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2010-02-08
旅立ち前の宿想い(前編)
旅支度は楽しくもあり 慌しくもあり
体も動かし 頭も動かし 心は踊り パニパニ♪
これまでの旅路とつながっていたりもするので
これまでの旅路を振り返ったりしているうちに
時間を超えて 時間を忘れて 思い出に浸ってしまったり
しわだらけの地図に刻まれた記憶に 引き込まれたり
地図帳はデイバッグに入れて その日に歩くページのコピーだけを
ポケットに入れたり 手に持ったりして歩くのが 古波蔵流ウチナー歩きスタイル
そんな地図のコピーには あれこれと書き込みがあって
出発前に書き込んで行ったもの 道中で書き加えたもの
いつ書いたか分からないもの 汗で滲んで読めないもの
次に訪ねる目的地への目印となる 「金城商店」の場所を記した地図は
次に訪ねた時に大いに役に立ち その場所を教えてくださった方のことを思い出した
南部戦跡を巡った時の大切な書き込みを残した地図は
後日 自宅へ 糸満の居酒屋さんから郵便で届いた
泥酔客の忘れ物 「まんた」さん お手数をおかけいたしました
山城〇〇さん 忠孝好き 自宅で古酒作り 娘さんの結婚祝
そんなメモの残る地図・・・・?
思い出した!
あの日 偶然にも一日に二回 乗り合わせたバスの運転手さんとの「ゆんたく要旨」!
そこまでメモするか・・・・・・
さてさて なかゆくいばかりの旅支度の そのまた なかゆっくい
生きていくために必要な旅支度は 出発の前の晩になって
きっと あわてぃーはーてぃー だはず
今はまだ 頭の中で旅に遊び 旅に学ぶ時間
町へ出る前の準備の時 書を捨てるにはまだ早い
ケータイを持たない中年原始人は
家から一歩外に出るとワラバー原始人
予習 予習で 文明社会を歩いていく
さてと
これまでお世話になったり これからもお世話になる
懐かしい宿の写真を眺めたりしつつ
まずは 散らかった頭の中や 散らかった我が家を
よんなーよんなー 片づけましょうねぇ

沖縄で一番 「緑」が多い宿かも? 「緑」は今年で樹齢38年

目の前が元祖「沖縄の玄関口」 那覇港 今回はここから 憧れの船旅です 本部港までですが

一日の終わりにこの光を眺めて あとは飲みに行くだけ という至福の時間

梅雨時の雨の朝も 宿主さん心尽くしのこんな花が さわやかにお見送りしてくれます

長く滞在すると散らかります あらん 散らかします やしが 汚しません これ旅人の矜持
-Special Thanks-
民宿グリーンハウスさん(那覇市)
2010-02-05
宜野湾の朝青龍

南方の樹が 北風と太陽の中で踊る 台風と違い 乾いた青空の下で 真冬の福岡
太陽のような男が 北風のように去っていった
太陽のような温かい赦しを受けられず 北風が吹きつけるような厳しい裁きを受けた
北風が太陽に勝った あの童話とは逆に
21インチのブラウン管テレビで見る、土俵の上の朝青龍が好きだった。
豪放な格闘家として好きだった。奔放な人間として好きだった。
華麗にして力強い、闘争心溢れる勝負が、ただただ、爽快だった。
型にはまらない感情表現が、痛快だった
正と邪、善と悪、美と醜、ましてや、相撲道や「品格」を論ずるつもりはないし、
その資格もないと自覚している。
それらは、有識者や、評論家や、好事家や、道徳家や、マスコミに任せておく。
巷間漏れ聞こえてくる、土俵外の朝青龍には興味はなかった。
それらは、ワイドショーや、週刊誌や、スポーツ新聞に任せておいた。
という、好き勝手な言い分である。
こういう相撲ファンや取り巻きこそが、彼を「増長」させてしまった、
そんな論調が多数を占め、歴史の評価として定まっていくのだろうか。
だが、ひとつだけ。
もし、最後の暴力事件が「事実」であるならば、
朝青龍を愛する私としても、ここに至った結末に異論はない。
それなりの地位にある社会人であれば、だれでも同じ顛末となって然る事案と考える。
私なりの正と邪、善と悪、美と醜の感覚に当てはめてみても。
ただ、それはあくまでも、「もし」の話であって、
「真実」が何であったのかは、土俵外の朝青龍に興味のなかった私には、
やはり、わからない。
「本場所中に、それも未明まで、人目に付くところで飲んでちゃだめだろう」
私の中の、そして、私が横綱に求める「品格」とは、その程度のものだ。
これまでの「不祥事」とされてきた数々のお騒がせは、他者を傷つけなかったという限りにおいて、
私の中では豪放磊落、自由奔放の枠内に収まる話として記憶される。
そして、
「人間らしい、たくさんの無様な姿も見せてくれて、ありがとう」
日本の国技。
その頂点を極めた者に求められる「品格」。
日本の国技である大相撲が、今の日本の写し鏡だとするならば、
数々の不祥事や、旧態然としたしがらみが白日の下に出てきている昨今の相撲界は、
まことにもって同時代性を帯びた、ありのままをあからさまに見せてくれる世界だと思う。
一方で、横綱審議委員会が錦の御旗とする「品格」なるものは、
偶像化された横綱にとどまらず、相撲界で続発する不祥事や、時代遅れとなった慣習に対して、
現実的な「規範」として機能してこそ、その存在意義があると思う。いや、機能せねばならない。
理念だけを声高に叫んで、現実から遊離している観念では意味がない。
正と邪、善と悪、美と醜を包含する現実を直視して。
現実とがっぷり四つに組んで。
相撲界は今回、より深い懐を持ち、生身の人間をありのままを直視した、
そんな「品格」像を描いていく試金石となりうる、
多面性を発露しつづけた稀有な原石を失ったように思う。

