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2017-04-02



戦世を訪ねて 2008~2016

  
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 一足先に訪れていた訪問者とガイドさん。
 その声を背中で聞きながら、しばし、一人になる時間を待つ。

 ガマを背にし、目の前に生い茂る草木を見る。
 草木の間を縫って流れる水は、チビチリ(尻切れ)の名のとおり、ガマの中へと落ち込むように消えてゆく。
 
 
 ガマに潜み、あの日、生死を分けた人々も、外の光の中に、この情景を見ていたのだろうか。
 ある人は、生きてふたたび。
 ある人は、最期を前に。



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-2015/6/29 チビチリガマ(読谷村 波平)-



2016-07-12

それでも、海と

  
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   いつもにも増して 「成長」という言葉が
   くりかえし くりかえし 聞こえてきた
   ニンゲンの声で

   声高に 絶対の響きをもって
   言いよどむこともなく 深思や観照に立ちどまることもなく
   ニンゲンの我執 教条 信念か

   「分配」という言葉も 時おり混じってはいたが
   分かち合うものはやっぱり どうしても 増やしたいのが
   ニンゲンの道なのか




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   政治と経済と 自己主張は どうしようもなく声高で
   哲学と思索と 分かり合い分かち合う対話は もとより静謐で
   それらがますます 遠ざかり離れていく

   やがて限りのあるこの世界の中で
   いずれ 遠からず いや できるだけ早く もうそろそろ
   足るを知っても いいんじゃないか

   静かに ゆっくり 生きてみれば
   分かち合えるものに満ちていることに
   気がつくんじゃないかな
   こんな朝に海辺を歩く豊穣は だれにでも「分配」されているよ

   そして「成長」は 心の中でも できるはずだよ
   なにも壊すことなく
   競い 争い 奪い合うことなく
  
   これ以上 矢を放つことも アクセルをふかすこともなく 


-2015/6/27 糸満市-



2016-06-21

戦世を訪ねて 2008~2015

   
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-2015/6/26 ギーザバンタ(八重瀬町 安里)-



2016-04-03

それでも、海と

  
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    それぞれの いま それぞれに

    それぞれに また
    明日が来るように



-2015/6/28 読谷村 波平~読谷村 宇座-



2016-04-01

琉球の道

  
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  昨日はこの先の海で、夕日を追いかけた。
  幾筋もの道が西の海辺へと至る、そのうちのどれかを通って。
  海辺に沿う道を、行きつ戻りつして。


  モクマオウの森を抜け、アダンの林を歩いた。
  島サバの足裏に、隆起珊瑚礁を感じた。
  浜のヤドカリと遊んだ。
  釣り人のシルエットにジェラシーを感じた。
  波と雲を染める光の色と、同じ色に染まるのを悦んだ。
  夕餉に天ぷらを買い、さらに、さしみを買うことを考えていた。
  カメラのバッテリーを気にした。
  お墓へとつづく径へ向かって、「ぐぶりーさびたん」とつぶやいた。
  日暮れてなおウージ畑で働く方々と、一日の終わりの笑顔を交わした。
  雲間に消えたはずの夕日がスーパーのガラスを紅に染めるのを見て、
  また夕日を追って、坂道を駆けた。


  忘れていたわけではなかった。
  でも昨日は、昨日の今、目の前のことを旅していた。


  そして今朝も、座喜味のグスクで、美しすぎる夜明けを迎えた。
  「永和の塔」に頭を垂れた、そのすぐに後には、
  朝食に遅れてはならぬと、汗を光らせながら歩を速めた。



  そして、気持ちを今日のこと、今日向き合う、あの日へと、整える。
  そんな出立前のひとときに、穏やかな時が流れる。

  夜のふけるまで語らった方と、朝食をご一緒したのち、今しばらくの語らい。
  朝の光が射すテーブルで、静かに交わす言葉は互いの瀬を越え、深くなる。

  「非業の最期を遂げた亡き人の想い・・・想いのようなものを、
   その土地で、感じることはあるのでしょうか」
  「それは明瞭な言葉として? あるいは言葉にならない声、感情の痕跡?」
   




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  チビチリガマの前に立ち、昨日と同じ海を見る。


  その方が「たしかに、感じる」という想いや声を、
  これまではまだ、受けとめたことがない。
  今日、もう一度、深く耳を澄ましてみようと思う。
  だが、それは聴こえてくるものではなく、より深く寄り添って、
  自分のこととして想像してみる、自らの想いや声なのかもしれない。
  昨日までを大切に想い、明日も生きつづけたいと願う、
  ひとりの人間として。



  海から戦が、やってきた。
  とうとう、やってきた。
  もう、どうしようもなく、本当のことになってしまった。
  もう、どうしようもないのか。
  どうしよう、どうしよう、どうすればいい・・・



  自分の声を聴いてから、ガマへの階段を降りる。
   


-2015/6/29 読谷村 波平-


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