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2013-03-21
希望胸に巣立つ 小学校で卒業式(沖縄)
希望胸に巣立つ 小学校163校で卒業式

卒業証書を受け取る南風原小学校の卒業生
=21日、南風原町の同校
県内の公立小学校273校の約6割に当たる163校で21日、卒業式が行われた。南風原町立南風原小学校(本仲範男校長)では、6年生119人が恩師や保護者に見守られながら、新たな希望を胸に思い出の詰まった学びやを巣立った。
卒業生たちは壇上で一人ずつ将来の夢を発表し、晴れやかな表情で卒業証書を受け取った。本仲校長は「中学校では自分の夢や希望に向かい、途中で諦めず、可能性を信じて将来なりたい自分を広げてほしい」と激励した。
県内では10日から公立小学校の卒業式が始まり、この日がピーク。24日までに約1万6千人が卒業する。
【琉球新報電子版】

卒業証書を受け取る南風原小学校の卒業生
=21日、南風原町の同校
県内の公立小学校273校の約6割に当たる163校で21日、卒業式が行われた。南風原町立南風原小学校(本仲範男校長)では、6年生119人が恩師や保護者に見守られながら、新たな希望を胸に思い出の詰まった学びやを巣立った。
卒業生たちは壇上で一人ずつ将来の夢を発表し、晴れやかな表情で卒業証書を受け取った。本仲校長は「中学校では自分の夢や希望に向かい、途中で諦めず、可能性を信じて将来なりたい自分を広げてほしい」と激励した。
県内では10日から公立小学校の卒業式が始まり、この日がピーク。24日までに約1万6千人が卒業する。
【琉球新報電子版】
MESH、4月10日めどに再開へ(OKINAWA)
MESH、4月10日めどに再開へ
【名護】
NPO法人メッシュ・サポートの小濱正博理事長は20日、名護市のヘリポートで会見し、4月10日をめどに救急ヘリの運行を再開すると発表した。資金難のため2011年11月から運休していたが、ヘリをリースして民間会社に運行委託することなどでコスト減をはかり、再開にこぎ着けた。
運行資金は約7千万円。小濱理事長は会見で、「北部は医療過疎地域の上、観光客も多い。ヘリ救急で助かる人もいる。意義のあること」と語った。
沖縄タイムス
【名護】
NPO法人メッシュ・サポートの小濱正博理事長は20日、名護市のヘリポートで会見し、4月10日をめどに救急ヘリの運行を再開すると発表した。資金難のため2011年11月から運休していたが、ヘリをリースして民間会社に運行委託することなどでコスト減をはかり、再開にこぎ着けた。
運行資金は約7千万円。小濱理事長は会見で、「北部は医療過疎地域の上、観光客も多い。ヘリ救急で助かる人もいる。意義のあること」と語った。
沖縄タイムス
カンムリワシの事故多発 (石垣・沖縄)
カンムリワシの事故多発 石垣

交通事故で保護されたカンムリワシ
=1月、石垣市(環境省石垣自然保護官事務所提供)
今月7日にオープンした石垣島の新石垣空港(愛称・南ぬ島ぱいぬしま石垣空港)のマスコット「ぱいーぐる」のモチーフとなったカンムリワシが車にひかれて死ぬ事故が、今年に入り多発、開港に沸く島民らを心配させている。
環境省石垣自然保護官事務所によると、カンムリワシは国の特別天然記念物で石垣島と西表島にだけ生息。2011年度調査では推定約200羽で、以前から絶滅が危ぶまれていた。
昨年は計12件だった両島の事故件数は、今年は既に9件に達し、7羽が死んだ。車にひかれたカエルなどを食べようと道路に出て、はねられるケースが多いという。
新空港が開港し、レンタカーで島を回る観光客が増えそうなだけに、同事務所の本田師久自然保護官は「カンムリワシに気を付けて安全運転を」と呼び掛けている。(共同通信)
沖縄タイムス

交通事故で保護されたカンムリワシ
=1月、石垣市(環境省石垣自然保護官事務所提供)
今月7日にオープンした石垣島の新石垣空港(愛称・南ぬ島ぱいぬしま石垣空港)のマスコット「ぱいーぐる」のモチーフとなったカンムリワシが車にひかれて死ぬ事故が、今年に入り多発、開港に沸く島民らを心配させている。
環境省石垣自然保護官事務所によると、カンムリワシは国の特別天然記念物で石垣島と西表島にだけ生息。2011年度調査では推定約200羽で、以前から絶滅が危ぶまれていた。
昨年は計12件だった両島の事故件数は、今年は既に9件に達し、7羽が死んだ。車にひかれたカエルなどを食べようと道路に出て、はねられるケースが多いという。
新空港が開港し、レンタカーで島を回る観光客が増えそうなだけに、同事務所の本田師久自然保護官は「カンムリワシに気を付けて安全運転を」と呼び掛けている。(共同通信)
沖縄タイムス
巨大イソマグロ (渡名喜・沖縄)
渡名喜沖で巨大イソマグロ