朝青龍の写真が、たった一枚だけ、手元にある。
宜野湾市の佐真下公園で、偶然に撮影した。
三場所ぶりに出場した初場所で復活優勝し、物議を醸した、例のガッツポーズのシーン。
撮影したのは昨年の2月の終わりのことだった。
場所も、時間も、まったく見当違いな場面に突如、朝青龍が現れたことに、
唖然とし、やがて、失笑したことをはっきりと覚えている。
だからこそ、
沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落現場と、嘉数高台との間を歩いた道程の記録の中に、
こんな写真が一枚、紛れ込んでいる。
繰り返しになるが、ここは、宜野湾市の佐真下公園の、少し高台になった展望台である。
地図の上では、普天間飛行場に隣接しているように見える。
しかし、展望台とは名ばかりで、繁茂した木々の葉に隠れて、
基地の中は何も見えず、ただ、静まり返ったゲートが見下ろせるだけ。
そんな場所に、スポーツ新聞の一面をコピーしたらしき、大仰な活字に覆われた朝青龍と、
何が書いてあったか記憶に残っていない大学ノートのコピーが、無造作に放り出されている。
初場所の千秋楽から、一ヶ月以上が過ぎた日に。
誰が、何の意図をもって?
単なる忘れ物?
心ないゴミ?

今になって、こんなことを考える。
相撲界の、国技の、錦の御旗である「品格」は、
結局、朝青龍という「現実」を制御できなかった。
日本の国是である平和憲法は、この目の前の、
基地という「現実」とどう向き合えばいいのか。
さらに、基地問題の向こうには、いや、もっと身近に、
正と邪、善と悪、美と醜を包含する「現実」と対峙していない、
ゆえに、「現実」への感度が鈍ってしまった理念だけの平和、観念だけの平和が、
実体のない「平和国家」の危うさが見えるような気がする。
もっと明快に、自分の言葉で、その意図するところを述べられるようにならねばならないのだが。
もちろん・・・
暴力による解決という立場に対しては、私は、朝青龍の結末に向き合ったのと同じ態度で臨む。
(朝青龍がもしも、本当に手を出したのであれば、であるが・・・)
(本当はこの写真、晴れやかな引退の時に使いたかった・・・)
-2009. 2.28 宜野湾市-
2010-02-03
私は阪神ファンなのですが・・・
あえて、中日ドラゴンズのキャンプ情報をお届けします。
一年前の沖縄から。
あの球場の、スコアボードのセンターポールに、
平和な春の陽射しの下、「中日」の球団旗が翻っていたり。
あいえな~!ドラゴンズは北谷にいるんじゃなかったの?
というか、別にドラゴンズを見に来たわけではなかったのですが。
そういえば、トリイゲートの近くに、
「歓迎!中日ドラゴンズ御一行様」、なんていう立看板があったっけ。
村を挙げて、「ちばりよ~」モードだったり。
なるほど、二軍は読谷村にいたわけか。
読谷平和の森球場。
選手たちは、その歴史を知ってか知らずか。
私は、この球場を見に来たのでした。
あの、日本シリーズの準・完全試合男、山井投手が目の前にいたり。
さすがに、しかみます。
「くぬひゃ~、たっくる・・・」、などというのは封印です。
雌雄を争った恩讐を超えて、興奮を覚えます。
一野球ファンとして、尊敬の眼差しです。
巨人以外は、それほど嫌いじゃありません。
-2009. 2.24 読谷村-
NHK「ニュースウォッチ9」恒例、
いっちー、いや、一柳亜矢子アナウンサーの、
プロ野球キャンプ地訪問が今週から始まっています。
今日から沖縄入りです。
( 一緒に行きたかった・・・ いや、一目、会いたかった・・・ いや、何でもないです )
今日は、北谷公園野球場で中日キャンプの取材でした。
( くそ~、やな森野~、そんなに近くでしゃべりやがって・・・、いや、何でもないです )

