設営、仕込みやバラシをしながら(青春だな~)、といったご様子は、役者さんの日々のブログから垣間見えます。しかも、一人の役者さんが同時並行で、いくつものお芝居、いくつもの役を演じておられるのです。つまり、今日と明日とでは、演目もセリフも全然違う、まったく別の人物を演じるわけですよねぇ。尊敬!
 今回、「ヤカちゃん」に出演される役者さんの中にも、『吉林食堂』の中で、中国からの帰国者の役をほとんど中国語で演じている方もいらっしゃるんですよ!
 ・・・・えっと、「まーさん」は「好吃(ハオチー)」でしたっけ?



 そんな劇団道化さんが、学校公演以外に、子どもから大人まで見られるホール公演を定期的に行っています。
 「九州の平和シリーズ」。私が見てきたのは、その第4弾 『知覧・青春~アイ・アム・ヒア!~』
そして、第5弾 『吉林食堂 ~おはぎの美味しい中華料理店~』 です。
 『知覧・青春』は昨年7月5日・地元の筑紫野市文化会館、そして、今年1月17日(土)・福岡市のNTT夢天神ホール ( 余談ですが、私、10余年前、このホールで生まれて初めてカチャーシーを踊りました。まだ「童神」を発表する前の、古謝美佐子さんのライブにて。)で観劇しました。
 『吉林食堂』は昨年8月15日・福岡市ぽんプラザホール、この日が記念すべき新作初演でした。張りつめた中にも、劇団全員の気合と客席の熱気、そして、開演前の激しい夕立が霧雨に思えるほどの盛大なカーテンコールで幕を閉じ・・・、いえ、この舞台の歴史の幕を開けました。そして、一週間前、1月25日(日)・福岡市都久志会館では、冒頭に書いたとおり、「中国残留邦人と帰国者」というこの舞台のテーマそのままの催しの中で見てきました。

 それぞれ2回ずつ。なぜ、同じ作品を2回も見るかと言うと、それが素晴らしい作品であるのはもちろんのこと、舞台というのは生き物のように、日々変化し、成長し、新たな発見があり(それは舞台も客席も)、毎回、違った輝きを放つからです。

 もうひとつ。私の舞台、そして、「歴史」に対する見方の変化に気づき始めたということもあります。


 どちらの演目も、ぜひ、同劇団のサイトで、あらすじや制作に至る経緯をご覧いただければ幸いです。いずれも第二次世界大戦――「太平洋戦争」というと1941.12.8以降になってしまいますので。『吉林食堂』はそれ以前の日中の歴史も含んでいます――に翻弄された人々に焦点を当て、往時と現代とを行き来をしながら、その歴史と人間模様を描いています。・・・・・でも、楽しいのです。
 「笑って泣ける反戦劇」。――『知覧・青春』に寄せた、同劇団理事長(両作品の脚本も手がけておられます)の言葉です。私も同感です。『吉林食堂』でも、同じように大いに笑い、最後にどっと泣きました。

   なんで戦争の話で笑えるのか?

 『知覧・青春』は、1945年の、青年とその幼なじみの少女との純真な恋と、それを見守る温かく、明るい人々の織り成す微笑ましいドラマです。・・・青年が特攻隊員でさえなければ。
 私は初めて客席に座った時、複雑な心境でした。どんなストーリーになるのか。800人収容のホールは、多くの親子連れで満席。子どもたちに特攻隊の歴史をどのように伝えるのか。子どもたちの感性にどのように伝わるのか。あの無謀な戦争の非人間性、死に直面した人間の苦悩、・・・散華という曲解された美辞の影で抹殺されようとした、この福岡に存在した振武寮の歴史。
 幕が上がり、舞台が始まって、私は目の前で繰り広げられるドラマに引き込まれ、登場人物の心に深く同化していきながらも、頭の片隅で常に、自分の知りうる限りの「歴史」を紐解いていました。まるで辞書を片手に本を読むように。

 「もう一度、見ないといけないな」。
 家路につきながら思いました。それまでに経験したことのない、舞台の魅力に取りつかれてしまった高揚感もありました。そして、もうひとつ、「歴史」への対峙の仕方について、新たな視点のヒントをもらったような気がしたからです。