3月10日、渡名喜沖のジギングで50キロ
のイソマグロを釣った金子佳貴さん
3月9、10日の1泊2日の船中泊で、渡名喜沖へジギング遠征。9日午前5時に北谷町浜川漁港を出船、渡名喜沖でジギング開始。初日は5キロのアカジン、7キロのカースビーや、ウムナガー、ナガジューミーバイ、カイワリ等が大漁した。
夜は魚の活性が低かったので、船上で夕食後は早めに就寝。翌日は午前7時から釣りを開始した。この日は大物を狙おうと、深場を攻めていると、午前8時に金子佳貴さんの竿と、もう1人の竿にモンスター級の魚がダブルヒット。ファーストランで100メートルもラインを引き出された。ほかの1人のラインはラインブレーク。

3月11日、石垣サザンゲートで130センチ、27.5キロ
のロウニンアジを釣った波照間清人さん(大中釣り同好会)
金子さんもPE2・5号、リーダーは14号なので無理はできない。巻いては出されを繰り返し、頑張ったが、途中ギブアップで上村さん、戸山さんと三人リレーでファイト。45分後に上がったのは50キロの巨大イソマグロだった。今回の遠征ではトータル200キロを超す釣果と大漁だった。
釣船ゆりか(荻堂竜治船長)
090・7389・9307

3月12日、伊江島で43.6センチ、1.12キロ
の尾長グレを釣った小浜竜太さん

3月15日、浜田漁港で38.3センチ、1.36キロ
の石垣鯛を釣った前門大之さん

3月10日、津堅沖で1.25メートル、23.4キロ
のカンパチを釣った新門正志さん

3月16日、北部海岸のカヤックフィッシングで51センチ、
1.64キロのタマンと50センチ、2.4キロのマクブ
を釣った小笠原正二さん

3月13日、宜名真磯で40センチ、0.7キロのミーバイ
ほかアーガイ35センチと32センチを釣った渡慶次ノリ子さん

3月10日、宮城島で70センチ、5.18キロのタマン
を釣った當銘由春さん(珍福会)

3月10日 屋我地漁港で41.5センチ、0.8キロ
ほかを釣った名嘉山兼輝君と兼龍君

3月14日、小浜島で61センチ、4.5キロのマクブ
を釣った小南梨沙さん
(おきなわ釣王国社・仲栄真修)
琉球新報

3月10日、渡名喜沖のジギングで50キロ
のイソマグロを釣った金子佳貴さん
3月9、10日の1泊2日の船中泊で、渡名喜沖へジギング遠征。9日午前5時に北谷町浜川漁港を出船、渡名喜沖でジギング開始。初日は5キロのアカジン、7キロのカースビーや、ウムナガー、ナガジューミーバイ、カイワリ等が大漁した。
夜は魚の活性が低かったので、船上で夕食後は早めに就寝。翌日は午前7時から釣りを開始した。この日は大物を狙おうと、深場を攻めていると、午前8時に金子佳貴さんの竿と、もう1人の竿にモンスター級の魚がダブルヒット。ファーストランで100メートルもラインを引き出された。ほかの1人のラインはラインブレーク。

3月11日、石垣サザンゲートで130センチ、27.5キロ
のロウニンアジを釣った波照間清人さん(大中釣り同好会)
金子さんもPE2・5号、リーダーは14号なので無理はできない。巻いては出されを繰り返し、頑張ったが、途中ギブアップで上村さん、戸山さんと三人リレーでファイト。45分後に上がったのは50キロの巨大イソマグロだった。今回の遠征ではトータル200キロを超す釣果と大漁だった。
釣船ゆりか(荻堂竜治船長)
090・7389・9307

