沖縄の宿泊施設情報や観光情報満載!おきなわBBホテル&インズ
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2014-07-11



究極の沖縄的サイト

  おくやみサイト
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沖縄の2新聞には告別式のお知らせが載る
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県民は 親類 縁者のお知らせを朝刊で確認する
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なので ごく一般的に利用されている

情報は 住所 本籍  やー名(屋号)

家族名 孫 親族名 友人代表 区長

職場関係 などなど人間関係が多岐にわたる

長寿を尊ぶ県らしく 長命で後本懐されたかたの時は

華々しいほどである。

家よりも墓を先に作る心得の現われか?










長命なかたの広告は どうだ









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category地域情報  time11:18

2013-12-10

大正時代完成のトンネル、運天字史に(今帰仁・沖縄)

大正時代完成のトンネル、運天字史に
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かつては多くの人々が行き交い、にぎわいをみせていた。「
昔は遠足で見に来る子どもたちもいた」と振り返る高田智子区長=今帰仁村運天の通称「ジブ」

 【今帰仁】
平安時代末期の武将、源為朝の上陸伝説がある運天区では現在、字史の編さんに取り組んでいる。戦前の大正時代に造られた「運天トンネル」も盛り込む予定で、古宇利大橋や臨海道路の開通で往時のにぎわいはないが、地域の遺産として重視する人も少なくない。

 「私とトンネルは同じ年齢ですよ。子どもたちもトンネルに愛着があるみたいです。大正13年です」と話すのは運天区の松田香代さん(90)。トンネルのそばに住む松田さんは「このトンネルは多くの観光客などでにぎわっていた。今はあまり人も車も通りません」と寂しげだ。

 運天トンネルは長さ17・5メートル、幅5メートル、高さ4メートルで1924年に古宇利島への渡し舟の接岸場所だった運天港へ抜ける道として造られた。陸上輸送が盛んになる時期に、トンネルも大きな役割を果たしたという。

 同区「ムラウチ」で50年、商店を営む上間正伸さん(80)も「昔はとてもにぎやかで、桟橋駐車場は車でいっぱいでした」と述懐。高田智子区長(53)も「遠足でトンネルを見学する子どもたちもいたそうです。私も小さい頃、ハーリーを見に港へ行きました」と振り返る。

 かつては、臨海道路ができるまで路線バスがトンネルを通過。朝1番のバスは古宇利からの客や高校生で満員だったという。戦後、米軍の駐留時代はトンネルに鎖が掛けられ、ムラウチに一時期、入れなかったこともあった。

 現在、トンネルの手前から「運天散策道」があり、展望台から古宇利島や大橋、屋我地島、ワルミ大橋などが絶景が広がる。

 時代を見つめてきたトンネルも含め、同区では字史編さんに取り組んでおり、高田区長は「トンネルは定期的に清掃をしています。きれいな運天トンネルも見てほしいです」と地域の遺産として活用する考えだ。

(玉城学通信員)


沖縄タイムス
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category地域情報  time10:30

2013-12-07

キャラ「たらぴん」です (多良間村、沖縄)

「たらぴん」です 多良間村、100周年で公式キャラ
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多良間村のイメージキャラクターに決まった「たらぴん」
(仮)(多良間村提供)

 【多良間】
多良間村(伊良皆光夫村長)のイメージキャラクター「たらぴん」(仮)が、11月28日の村制100周年記念祝賀会でお披露目された。

 キャラクターは10月1日から1カ月間公募し、応募計41点の中から、宮古島市の松本美紀子さんの作品が選ばれた。

 たらぴんは子ヤギの男の子で、琉球王朝時代に宮古圏を治めた豊見親(とぅゆみや)の格好をして遊んでいる。多良間島の特産品である黒糖が大好きで、手にはサトウキビを持っている。

 将来の夢は立派なひげを生やし、国の重要無形民俗文化財に指定されている多良間村の豊年祭「八月踊り」で豊見親役を演じることだという。

 村によると、松本さんは「数年前に八月踊りを見て感動した。大人から子どもに芸能がきちんと伝承されることは素晴らしいことだ。キャラクターに決まりうれしい」と話しているという。

 同時に記念モニュメントも発表され、同じく松本さんがデザインした「海亀の見る夢」が選ばれた。どちらも名前やデザインを微調整する可能性があるとしている。


  琉球新報
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category地域情報  time14:04

やっぱり土はいい 「太陽」、(沖縄)

やっぱり土はいい 
通所介護施設「太陽」、畑借り作業

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農作業を楽しむお年寄りら=3日、糸満市座波

 【糸満】
那覇市小禄の通所介護施設「デイサービスセンター太陽(てぃーだ)」(森和亜希所長)はこのほど、リハビリメニューに農作業を取り入れるため、糸満市座波に小さな畑を借りた。
施設内のトレーニングマシンを使ったリハビリでは単調で、意欲的に取り組むお年寄りは少ないため、80代のお年寄りらが週1~2回、野外で土に触れながら体を動かしている。

 楽しみながらリハビリに取り組めるよう、4月から約30平方メートルの畑を年間5千円で借りた。

 お年寄りたちはスコップで畑を耕したり、水をまく農作業をするようになって、足腰が強くなった人もいるという。

 3日、約10人のお年寄りが、タマネギを植えた。友利ヒデさん(86)=那覇市=は「大きくなり収穫して食べるのが楽しみ」とにっこり。島袋勇さん(83)は車いすに乗りながらスコップを握る。「土に触れる機会は少ないので、とても楽しい。こういった取り組みが他の施設にも広がってほしい」と笑顔で話した。


  琉球新報
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category地域情報  time13:57

2013-12-05

大型水車が完成 花と水の里・喜瀬武原(沖縄)

大型水車が完成 花と水の里・喜瀬武原の顔
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地域のシンボルとして活用される水車の完成を喜ぶ子どもたち=1日、恩納村喜瀬武原

 【恩納】
「花と水の里」を掲げる恩納村喜瀬武原区(伊差川盛作区長)で1日、地域のシンボルとなる水車の通水式が同区公民館前で行われた。1999年に初代の水車が完成し、今回で3代目となる。直径4メートルと2メートルの2台があり、区内の広場に展示される。通水式に合わせ、区の将来像を描く「第2次基本計画」の中間報告会も開かれ、地域のシンボルを活用したまちづくりの方向性が示された。

 通水式では児童生徒がくす玉を割り、完成を祝った。
水車は97年に議論が始まった第1次喜瀬武原区基本計画の事業として位置付けられた。江戸時代からの製造技術を継承する、岐阜県在住の水車大工・樋田重良さんに技術指導を受け、区民が手作りした。

 99年に完成した基本計画は喜瀬武原区独自に地域の将来像を描いているが、10年以上経過し、現状に合った内容に改善するため1年前から第2次計画策定に着手した。

 中間報告会では策定委員長の外間清志さんが1次計画で示さ
れた36事業のうち16事業が完了(達成率44%)したことなどを報告。新たな計画などに理解を求めた。

 外間さんは「将来の喜瀬武原がどうあるべきかの道しるべとし
て区民の理解を得たい」と話した。


   琉球新報
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category地域情報  time12:24

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