読谷平和の森球場の、そのまた一年前、
北谷公園野球場の、こんな表情も見ました。
ひどい雨の日でした。
前半に、おバカなどぅ~ちゅいむに~を書いた後なので、
私がその日、何のためにここにいたのか、
球場前広場でその日、何が行われていたのかについては、
また、日をあらためて書きます。
しかし、その日付と、涙雨をご記憶の方も多いかと存じます。
-2008. 3.23 北谷町-
そして、今年。
間もなく、またまた沖縄におじゃまします。
伊江島に4日ほど滞在し、名護、辺野古、勝連、コザを回って、那覇へ入る予定です。
宜野座の、阪神タイガースのキャンプ地の近くも通るのですが、
今回は迷うことなく、辺野古を選びました。
2010-02-02
いまだ出会えぬポーポー
はいさい、あんまー。
ポーポー、いただきましょうねぇ。
なんだかんだで、毎回、おじゃましている糸満のまちぐゎー(公設市場)。
大好きなんです。
もう、常連気分で、心もうきうきしています。
ここへ来るだけで、まちぐゎーに集う皆さんの元気まで、シーブンしていただけるようで。
あ、余談ですが、
一昨年の春、右側に写っているような「てびち」のパックを、「てびち」が大好きな私は、
「糸満で三泊するから、食べきれるだろう」という甘い考えで買って、宿に持ち帰りました。
糸満を発つ朝は、「てびち」だけで満腹になるという、涙が出るほど幸せな朝食でした。
水と野菜ジュース以外は見たくもないという、ひどい二日酔いだったにもかかわらず。
門中、あらん、ファミリー・サイズの量でしたが、完食。

そうそう、昨年11月のこの旅行では、初めて、とぅじを連れて行ったのでした。
「琉球ガラス村」へ行く前に、糸満のまちぐゎーにも立ち寄るというプランで。
大成功でした。
「私が旅先で食べたものの中で、十本の指に入るすばらしい美味!」と、
とぅじは、糸満名物の「ばくだんカマボコ」に歓喜し、大絶賛。
まあ、四十年生きてきた貴女さまに言われると、
私まで褒められているような気分で、うれしくなるっていうもんです。
その「ばくだんカマボコ」を売っておられる「西南門小かまぼこ屋」のお母さんからは、
「あらぁ、あなた、独り者じゃなかったの~?」などというお言葉も。
まあ、いつも、私一人で来ておりましたので。
それでも、顔を覚えていていただけるというのは、本当にうれしいものです。
あ、それで、ここはどこかと申しますと・・・

糸満市のお隣、豊見城市にあります、「アウトレットモールあしびなー」のテラスです。
この季節は北風が強いからなのか、
南方向から那覇空港へ着陸する飛行機が間近に見えたりします。
こんな、心地よい青空の下のテーブルで、ポーポーをいただくことに。
すみません。場所をお借りしました。
あ、とぅじはこの時、別行動。ショッピング中でございます。
ちなみに私、ポーポーは初体験でした。
どんな食べ物であるのかは、本などで見知ってはいたものの、
手にするのも、口にするのも、実は初めてでした。
そして、感激の瞬間。
ところが、手にする前に、
思いもかけぬものを目にしてしまいました。