3月12日、伊江島で43.6センチ、1.12キロ
の尾長グレを釣った小浜竜太さん

3月15日、浜田漁港で38.3センチ、1.36キロ
の石垣鯛を釣った前門大之さん

3月10日、津堅沖で1.25メートル、23.4キロ
のカンパチを釣った新門正志さん

3月16日、北部海岸のカヤックフィッシングで51センチ、
1.64キロのタマンと50センチ、2.4キロのマクブ
を釣った小笠原正二さん

3月13日、宜名真磯で40センチ、0.7キロのミーバイ
ほかアーガイ35センチと32センチを釣った渡慶次ノリ子さん

3月10日、宮城島で70センチ、5.18キロのタマン
を釣った當銘由春さん(珍福会)

3月10日 屋我地漁港で41.5センチ、0.8キロ
ほかを釣った名嘉山兼輝君と兼龍君

3月14日、小浜島で61センチ、4.5キロのマクブ
を釣った小南梨沙さん
(おきなわ釣王国社・仲栄真修)
琉球新報
「主権回復の日」に異議 (OKINAWA)
「主権回復の日」に異議 県内有識者、100人委発足
会の発足と今後の活動について話し合う呼び掛け人ら
=19日、那覇市西の沖縄国際平和研究所
米軍基地問題や尖閣諸島問題など、沖縄が抱えるさまざまな課題の解決を目的に、県内のあらゆる分野の大学人や有識者が結集し、問題の検証や政策提言を実施する「沖縄の平和創造と人間の尊厳の回復を求める100人委員会」が19日、発足した。最初の活動として政府が4月28日に開催する「主権回復の日」に向け、異議を唱える声明を出す。
同時並行して賛同者を増やし、4月27日にも1回目の総会を開催する予定。
発足に向けては、呼び掛け人として大田昌秀元知事(琉大名誉教授)や石原昌家沖国大名誉教授、比屋根照夫琉大名誉教授、上里賢一琉大名誉教授、高良鉄美琉大教授ら約10人の有志が準備会を開催。19日に那覇市西の沖縄国際平和研究所で開かれた3回目の準備会の会合で、趣意書と今後の具体的活動内容をまとめ、正式な発足とした。
趣意書は、戦後の米軍統治下から復帰後も一貫して県民の人権が踏みにじられてきた実態に触れ、「沖縄の平和創造、住民が被っている不平等、不公正の是正、基本的人権と尊厳の回復を追求し(中略)尖閣諸島問題を含む沖縄の諸課題にどう対処すべきか、あらゆる分野の人たちの英知を結集し、総点検と政策提言を行う」とまとめている。
呼び掛け人の1人、高良教授は「沖縄の現状は、国の圧力を受け、県民の意思と裏腹に不公平、不公正なことが強制されている。いろいろな力、エネルギーを束ね、沖縄の自己決定、自立に向けて発信したい」と会発足の意義を語った。
琉球新報

会の発足と今後の活動について話し合う呼び掛け人ら
=19日、那覇市西の沖縄国際平和研究所
米軍基地問題や尖閣諸島問題など、沖縄が抱えるさまざまな課題の解決を目的に、県内のあらゆる分野の大学人や有識者が結集し、問題の検証や政策提言を実施する「沖縄の平和創造と人間の尊厳の回復を求める100人委員会」が19日、発足した。最初の活動として政府が4月28日に開催する「主権回復の日」に向け、異議を唱える声明を出す。
同時並行して賛同者を増やし、4月27日にも1回目の総会を開催する予定。
発足に向けては、呼び掛け人として大田昌秀元知事(琉大名誉教授)や石原昌家沖国大名誉教授、比屋根照夫琉大名誉教授、上里賢一琉大名誉教授、高良鉄美琉大教授ら約10人の有志が準備会を開催。19日に那覇市西の沖縄国際平和研究所で開かれた3回目の準備会の会合で、趣意書と今後の具体的活動内容をまとめ、正式な発足とした。
趣意書は、戦後の米軍統治下から復帰後も一貫して県民の人権が踏みにじられてきた実態に触れ、「沖縄の平和創造、住民が被っている不平等、不公正の是正、基本的人権と尊厳の回復を追求し(中略)尖閣諸島問題を含む沖縄の諸課題にどう対処すべきか、あらゆる分野の人たちの英知を結集し、総点検と政策提言を行う」とまとめている。
呼び掛け人の1人、高良教授は「沖縄の現状は、国の圧力を受け、県民の意思と裏腹に不公平、不公正なことが強制されている。いろいろな力、エネルギーを束ね、沖縄の自己決定、自立に向けて発信したい」と会発足の意義を語った。
琉球新報
開校は戦前? 中城小北上原分校、(沖縄)
開校は戦前? 中城小北上原分校、22日閉校