 この『知覧・青春』の制作には、鹿児島の青年たちも関わっています。子ども劇場の祭典で上演する演目として、「知覧の特攻隊の物語を」という劇団道化からの提案に、当初、高校生や大学生の青年たちは乗り気ではなかったそうです。「では、どんな劇ならいいのか」という問いに対する答えは「恋愛もの」。「だったら、恋愛ものでいく。ただし、舞台は1945年の知覧」。これがスタートでした。青年たちは祖母などの身近な人から、戦時下の極限の状況にあっても人が人を恋し、愛するという感情を持った――それは特攻人形や千人針といった不幸に歪められた形でしか表現しえなかった――ことを聞き出しました。
(一部、朝日新聞 2006.8.31 夕刊を参照)



 所謂「歴史」に対峙する時、全体像を俯瞰する、大局的に見る、できるだけ多くの史実、資料に触れる、そのことがより正しい歴史認識につながると思います。その考えは変わりません。そして、ドキュメンタリーなどを見る時、そこに笑いはありません。

 しかし、その「歴史」はまた、一人ひとりの人間の歴史、生き様が集まって形作られるもの。だから、一人の人間の生きた歴史と、所謂「歴史」は等しく重い。一人の人間の生きた歴史は一日一日の積み重ね。その中には笑いもあり涙もある。いや、せめて一時でも笑った瞬間がなければ、悲しすぎる。
 『知覧・青春』という舞台が、生き生きとした人間性に溢れたラブストーリーであるからこそ、それを無残に壊してしまう戦争の非人間性が浮き彫りになる。

   そんなことなのかな・・・。

 そういう心境の変化を感じている矢先、一ヵ月後に、今度は中国残留邦人をテーマにした新作に接することができたのでした。

 毎度のことながら、ずいぶん長くなってしまったので、『吉林食堂』のことはまたの機会に。

 最後に。先ほど、「俯瞰」という言葉を使いました。同じような意味の言葉に「鳥瞰」があります。・・・両者の正しい使い分けは分かりません。
 私は『吉林食堂』の初演を見た感想にこんなこと書きました。「これまで、歴史は高いところから鳥瞰することで正しく理解できると思っていた。しかし、舞台を見ているうちに吉林食堂の一家が大好きになり、いつの間にか、その軒先にとまって一家の喜怒哀楽を覗いている、好奇心旺盛なスズメのような気分になった」

 軒先のスズメは、沖縄のオバァ並みに強力な、ひとりのおばあちゃんの人生を通して、多くの歴史を学びました。

2009-01-31

タイヤと草とSPAMと未来


草木も生えないと言われた傷ついた大地を、こんな自然のたくましさが甦らせてきたのだろうか・・・。


数億年の長い時間(とき)の中、地球の鼓動に呼応して、連綿と生命を繋いできた自然とその摂理。
一瞬のうちに大繁殖し、一瞬のうちに地球を壊してしまいかねない存在になった人間とその増長。

こんな場所に生きる寄る辺を見つけた草のたくましさに、微笑む。
こんな場所に責任と倫理と尊厳を捨てた人間の傲慢さに、憤る。

今日のところは自然の力が優勢のようだ。遠からず、この古タイヤも土に還るかもしれない。
これまで、人間の愚行をずいぶんと帳消しにしてきてもらってきたように。

しかし、その関係がいつ、ひっくり返るか分からない。
人間はそれだけの力を手にしてしまった。
人間はそれだけ何かを見失いつつある。
草さえ生えなくなるほどに、人間のタイヤはその轍(わだち)で大地を痛めつけてはいないか。


この先も、自然は今までのように、人間の愚行を帳消しにしてくれるかもしれない。
しかし・・・、その時、地球上に人間は存在していない・・・、かもしれない。


今夜、SPAMの青いラベルを剥がし、分別し、金色の缶だけを金属ゴミの袋に入れた。
ささやかなる、責任と倫理と尊厳の固守、そして、大勢に影響のない、頑ななこだわり。
とりあえず、市役所の分別ルールを、そして、人間を、信じてみる。

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