2012-10-20



旧飛行場跡地利用 (沖縄)

旧上本部飛行場跡地利用 
農業、観光で地域振興

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旧上本部飛行場跡地利用基本構想・基本計画の地権者との意見交換会=17日、本部町の豊川区公民館

 【本部】
本部町は、旧上本部飛行場の跡地利用基本構想・基本計画をまとめた。17日、同町の豊川区公民館で、北部に住む地権者との意見交換会が開かれた。
跡地の大部分が農業振興地域に指定されていることと、海洋博公園に近く眺望がよいことから、農業と観光を連携させた地域振興を目指す。
跡地約31・49ヘクタールを、
(1)体験農園などの「農園ゾーン」
(2)6次産業化の研修や最先端の農業研究などを行う「地域担い手人材育成ゾーン」
(3)農産物・加工品の直売所やレストランなどを備えた「展望交流ゾーン」-に分けて整備する方針だ。

 第一歩として、町は跡地の幹線道路となる町道21号石川謝花線の約800メートルについて、幅を広げて国道505号につなげるなどの改築工事を行う。2017年4月に開通する予定。

 構想は3月にまとまった。今後は中南部に住む地権者との意見交換会も持つ。地権者の意見を取り入れながら、詳細な計画や事業主体、整備スケジュールなどを検討していく。

 同飛行場の跡地利用をめぐっては、おきなわん・ひやみかち・もとぶ(読谷村、長濱徳松社長)も観光農園などを計画している。同社と町はできる限り協力していく考えだ。

 意見交換会には町職員のほか、本山雅治・豊川区長と地権者8人、長濱社長が参加した。本山区長は「もし家を建てたい地権者がいたらどうするのか」と質問。町側は「構想に近づけたいが『建てないで』とは言えない。ケース・バイ・ケースで対応する」とした。

 跡地約31・49ヘクタールのうち、国有地は約10・92ヘクタール、民有地は約20・53ヘクタール、町有地は約0・05ヘクタール。地権者は国と町を含め140人。
町は12年度中の国有地取得を目指し、国と交渉している。

 (伊佐尚記)


  琉球新報
authorbbstaff  linkLink   
category沖縄観光  time16:07

「基地撤去しかない」 デモ行進(OKINAWA)

「基地撤去しかない」 市民ら怒りのデモ行進
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米軍普天間飛行場からキャンプ瑞慶覧・石平ゲートまでシュプレヒコールを上げながらデモ行進する参加者たち
=19日午後7時すぎ、宜野湾市普天間

 県民への人権蹂躙(じゅうりん)許さない―。16日の米海軍兵による集団女性暴行致傷事件を糾弾する集会(沖縄平和運動センター主催)が19日夕、宜野湾市の普天間飛行場野嵩ゲート前で開かれた。
集会には約200人が参加。「もう基地撤去でしか問題は解決しない」と怒りのシュプレヒコールを上げながら北中城村のキャンプ瑞慶覧・石平ゲート前までデモ行進した。

 集会は毎週金曜定例のオスプレイ配備抗議行動と併せて行われた。

 参加団体のあいさつでは、普天間爆音訴訟団の島田善次団長が「沖縄だけでなく韓国でも暴行事件が起きている。
米軍はもはやけだものだ。地位協定改定ではなく、基地撤去しないといつまでもこのような状況が続く」と話し、声に力を込めて怒りをあらわにした。

 集会終了後には、宜野湾市職労も加わって300人以上で石平ゲートへデモ行進。「米軍は沖縄から出て行け」「県民軽視の日米安保はいらない」と声をからしながらシュプレヒコールを上げていた。


  琉球新報

あなたを思う人、多くいるよ (OKINAWA)

2米兵暴行:あなたを思う人、多くいるよ
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抗議行動が続く野嵩ゲート前に駆けつけたフィッシャーさん。
戦後、沖縄で起きた米兵犯罪の概要を手書きしたベッドシーツ
を掲げた=19日午前、宜野湾市

 「10年たってもまだ正義は実現していない」。
2002年に米兵から暴行を受けたキャサリン・フィッシャーさんが19日、米軍普天間飛行場の野嵩ゲート前を訪れ、県内でまたも起きた米兵による暴行事件や、オスプレイ強行配備に抗議を続ける県民を励ました。
加害米兵への怒りや、被害者である自身の尊厳回復を表現した作品を掲げ、日米地位協定改定を「あきらめないで」と呼び掛けた。(新里健)

 かつて「ジェーン」と名乗っていたフィッシャーさんは、午前9時50分ごろ到着した。座り込みをしていた平和市民連絡会の城間勝共同代表(67)らと30分間懇談。
1940年代から現在まで、沖縄で米兵が起こした事件の概要を細かく列記したベッドシーツを広げた。「野蛮な罪を犯したのに、よく眠れますね」という皮肉を込めた。

 カラフルな色使いながら目玉を無数に描き込んだ自作の絵も紹介し、「加害米兵への処罰と謝罪を求め始めて以来、ずっと公安警察に目を付けられている」と訴えた。

 曲線やしずくを描き、英語で「忍耐」と小さく記した絵も掲げ、「私は10年間耐えてきた。カミングアウトするのは怖かった。でも今は怖くない」と、作品に込めた心象を語った。

 この後、県庁で記者会見し、急きょ来県した理由を「私が被害に遭った時は誰も助けてくれなかった。
彼女を思う人が多いことを示したかった」と涙ながらに語った。「沖縄は戦後67年間、血を流し続けてきた。日本の国旗はその血の色に見える」とも。日本政府に、米軍犯罪被害者の対策チームと、24時間態勢のレイプ救援センターの発足を働き掛けるとした。

     沖縄タイムス