22日に閉校する中城小学校北上原分校。
戦前に同校へ通ったという米須清春さん(後列右端)も
在校生とともに笑顔=同校
【中城】村立中城小学校北上原分校が22日、長い歴史に幕を閉じる。同校が開校したのは、記録上は戦後の1956年とされるが、少なくとも23年から存在したという証言もあり、戦前から分校として機能していた可能性が高い。
聞き取り調査をした分校出身という米須清春さん(77)は
「自分たちが学んだ学校がなくなるのは、さみしい」と、しみじみ語った。
米須さんは北上原分校が統合される中城南小学校の新設に向けた説明会で、分校が設立されたのが56年となっていることを聞き、驚いた。「戦前、私たちが学んだはずの学校の記録がない」
村内にある津覇小学校南上原分校については12年から記録が残っている一方、北上原分校は学校の記念誌や村史にも戦前の記録は残っていない。米須さんは地域で聞き取り調査を開始。96歳を最高齢に、多くの人からの証言が得られ、少なくとも23年から「分校」が存在したことが分かった。沖縄戦の影響で、44年から12年間の「中断」を経て、56年に再開されたと考えられるという。
本校のある海側の地域と、分校の置かれている村北上原との高低差は100メートル以上。当時は道路も整備されておらず、低学年の子は通学が困難で、米須さんの時代は1年生は分校へ通った。
米須さんは「2年から本校に通ったけど、雨が降るとすべり落ちながら登校した。分校がないと1年の時は学校に行けなかったね」と苦笑い。学校が統廃合されることについては、「いつまでも“へき地”であってほしくないし、時代の流れで仕方ない。でもやっぱり、さみしいですね」と話した。
沖縄タイムス

22日に閉校する中城小学校北上原分校。
戦前に同校へ通ったという米須清春さん(後列右端)も
在校生とともに笑顔=同校
【中城】村立中城小学校北上原分校が22日、長い歴史に幕を閉じる。同校が開校したのは、記録上は戦後の1956年とされるが、少なくとも23年から存在したという証言もあり、戦前から分校として機能していた可能性が高い。
聞き取り調査をした分校出身という米須清春さん(77)は
「自分たちが学んだ学校がなくなるのは、さみしい」と、しみじみ語った。
米須さんは北上原分校が統合される中城南小学校の新設に向けた説明会で、分校が設立されたのが56年となっていることを聞き、驚いた。「戦前、私たちが学んだはずの学校の記録がない」
村内にある津覇小学校南上原分校については12年から記録が残っている一方、北上原分校は学校の記念誌や村史にも戦前の記録は残っていない。米須さんは地域で聞き取り調査を開始。96歳を最高齢に、多くの人からの証言が得られ、少なくとも23年から「分校」が存在したことが分かった。沖縄戦の影響で、44年から12年間の「中断」を経て、56年に再開されたと考えられるという。
本校のある海側の地域と、分校の置かれている村北上原との高低差は100メートル以上。当時は道路も整備されておらず、低学年の子は通学が困難で、米須さんの時代は1年生は分校へ通った。
米須さんは「2年から本校に通ったけど、雨が降るとすべり落ちながら登校した。分校がないと1年の時は学校に行けなかったね」と苦笑い。学校が統廃合されることについては、「いつまでも“へき地”であってほしくないし、時代の流れで仕方ない。でもやっぱり、さみしいですね」と話した。
沖縄タイムス
登川誠仁さんが死去 23日に告別式(沖縄
登川誠仁さんが死去 沖縄民謡の第一人者
23日に告別式