「名称:焼き菓子(ひらやーちー)」というラベル。
えっ?
ヒラヤーチーといえば何度も食べたことがありますが。
小麦粉に、ニラや、変わったところではスヌイなどを入れて、
薄くふんわり焼いた、おやつにも、酒の肴にも上等な、あのヒラヤーチー、ですか?
いや、しかし。
たしかに、原材料の記載を見ると、肉とも味噌とも書いていません。
何が何だか分からぬまま口にしてみると・・・
いやいや、これがまた、なんとも、これまた、でーじまーさん!
たしかに、これはヒラヤーチーでした。
ニラも入っているし、中に具材を包んでいるわけでもないし。
しかし、この美味さの正体は一体なんなのか。
ためつすがめつし、また、よく噛みしめて。
どうも、この美味さの中で主役級の働きをしているのはソースのようなのです。
かすかな酸味を感じるのは、ケチャップも加えてあるのか。
そのソースを巻き込むように、ヒラヤーチーを丸めると、こんな感じになるのでしょう。
いや、しかし、美味しい!
数時間前に、ポーポーだと思い込んで買ったものが、実はヒラヤーチーだった。
しかし、これもまた、まちぐゎーでの新たな思い出になりました。
決して、あんまーが間違ったものをお売りになったわけではありません。
がんじゅーなあんまーが多いまちぐゎーの中でも、とりわけご年配のあんまーでしたので、
私の言葉が聴き取りにくかったのかもしれません。
というよりも、私が勝手に、ほいほいと手に取って、喜々として買っていったがために、
起こった勘違いなのです。
それに、ポーポーとヒラヤーチーの区別もつかずに買い求めるようなお客などというものは、
そもそも、あんまーの「接客マニュアル」には、失礼、まちぐゎーのお買い物の作法には、
想定されていないのかもしれませんね。
常連気分で調子に乗っている旅人と、本当の常連さん。
旅人はやはり、謙虚にして、かつ、非日常の中で起こる予想外のことを喜びと受け止める、
そんな心持ちでいる必要があるのだと思います。
そうすると旅は格段に楽しくなります。
さてさて、そんなわけで、思いもかけぬ形で出会った「ポーポー型ヒラヤーチー」、
私が一本目で悟りを開き、恍惚と二本目と食し終えたところで、とぅじが戻ってまいりました。
私の、最後の三本目を食べるという愉悦と、
「原材料名:調味料」の、その「調味料」の調合を突きとめるという目論見は、
とぅじの笑顔と引きかえに、見果てぬ夢に終わりました。
・・・チンビンも買っておけばよかった。
-2009.11.28-
2010-01-31
高速道の下を歩いたり

「那覇空港自動車道が、たしか、今日から無料になったようですな」
「あ、はあ・・・、下に見えているのは、あれは高速道路ですか」
直前に、黄金森の展望台でお会いした方と交わした会話。
沖縄ではハンドルを握らない私は、それ以上の受け答えができない。
それどころか、その丘の麓から、約一年前に同じ景色を眺めた時に、
あれ?高速道はあったかな?などと思案する。
それでも、一年前から使っている地図に、その高速道は確かに載っているし、
今日、日も暮れかかった中、サトウキビ畑の中を、
喜屋武を目指して歩く時のランドマークになっている。
ということで、ある意味、高速道のお世話にはなっている。
いや、しかし・・・
地図のとおり歩いていれば、喜屋武の交差点に着いていれば、
高速道の、こんな真下に出るはずはないのだが・・・。
もうひとつのランドマークにしていたファミリーマートの灯りが、
高速道の高架に沿って真っすぐ延びる道の彼方に、一瞬、理解不能に陥った場所に、
ずいぶんと遠くに、サトウキビ畑のずっと向こうに、小さく光っているのが見える。
360度、私の身体と一緒に回転した地図は、ここが宮平という場所であることを告げる。
自分の居場所が分かる。自分の失敗が分かる。自分のロスタイムが分かる。
まあ、いつものこと。のんびり楽しく、知らない道を明るい気分で。
でも、明るいうちに、喜屋武までたどり着こう。

そういえば、昨年の11月、初めてのとぅじとの沖縄旅行で、
実は初めてハンドルを握って、この辺りの高速道を走ったのでした。
小禄から名嘉地ICまでの道で迷子になったりしつつ。
「左手に小高い丘が見えるでしょ。あそこは・・・」
南風原南ICを過ぎて、一瞬だけ、脇見をした私は、
その後、西原ICを過ぎるあたりまでずっと、とぅじに語りつづけたのでした。
黄金森の60余年前のことを。
2008年の春のことを、2009年の春のことを。
-2009. 3. 1 南風原町-
P.S.
きっちゃきさん
こんな感じで黄金森の高架下を歩きました。迷子でした。
♪夕暮れ時のさびしさに~ (たま)
マル金さん
2月の中~下旬・・・、もう間もなくですね、沖縄へおじゃまいたします!
新しくなった文化センターにも伺います。

Kohagura Erio
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沖縄旅チャンプルー記
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