知名定男さんとの「夢の共演! ふたりのビッグショー! 一回限りの東京公演」、で軽妙なトークで会場をわかす登川誠仁さん=2001年9月5日、東京都内
戦後沖縄を代表する民謡歌手で「セイ小(ぐゎー)」の愛称で親しまれた登川誠仁(のぼりかわ・せいじん)さんが19日午後11時37分、肝不全のため、入院先の沖縄市内の病院で死去した。
80歳。兵庫県生まれ。石川市(現うるま市)で育った。
告別式は23日午後3時から4時、沖縄市松本7の5の3、
サンレー中部紫雲閣で。喪主は長男仁(ひとし)氏。
父親の影響で幼いころから三線に親しみ、「早弾きの天才」として脚光を浴びた。62年設立の琉球民謡協会の評議員に就任し、同会師範としても、民謡ブームをけん引した。
70年には民謡では初めてという声楽譜付き工工四(くんくんしー)を発刊。
「歌の心」「豊節」など自作の歌も多く、レコードやカセットテープ、CDなどは100点以上に上る。
泡盛が好きで、ユーモアにあふれ人なつっこい言動からファンも多く、沖縄発の映画として全国ヒットした「ナビィの恋」(1999年)で、平良トミさんの夫役として存在感を示した。知名定男さんや徳原清文さんら多くの弟子も育てた。
89年県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者、98年琉球民謡協会名誉会長。2002年沖縄タイムス賞文化賞、沖縄タイムス出版文化賞、12年県功労者表彰。
ここ数年は体調を崩すことが多く、入退院を繰り返していた。
◇ ◇
沖縄市松本にある登川さんの自宅には20日午前から、門下生や親しい人たちが集まり、別れのあいさつをした。
琉球民謡登川流研究保存会の徳原清文会長は「14日に病院に見舞ったときには、痛みもないと指を動かしていた。弟子には厳しい人だったが、稽古が終わると陽気で、楽しく酒を飲んだ。まだまだ元気に活躍してほしかった」と惜しんだ。
昨年、登川さんら沖縄市にゆかりのある民謡歌手の写真展を企画したキャンパスレコードの備瀬善勝社長は「県内のいろんな地域に伝わる歌に自分なりの味付けをして歌うなど、沖縄民謡全体の掘り起こしに関わった功績は大きい」としのんだ。
近所に住む女性は「よく家の前で雑談した。地域の祭りや行事にも積極的に参加し、歌三線を披露して、みんなに愛されていた。とても残念です」と声を落とした。
沖縄タイムス
23日に告別式

知名定男さんとの「夢の共演! ふたりのビッグショー! 一回限りの東京公演」、で軽妙なトークで会場をわかす登川誠仁さん=2001年9月5日、東京都内
戦後沖縄を代表する民謡歌手で「セイ小(ぐゎー)」の愛称で親しまれた登川誠仁(のぼりかわ・せいじん)さんが19日午後11時37分、肝不全のため、入院先の沖縄市内の病院で死去した。
80歳。兵庫県生まれ。石川市(現うるま市)で育った。
告別式は23日午後3時から4時、沖縄市松本7の5の3、
サンレー中部紫雲閣で。喪主は長男仁(ひとし)氏。
父親の影響で幼いころから三線に親しみ、「早弾きの天才」として脚光を浴びた。62年設立の琉球民謡協会の評議員に就任し、同会師範としても、民謡ブームをけん引した。
70年には民謡では初めてという声楽譜付き工工四(くんくんしー)を発刊。
「歌の心」「豊節」など自作の歌も多く、レコードやカセットテープ、CDなどは100点以上に上る。
泡盛が好きで、ユーモアにあふれ人なつっこい言動からファンも多く、沖縄発の映画として全国ヒットした「ナビィの恋」(1999年)で、平良トミさんの夫役として存在感を示した。知名定男さんや徳原清文さんら多くの弟子も育てた。
89年県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者、98年琉球民謡協会名誉会長。2002年沖縄タイムス賞文化賞、沖縄タイムス出版文化賞、12年県功労者表彰。
ここ数年は体調を崩すことが多く、入退院を繰り返していた。
◇ ◇
沖縄市松本にある登川さんの自宅には20日午前から、門下生や親しい人たちが集まり、別れのあいさつをした。
琉球民謡登川流研究保存会の徳原清文会長は「14日に病院に見舞ったときには、痛みもないと指を動かしていた。弟子には厳しい人だったが、稽古が終わると陽気で、楽しく酒を飲んだ。まだまだ元気に活躍してほしかった」と惜しんだ。
昨年、登川さんら沖縄市にゆかりのある民謡歌手の写真展を企画したキャンパスレコードの備瀬善勝社長は「県内のいろんな地域に伝わる歌に自分なりの味付けをして歌うなど、沖縄民謡全体の掘り起こしに関わった功績は大きい」としのんだ。
近所に住む女性は「よく家の前で雑談した。地域の祭りや行事にも積極的に参加し、歌三線を披露して、みんなに愛されていた。とても残念です」と声を落とした。
沖縄タイムス
登川誠仁さん死去、80歳・ 沖縄
登川誠仁さん死去、80歳 沖縄民謡の第一人者

登川誠仁さん
沖縄民謡の唄者として活動した登川誠仁(のぼりかわ・せいじん)さんが19日午後11時37分、沖縄市の中部徳洲会病院で肝不全のため死去した。80歳。兵庫県尼崎市出身。自宅は沖縄市松本2の3の5。告別式は未定。
登川さんは1932年生まれ。5歳から沖縄で育ち、16歳で沖縄芝居の松劇団で地謡になった。
三線の名手として活躍し「豊節」「デンサー節」などの作詞作曲を多数手掛けた。工工四に声楽譜を加えた「民謡端節舞踊曲集工工四」などを編集。独自の楽器開発や、沖縄各地に埋もれていた民謡を編曲し、広めた。
「セイグヮー(誠小)」の愛称で親しまれ、1999年公開の「ナビィの恋」など映画にも出演した。
琉球民謡登川流宗家、県指定無形文化財琉球歌劇保持者。
2011年に第9回宮良長包音楽賞を受賞した。1月下旬から肝硬変のため入院していた。
【琉球新報電子版】

登川誠仁さん
沖縄民謡の唄者として活動した登川誠仁(のぼりかわ・せいじん)さんが19日午後11時37分、沖縄市の中部徳洲会病院で肝不全のため死去した。80歳。兵庫県尼崎市出身。自宅は沖縄市松本2の3の5。告別式は未定。
登川さんは1932年生まれ。5歳から沖縄で育ち、16歳で沖縄芝居の松劇団で地謡になった。
三線の名手として活躍し「豊節」「デンサー節」などの作詞作曲を多数手掛けた。工工四に声楽譜を加えた「民謡端節舞踊曲集工工四」などを編集。独自の楽器開発や、沖縄各地に埋もれていた民謡を編曲し、広めた。
「セイグヮー(誠小)」の愛称で親しまれ、1999年公開の「ナビィの恋」など映画にも出演した。
琉球民謡登川流宗家、県指定無形文化財琉球歌劇保持者。
2011年に第9回宮良長包音楽賞を受賞した。1月下旬から肝硬変のため入院していた。
【琉球新報電子版】
チャーター機 宮崎から観光客来島(八重山・沖縄)
ソラシドエアチャーター機が初運航
宮崎から観光客152人来島
チャーター便
新石垣空港
宮崎交通株式会社(宮交観光)のソラシドエア機チャーター便が19日午前、宮崎から南ぬ島石垣空港に到着、152人の観光客が来島した。ソラシドエア機の石垣島への運航は今回が初。
到着に合わせて石垣市観光協会が横断幕で宮崎からの観光客を歓迎し、最南端証と記念品、南ぬ島空港バッジが配布された。
宮交観光の大山伸二企画・サポートグループ係長は「以前から八重山観光は注目されており、新空港が開港される3月は時期的にもタイミングが良かった。昨年11月からツアーを販売したところ、1カ月もしないうちに完売した。今後も宮崎から送客できるよう、いろいろと検討したい」と話した。
ツアーは2泊3日。石垣島や竹富島、西表島などを巡る。
友人と一緒にツアーに参加した上村美代子さん(64)は「周囲の人から『八重山はいいところだった』と聞いていたので、いろいろと見て回りたい」、定年を期に夫婦で参加した平山都敏さん(61)は「八重山は初めてなので、水牛観光など、沖縄本島とは違った魅力を満喫したい」と八重山の島巡りを楽しみにしていた。
八重山毎日新聞
宮崎から観光客152人来島

チャーター便
新石垣空港
宮崎交通株式会社(宮交観光)のソラシドエア機チャーター便が19日午前、宮崎から南ぬ島石垣空港に到着、152人の観光客が来島した。ソラシドエア機の石垣島への運航は今回が初。
到着に合わせて石垣市観光協会が横断幕で宮崎からの観光客を歓迎し、最南端証と記念品、南ぬ島空港バッジが配布された。
宮交観光の大山伸二企画・サポートグループ係長は「以前から八重山観光は注目されており、新空港が開港される3月は時期的にもタイミングが良かった。昨年11月からツアーを販売したところ、1カ月もしないうちに完売した。今後も宮崎から送客できるよう、いろいろと検討したい」と話した。
ツアーは2泊3日。石垣島や竹富島、西表島などを巡る。
友人と一緒にツアーに参加した上村美代子さん(64)は「周囲の人から『八重山はいいところだった』と聞いていたので、いろいろと見て回りたい」、定年を期に夫婦で参加した平山都敏さん(61)は「八重山は初めてなので、水牛観光など、沖縄本島とは違った魅力を満喫したい」と八重山の島巡りを楽しみにしていた。
八重山毎日新聞